9 ミハエルとシド
そしてシド殿下から、御約束していただいていた御茶会に御招待されたのですが、何故か今度はミハエル兄様が一緒に来てくれました。
まるで、この縁談は是非とも纏めたいとでもいうように。
いや大変に心強いですし、とても嬉しいのですけど。
「あははは。
可愛い妹の想い人は見ておきたいからなあ。
いやあ、ヤケちゃうなあ。
畜生~」
ミハエル兄様は若干妹に構いすぎるというか、過保護なところもあるのですが、こんな風な感じに話している時は、大概は何か裏の事情がある時ではないでしょうか。
きっと国に関わる何かのお話が背景にあるのです。
私が少し不安そうな顔をして見ていると、そっと掌で顔を撫でてくれて、ミハエル兄様は柔らかな笑顔、家族以外には向けないあの独特の懐っこい笑顔を見せてくれました。
「ははは。
そう心配そうな顔をおしでないよ、ミレーヌ。
お前は自分の人生だけを考えていればいい。
国は私や兄上が護るから」
いつも国や民を思い、縁の下の力持ちに徹しているミハエル兄様。
私達家族の事もいつも気にかけてくださっているミハエル兄様。
私はなんだかとても申し訳ないような気持ちになってしまいました。
「シド、あれはなかなかの男だ。
剣と魔法の達人にして、社交さえも見事に武器として使いこなす。
それでいて、あの海洋国家ハイドで荒くれ者どもを率いる度量もあり、かなりの商才もありそうだ。
見かけの端正な容姿からは測る事の難しい、奥の深い人物でもあるな。
おそらくは裏表もあまりない好人物なのだろう。
一度ゆっくりと話をしてみたいと思っていたところだ。
ああ、お前の邪魔をするつもりはないから安心しなさい」
やっぱりシド様はミハエル兄様の眼鏡にも叶うのね。
エミリオもシド殿下の事はかなり気に入っていたみたいだし。
そんなアルバトロス王国とハイド王国が疎遠になってしまっていたのは、もうただ不幸としか言いようもないほどの不幸。
その陰でベルンシュタイン帝国のような国が暗躍し、ゲルス共和国のような不穏な国も台頭してしまいました。
かつて、あのアルバトロス王国初代国王とも深く縁を結んでくれていたアル・グランド王国も、その裏で滅びてしまいました。
私達は、歴史の中で多くのボタンをかけ損ねてしまってきたのではないでしょうか。
でもこの御縁の中で、そういう事も少しずつでも変わっていく最初の足掛かりになっていくのかもしれません。
いえ、変えていこうと思います。
私とシド殿下の二人で。
少しずつ、一歩一歩。
そんな私の決意を秘めた顔をミハエル兄様はじっと見ていました。
そして静かに、ただただ静かに微笑むのでした。
やがて、『在アルバトロス王国・ハイド王国大使館』に馬車は到着しました。
王宮で間借りしているシド殿下の御部屋ではなんだというので、王都の一等地に構えたこのハイド大使館へやってきたのでございます。
月夜に照らされて神秘的な姿を見せるアルバ山を眺める、その静謐な場所にハイド王国大使館は静かに佇んでいました。
その昔、初代国王ヤマト様は、まだ荒野に過ぎなかったこの場所を見て王妃メリーユ様に向かって、こう仰ったといいます。
「これはまた風流な。
うーん、言ってみればアルバ富士だねえ。
富士にしては少しなだらかで低いが、うん実にいい形をしている」
まだ国は『アルバトロス』という名前があっただけ。
アルバトロスとは、初代国王様の暮らしていた世界で、殆ど地上に降りる事無く空を彷徨う事しか出来ない弱い鳥の名だったそうです。
いかにもという感じの命名です。
しかし、実際には違う意味で名付けられたのだそうですが。
そして、ここに王都が定められ、山にはロス大神殿が設けられました。
それが、この国の正式な興りであるとも言われています。
あるいは、あのアドロス迷宮に始祖ヤマト、いえ我が先祖船橋武その人がこの地にやってきたその時なのかもしれません。
その時には『紅蓮の風』の二つ名を持つ王妃メリーユ、そして彼らの最初の国民であった孤児であった子供達も共にあったといいます。
人族の子も獣人の子も分け隔てなく。
そして彼は民を愛し、護り、育てるために戦ったのだと。
私の名前メリーヌは、かの名高き二つ名持ちである初代王妃様の名から取って付けられたのです。
魔法だけならば、私もその名に恥じない領域にあるのではないかと自負しております。
そして我が祖、初代国王船橋武は言いました。
「我々は、今は碌に地上に降り立つこともできないアルバトロス。
だが、いつか我々は鷹になる。
何者にも負けない大空の覇者アルフォンスに!
