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6 現のプシュケー

 学園はいつものように、他愛もない貴族のゴシップを中心としたざわめきに満ちています。

 私のシド殿下への想いなどは、それこそ野の風に棚引く、か細い木の葉のようなものに過ぎないと思わせるのでした。


 ですが、今日は心なしか周りの人から殊更注視する視線を浴びているような気もしたのですが、それは私がこの国の王女であるからだろうと、さほど気にも留めていませんでした。


 退屈な授業も、いつもにも増して無聊(ぶりょう)な時間と感じさせてくれました。

 心は既に殿下との御茶会へと飛んでいたのです。


 ですが、そういう時に限って先生は無情にも私を指名してくるのでした。

 いえ、先生にはわかってらっしゃいます。

 名門貴族家の当主を勤め、息子に家督を譲り引退した後に今の教鞭を取っていらっしゃるのですから。


 きっと私の浮ついた気分に活を入れにいらしたに違いありません。

 若干しどろもどろに答を返すだらしのない私に、先生は一言おっしゃいました。


「メリーヌ殿下。

 あなたは、この国の第一王女として恥ずかしくない教養を身につけていかねばなりません。

 このアルバトロス王国の歴史に関する授業は、しっかりと聞いていただきたいものですな。

 わかりましたね」


「は、はい。それはもう肝に銘じております!」

「よろしい!」


 ひえ~、危なかったです。

 さすがに自国の、我が家に関する内容でしたので、なんとか恥はかかずに済みましたね~。


 よかった!

 シド殿下がいらっしゃる授業ではなくって!


 この国は稀人初代国王の教えを今に伝える大国。

 そのアルバトロス王国王女の気が抜けているなどという事は、国として絶対に容認出来ないのです。

 ましてや、私は今代の第一王女なのですから。


 大国の姫として何不自由ない暮らしをさせていただけていますが、それに相応しくあるように立ち居振る舞いについては厳しい目で見られる事も少なくないのです。


 その反面、ちゃんとやっていさえすれば少々の事は大目に見ていただけますが。

 その典型的な例が、私の母であるこの国の王妃シャルロットです。


 彼女はアルバトロスの兄弟国であるサイラス出身で、普段は王妃として何一つ不足ない働きを見せます。


 この『現役Aランク冒険者』である母親は、直ぐに三十路にならんとする息子がいるとはとても思えぬ、年齢にまったく見合わぬ若く美しい容姿と明晰で計算高い頭脳、そして闊達な性格と人を巧みに好転する方向に導く言動により見事に国王である父を補佐しています。


『アルバトロス王国にシャルロット王妃有り』


 この大陸には知れ渡っている公然の事実。

 そして賢王として知られる父と共にこの国を更なる高みに導くのです。

 無論、この大陸にはそれを疎む者達もおるわけですが。


 そんな彼女にも一つだけ困った性癖があります。

 それは『大の犬好き』な事です。

 しかも、ただの犬ではありません。

 魔物の一種で、その名もプリティドッグ。


 それは伝説の犬です。

 これは大変希少な魔物で、その生態は一切が謎に包まれています。

 歴史の中にも度々登場しており、その度に世の人々を騒がせるそうですが、それが果たして実在する存在なのかどうか疑う人さえいます。


 ですが母はその存在を、固く固く信じています。

 何故なら、彼女の身内でそれと一緒に暮らしていた方がいらしたので。


 本人が実際に出くわした事さえあると言っていました。

 私は子供の頃から、その話を繰り返し聞かされて育ったのです。

 ほぼ子守唄のように。


 彼女は、その魔物に幼き頃より憧れ焦がれ、それを追うために冒険者としてサイラス公爵家である生家を、女だてらに僅か十四歳の若さで飛び出しました。


 当時はいろいろと他の事情もあったそうですが、公爵であるサイラスの御爺様は内心こう考えて嬉々として送り出したそうです。


「あっぱれ、それでこそ我が娘」と。


 まあ、あの御爺様が母にそれ(犬)を吹き込んだ汚染元の元凶なのではありますが。

 私も、もし叶うのであれば、そのような素敵で胡乱な魔物は是非一度この目で見てみたいものです。


 そんな冒険の旅に出て二年。

 若干十六歳にして晴れてAランク冒険者になった母シャルロット。


 魔物の犬は狩り損ないましたが、何故か大国アルバトロスの王太子であった父のハートは射止めたようなのです。

 むしろ母が父を狩ったのではないか? と思う節さえありました。


 ですが、父が母にべた惚れであったというのもまた間違いのない事実であるのです。

 あの二人は、あの歳になった今でも熱愛中なのですが。


 そんな冒険譚の末の大恋愛を、実の母親から子守唄代わりに聞かせていただきましたので、私の恋愛に対する憧れは英雄物語とごちゃ混ぜになっている嫌いはあります。

 武功に優れたシド殿下に憧れるのは、そのせいもあるのかもしれません。


 また私自身が建国の英雄王であられる初代国王ヤマト様の直系の子孫であるのもその一因として否定出来ないものはありますが。

 他ならぬこの私も、既にこの歳で『魔法の名手』と言えるほどの域に達しております。


 そして母はプリティドッグを見かけたという噂を聞くと、今でもあの年齢で(長男が現在二十八歳なのですから察してください)冒険者装束に身を包み、王宮を飛び出していくのです。


 あればかりは誰にも止められないそうで、その穴埋めとして私が行事や晩餐会に急遽呼ばれる事も少なくなかったりします。


 もっかのところ、それがうちの生真面目な宰相の一番の悩みの種でありましょうか。

 彼はあの犬の噂を聞きつけると、すかさず私のところへ行事参加の根回しにやってくるのです。

 この定番の役どころも、いずれは妹王女達に引き継がれていく事でしょう。


『アルバトロスの犬王妃』


 口の悪い人達はそのように母を揶揄いたします。

 もっともその程度の雑言など、あの鋼鉄の心臓の持ち主である母には一切通用しませんが。

 どうせ誰にも止められないのですしね。

 あの父にさえ。


 まあ、そこまでやるわけではないのですが(やれません!)、歳相応に恋焦がれる思いに身をやつし、浮かれて(うつつ)を抜かすくらいは御許しくださいね。


 そんなこんなで、浮かれた気分に冷や水を浴びせられながらも、ついに、ついに御茶会を目指す時間がやってきたのです。


 そして家に帰った私を何故か弟のエミリオが出迎えてくれました。

 この五歳になる可愛らしい弟は家族中の人間から愛されています。

 いえ、国中からといっても過言ではありません。


 その歳の離れた弟の愛らしい表情を見て、私も思わずほっこりしてしまいます。


「まあ、エミリオ。

 今日も可愛いわね。

 私、今日は今から大事な御用でお出掛けなのよ。

 またね」


「知っています。

 御茶会へ行くのでしょう?

 僕も一緒に行きたいな」


 これには私もちょっと驚きました。

 いつもは、このように我儘な事は決して言わない子なのです。


 今日の出来事は、とても大事な大事な事だと、幼くともよく理解している大変賢い子なのです。

 だから、それも相まってこの子を担ごうとする者もいるくらいなのです。


 そのように大切な用件に関する事で我儘を言ったりする事は絶対にしない賢い子なのですが、今日は何故か違いました。

 そして手に持っていたそれを私に差し出しました。


「はい、これ」


 私は首を捻りながらも彼が差し出した封筒を受け取ってみると、それは、それはなんと、本日の御茶会の招待状でありました!


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