(18)
目覚ましが鳴る。ああ、もう朝か……昨日はあれからビール飲んで不貞寝したんだった。ってかなんでこんな早く目覚ましセットしてたんだ、俺。休みなのに。休みだからってダラダラ寝てるといつも那奈に起こされたっけなあ……
「陽ちゃん、ほら、起きてっ!」
そうそう、いつもそう言って起こされ……幻聴? え?
慌てて飛び起きると、俺の上にいつものように那奈が乗っていた……え? え?
「……おま……なにやって……成仏はあっ!」
「てへっ 逝きそびれちゃった」
「てへ、じゃねえ! どうすんだよ!」
「陽ちゃん、顔が笑ってるよ?」
「お前なあ……俺の、俺の涙を返せ!」
「だあって! あの線香の匂いババくさい! なんでもっとこう、私にふさわしいスィートな香りにしてくれないかなあ」
「だって、じゃねえ」
しばらく笑いが止まらなかった。気が抜けて、涙まで出てきやがる。
「……もう、いいじゃねえか。ずっと居ろ」
「そういうわけにはいかないよ。さあ、行くよ!」
「へっ、どこに?」
まずシャワーを浴びさせられ、実家に行く時俺が筆談した弁当の包み紙を持たされた。那奈に連れて行かれたのは尚登の部屋だった。まあ、シャワー浴びろ、と言われた時点で想像はついたんだが。
「あー、那奈ちゃん、いらっしゃい」
いつの間にか那奈と史香ちゃんは仲良くなっていた。既に話はついていたようで、尚登の部屋の床や壁は白い布で覆われ、二人とも白装束だった。
「那奈ちゃん、どうしても心残りがあるんだそうです、ねっ」
「心残り……?」
「本当は神式とか関係ないんだけど……ちょっと、私が精神統一するだけなのに尚ちゃんが大げさにしつらえちゃってごめんなさい」
「神聖な儀式には違いないんだから、いいだろ。なあ、陽一」
「……なんかよく話見えねえんだけど。大体心残りってなんだよ、那奈」
那奈が俺の前に大真面目な顔をして立った。
「あのね、私……最後に、陽ちゃんに本当にギューってしてもらいたいの」
「……そんなの、できねえじゃん」
「ギューってしてもらえたら、もう思い残すことないの」
「……」
「そこで提案。史香は憑坐体質でもある。どうかな、那奈ちゃんが史香に入ってお前が、その……ギューしてあげたらいいんじゃないか、と」
「えっ」
「お願い、陽ちゃん」
「や、あの、他人様の彼女をだな」
「いいんだ、史香はそういうのも仕事だからオレは気にしない」
「そうそう、いいんですよー」
って、そんなニッコニコで言われましても。
「え、じゃあ、史香ちゃんに那奈が入って……俺が、ギューってしたら……那奈は成仏する、ってこと?」
3人が一斉に頷く。
「……できねえ……」
「陽ちゃん……」
「嫌だ! まだ、いいじゃないか! いて、くれよ……気が済むまで、いればいいんだ!」
「よ、ちゃ……」
足元にポタポタと、雫が落ちる。いいんだ、俺は本来ヘタレなんだからカッコ悪くてもジタバタするんだ。
「……気持ちはわかる。でもな、那奈ちゃんほどの強い霊体なら狙う奴がこれから先、また出てこないとも限らないんだぞ。その時、お前だけで守れるか? もし廃霊にでもされてみろ、永遠に生まれ変わることができなくなるんだぞ」
「陽ちゃん、お願い!」
「……」
「陽ちゃん……陽ちゃんには、陽ちゃんの人生を進んで欲しいの。私がいると前に進めない」
「違う! お前がいたから、俺は今日まで進めたんだ!」
那奈がつい、と一歩前へ出て俺の胸にふわりと抱きついた。いつもなら何も感じないはずなのに、風を感じた。
「大丈夫。陽ちゃんは、もう自分で進める」
