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20 深夜の擾乱(じょうらん)

「あなた、ねえ」


 そこにいた、同僚に呼びかけられたエミリオの侍女は振り向くと、にっこりと端正な顔を向けた。


「あら、何かしら」


「何かしらじゃないわよ、ジョアンナ。

 あなた、一体何をやっているの。

 それはエミリオ殿下の儀礼用の礼服じゃないの。

 それは浄化魔法をかけただけじゃ駄目よ。

 ちゃんと専門の業者に出して御手入れをしないと。

 それに他の服と一緒に仕舞ってしまったら、今度使う時に探せなくて困るでしょう」


「ああ、ごめんなさい。

 うっかりしてしまって」


「あなた、ちょっとおかしいわよ。

 しっかりしてちょうだい」


「ええ、ただ最近は物騒な話も聞こえてきて少し不安で」


「まあその気持ちはわかるけど、あのサンレディじゃないんだから、私達ベテランはしっかりしないと」


「そうね、気を付けるわ」


 そんな何気ないような侍女同士のやりとりを、隠れて盗み見している者がいた。

 それは会話にも登場していた当のサンレディである。

 盗み見も何も、彼女自身がその侍女の一人であるのでここにいたのだが、まあほぼ戦力外扱いなので。


 あの王妃様が連れてきた人材である上に、何かこう(たが)が外れた感じの人物なので、もっぱら王子の御相手専門のような扱いだった。

 肝心の人手不足解消にはまったく役に立っていないのが困ったものだった。


 彼女にしては妙に生真面目で難しい表情をして観察していたのだが、そのまま静かに退場していった。


 そしてまた、すっという感じに彼女が消えたあたりから姿を現した男がいた。

 それはアルスであった。

 そして彼も、ふむという感じで顎に手をやりながら静かに気配ごと消えていった。


 その後もサンレディは、エミリオ殿下の相手をしながらも、あれこれと侍女達の様子をそっと観察したりしていた。



 やがて夜も更けて、寝息さえ響きそうなほど静まり返った王宮に妖しい影が一つ蠢いていた。

 長い髪と細めのプロポーションのシルエットを、深夜であるために照度を落とした淡い魔導ランプの光に映し出しているので女であるとわかる。


 通常、深夜に侍女や使用人の女性が王宮を徘徊する事はない。

 いるとすれば、それは巡回の兵士くらいのものだろう。


 その者は静かに歩哨の兵士の詰所へと向かうと、ドアの隙間から何かを差し入れた。

 やがて内部でドサリドサリと人が倒れる音が続き、女は怪しげな笑みを浮かべた。

 何らかの催眠的なアイテムを用いたものらしい。


 そして女はエミリオの寝室のある区画へと入っていった。

 そして、そこでも似たようなアイテムを用いようとして床へ置いた時、背後から声がかかった。


「やあ、ジョアンナさん。

 それは、さっき兵士の詰所で使っていた物と同じ物だね。

 へえ、催眠効果のある特殊香か。

 そいつは魔導アイテムか何かかな。

 かなりの即効性や拡散性があるみたいだね」


「お前は!」


「ふふ、ジョアンナは偽名だよね。

 まあこっちも本名は使っていないけどさ。

 それで本物のジョアンナさんをどうした」


「ふん。そんなものは監禁したのに決まっている。

 迂闊に殺してしまって、うっかりと死体が見つかってもなんだからね。

 あの女、この御時世に一人で護衛もつけずに買い物なんかに出るから、そういう目に遭う。

 まあ見つかってしまったのなら仕方がない。

 お前には死んでもらうよ、サンレディ」


「おお、こわ。

 お前の目的はエミリオ殿下の誘拐か?」


「くく、そうだとしたらどうする」

「そいつは困るな」


「何!」


 いつの間にか、振り向いた女の背後に立っていたのはアルスである。

 サンレディも思わずアルスを見た。

 声をかけられるまで気配を感じられなかったため、アルスを見つめるその太陽のようなイエローの明るい瞳に驚愕を乗せていた。


「悪いが、お前の仲間は捕縛して牢へ放り込んである。

 お前が仲間に連絡を寄越したので、うちのシーフの冒険者がそれの経路を辿って捕まえた。

 ここは大人しく御縄につくんだな」


「おのれ、何故わかった」


「お前の事を、そこにいるサンレディがチェックしていたからな。

 僕は【彼】を見張っていただけさ」


 それを聞いて苦笑するサンレディボーイ。


「あっちゃあ、やっぱりバレてた?

 さすがは若くてもSランク冒険者だなあ。

 この間ぶつかった時に、君の手が僕の胸に当たっちゃったから、もしかしたらバレたかもなとは思っていたんだけど」


「ああ、いくらサラシを巻いてあったって、男の胸と女の胸は感触が違うからね。

 道理で何かこう違和感があったはずさ。

 まったくもう、あの王妃様ときた日には。

 いくらなんでも王宮で働く侍女として男を採用してくるとは破天荒にもほどがある。

 普通は絶対にやってはいけない禁じ手なんだけどなあ」


 何しろ女性同士の中で、男が見てはいけないシーンなんかもたくさんあるのだ。

 しかも王宮勤めの侍女などには貴族の子弟も多い。

 はっきり言って、バレたらそれはもう大変な騒ぎになってしまう。


 たとえ王妃といえども、侍女達に囲まれて吊るし上げられてしまうのは避けられない。

 彼女達の実家である貴族家からも王家に苦情が殺到して、とりなしが大変な事になってしまうのだ。


「あっはっは。

 君もまだまだサイラス人という者がわかっていないんだね。

 この程度の事はサイラスじゃあ、冗談でよくやられるレベルさ。

 侍女が自分の弟を女装させて仕事場に連れ込むなんて日常茶飯事だから」


 それを聞いて、さすがにアルスも天を仰いだが、大胆にもその隙を突いて脇を猛ダッシュで抜けようとした偽ジョアンナをアルスが瞬時に捕らえ、一瞬にして捕縛して縛り上げた。

