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154-21 エリーンの追憶

 いつから自分は、このように食べ物に執着するようになったのか。

 エリーンは幼いマリーの手を取りながら、異世界地球屈指の大都市であるニューヨークの街を歩きつつ、ふとそのような想いを心の中で湧き上がらせた。


 物心がついた時には親もなく、赤ん坊の頃に御隣の優しいおばさんに拾われて命を永らえ、それから村の教会へ預けられた。


 顔も知らない、ほぼ同時に流行り病で亡くなってしまった両親は自分を愛してくれたのだろう。

 この名前は偉大なる神聖エリオンから取られたものだ。

 まさか自分達の娘が、今のように本物の神聖エリオンとべったり一緒に暮らす事になるとは、彼らとて思いもよらなかったのだろうが。


 もしも両親から愛されていなかったならば、そのような素晴らしい名前をつけてくれる事など決してあるまい。


 その出自がそうさせるものか、今でもエルミアの教会やケモミミ園の子供達の事がとても愛おしく感じられる。

 彼らが愛されているのを見ると、心が穏やかでとても温かくなるようであった。


 園長先生の事は家族のようにも思っているのだ。

 彼も年齢でいえば父に当たるような歳だ。

 彼はいつも彼女の事を気にかけてくれていて、エリーンも彼のためになら、どんな苦労も厭わないつもりだ。


 当時、村の孤児院は年老いた村の教会の神父様が御一人でやられており、苦しい台所では碌な御飯にもありつけなかった。

 いつも御腹を空かせており、美味しい物への憧憬は尽きず、その飽くなき欲求と情熱は彼女を幼くして狩人への道へと誘った。


 幸いにして村には腕のいい狩人がいて、うまうまと弟子入りを果たしたはいいのだが、高齢の神父様は寿命を全うしていなくなり、その師匠もいつしか亡くなり、そしてエリーンは村を出た。