「那……奈っ」
「だから、お願い」
祭壇の前に、史香ちゃんと並んで立った。尚登が祭壇に向かい大麻を振り、静かな祝詞を唱えると那奈の手を引き史香ちゃんと俺の間に立たせた。もう一度大きく大麻を振ると、祭壇の蝋燭の炎が一瞬大きくなった。
促され史香ちゃんと向き合った時にはもう那奈の姿はみえなかったが、伏せていた顔を上げた史香ちゃんは別人の――そうだ、この見上げ方。那奈に似ている。
「もう入ってるぞ。それに今日は喋ってもいい」
「那奈、なのか」
「陽ちゃん……うん、私」
「じ、実家の猫の名前は」
「ウメちゃん」
「この前実家で出されて頑張って食べたけど、俺が死にそうになった食べ物は」
「納豆巻き」
「那奈……なんだ、な」
「うん。陽ちゃん、今までありがとう。陽ちゃんと一緒にいられて楽しかった、幸せだったよ」
「お、俺も……し、あわせ……だ……た」
「もう! 泣かないの、笑って! ね、ギューってして」
俺は、ゆっくりと両腕を上げようとしたが、震えてなかなかあがらない。ヘタレながらも、結構決断は早いほうだったはずだ。大学を決める時だって、レストランでメニューを決める時だって、サザエさんとじゃんけんする時だって割と迷わず決めてきたのに――こんなに逡巡したことは今までなかった。
俺が、那奈を抱き締めれば……逝ってしまう。
「陽ちゃん」
一度上げた腕を下ろした。
「那奈……絶対、また俺んとこ来いよ。約束しろ」
「……うん、頑張る。陽ちゃんの孫になる」
「じいちゃんなんて呼ぶなよ、ちゃんと陽ちゃんって呼べよ」
「うん、わかった」
俺は、那奈を力いっぱい抱き締めた。
「那奈、ありがとう……大好き」
あたたかいその弾力は、懐かしい那奈の感触そのものだった。目をつぶっていると、本当に那奈が腕の中にいるみたいだった。
「バイバイ、またね」と耳元で呟き、ざあっと風を起こして那奈は、逝った。
祭壇で燃やした、弁当の包み紙の煙と一緒に――
**************
「お父さん、これまだ使ってるの? やだ、懐かしい」
娘の呼悠が俺の書斎の片隅に置かれた小さなちゃぶ台を指差した。里帰り出産のため1週間前に実家に帰ってきた娘は、大きなお腹を抱え実に苦しそうだ。
「赤ん坊は順調なのか? 心音とかちゃんと、しっかりしてるんだろうな」
「もう、何言ってんのよ、元気すぎて……痛っ、また蹴られたわ。これで女の子だっていうんだから先が思いやられるぅ」
「健康で元気なのが一番じゃないか」
「まあそうなんだけど。あ、そうそう、お母さんが呼んでこいって。ご飯」
夏の夕暮れ――あの日を思い出す。
これは、偶然なのか必然なのか。あの夏から34年目、娘が初めての妊娠をした。あともう3週間もすれば産まれてくるであろう女の子を、密かに楽しみにしている。
俺は約束を守った。次はお前の番だぞ。
あ、でもホラー映画は勘弁してくれ、心臓に悪い。納豆はオヤジになってから克服したけれど、ホラーだけはどうしても観れないんだ――
――了――
最後までお付き合い頂きありがとうございました。
かつて日本の家庭には、仏壇と神棚の両方があり――なんて堅苦しい後書きをするつもりはありませんが、神式と仏式を行ったり来たりで違和感ある、と思われた方もいらっしゃるでしょう。最終的に那奈は神仏関係ないところで心残りを果たし、天へと還っていきました。
ヘタレだった陽一も、これで少しは強くなれたでしょうか……?
さあ、新しく生まれて来る命。「ようちゃん!」って呼んでくれるといいですね。