 まるで蛙が餌を捕まえる時のような素早さだった。


 おそらく何気ない会話で偽ジョアンナを油断させておいて、自分にファストの魔法を重ねがけしまくっていたのだろう。


「くそ、離せ!」


「おっと、逃げられたら困るよ。

 お前には本物のジョアンナさんの居場所を吐いてもらわないとな」


 だが女は、今までの控えめな表情とは打って変わった獰猛な雌虎の貌で憎々し気に嘯いた。


「ふ、あの女なら屋根裏にあるエミリオ王子の秘密の子供部屋とやらにあった、でかい箱の中へ放り込んでやったさ。

 中には何か訳のわからない物がいっぱい入っていたがね。


 強力な睡眠薬を使ったから、あの女はまだいい夢でも見ながら間抜けに寝こけているんだろうよ。

 くそ、まさかそいつが男だったとはな。

 可愛い顔をしているから騙されたわ」


 そして、そいつは【変化】を解いた。

 どうやら何かの魔導具か、あるいはスキルか何かで変身していたものらしい。


 正体は黒髪で厳つい顔をした、いかにも裏家業といった感じの人相で、女にしては粗野な容貌の少し歳のいった女が胡坐をかいていた。


「ふふ、御褒めに(あずか)ってどうも」


 サンレディは、にこにこしながら女を見下ろした。


「へっ、そんなもんで喜んでいる内はまだまだ餓鬼なのさ。

 男っていうのはなあ、あたしくらい男っぷりがよくて丁度いいのさ。

 坊や達、あたしの名前を覚えておおき。

 我が名はサンディ、二つ名は変化のサンディさ。

 じゃあな。あばよ、優男ども」


 そして、そいつは直後にグラっと体を前に崩すと、捕縛された状態のまま床に倒れこんだ。


「あ、しまった」


 サンレディは駆け寄ったが、女はもう死んでいた。


「どうやら口の中に、噛むと破裂する毒の丸薬(カプセル)でも仕込んでいたみたいだね」


「王妃様からは、内部へ潜入してくる奴がいたら生かして捕らえるようにって言われてたんだけど。

 うわあ、これじゃあ王妃様から怒られちゃうなあ」


「仕方がないさ。

 こいつの死に様が潔いっていうか、自分で言っていたみたいに男っぷりがいい最期だったんだから。

 こういうのは盗賊ギルドなんかでよく使う手だね。

 普通はもう少し命汚く躊躇うものなんだがな。


 やれやれ、自殺は止められると思っていたんだが、あのタイミングでやられるとは。

 僕も大失態だ。

 まさに敵ながら天晴な最期っていう奴だね。

 亡骸は丁寧に葬ってやろう」


「それでもジョアンナさんの居場所が知れたのは不幸中の幸いでよかったなあ」


「あいつが、さばさばした性格の奴で助かったな。

 さもなきゃあ、王国軍総動員で冒険者まで駆り出して王都中を大捜索しないといけないところだった。

 そんな事になっていたら僕もアーモンから大目玉を食らうのは必定さ」


 おまけに隠し場所がエミリオ殿下の部屋の中ときたものだ。

 確か、あそこは殿下しか入れない決まりになっているのだ。

 短期の隠し物をするのならばまず見つからないだろうから、ヤバイ代物の隠し場所にはぴったりだった。

 さすがに死体を隠しておいたら臭ってしまってどうしようもないのだろうが。


 二人とも渋い顔で面を突き合わせていたのだが、ふとアルスが訊いた。


「そういや、君の本名は?」


「サンボーイ、レディじゃなくってボーイさ。

 今はサイラス王国騎士団の見習いなんだ。

 僕も腕は立つから、いずれ正騎士団員にはなれると思うけど。

 ここの仕事を上手く果たしたら、即正騎士団員として採用してもらえる約束だったんだ。

 でも、そいつに死なれちゃったから、ちょっと評価は割引かな」


 しょんぼりと肩を落とすサンボーイをアルスは笑い飛ばした。


「はっはっは、王妃様へは僕から正騎士の件は推薦しておくよ。

 いい働きだった。

 御蔭でエミリオ殿下を護れたんだから胸を張っていいぞ。

 やはり君みたいに侍女の中へ入っていないとよくわからない事もある。

 だから君の事を見張っていたのさ。

 まあ、王妃様の悪知恵の勝ちっていうところかな」


 それを聞いて、サンレディ改めサンボーイも嬉しそうに笑うと、こう付け加えた。


「あっと、まだ正体はバラさないでおいてね。

 まだ仕事の期間が残っているんだから」


「ああ、さすがにもう侍女に変装してくる作戦はないと思うけどね。

 警戒も厳重になるだろうから、敵も一旦は引くはず。

 どうせまたすぐに何かしてくるとは思うけど」


「だよねえ」


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