22 エミリオ殿下の宝箱
そして王妃様はすぐにエミリオ殿下の部屋へ行くと、容赦なく幼い息子を叩き起こした。
「そおら、私の可愛い坊や。
起きてちょうだい、御母様ですよ。
朝ですよー、ペチペチ」
「うーん、なあにー?」
可愛らしく寝惚け眼の声を返すエミリオ王子。
実に可愛らしい事この上ない。
思わず頬を緩める王妃様の傍には、いつの間にかエミリオの護衛についていたエリスとサマンサが立っていた。
相手が王妃様なので何もしていないだけで、これが賊ならばとっくの昔に、あっという間に捕縛されている。
あの偽ジョアンナもそれを知り尽くしていたからこそ、貴重で特殊な香を持ち出したのだ。
あれは並みの催眠ガスのような物とは違って、口や鼻を押さえても、眼や耳、果ては毛穴に至るまであらゆるところから体に入り込み、急速に効果を発揮する。
並みの毒薬物など問題にならぬほど強力な結果をもたらすのだ。
まあ帝国とて、いきなりの王家暗殺を試みるつもりはない。
『アルバトロスの王位継承権を持つ王族』を拉致したかっただけなので。
そいつはアイテムに付与された風魔法により超高速で広がり、広範囲を一気に制圧する事が可能なのだ。
購入に同重量の金貨が必要と言われるほどで、あまりにも高価なせいで今回のような特殊案件にしか用いられないという厄介な代物だ。
既に現物は王妃様が押収しており、巡回兵士の詰所にも人がやられている。
さすがは『元祖疾風』の王妃様なのであった。
動きや対応が、完全にSランクに近いAランクのものなのだ。
若い時分に培った力は歳を取っても衰えないというか、経験を付与してますます盛んなのであった。
「エミリオ、秘密の御部屋に誰か入れた?」
「えーと……」
これは! と思わず眉を寄せた王妃様。
こういう時は絶対にエミリオがやらかしているはずなので。
「ないしょ」
可愛くそんな事を言っているが、今日は息子を溺愛する王妃様も胡麻化されない。
「じゃあ、御母様もあそこへ入れてくれる?
あと、君のお友達のアルス君とサンレディちゃんも」
「いいよ。
でもサンレディはサンレディちゃんじゃなくてサンレディ君だよね」
これには全員が笑ってしまった。
当のサンレディ以外の面子で。
「きみい、子供にも正体バレとるやんけ」
眼が笑っている王妃様から楽し気に追及されて、思わず涙目のサンボーイ。
「あうう」
「やるなあ、エミリオ殿下も」
「だってサンレディが抱っこしてくれる時に、御胸が固い男の胸だったもの」
「あはっ」
アルスも少し照れ加減の笑いを漏らす。
幼い王子が自分と同じレベルの見分け方だったので。
もっとも女性の胸に抱かれた回数にかけては、エミリオ王子の場合は並みの成人男性などは十人束になっても敵わないのではないだろうか。
あまりに彼が可愛らしいので侍女や貴婦人方、そして御嬢様方に至るまで、もれなく抱っこされてしまうので。
胸の膨らみなどほぼないような、年少の実の姉でさえ男と比べたら固くはない。
そして皆を連れて秘密の子供部屋へと誘ったエミリオ王子。
王子本人は気付いていないのだが、ここは実を言うと『最後の砦』なのであった。
ここに関しては母親からこう言われていたのだ。
「いい? エミリオ。
もし何か大変な事があって、周りに騎士団も御母様も御兄様達も誰もいなかったら、ここに逃げ込みなさい。
その時は絶対に一人でね。
御姉様達がいたら一緒に部屋へ行きなさい」
つまり幼い王族のために作られた非常時のためのシェルターなのであった。
そのために高度な隠蔽を施され、魔導キーを奢ってあるのだ。
騎士団がいないとなれば、北方の王族専用の脱出通路からの脱出も困難であるため、引き籠らせておいて後で母や兄が救出にくればいいと。
最悪は信頼出来る冒険者に魔導キーを託し依頼して。
そしてジョアンナの話を聞かされたエミリオ王子が魔導キーを作動させると、ゆらっという感じに空間が揺らぎ、よくある感じの引き下ろし式の階段が二段スライドで降りて来た。
上に上ると、いかにも屋根裏の秘密基地といった感じに、玩具やガラクタっぽい物が並べられていたが、そこの一角に件の大箱を見つけた。
それはまたかなり大きな物で、並みの成人女性くらいなら余裕で二~三人は収めてしまえるような代物だった。
そして、かなりぴっちりと蓋が閉まる頑丈なものだったのだ。
「これでは中で息が出来なくなってしまっていませんか?」
アルスが懸念を表明したが、王妃様は笑い飛ばした。
「ふふ、大丈夫よ。
これは外気と通じる構造になっているから。
エミリオにも、万が一ここへも誰かが侵入してきた時は、ここに隠れなさいと言ってあるの。
中から施錠も出来る構造になっているから」
「なるほど」
そしてアルスが罠を仕掛けられていないか警戒しつつ蓋を開けようとすると、エミリオ王子が慌てて止めた。
「駄目、勝手に開けちゃ。
僕の秘密の宝箱なの!
