36 晩餐
御部屋は、それなりに豪華なものでありました。
愛する奥さんのために作られ、また空から行く旅行にも用いられたと王国史にもあります。
さぞかし勇壮な旅であった事でしょうね。
そして、しばらくは平穏な生活が続いたのです。
ここには素晴らしい魔導キッチンも備えられ、食材は収納袋によりアレーデが大量に持ち込んでいましたので、皆で料理を作って楽しみました。
まあ主に作ってくれるのはアレーデなのですが、私も少しは頑張ったのです。
一応、たとえ王家といえども戦になれば野外飯になる、あるいは敵から逃げ延びねばならない事もあるという事で、嗜みとして料理を習っていたのですが、まだ若輩者であるのもありまして腕前の方はさっぱりです。
だって王宮料理長の御飯が美味しいですから、まあどうしてもね。
御母様に教えを乞うと、なんというか冒険者飯になりかねないですし。
あるいは鷹揚にして南国風味なサイラス飯の方向とか。
「ふふ、姫様。
一般の女性はですね、男性の胃袋を掴んでこそ恋愛は結実し成就するのですよ。
よい機会でありますので、少し花嫁修業をしてみましょうか」
私同様に未婚であるエリスさんが、そのように笑って仰います。
「え、ええ。
それに敵から逃げのびているという観点からすれば、今はまさに実戦といってもいいような状況ですからね」
「そういう事です、姫様。
まあ、ぶっちゃけここでは物凄く暇ですしね。
姫様方の御勉強道具は持ってきていますが、それだけですと時間を持て余しますし」
「では、私は軍糧という観点から料理を」
エルシュタイン本家の女性で王家に近しいエリスさんは、共に護衛任務をする事もある軍や騎士団とも近しいようです。
本来、それは本家の男性の仕事なのですが、幼いエミリオのために女性である彼女が護衛を担当しているのです。
エリスさんは、そちらの方面の男性のハートを掴みたいのでしょうか?
まあそれはわからないでもないのですが、そういう方でも奥さんになる人には家庭でちゃんとした料理を作ってほしいと思うのではないかという気はいたしますね。
「では、こちらは野外における冒険者御飯という事で行かせてもらおうかな。
一応はダンジョン飯のような非常糧食なんかは無しの方向で。
そもそも、あれって料理でもなんでもない、そのままもそもそ食うような物だからね」
あの御母様とコンビを組んでいた高ランク冒険者であるエンデさんは、そちらの方向で攻めるおつもりのようです。
「あっはっは、うちも最悪はあれですね」
「さすがはエルシュタイン家、何があってもビクともしない体制ですね」
「もう、皆さん!
普通の御飯を作りましょうよ。
せっかくですから、ここはアレーデ先生について女子力を磨きましょう」
これだけ美しい女性ばかりが集まっているというのに、なんという女子力の無さというか、野趣溢れる感じであります事か。
頼りになるのはアレーデだけですね。
殊この分野におきましては、私など雑兵以下の子供のようなものです。
まあ確かにまだ成人はしていませんけどね。
「じゃあ、とりあえずあれこれと作ってみましょうか」
「賛成。時間はたっぷりとあるんだしね」
そういう訳で、私をアレーデの付録とした三チームに分かれての御飯大会と相成りました。
我ながら情けないですが、そうしないと勝負にもなりませんので。
「では、姫様。記念すべき空中庭園初晩餐は何にいたしますか?」
「晩餐ねえ」
「だって、伝説に謳われた空中庭園における第一夜なのですよ。
これはもう晩餐ですね。
しかも、ここには口煩い人は誰もいないので、我々だけでやりたい放題という」
「ああ、そういう意味」
「です」
確かにエリスさんは豪放な方で、そう細かい事は言いそうにないタイプですし、年季の入った空気を纏うエンデさんは更にその上を行く感じです。
そして楽しそうに、収納から魔導冷蔵設備に移しておいた当座の食材を取り出して並べていくアレーデ。
彼女の強さは、こういう逆境でもめげないメンタルの強さと、逆にそれを楽しんでしまえるような好奇心と御気楽な性格にあるのかもしれません。
いい機会なので、私も少しあやからせていただこうと思います。
その一方でエンデさんは数メートルにも及ぶ大きさの何か巨大な肉の塊を引きずり出しました。
まるで動物ないしは魔物丸々のような。
どうやら四足獣を処理した物のようですが。
自前の収納アイテムで持ち込んでいたようです。
「それ、何の肉⁉」
「ああ、心配しなさんな。
これも上等な高級食材の奴でね。
まあ自前で狩ってきた奴だけど」
何か物凄く巨大でジビエっぽい感じの物体が登場いたしました。
さすがは伯爵夫人、自前の領地で魔物狩り?
