(11)
「ちょっと! 陽一君!」
金曜日学校へ行くと、早速類香さんに捕まった。
「あ、おはようございます……えっ、ちょ、ちょっとあの」
類香さんは何も言わず俺の腕を掴んで、グイグイ引っ張っていく。心なしか怒っているような表情に見える。
「どこ行くんですかっ」
もちろん、抵抗すれば俺の方が強いんだから止めることはできただろう、でもなぜか足が止まらない。フワフワと操られているようだった。類香さんは、まだ学生の姿のない図書館へ入ると内鍵を閉め、バックヤードの奥の扉へと更に引っ張っていく。そしてその脇にある、薄暗いトイレの中へ俺を押しやった。
「いや、ちょっとねえ、類香さん、どうしちゃったんですかっ」
俺は狭いトイレの個室の壁に、強く押し付けられた。この人の、いったいどこにこんな力があるんだ? 跳ね返そうと思ってもうまく力が入らない。むわっ、と例の香りに鼻がやられそうになる。
「ねえっ、陽一君……私、あなたの恋人よねえ?」
鬼気迫る類香さんの目が、蛇のように俺を捉える。この場合どう答えるのがベストなんだ!? 心の中で尚登に助けを求めるも、届くはずはない。一瞬の間に俺の頭の中で天秤がユラユラと揺れ「怒らせない」方へ傾いた。
「う、え、ま、まあそ、そのようですね」
その答えに少しホッとしたのか、力を緩めると類香さんはその手で俺の頬をスゥッと撫でる。
「ねえ……それなのにどうして、恋人らしいことしてくれないの……」
「こ、恋人らしい事って」
「陽一君、私が欲しくないの……?」
「ほっ、ほし、……いやっ、その、ねえ」
頬に手を充てたまま、類香さんの親指が俺の唇をなぞる。ゾクッとしたのは快感なのか寒気なのか。
「私……良くなかった? ずっと避けてるでしょう」
「いっ、いいとか悪いとかじゃなくてですね、ちょっとバイトとかで忙しかったもんで」
類香さんの腕が俺の首にまとわりつく、その感触がどうも蛇のようで背筋が冷たくなる。ぽってりとした唇も、もはや色っぽいを通り越して食虫植物のようにしか見えなかった。キスしろと言わんばかりに迫りくる大スペクタクル、じゃない、類香さんの吐息、そして既にむぎゅむぎゅと押し付けられている胸。谷間を見てはいけないっ! 見たら最後、いくらなんでも俺の俺が反応してしまうっ!
「る、類香さんっ、駄目ですよ、こんなところ……神聖な図書館でっ……そ、そうそう、俺、追われると逃げたくなる性質なんですっ」
すると類香さんは意外にもあっさり、迫るのをやめ少し身体を離してくれた。
「あら、そうだったの……じゃあ、女の方からシたい、なんて言うのは嫌いなの? それならそうと早く言ってよぉ」
「そ、そうですね」
「でも……こんなこと言ったらまた嫌われちゃうかもしれないけど……陽一君私といてそういう気分にならないの? あの日は、ほら……あんなに情熱的だったじゃない」
「い、いや、何も類香さんみたいな人が俺なんかじゃなくても、もっとイイ男いるでしょう」
「何言ってるの、わからない人ね」
俺があまりにものらりくらり逃げるので、さすがにムッとしたようだ。媚香と印の力を以ってしても思うようにならない事に苛立っているのは間違いない。何とか逃げ切らないと、と思ったその時、類香さんの手が俺のズボンのベルトにかかった。
「え、いや、ちょぉぉぉっとおおおっ、おぅふっ」
慌てて類香さんの手を押えるのだが、手馴れ(?)ているのかあっけなくベルトを外されボタンに手をかけてきた。
「ちょっ、駄目ですって、こんな所でっ」
渾身の力で手を振り払うと、今度は胸倉を掴まれた。
「もう我慢できないのっ」
俺の唇は、食虫植物のような類香さんの口の餌食となった。舌が蛇のように滑り込み、口の中に何か苦甘い味が広がったと思った途端に頭がボウッとして――俺は、意識を失った。
気が付くと、薄暗い3畳ほどの和室にいた。だんだん目が慣れてきて、そこが司書さん達の休憩室のような部屋らしいことはわかった。確か、連れ込まれたトイレの横にあるはずだ。いや、場所などどうでもいい。俺は、自分の今の状態に絶望と羞恥、そして恐怖しか感じない。
トランクス1丁、ってどういうことだよ! 一体俺の身に何が起きたのか、誰か教えてくれよおおぉ! もう泣きそう。
見える範囲に俺の服や持ち物は見当たらない。部屋の引き戸も、何かが閊えてるように開かない。確かこの部屋は結構奥まったところにあったはずで、助けを呼んでも誰にも届かない。ただでさえもう夏休みに入ってる学生多くて人影もまばらだというのに……授業に出なかった俺を心配して尚登が探し出してくれる他に手立てはないのか。もっとも、時計も見当たらず今が何時なのかすらわからないから、何コマさぼったのかも不明……いや、今日は1コマしかないからきっと誰も心配したりしない! ああっ、しかもあの授業は尚登が取ってる授業じゃない!
那奈には外に出るなと言ってあるし……もちろんバイトも尚登の後輩が行くんだし……そうだよ、例え尚登が気付いたところでここがわかるのかよ、超能力者じゃあるまいし……超能力者……だ、誰かいないのか――ううっ、那奈ですら俺の考えてる事わかんないっていうのに。
詰んだ……のか?
そして、極めつけはコレ、だ。
トランクスの中の「俺の俺」が、熱を帯びている――恐る恐る摘まみ上げ裏を覗き込むとそこに見えるのは、朱色の小さな「印」だった――