自分で開けるから、あっちを向いてて」
「はいはい。じゃあ、御願いしますね」
アルスも、実のところサンディのようにサバサバしたタイプの人間が危険な罠を仕掛けている事はなかろうと思っていたし、さっとチェックした感じでは大丈夫のようであったので後はエミリオに任せた。
そして開けられた箱の中から、気絶したまま袋に詰められた状態のジョアンナを彼が苦労して引っ張り出そうとしていた。
よほど箱の中身を見られたくないものらしい。
すると、その中からエミリオ殿下の脇を抜けてピョンっと飛び出したものがいる。
それはなんと手乗りサイズの小さな魔物であった。
「ああっ、キュピイ。
箱から出ちゃ駄目っ、御母様がいるんだから」
「キュピッ⁉」
なんと親に内緒で、秘密の子供部屋で魔物の子を育てていたらしい。
やる事が、まるでその辺の子供だった。
そして魔物の子はエミリオ王子の肩までさっと登ってくると、そいつはまるで「遊ぼうよ」とでも言いたいかの如くに、エミリオ王子にすりすりしてきた。
そいつはなんというか、いわゆるげっ歯類っぽい感じの可愛らしい無害そうな小動物系の魔物であった。
「あうっ」
あまりもの気持ちの良さに思わず目を細めたエミリオ王子であったのだが、母親からは襟首を掴まれてしまった。
「こりゃあ、勝手に動物を連れ込んだら駄目って言ったでしょう。
それに、そいつは魔物じゃないの。
どこから持ってきた~」
「ジョアンナに貰った」
「ああ……その手があったか」
どうやってサンディが護衛の目を誤魔化して、ここへ入り込んだのかはわからないが、変化の能力を多用して、あるいはその他のスキルを併用したのだろうと推定される。
高度な隠蔽や発動不感知系のインビジブルなどを用いたのかもしれない。
本来ならば王宮では魔法を発動出来ないはずなのだが、そんな中でも強力な魔法でなければ使える人もいる。
元々は王宮を破壊するほど危険で強力な魔法の使用を防ぐためにそうされているので。
「あのね、ジョアンナが秘密の御部屋を見せてくれるなら、この子をくれるって。
みんなには内緒だよって。
でもあの人って本物のジョアンナじゃなかったんだなあ。
何か大きな荷物を背負っていたけど、もしかしてあれがジョアンナだったのかな」
ここへ入るためと、攫って逃げる時のために今のうちからエミリオを餌付けしておこうという一石二鳥の作戦であったものらしい。
そして幸せそうに惰眠を貪っているジョアンナを箱型ベッドからアルスが引きずり出した。
それを見て溜息を吐く王妃様。
おそらくこの女には、一ヶ月ほど王宮中の便所掃除の刑とかが待っているものに違いない。
ちなみに箱の中には水の入った大きな皿とネズ公のおやつが大量に置いてあったので、万が一ジョアンナが眼を覚ましていても、すぐに餓死する事はなかったと思われる。
他には、もう壊れてしまったが大切にしていた玩具なんかが、侍女達に片付けられて捨てられてしまわないように、そこへ大切に仕舞われていた。
それを見た王妃様は柔らかい笑みを漏らし、小さな息子の頭を撫でながら申し付けた。
「せっかく、こんな可愛い子を貰ったんだから、こんなところへ閉じ込めてしまっては可哀想でしょ。
下で飼ってよろしい。
その代わり侍女に任せきりにしないで、ちゃんと自分で御世話なさい。
わかったわね」
「はあい。ありがとう、お母様!」
かくしてエミリオ王子を狙った陰謀は水泡と化し、可愛らしいエミリオ王子は可愛い家族を増量し、侍女達の耳目を更に集める事になるのであった。




