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155-2 旅立ちの日

 そして、ついに出発の日がやってきた。


 ここは王宮前広場で、つまり空中庭園Ⅱの発着場でもあるのだが、その新型空中庭園さえも上回る異様な図体に誰しもが畏怖の念を抱いた。


 何せ、この宇宙船ときたら直径二キロメートルはある。

 幅こそは空中庭園Ⅱと同じくらいだが、それが巨大な球体なのだからな。


 しかも一目でその厚さが視覚から伝わってくるほどの、あまりにもごつ過ぎるほどの装甲ボディなのだ。

 あの初代空中庭園フライングフォートレスなど問題にもならないほどの物々しさだった。

 何しろ何があるかわからない苛酷な宇宙空間へ旅立つための物なのだから。


 まるで巨峰の如くに聳え立つその姿はあまりにも異様だった。

 この王都で一番高い地形であるアルバ山頂上でさえ地上から僅か三百五十メートルほどでしかない。


 そして、その畏怖は地上で待つ、俺のやる事には慣れているはずの家族にも伝わってしまうものだ。


「あなた、本当に大丈夫なの。

 あの空の彼方へ行ってしまうなんて」


「ははは、シル。

 大丈夫さ。

 別に、どこか別の太陽系に行ってしまうわけじゃあないんだ。

 この俺達の太陽たるソルベータが率いる太陽系ベータから違う星系へ行くのではなく、他の惑星にさえ行かずにその辺をぶらりと回ってくるだけなのさ。


 ほら、あそこにうっすらと見える月。

 あれは、ここからたった三十八万キロメートルのところ、このアスベータの世界を約十周しないくらいの場所に浮かんでいるんだが、あそこまでも行かない予定だよ。


 あの月は、もしもこれが陸続きならば頑張れば歩いてだって行けてしまうくらいの、この大地から観測できる天体としてはもっとも近い場所にある。

 時速四キロメートルで歩くとして約十万時間か。

 ずっと寝ずに歩いていけば十二年くらいで着くかな。

 それは王国騎士団の精鋭ならば、魔法で回復しながら頑張ればやれてしまうかもしれないくらいの事なのさ。


 俺が行くのは精霊の人工衛星よりは遠い場所だけど、はっきり言って光速飛行が可能なこいつの性能からすれば散歩のうちにも入らないのだからね」


 俺はそう言って、俺の説明がまったくわかっていなそうなシルに、安心するようにそっとキスをした。

 彼女はトーヤみたいな知識があるわけじゃないから、無用な心配をしたくもなるのだろう。


 この発着ベースたる場所の王宮前広場にとって御膝元である太陽系の中などでは、強力にシールドされた超魔法金属製の宇宙船にとってそんな事はまず有り得ない話なのだが、あれが万が一事故って宇宙の藻屑になったとしても俺は宇宙空間で活動できる装備を持っているし、ゴーレムなんかは素で宇宙空間にて活動できるのだ。


 まあ本日は普通人の御客様がいるので、そうも言ってはおれんのだが。

 そもそもこれだけ近いと、何かあったとしても、多分そいつを連れてあっさりと目視転移でアスベータまで帰ってこれるのだろうし。


 正直なところ宇宙服さえ着ていれば、俺の魔力ならば月まで目視転移で楽々跳べるはずだ。

 こう見えて俺は慎重派なので、まだ実際に試した事はないがね。


 今ならゴーレムで実験してもいいよな。

 その場合は失敗したって宇宙船で迎えに行けばいいのだから。

 それに彼らなら魔法などを用い、たぶん自力で帰還できるはずだ。

 おまけに人間と違って呼吸も食事しなくてもいいのは、宇宙においては凄い強みだ。


「パパー、オミヤゲはー。

 うちゅうの」


「う!