 御師匠様が病床についてから、エリーンは一生懸命にその世話をしていたのだが、ある日彼女はこう言ってくれた。


「エリーンよ。

 美味い物を食いたいのなら王都アルバにでも行くんだね。

 お前は弓の天才だ。

 山刀といえども刃物の扱いも一流だ。

 あそこには近くにダンジョンもある。

 お前ならば冒険者となっても立派にやっていけよう。


 私は間もなく死ぬ。

 私が死んだら、こんな辺境で燻るのではなく頑張って都へ行きなさい。

 そして、お前の大好きな美味しい物を好きなだけお食べ。


 人生は素晴らしい。

 たくさん楽しみなさい。

 でも、出来ればいつも自分に寄り添ってくれるような愛する伴侶を持ちなさい。

 私のように女だてらに猟師となり、一生をこんなところで一人っきりで終わるような寂しい人生をお前は歩くな。


 人生の最後に、お前のような最高の弟子を持てた事が私にとって人生最大の誇りだ。

 ありがとうよ、エリーン。

 ああ、こうしていると可愛かった小さな頃のお前を思い出す。

 同じ教会の孤児院出身で、私と同じように御腹を空かせて泣いていた、お前。

 本当は女の子を危険な仕事である猟師の弟子に取るなんて事はしたくなかったのだが、お前はまるで娘のように孫のように可愛かったからねえ」


 瓶から水を汲んでいたエリーンは驚いて、大好きな、まるで本当の母親のように思っていた御師匠様のところへ駆け寄った。


 エリーンが預けられていた頃から既に高齢だった神父様は、とうの昔に亡くなり、そこの孤児院にいた他の二人の子供も村を出て外の街へ働きに行った。


 もう御師匠様に回復魔法をかけてくれる神父様の後任の人も、この辺境にあるパンニ村には来てくれなかった。

 幼い頃より御師匠様から叩き込まれてきた薬草や調合などの知識で世話をするだけだ。

 それは神父様亡き後には、村の人へも福音として分け与えられていた。


「御師匠様、どうしちゃったの。

 いきなり、そんな事を言って。

 死んじゃったら嫌だよ。

 だって御師匠様がいなくなったら、あたしは一人ぼっちになっちゃうじゃないの」


「ふふ。

 そうなったら、お前は仲間を作りなさい。

 上辺だけではなくて本当に信頼できる仲間をね。

 ああ、久しぶりにたくさん話したから疲れたよ。

 少し寝かせておくれ」


「うん、わかった。

 ゆっくり休んで。

 今日は御師匠様の大好きな岩トカゲのスープにするからね」


「はは、お前は本当にいい子だ。

 たくさん人に愛されて幸せになっておくれ、私の可愛いエリーン」


 そして御師匠様は、エリーンからまるで本当の娘であるかのように誠心誠意の看護をされて穏やかに過ごし、三日後に静かに息を引き取った。

 その間は終始微笑みを浮かべ、とても幸せそうにしていた。


 その最期も苦しむような事もなく、安らかにまるで眠るように、そして何かをやり遂げたような満足な顔で旅立った。


「御師匠様、眠っているの?

 ねえ、御師匠様。

 あれ……あ!」


 彼女が亡くなってしまった事に気が付いて、エリーンは一瞬茫然として立ち尽くした。

 だが手に持っていた桶が転がって水を床にぶちまける音に気が付き、慌てて御師匠様の傍に駆け寄ったが、彼女アニサの脈も心臓も二度と命を脈打つ事はしてくれなかった。


 エリーンは、しばらく御師匠様の亡骸に縋りついて泣きじゃくっていたが、やがて涙を拭いて立ち上がると、村の人に手伝ってもらい御師匠様を彼女とエリーンが愛したこの山に埋め、大きな石などを用いて獣に荒らされたりしないように工夫して丁重に弔った。


 愛する御師匠様を送る宴のために、彼女はたくさんの獲物や採集物を獲ってきて、村の女性達に調理を御願いして村人達全員に振る舞った。


 里から奥まった山小屋で一人寂しい人生を送っていた彼女を、せめて賑やかに送ってあげたかったのだ。

 そして、その場で村の年寄りから御師匠様の話を聞いた。


「アニサはな、昔はちゃんと村に住んでおった。

 だが夫に先立たれ、娘が一人おったのだが、これがまた重い病気でな。

 神父様も診てくださっていたのだが、具合は芳しくなかった。

 そして彼女は娘の治療のための金を稼ぐために、当時村に不在だった猟師になった。


 だが厳しい仕事だ。

 彼女はなかなか里へも顔を出さなくなっていた。

 娘が死んだのは、ちょうどあの頃の、アニサと出会った頃のお前くらいの歳でな」


「そんな話は初めて聞いたよ。

 あの人は、ずっと独り身なんだと思っていた」


「ああ。

 だが、お前が彼女のところへ行くようになって彼女は変わった。

 何年、いや何十年ぶりかと思うような笑顔を見せ、里にも頻繁に姿を見せるようになった。

 お前がいてくれて、あの子は本当に幸せだった。

 無残に失った人生の続きをやっていたようなものだからのう。

 そして、それはあの子に何もしてやれなかった儂らにとってもな」


 それを聞いてエリーンは、彼女がどのような想いで自分に接してくれていたのか改めて知り、涙が溢れて止まらなくなった。

 そして誓った。


「アニサ御母さん。

 あたし、絶対に幸せになるよ。

 御母さんの言った通り、最高の仲間を作って、美味しい物をいっぱい食べて。

 そして素晴らしい伴侶と添い遂げて、そして、そして可愛い娘を産んで。

 いつの日か、家族と一緒にあなたの御墓参りに」


 そして、その誓いを見守ってくれていた村の年寄りに尋ねた。


「御師匠様、ううん。

 アニサ御母さんの娘の名は?」


「アイシャ。アイシャだよ」


「そうか。

 じゃあ、もし将来結婚して娘が生まれたなら、そう名付けるわ」


「そうか、そうか。

 それがええ。

 アニサもきっと喜ぶだろう」


 そして村から餞別を貰い、三日後にエリーンは王都へと旅立ったのであった。


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