8 特訓
いくら腕っぷしに自信があっても所詮は小娘の悲しさ。
怪我をさせないように手加減して倒すつもりで彼女に向かっていった……のだが、次の瞬間にシャルロットは何が何だかわからない内に床へ転がって、冒険者ギルドの天井をとっくりと眺める羽目になっていた。
「あれっ⁉」
「ほっほっほ。
御嬢ちゃん、まだまだ修行が足りないようね」
そう言って彼女は眼鏡を外して髪を櫛で梳かしつけると、素敵な笑顔を見せてくれた。
腰に手を当て、しゃんっとして。
どう見ても二十代半ばといったところだ。
服装は地味だが、かなりの美人だった。
「あー、騙された。
おばさんじゃないじゃんか。
ずるい~」
だが周りに集まって見ていたおっさん冒険者が爆笑して教えてくれる。
「あっはっは。
お前みたいな小娘が、Aランク冒険者『鉄拳のマーサ』と素手でやりあって敵うはずがないだろう。
彼女にかかったら、素手なら元Sランクのギルマスだって形無しさ」
「そうそう、こういうのがマーサさんの趣味だからなあ。
それで、いつもあんなおばさんみたいな恰好をしているんだぜ。
まあ、お前みたいな駆け出しなんかは、俺達ベテランにとってもいいツマミだってことだな」
集まってきて囃し立てる周りの冒険者達も更に大爆笑だ。
「えー、そんなあ。
そ、それではマーサ様、いやマーサ師匠。
私、あなた様に弟子入りいたししますので、どうかギルマスに御取次ぎを。
ははーっ」
こちらも見事な変わり身を見せて平伏しているシャルロット。
彼女は強い者にはストレートに敬意を示す主義なのだ。
それを見た周りの連中は、またもや大爆笑していた。
苦笑したマーサは平伏する彼女の前に歩み寄り、しゃがみ込むと尋ねた。
「もしかしてBランクになりたいの?」
「はい、師匠!」
「ふうん、どうしよっかなあ」
実のところ、彼女が受付で提示していた冒険者カードから素性は既に知れていた。
王族などの場合、御忍びやこういうような場合に保護が受けられるよう、密かに情報が記号で書き込まれているのだ。
国から追われて命を狙われている人間もいるので、ギルドから祖国に知らされたりはしないが、そういう時には大概祖国の間諜が知らせているはずなのだ。
だが身内である冒険者はちゃんと守ってくれるのが冒険者ギルドだ。
殊に、この船橋武自らが創設したアルバ冒険者ギルドでは。
「うん。ま、いいでしょう。
じゃあ三日後のBランク試験を受けてみる?
特別にサブマスの私から許可を出すわ。
あなたって、何か面白そうだし。
じゃあ、今から訓練しましょうか。
Bランク試験の参加条件を一つ出しておくわ。
最初のBランク教官との試験では魔法とかは禁止ね。
『体術のみ』で勝ち残ってもらうわよ。
いい?」
「ははーっ」
「じゃあ、おいで愛弟子よ。
今から特訓するわよ」
そして、その鉄拳の通り名に等しい激烈な訓練が繰り広げられたのであった。
容赦無しの爆裂大特訓だ。
彼女の巨乳も揺れた。
防具で締められたシャルロットの胸は、まだそこまで揺れようもないサイズだった。
後には多くの王侯貴族の注目を集めるほどに、しっかりと揺らせるようになったのだが。
「そら、どうした。
ガードが甘いぞ」
そして絶え間なく罵倒は続く。
「動き鈍ってんぞ、オラ。
お前、それであたしの弟子を名乗る気か~」
そして続けて間髪を入れずに攻め立てるマーサ。
「ほらほらほら、脇が甘いからそんなものを食らうんだ。
こっちは蠅の相手でもしている感覚だぞ。
ほら、本当に頭に蠅が止まってんぞ」
まるで、かつてシャルロットがマクファーソンに与えた仕打ちが千倍になって返ってきているようだ。
世の中にはよくある事だった。
そして、その特訓は夜遅くまで続き、シャルロットもその夜はギルドの宿直用ベッドで寝る羽目になった。
体中痣だらけになって唸りながら。
「くっそー、あの婆め、好き勝手しやがって。
畜生、Bランク試験は絶対に合格してやるからなあ」
それをドアの隙間から見て、手で口元を押えながら笑いを噛み殺すマーサ。
「やれやれ、こいつはまた活きのいい子が入ってきたもんさね。
これは、しばらくの間は楽しめそうだねえ」
しばらくどころか、やがて彼女はこの国の王妃になってしまうのであったが、今は誰もそんな事は思ってもいなかった。
その当事者でさえも。
その事実はサブマスのマーサを始めとした冒険者連中に大いに楽しまれていた。
アルバ冒険者ギルドの酒場では、時折王太子妃殿下主催の飲み会が堂々と大っぴらに開催されていたのであった。
たまに息抜きとして、彼女の相方である王太子殿下も連れてこられたという。
さすがに王妃になってからは公務があるため、それは自粛したようであったが。
だが彼女が王妃になってからも、時折怪しげな頭までフードに隠れる装束をした謎の冒険者が酒場に出没していたという。
だが今はただ、鬼教官マーサの地獄の特訓に目を白黒させて呻き、色とりどりの大痣小痣を作りまくるのみであった。