 う、うちゅうにはまだオミヤゲ屋さんはないから、また今度ね~」


「えー、ざんねーん」


 今度、ゴーレムに宇宙空間にて御土産屋さんでも開かせるか。

 御土産は宇宙サブレとか流星饅頭あたりか。

 沖田ちゃん達がやりたがりそうだな。


「いいなあ。

 園長先生、いいなあ」


 いつの間にか俺の傍にやってきていたトーヤが、すりすりしながら上目遣いでこちらを見上げている。


「ははは、今日は駄目だぞ。

 また今度な」


「わかってるよ。

 園長先生は、こういう時は昔から絶対に許可してくれないものね」


「そういう事」


 後ろでは同じようにエディとポールが指を咥えて見ている。


「まあ、お前達は空中庭園で遊んでいろよ。

 あそこの建物に電波望遠鏡や、地球製の超高性能光学望遠鏡を装備しておいてやったから、下から見てろ。

 光学望遠鏡には、日本の特別な専門の企業で手磨きしないと絶対に作れない超精密加工のレンズが使われているんだからな」


「本当~?」


 トーヤが涎を垂らさんばかりの蕩けるようなだらしのない表情だ。

 という訳で、すかさず釘を刺しておいた。


「あれは分解禁止だからな。

 そう思って、こいつを用意しておいてやった」


 そう言ってトーヤに渡したものは、コピーした望遠鏡から取り出しておいた大型の精密レンズだ。

 不器用な俺が一生かかっても素では製作をマスター出来ないような、超精密な手加工品なのだ。


「うひょおお~。

 さすが園長先生、わかってるぅ」


「あー、ちゃんと三人分あるんだ。

 ありがとう、園長先生ー」


「うわあ、凄いな。

 異世界地球のハイテクな機器を作るのは僕には無理だけど、手加工でガラスを磨いて作るこれならもしかしたら作れそう」


 お、恐ろしい事を言っている奴が一人いる。

 いや、こいつらなら、あっさりとやってしまいかねんのだが。


 特にこの手の仕事では職人志望のポールが秀でている。

 あのエリパパも、昔は職人仕事なども請け負っていて、結構いい腕なのらしい。


 今度ポールを地球へ留学させてやってもいいな。

 まずミシン屋さんの宮里さんにでも御願いしておくか。


 ポロの奴も、取り立てから冒険者から、あれこれと幅広く商売していたんだなあ。

 あの棄民都市アドロスで戸籍もなく生きるのであれば、そうせざるを得なかったのかね。


 彼の実力ならBランク試験を突破して王都に移住する事も不可能ではなかったと思うのだが、そいつも訳ありで出来なかったのだろうか。

 元はエレーミアのように、どこかの訳ありな王族か貴族だったりして。


 そして俺は御客人に声をかけた。


「さて、それではそろそろ行こうかね、ドクターブランドー」


 そう、彼こそが本日のお客様、スペシャルゲストだった。

 あの『空を飛びたかった男』の彼だ。


 彼は、この異世界で唯一の科学者といえる。

 もっとも今では、その知識や科学者としての感性も、トーヤやエディに抜かれているかもしれないが。

 御狐獣人最強伝説は、今この惑星アスベータで花盛りだ。


「ちゃんと測っていくと、この世界は確かに丸いんだ」


 この科学とはあまりにも無縁そうな世界で、一人そう言い放ち、「高く高く空を飛びたい。この目でこの世界がどんなものか見て見たい」と子供のように言った彼。

 今、この俺ともっとも心を等しくしてくれる人物なのだ。


 彼はスプートニクもガガーリンも知らない。

 アポロもソユーズも、スペースシャトルも知らない。

 だが、宇宙(そら)に憧れ探究した、この世界唯一の宇宙科学者であったのだ。

 この旅を共にするにあたり、この世界に生きる他の誰よりも相応しい乗客なのだ。


 普通であれば、このような処女航海に並みの人間を招いたりはしないのだが。


「たとえ命懸けになってもいいから宇宙を飛びたい」


 彼ブランドーは、心の底からそう願う者であるのだから。

 かつてはガガーリンの偉業の蔭で、そう願ったにも係わらず歴史に名を残せなかった男達もきっといたのに違いない。

 そんな彼らの無垢の魂に乾杯!


「さあ、ようこそ我が宇宙船エクスプローラー号へ」


「エクスプローラーとは、あなたの国の言葉なのかい」


「俺の国の言葉ではないが、異世界地球にて世界中で使われる英語と言う言葉で探検家を表す言葉だ。

 この世界で初めての本格的な宇宙船には相応しい名前だと思わないか。

 この宇宙は広いぞ。

 夜空に広がる星々の一つ一つが、俺達のあの太陽と同じものだ。

 遠く遠く旅をしてきたあの光を放った星の中には、あまりにも長いその輝きの旅路の間に、もう既にどこにも存在しない物さえあるのだ。


 そして、きっとその中には主神ロスのような者がいてくれる星があるだろう。

 それこそは生命が存在する環境を整えてくれる『神』だ。

 そこにはきっとこの星と同じような命が育まれているはずだ。

 酸素呼吸生物であるならば、我々と同じようなヒューマノイドタイプである可能性も高い。

 そいつらは俺達と似たような価値観を持っている可能性すらある。

 宇宙を旅すれば、そんな彼らに会えるかもしれないし、いつか彼らの方から会いに来てくれるかもしれない」


 まあエクスプローラーなんて、元はアメリカの人工衛星の名前だけどな。

 だが、この船には最もふさわしい名だと信じている。


 奴は少し興奮して喋る俺の地球用語を満載した言葉を胸に、静かに考える風だったが、すぐに笑って面を上げた。


「俺には、あんたの言う事のすべてわかる訳じゃあないが、そいつはなんとも面白そうな話じゃないか。

 そして今日、俺はあんたと一緒に、その第一歩を印せるという訳だ」


「まあ、そういう事さ。

 では出発だ」


 いつぞやの飛行機による大空の旅と同じように、俺とファル、そしてドクトルブランドーは、時間をかけてやろうと思えば惑星間どころか至近の恒星間さえも飛行可能な、超性能と強度を誇る魔法金属性の球体へと乗り込んだ。


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