でもね、お前達。
その時にも優しさと思いやりだけは忘れてはいけないよ。
そう、けっしてね」
その時にはまだアルバトロスという国の名前しかなかった。
何も無かった。
粗末な家さえも。
全ては路傍の石に過ぎない、そんな時代。
そしてアルバトロスという、か弱い鳥を表す異世界の言葉は、この国では強き鷹をその言葉のうちに秘めるものともなりました。
そして偉大なる神ロスの名も入る国名です。
私達はその祖先の魂を、その気高き想いを、心から誇りに思っています。
そんな彼らの想いが伝わってくるかのような、今も続くこの風景。
今宵のアルバ山は千年前と変わらずに美しいのでしょう。
だから、私はこの風景が大好きです。
「さあ、メリーヌ。着いたぞ」
そう仰る、月夜に仄かに照らされた兄様の美しい顔にも、その祖先の誇りは確固として垣間見えます。
兄は私の前に立ち、館へと歩き出します。
私は思わず微笑んで、兄の後をついて歩き出しました。
まだ今のエミリオと変わらない小さかった頃のように。
当時、兄は既に現在の役職についており、若くとも厳しい仕事をこなしていました。
まだ経験の少なかった兄には厳しい仕事でしたが、私達と会う時にはいつも笑顔を絶やさないでいてくれました。
どんなに苦しい時があったとしても、家族が笑い合っていられたらきっと大丈夫なのだと、あの笑顔を思い出す度に思うのです。
いかにもハイドらしい意匠に彩られた、モダンで異国情緒のある建物となっている大使館。
自国の文化の宣伝も兼ねて建てられた建物にて、これ以上はないだろう丁重な扱いで中へ迎えられると、そこには毎夜夢に見るあの方が私達を出迎えるために笑顔を携えてくださっていました。
不覚にも足が震えてしまいましたが、ミハエル兄様はそっと肩に手を置いて、楽にしなさいとでもいうような柔らかい目線をくれます。
傍らには微笑んでくれているアレーデもいてくれます。
そう、皆がいてくれさえすれば恐い事など何もないのです。
「ようこそおいでくださいました、メリーヌ王女。
そして、ミハエル殿下。
初めまして。
『御高名』はかねがね聞き及んでおります」
シド殿下は、御兄様の事をよく知っておいでのようです。
さすがは近々次期国王となられるお方です。
ですが、その言葉には諜報関係者であるミハエル兄様を警戒するというより、敬意を込めておられるような気がします。
兄様もそれが感じられるのか、絹のように柔らかく輝く笑みを浮かべています。
それは仕事相手には絶対に見せない、普段家族にしか見せないものです。
もしかすると、『家族』になるかもしれない方の顔を見たいと、本当にただそれだけのつもりで来てくださったのかもしれません。
そうだったとしたなら、もう単なる父兄代表ですね。
シド殿下も今日は私に気楽にしてほしいと思われたものか、格式ばった感じではなくプライベートな雰囲気のセッティングをしてくださっており、私もホッといたしました。
「ミレーヌ王女、こちらのメルス大陸から取り寄せたカラームの果実で割った果実水はいかがですか?
メルスは豊穣の女神の名を冠した農業大陸だけあって、これはなかなかの商品ですよ。
まあ、あの大陸からこのロス大陸へと果実を運ぶのが一難儀なのですがね」
それを聞いて我々三人も思わず顔が大きく綻びます。
何しろ、あの大洋ときた日には、ありとあらゆる海の魔物が現われるのですからね。
中でもクラーケンなんかに出られた日には!
しかもハイド王国には、それを撃退してしまう冒険者や漁師さんがいるのですから。
しかし高ランクの冒険者さんならばいざしらず、ただの漁師さんが、あのとてつもなく恐ろしいSSランクの超巨大魔物を撃退できるというのが私にはよく理解出来ないのですが。
でも目の前のシド殿下は、そういう話も優雅に何事も無いかのような口ぶりで御話しなさいます。
殿下の侍女さんが薦めてくれる果実水は素晴らしい香りを放っていました。
私が初めて目にするカラームは緑のやや長い感じの果実なのでありますが、テーブルの上に置かれた果実の切られた断面はとても瑞々しく、やや厚めの皮の中に小房に分かれた果実が覗きます。
白色に近い色をしたそれからは、外皮付きの見掛けから想像するような酸っぱさとは異なる甘味が感じられるのですが、後味は大変すっきりとしています。
私達は強力な鑑定などを持っていますので、このような席での毒見は不要です。
まあ公式な場面では、毒見も行なったりはするのですが。
今日も習慣で鑑定・解析はしております。
シド殿下が私を暗殺する事など有り得ないのですが、それはもう王族の嗜みですので。
「いかがでしょう。
これは最近になって出回ったものでして、この国に持ち込まれるのは初めてではないでしょうか。
メルス大陸南方にある十三か国連合の方面で採れる物のようです」
「大変素晴らしい味と香りですわ」
「御気に召していただけてよかった。
これからも、このような品はどんどんとロス大陸へもたらそうと思っているのです。
アルバトロスとの取引も増やしていけるといいですね。
何しろあの大河の向こう側の連中と来た日には」
まあシド殿下が溢すのも無理もないというものですが。
あのイノシシ国家には本当に困ったものです。
我が国が、隣国とはいえ、あの帝国と中途半端に仲がよくなくてよかったことです。
そんな関係だったら、へたをすれば私があの国へ嫁がねばならないような場合もあったかもしれません。
まったく冗談ではないです。
「はっはっは。
まあ、どうにもならない事はあるものです。
今は千年続いたアルバトロス王国とて、また千年後にはどうなっているやもしれませぬ」
ミハエル兄様は、そんな風に笑い飛ばしてしまっています。
「まさにその通りですが、まあ言っても仕方がない事なのかもしれませんね。
姫君には些か退屈な話題になってしまいました。
あちらの、アルバ山を見てとれるテラスで御話をするのはいかがでしょう。
私はこの大使館の中では、あそこが一番好きなのですよ」
「ええ、喜んで」
シド殿下の屈託の無い笑顔に見惚れながら、私はその殿下自らの案内に夢のような心地で御招待に応じるのでした。
今日は本当に素晴らしい日になりました。
それから私とシド殿下は幾度となく逢瀬を重ね、やがて御互いに無くてはならない相手となりました。
そう、私達は恋をしていたのです。
大国の王子と王女としてではなく、ただ一組の男と女として。