いや、きっとダンジョンとか魔の森みたいなところで狩ってきたのでしょう。
しかし、それを軽々と扱っているところは、さすがAランク冒険者という他はありません。
ああ見えて、うちの御母様も結構な力持ちなので、このエンデさんといい勝負なのではないかと。
「やはり軍用糧食というからには、コンパクトに栄養を封じ込めねばなあ」
「あのう?」
でもエリスさんは私のツッコミなど聞いていないようで、御自分の世界へ没入していらしているようです。
「姫様、うちも頑張りましょうよ。
うちは今回、庶民派でいきますよ。
一般家庭で食べられているような庶民料理っていう感じの奴ですね。
脂ぎった御馳走三昧に飽きた貴族の人なんかも、一般市民のいる王都の最外苑の街区まで御忍びで食べに行くような奴を」
そういう事を言うところを見ると、きっとアレーデも御休みの日なんかには、そこへ食べに行っているのかもしれません。
一応は彼女だって貴族の子女なのですし、日頃は私と一緒に食事をしていますので。
私が御世話をかけたストレスでそうなっているのではなければよいのですが。
まあ神経の太いアレーデに限ってそれはないですか。
きっと浮かれて弾けるために一般区画の酒場で楽しんでくるのでしょう。
ついでに酒場での情報収集なんかも兼ねて。
そしてアレーデが作ってくれた物は、辛めの特製ソースで作る人気の魔物鳥と各種野菜の炒め物に、魔物骨で出汁を取ったらしき透明度の高い、金色に近いような薄黄色のスープです。
後はシャキっとした葉野菜と大根のサラダ、そしてふんわりパンケーキなどです。
他には特別に絶妙に混ぜ合わせた果実のジュースなんかもあります。
私もなんとか包丁で切るところくらいは手伝ったのです。
手を切らないようにゆっくりと。
私自身は、指が千切れてしまっても簡単にくっつくような強力な回復魔法グレーターヒールを持っていますが、それでも包丁はおっかないです。
そこの御二方のように刃物や荒事に慣れている訳ではありませんので。
あの二人、体付きからいって一般女性とは少しかけ離れている体格なのが服の上からでもはっきりとわかります。
その美しい御顔とのギャップが何とも言えません。
そして、御二方が作ってくれた料理は!
「見よ。
これこそ、我がエルシュタイン家秘伝の国防丸」
「え、なんですか、それ。
初めて聞きました」
エルシュタイン家秘伝というからには、一般の携帯軍用糧食という訳ではないようです。
あれは確か、簡素ではあってもちゃんと素材別になっているはずなので、こういう物ではなかった気がします。
前に見せていただいた事があります。
国軍だって、通常はそんな冒険者御飯のような物ではなく、演習などではきちんと炊事をしているはずなのですが。
「ふふ。
これには、あらゆる栄養分が濃縮されているのです。
一粒食べれば勇気凛々、体の奥底から力が湧いてきます」
それ、何かの危ない成分が入っていませんか?
