(7)
那奈の大きな目は宙を仰いだ。俺が、何を言いたいのか察したのだろう。
「私は、まだいきたくない」
「それで、本当にいいのか?」
「例え、今度の人生が……ダメダメでも苦しい人生でもいい。ゴキブリに生まれ変わったっていいの、今はまだ陽ちゃんといたい」
「今度こそ……丈夫な子に生まれてさ、俺に会いにきてよ」
「間に合わないよ……生まれ変わるの、33年かかるらしいよ」
「どっから聞いて来たんだよ、その数字……俺、全然余裕で生きてるから。待ってるから」
「おっさんと赤ちゃんじゃん、ヤダ!」
「おっさ……じゃあ、孫かな」
「陽ちゃん無神経! 孫ってことは陽ちゃん誰かと結婚して子供作って、ってことじゃん、バカ!」
「……ごめん。そうだよな」
那奈の瞳から、涙が零れ落ちる。パタリ、と音がしてギョッとする。テーブルの上に、雫が……! 那奈はそのことには気付いていないようだった。
「わかっ、て、る、もう、いかなきゃいけないって……陽ちゃんの、ためにもよく、ない、って……だって、陽ちゃんは生きてるんだし……結婚、したりとか、しなきゃいけない、んだし……私がいた、ら、恋人もでき、ない……」
「い、いいんだ、それは……俺の事はいいんだ。でも、よくわからんけど、ちゃんと成仏しないと次の人生幸せになれないって聞くからさ。そりゃ俺だってずっと一緒にいたいよ、でも」
「本当? 陽ちゃん、私とずっと一緒にいたいって思ってくれてるの? 邪魔じゃないの?」
「邪魔なんてとんでもない!」
「……ありがとう……嬉しい、最近陽ちゃん様子おかしかったから、好きな人でもできたのかな、って」
「いないいない、そんな人! おっ、俺はっ、今でも那奈が一番、か、可愛いと思ってる」
「……どしたの、陽ちゃん。今までそんなこと言わなかったのに。気持ち悪っ」
目に涙を残したままキャハハっと笑う那奈を、抱きしめたくてたまらないのに……両腕を広げると、那奈が飛び込んできた。生きてた頃のことを思い出し大体これくらいだったな、と腕の中に空間を作れば、そんなに太ってないっ、と文句を言われる。
そのふくらました頬をつつきたいのに。尖らせた唇にキスをしたいのに。
「ヤダ……陽ちゃん、泣かないで……」
「泣いて、ねえ」
「何に生まれ変わっても、絶対会いにくるから」
「バカ、死ぬみたいじゃないか」
「死んでますぅー」
くっ。アホなこと言ったっ。
抱き締めたくても抱き締められない、でもその腕の中は心なしか温かいような気がした。
「陽ちゃん、大好き」
「ああ、俺も那奈が大好き。ごめんな、生きてる時照れくさくて言ってやれなかった」
「いいの、嬉しい。ふふっ、ひとつ心残りが減ったかも」
「……じゃあ、言わなきゃよかったかな」
「ううん……聞きたかった」
意を決して、告げよう。那奈の為に。未来で、会うために。
「今度お盆に……お前の実家に行こう」
「えっ」
「ご両親……ようやく、納骨する気になった、って」
「……知ってる」
「一緒に帰ろう。新幹線、ちゃんとお前の席も用意する。駅弁もちゃんと二つ買って、そうそう、冷凍みかんも。旅行したい、って言ってたもんな」
「陽ちゃん……」
だから、それまで那奈のことは絶対に俺が守る。悪用なんて絶対させない。
那奈のお気に入りの古く丸い木のちゃぶ台には、那奈の涙の跡がハート型に残ってそれはいつまでも消えることはなかった。
*
次の日の朝も、やはり類香さんは待ち伏せしていた。
「あっ、陽一君! おはよう」
極上の笑顔だ、図書館にいる時の無表情とはまるで別人。そして違和感。いつものジャケットにタイトなスカートではなく、ふんわりとしたワンピースなのだ。髪も、なんかクルクルしてる。もしかして、那奈の真似をしているのだろうか。似合ってないのは、その不自然なナチュラルメイク風のせいか。
「おはようございます」
「やだ、他人行儀」
「学校の中ですから」
「ねえ、今日は、だめ?」
「類香さんは5時までですよね。それから2時間くらいなら」
「そう……短いけど仕方ないわね、じゃあ、5時に図書館に来てくれる?」
「わかりました」
ワンピースの裾を翻し、いつものハイヒールでなく踵の低い靴でぎこちなく図書館の方へ向かっていった。
昨日の夜、尚登からメッセージが来た。今日は騙されたふりをして色々聞き出してほしい、との事だった。メッセージを見ながら話すわけにはいかないので、聞きだす項目を暗記しなければならない。類香さんは俺の印が刻まれていた「アレ」のパワー欲しさに誘ってくるだろうが、絶対にアパートには行くな、と言われている。あ、それから食事したらレシート貰うの忘れないようにしないと。経費がおりない。
尚登の姿を一日見かけなかった。一度だけ「どこにいるんだよ」とメッセージを送ったが既読になっただけで返事はなかった。重たい足取りで図書館に行く。俺の姿を見かけた類香さんが、いそいそと帰る支度を始めた。女子3人がすれ違いざまにヒソヒソと言い合ってるのが聞こえる。
「なにあれ、ウケるー、おばさん無理」
「若作り、痛いよねー。なんなの、イメチェン失敗」
「男でしょ、どーせ」
うっわ、女子は厳しいな。この集団が帰るまで類香さんに声かけるのはちょっと躊躇する。これが好きな子だったら、全力で庇うんだけどなあ……俺はもう、すっかり冷めきっていた。幸い、その集団はすぐに図書館を出て行った。俺以外の学生がいなくなると、ヴゥン、と冷房のスイッチが切れ、類香さんが奥からバッグを持って現れた。
「お待たせ! ねえ、ちょっと早いけどうちでご飯食べる?」
「いや、ごめんなさい、バイトで賄い食わなきゃならないんで……今、新商品の開発とかやってて、毎回食わされるんです、たまんないですよ、ははっ」
「えぇ、残念。じゃあ、持って帰ってくれない? 食べてもらおうと思ってたくさん作ってるから」
「うっ……や、ああ、ちょっと俺、喉乾いたんで、あの、……あ、カフェ入っていいですか」
類香さんはほんの一瞬ムッとしたような顔をしたが、いいわよ、とついてきてくれた。結構わかりやすい人だな、クールで冷静な人かと思っていたがちょっと違うようだ。
学校の敷地を出た途端、類香さんの方から腕を絡めてきた。そして、ムギュッとその豊満な胸を腕に押し付ける……誘ってる、思い切り誘ってる。何も知らない頃だったら、間違いなく理性飛ぶよな、これ。
「ああ、今日も暑いわね」
そう言いながら胸元のボタンを二つほど開ける。その美しい谷間に夢中になったのはついこの間のことなのに、遠い昔のように感じた。そういう行動の思惑がわかるだけに、ちょっと面白く思えてきた。どこまでやるつもりなんだろうか。たとえ恋人でもベタベタするのは好きじゃないが、これも作戦のため。その胸の感触も何とも思わない、でもあまりつれなくするとばれてしまうので、話は適当に合わせてニコニコと相槌を打つ。
それにしても……香水、強いな……この前はこんな香水なんてつけてなかったぞ。罠、かもしれない。




