5 運命の日の始まり
そして週末の御茶会の日がやってきました。
その日、アルバトロス王宮の後宮部分にある王族ゾーンの中で『メリーヌ区画』と呼ばれている私の部屋では朝から大騒ぎでした。
騒いでいたのは、主にその区画の主であるこの私本人であったのですが。
「アリエス夫人、着ていくドレスはこれでよかったかしら。
あと胸飾りはどれ?」
「メリーヌ様ったら、そんなに慌てないでくださいな。
とりあえず、今日も今から私と一緒に学園に通うのですよ?」
「そ、そうだけれど、アレーデ。
とても、とても気が急いてしまうわ」
アリエス夫人も、やれやれといった風情で溜め息をつく。
「姫様、年相応に恋に浮かれるのはようございます。
ですが、第一王女という御立場はくれぐれも御忘れなきように御願いいたします」
「わ、わかっているわよ」
「なら、よろしい」
アリエス夫人も殊に王女への躾に関しては、シェルミナさんに負けず劣らずといった感じで厳しいのです。
もちろん、その方が私のためにはなるのですがね。
◆◇◆◇◆
その様子を、ドアの影からメリーヌ王女の妹達である第二王女シルベスターと第三王女ハミルが面白そうな顔をして覗いていた。
彼女達はまだ十一歳と八歳であるが、数年後には他人事ではない騒ぎとなるのは、ほぼ確定だ。
彼女達も姉と御揃いで、父譲りの銀髪と母親譲りの綺麗な青い瞳の持ち主なのだから。
いずれ各国で奪い合いになるのは間違いのないところだろう。
だが、それはまだ遠い先の話で、今の二人にとっては想像もつかない遠い未来だ。
そして家族のそういう馬鹿騒ぎは傍から見ていて実に楽しいものだ。
「見て見て、ハミル。
あのミレーヌ姉さまのドタバタ振り。
いつもは物凄く気取っているくせにさ。
もうおかしくって、おかしくって」
「本当~。
しばらく、このネタでからかって遊べるね~」
だが、その襟首をくいっとつまみ上げる人物がいた。
言わずと知れたアルバトロス王国王妃であるシャルロットであった。
彼女は、音も無くこっそり忍び寄って獲物に気付かれないなど造作もない『現役Aランク冒険者』なのだ。
別にそれ自体は、この世界では珍しくもなんともないのであるが。
国王本人が『Sランク冒険者』という国さえ存在する。
アルバトロス王立学園なども強力な魔法が使えるなどの高度な条件を満たせば、冒険者志願の人間も無償で通う事ができる。
王侯貴族の子弟にとっても彼らと知り合うのは悪い事ではない。
文官などを目指す優秀な平民も他国の同等である学園よりも結構多かったりする。
何気に実利を重要視する稀人子孫の国なのであった。
「これ、お前達。
御姉様の御邪魔をするのではありませんよ。
国にとっても大事な御話なのですからね。
あなた方だって、何年かすればああなるのだから」
母親にそう言われながらも、まだ子供子供した様子の王女達は揃って抗議の声を上げた。
「えーっ、だってミレーヌ姉さまのうろたえ振りが、あまりにも面白くって」
「そうだよー、御母さまのケチ~」
せっかく滅多にない身内のゴシップなのだ。
楽しみたいのはやまやまだったので、幼い二人はかなり不満そうだ。
「はいはい。
あなた達の相手は私がしてあげますから。
剣の稽古と馬での戦い方と、どっちがいいかしら?
それともアドロスの迷宮探索とかが御好みかな。
とりあえずは、あなた達も学園へ行きなさいね」
そう言いながら、まるで重量などは存在していないかの如くに、両手に愛する子供達を摘み上げたまま、スタスタと歩いていくシャルロット王妃なのであった。
そんな身内の内幕には何一つ気が付かないまま、ミレーヌは浮かれた感じで身支度を整えていた。
◆◇◆◇◆
「それでは学園へ行ってまいります。
アリエス夫人、準備はよろしく御願いね~」
「はいはい、茶会の御仕度に関しては諸々任されましたよ。
それでは行ってらっしゃいませ」
そう言われて送り出された私は、王族ゾーンにある巨大なメゾネットスタイルである『メリーヌ区画』の二階にある自室から下りて、『歩いて』学院へ向かいました。
なんの事はありません。
自宅である王宮の王族ゾーンから連絡通路を通って、王宮の隣にあるアルバトロス王国王立学院へと徒歩で向かうだけなのです。
王立学院をその正式名称で呼ぶ人は少なく、正式に関係する書類を作成する王宮の文官くらいのものです。
一般には『王都学園』あるいは、『アルバ王都学園』などと呼ばれています。
そこの責任者である侯爵様も、ただ『学園長先生』などと呼ばれているのです。
外から王宮の外縁の通路を通って学園に通う生徒達とは異なり、私は王宮の奥にあるいわゆる後宮にあたる王族ゾーンから、学園への連絡通路となる小路へと向かいました。
これでも結構歩くのですがね。
うちの王宮はやたらと広いので。
「ふう。気持ちがいいな。
ああ、この小路をシド殿下と一緒に歩けたなら」
春の息吹と共に吹く風に靡く、父親譲りの白銀の髪を靡かせながら御気に入りの小路を歩く私は小さく呟いた。
まるで誰かに聞かれるのを恐れるが如くに。
でも、私はこの時まだ知りませんでした。
この王宮で私の想いについて知らぬ者は、この王都の中心となる王宮区画の門兵から、厨房にいる下働きの見習いに至るまで、ただの一人も存在しなかったという事を。
その事実を知らぬは本人である私のみであったのです。
特に私の侍女達が積極的に触れ回っていたのですから。
全ては後で知ったのです。
そんな事をして、この恋が実らなかったりしたら逆に主人の赤っ恥になってしまうのですが、彼女達の決意は固かったそうです。
失敗する事などまったく考えない不退転の構え。
『必ずや、この恋は実らせる』
そんな気概で、侍女連は一致団結して臨んでくれていたのでした。
もちろん、それは忠義からきているものではあるのですが、半分は彼女達の御楽しみでもあります。
イベントは始まってしまいました。
その主人公である本人でさえも下りる事はもう許されない。
そんな空気が流れていたのですが、まだ小娘の私は自らの浮かれ気分に翻弄されたまま、まったく気が付いていませんでした。
学園の生徒のうち貴族家は、三つの防壁で区切られた区画のうち王都の貴族や大商人などが住む、王宮ゾーンと一般区画の間にある第二区画に居を構える貴族も多いのです。
学生寮もありますが、それは初代国王の教えに従い質実剛健な雰囲気なので、貴族は自分の屋敷から通いたがる人も多いです。
家によっては、伯爵家あたりの上級貴族でも躾のために入寮させられる場合もあります。
地方からやってきて、王都にある自分の家の屋敷から通う者は直接馬車で学園専用の馬車ターミナルに乗り付けるし、シド殿下のような外国の賓客は王宮内に従者ごと滞在できる専用のゾーンがあります。
生憎な事に、それは私の住む後宮区画とは離れた場所にあり、私にとって自宅ともいえる王宮ではシド殿下と顔を合わせる事は通常ありません。
むしろ学園にいる間の方が、シド殿下の顔をじっくりと拝む事ができるのです。
切ない想いに溜め息を吐きながら歩を進めながら、私はシド殿下への想いを胸にいっぱいにしたまま、学園へ向かっていったのでした。