戦闘前とかで、兵士がそういう物を用いる事があると聞いた事があります。
第一印象として、何かこうウイルストン家秘伝の苦いお薬を連想させる印象がありますね。
さっきはエリスさんが物凄い量の食材を、煮る焼く蒸すなど、あらゆる加工で処理していました。
その結果、魔導冷蔵庫が一旦ほぼ空になっていたような。
一体何を作るつもりなのかと思っていたのですが、直径一・五センチくらいはあるしっかりとした真ん丸の、確かに丸薬のような物が出来上がっています。
しかし、今そこにある物は中皿に軽く盛った程度の量しかありません。
どれだけ栄養が圧縮されているのでしょうか。
栄養価は高そうですが、それを口にすると他の料理が食べられなくなるのでは。
胃の中で思いっきり膨らむような気がします。
ちょっと手に持ってみたら、ずっしりと重量感が伝わってきましたしね。
「あっはっは。
まるで、あのウイルストン家の丸薬みたいじゃないか。
大きさはでかいけど。
材料に青鰭蜥蜴なんかは入っていないんだろうね」
う、あれの味を思い出してしまいました。
あれが得意な人っているのですか?
うちの家族であれを普通に飲めるのは、御母様だけです。
そのあまりにものマズさ故に、あのミハエル兄様さえも嫌がって飲まないほどなのですから。
まあ、うちの兄妹は皆子供の頃に鼻を摘ままれて強引に飲まされてしまっていましたが。
確かによく効く薬なのですが、貴族の方々からも大変嫌がられているようです。
私は少々疑惑の眼差しで、彼女エンデさんの『手料理』を凝視していました。
そしてエンデさん謹製の、かなりの時間短縮で大物料理を片付けてくれる魔導オーブンで作ったらしい、大皿に乗った大きな魔物の丸焼きが載っていました。
据え付けられた数基あるオーブンの中で最大の物は、なんと超大型肉を中へ収められてしまう巨大さです。
これは前面扉が上へスライドして開くので食材の出し入れも簡単にできます。
もっとも、その食材を扱う膂力があればの話なのですが。
私なら食材にライトウエイトの魔法を使わないと無理そうです。
そして出来上がった料理は、体表面に強力なバリヤーを張ったエンデさんが手掴みで引きずり出していました。
私も魔法を使えば、なんとかオーブンからの食材の出し入れくらいは出来そうなのですが、肝心の御料理の腕がないので無理っぽいです。
「うわ、大きい」
「ふふ、まあ試しに食べてみてごらんよ」
「え、ええまあ。
いただきます」
彼女が切り分けてくれた巨大なステーキサイズの肉が載った皿を手に取りました。
「へえ、これはもしかして」
そう言いながらアレーデも皿を手に取ります。
そして一口食べて私達はハモりました。
「「美味しい~」」
「ほほほ。
どお? ミノタの丸焼きは。
サイラス産の香辛料をたっぷりと奢ってあるの。
これはうちの領地に生息しているので、時折狩ってくるのよ。
草食魔物だからいくらでも湧いてくるけど、こいつら気が荒くてね。
狩るのは、なかなか骨が折れる。
いつもは庭に設置した魔導グリルで焼いて御客様に御出しするのよ。
狩りと解体が私の担当で、味付けをして焼くのが旦那の仕事ね」
「へえ、豪快ですね~。
これは美味いし、御酒にも合う。
さては冒険者の酒盛りメニューですか」
「御名答。
まあ、この空の上ならばそうそう襲撃もあるまい。
という事で、今日はパーティね」
そう言ってエンデさんは御酒をたくさん引っ張り出しました。
さすがは御母様とコンビを組んでいたというだけはある冒険者です。
これくらい豪快な性格をしていないと、あの人の相方は務まりませんよね。
「皆さん、護衛のくせに御気楽ですね」
「これくらいに構えておかないと、この先が大変ですよ。
この状況がいつまで続くものかわからないですからね。
アレーデ、あなたが持たされた食料の量を思い出してごらんなさい。
場合によっては補給が必要な事もあります。
セキュリティの面からいえば、なるべくならこのデカブツを地上へは下ろしたくないのですが」
「そういう事。
こっちのアレーデが作った鳥その他もいけるな。
さあ、今夜は楽しもう。
この大いなる古代の遺産たる空中庭園を称えて」
そういう事で、我々の記念すべき第一夜は陽気に騒がしく更けていったのでした。




