(6)
なんだかフワフワした足取りで帰るといきなり那奈が抱き付いてきた、といっても(以下略)。
「陽ちゃん!」
「那奈、元に戻ったのか! よかったなあ!」
「うん! よくわかんないけど」
尚登から、那奈にはまだ事情は言うな、と言われてるけど……
「そっかそっか。うん、良かった。じゃあ飯食うか」
俺は炊飯ジャーからいつものように小さな器に白飯を盛り、帰りがけに買って帰った弁当屋のおかずをよりわけ自分の正面に置いた。那奈がそこに座り、食べる真似をする。
「ねえ、陽ちゃん」
「ん?」
「その黄色い紙、何」
あ、しまった。シャツの胸ポケットに護符を入れてたんだった。
「あー、なんかこれ、貼っとくといいよ、ってもらった」
「誰に?」
「あー……三好、ってやつ。知らないだろ?」
「うん……それ、なんかちょっと、なんだろう、嬉しいやつだ」
「そ、そうなんだ」
「うん! なんかね、元気になる! その人、いい人だね」
那奈がそう言うなら、やっぱり尚登を信用していいんだろうな。俺は言われた通りの場所に護符を貼ってみた。
「ああ、陽ちゃん! ここ何、まるでリゾート地みたい! 気持ちいいよ」
「ははっ、気に入ったんだ、良かった」
久し振りに見た那奈の笑顔は、やっぱり可愛いなあ、と思う。やっぱり類香さんになんて誘われてその気になっちゃったのが間違いだった。類香さんは、俺目当てじゃなく那奈目当てだったんだし……浮かれた俺、相当バカ。
その夜は久し振りに寄り添って寝た。霊は寝なくていいんだけど、俺に合わせて眠る那奈が、改めて愛おしく見えた。ごめんな、浮気して。もういいわ、俺、一生セカンド童貞で。類香さんはノーカウント。だって「気持ち」がない。
*
「えーっ、なんでついて行っちゃいけないの」
「んっと……ちょっとわけがあって。今日は留守番しててくれ」
「私がいたって留守番の意味ないじゃん! なんなの」
「きょ……今日はちょっと、大事な講義があるから集中したいんだ、マジで単位ヤバくてさ」
「……なんかよくわかんないけど。まいいや、なんかこの部屋快適になったし。早く帰ってきてよ?」
「ああ、バイト前に一回帰る。勝手にどっか行くなよ」
よくわからないけど、護符のお陰で大人しく留守番させておくことができた。アパートから出た途端、尚登からメッセージが入る。
(安藤が講堂の前で待ち伏せしてる。何とかして追い払うから、ちょっと様子見ながら来てくれ)
うわ、朝からへヴィーだな。
(了解 講堂の講師控室側の通路から入れると思うからそっち行ってみる)
(じゃあそうしてくれ こっちはなんとかする)
しばらく歩いていると、またメッセージが来た。
(安藤がいる入り口から死角になる席 K-3に座れ そこに置いてあるクリアファイルの中の封筒に、昨日お前から剥いだあいつらの印の紙が入ってる それは騙されるふりに必要だから、しばらく肌身離さず持っていてくれ 但し封は開けるな 封印してある)
なんかミッションインポッシぶってんなあ。
講師控室側の通路は、普段学生が使うことはないが別に立ち入り禁止というわけでもなく、割とすんなり講堂に入れた。言われた通りの席に座ると、ちゃんとクリアファイルが置いてあり、黄色い封筒が挟まっていた。
(追い払った)
短いメッセージが来たと思ったら、斜め後ろの席に尚登が座った。俺は、言われた通り知らないふりをする。
(彼女どうだった)
(元に戻ってた あの護符気に入ったらしい)
すると、猫のキャラクターが喜んでるスタンプが帰ってきた。口調に似合わずかわいいな、おい。お返しに、サンキュー、とスタンプを返す。
(今日は講義が終わったら即アパートに帰れ)
(一旦は帰るけど、17時からバイト 22時まで)
するとしばらく間があり、
(休め 今日の分5000円出す、経費下りた)
ええー……マジか。
(無理、そんな簡単に休めるかよ シフト迷惑かかんだろ)
(居酒屋だったよな 交代要員行かせるってのはどう)
ええー……そんな手下みたいなのまでいるの。
(聞いてみるけど いつまでもそんな休めない)
(短期決戦だ、1週間以内にカタはつける 彼女のそばにいてやれよ その間交代要員行かせるし毎回5000円払う)
俺、時給910円だから貰いすぎなんだけどな。そこまで手厚くされるのは逆に申し訳ない気もしてきたが、それだけ本気ってことか。
休み時間店長に電話して、レポートが忙しいので1週間休む代わりに交代要員を行かせる、ということでなんとか許してもらった。良かったよ、客が多くなるシーズン前で。交代要員は尚登のサークルの後輩らしい。
休み時間は図書館が忙しいはずなので、類香さんの姿は見かけなかった。図書館にさえ近付かなければ大丈夫だ。
ため息をつきながら、空を見上げる。夏の濃い空。一瞬、始まったかに見えた新しい恋……恋? ははっ、あれのどこが恋だ。誘惑されてふらふらついていって、結果那奈を危険に晒して。女は恐えぇ。大体、俺みたいな冴えない男をあんな艶っぽい人が好きになるわけがない。
ただ――昨日は一生セカンド童貞でいいとか思ってたけど、いずれ成仏はさせないといけない、ってわかってる。今度のお盆、ちゃんと那奈の菩提寺に行って相談してみよう。それまでは、絶対に那奈は俺が守る。
「ただいま」
「陽ちゃん、おかえりぃ」
いつもと変わらない那奈の様子にホッとする。俺は尚登に教えてもらった通り、例の黄色い封筒の入ったクリアファイルを、ドアの郵便受けに入れた。家の中でこれを持ち歩くと、また那奈に害があるかもしれないので、そうするように言われた。そしてまた、朝はこれを持って大学に行くのだ。
「何か変わったこととかなかった?」
「ん? 別に? ……なんでそんなこと聞くの? 最近おかしくない?」
「いや、なんでもないけどさ。それより、今週バイト休みになった。ずっといるよ、何かしたいことない?」
「へぇ……バイト、1週間も休んで大丈夫なの? そーだなあー……ドライブしたい!」
「あー、外は駄目なんだ、家の中」
「あ、この前録画したやつ観ようよ、『怨霊の血飛沫』」
「なにそれ……お前の好きな映画ってそんなんばっかじゃねーか……泣くよ?」
「陽ちゃんが泣くとこ見たい」
「このどS娘が」
キャハハ、と笑うその顔を、俺はいつまで見ることが許されるんだろうか。一生このままか、なんて思ってたけどそれは、本当は俺の方が手放したくなかっただけなんじゃないか。那奈はそんな俺のために、留まってくれているだけだったんじゃないか。
「那奈」
「ん? なに」
「お前にとっての幸せって、なんなの」
「陽ちゃんと一緒にいることだよ」
「それ、本心?」
独り言のような声で聞く。那奈の顔から笑みが消えた。




