二章 城館での新しい暮らし
レグルスの時と同じように、妹姫もあっという間に血色が良くなった。
痩せ細った体はそのままなので、しばらく静養して、数日かけてゆっくり体調を整えていくしかなさそうだ。
「ああ、うれしい。まさか、また世界が見えるようになるなんて。味も……水ってこんなにおいしかったかしら! 空が青いわ、なんて素晴らしいの。生まれ変わった気分」
妹姫は可愛らしい声で、詩を歌うみたいに、感動の言葉をつらねている。
「わたくしはミシェーラといいます。神子様、どうかお名前を聞く栄誉を授けていただけませんか」
うるうると青い目をうるませるミシェーラは、リスみたいで可愛らしい。赤毛のリスだ。
「栄誉って……。アリサよ」
ミシェーラの言葉にたじろいだ。随分おおげさな表現だ。有紗はベッドの傍に膝をついて、半身を起こしているミシェーラと目線を合わせる。
「アリサ様、そんな、どうか膝をつくような真似はなさらないで」
ミシェーラが慌てて止めると、ヴァネッサが有紗の腕を引いて、ベッドに座るように誘導した。
「様はいらないわ。アリサって呼んでください。レグルスのお世話になるので、これからよろしくお願いします。ヴァネッサさんも」
ちらりとヴァネッサを見上げると、ヴァネッサは微笑んでいた。
(ああ、この笑いかた、レグルスとそっくり)
見ているとこちらも気持ちが緩む、温かな笑みだ。
「私もね、レグルスに助けてもらったの。でも詳しくはレグルスから聞いてね。あまり話したくなくて」
この数日の悲惨な出来事を思い出すと、どうしても落ち込む。目を伏せる有紗から説明を引き出す真似はせず、ミシェーラは素直に頷いた。
「ええ、そうします。闇の神は死と眠りを司るといわれているけれど、死と生は表裏一体ですものね。こうして助けていただくこともできるんだわ。なんてありがたいかたかしら」
そう言ってミシェーラは有紗の前で手を合わせる。慌てたのは有紗だ。
「ちょっ、拝まないで」
「アリサ様をお遣わしくださった神に、お礼を申し上げているだけです」
その様子を見ていて、有紗は不思議に思った。
「あなたの国では、闇の神は邪神なんでしょう? 私が怖くないの?」
「わたくしを助けてくださった方を、どうして怖がるんですか。それにわたくしは光神教の神官ほど、盲目な信徒ではありません。それに、わたくしが病にかかった時、あの方々はけがれていると言って、お父様に処刑するようにとまで言ったんです。ああいう時こそ、神官の力を発揮して癒してくれるべきですわ」
どうやらミシェーラも神殿の被害者らしい。不信感をあらわにしている。
「それ、どうなったの?」
処刑と聞いて、胸が苦しくなった。よほど悲壮な顔をしていたみたいで、ミシェーラが有紗を優しくなだめる。
「そんなに心配なさらないで。お父様が激怒してくださって、王都から離れるだけで済みましたの。この地は崖下にあるでしょう? 上に行くための道は、馬車で一週間ほど行った場所にしかありませんの」
「そうなのね、良かった……」
あの崖から神官が下りてきて、有紗を探しに来ないかと不安だった。
「ミシェーラちゃんは治ったから、もう大丈夫なんだね」
「は、はい。ミシェーラちゃんですか?」
「駄目だった? 私、レグルスと同い年だから。そうだよね、初対面なのに馴れ馴れしくしちゃった」
「いいえ、その呼び方で構いませんわ、アリサお姉様!」
お、お姉様……?
そんなお上品に呼ばれたことがない有紗は目を丸くしたが、年下の彼女は呼び捨てにしづらいのだろうと思い、まあいいかと頷いた。
「分かった、じゃあ、そう呼ぶね。ところで、他の国には神子はいるの?」
もしいるなら、帰り方を知っているかもしれない。この問いには、レグルスが答える。
「最近は聞きませんね。去年までは、北のほうの国にいらしたようですが、老衰でお亡くなりになったとか」
「帰らなかったの? それとも帰れなかった?」
「帰りたがらない方もいるそうなので分かりません。この国では昔は神殿に必ず一人の神子を召喚していたそうですが、豪遊して国を疲弊させたことがあって、ここ五十年は召喚していないんです」
代々の神子の記録なら、王宮の書庫にも保管されているそうだ。
「それを見たら、神子が帰れるかどうかが書いてあるかもしれないの?」
「すみませんが、僕には分からないんです。子どもの頃に興味を持って調べようと思ったんですが、閲覧には王の許可がいるそうで。父上は許可してくれませんでした」
「それってまるで、神子に興味を持たせないようにしているみたいよね。神殿は王様に許可をとって、神子召喚の儀をしたのかな?」
「……気になりますね。しかし、面と向かって神子について触れるのは危険です。アリサが生きていると神殿にバレる可能性がありますから。それに、神子は召喚する他に、神が遣わす場合があるんですよ。そちらだと言い張るつもりだったのかもしれません」
ということは、二つのパターンで、この世界に神子が来るのか。
有紗とレグルスが話しあっていると、ヴァネッサとミシェーラが目を丸くした。
「どういうことなの、レグルス。我が国で神子召喚の儀が行われたの?」
ヴァネッサの問いに、レグルスは首を振る。
「その辺りは、後で説明します。アリサはそのせいで傷付いているので、どうかご理解を」
「……なんとなく読めたわ」
ヴァネッサの有紗を見つめる眼差しがいたわしげになった。ミシェーラが有紗の手首にはまったままの鉄の枷に気付いて、目を丸くする。
「ひどい! こんなか弱いかたに、罪人のように枷をはめるなんて。お兄様、すぐに外してあげてください!」
ミシェーラが叫ぶように言うと、ヴァネッサが有紗の手首を覗きこむ。
「手首はすれていないようね。ちょっとじっとしていていただける?」
細長いヘアピンを髪から抜き取って、ヴァネッサはヘアピンを伸ばし、先端を曲げる。鍵穴に突っ込んで、しばらくカチャカチャといじっていると、カチンと鍵のあく音がした。それでコツをつかんだようで、もう一つもあっという間に開けてしまう。
「外れた! えっ、えええ?」
上品なヴァネッサと、鍵開けの技術がつながらない。混乱する有紗に構わず、ヴァネッサはヘアピンの形を元に戻して、自分の髪に差し込んだ。
「私は元々、旅をしながら興業をする一団で、踊り子をしていたの。そこにはいろんな技を持つ人がいてね、良いことも悪いことも、いろいろと教わったわ。安心して、泥棒に入る真似はしていないわよ」
外した枷を横のほうに置き、チェストから木箱を持ってきて、ヴァネッサは有紗の手首に塗り薬を塗り込んだ。ツンと鼻につく草のにおいがする。
「傷薬よ。痕はついていないけど、念のためにね」
「ありがとうございます、母上」
「どういたしまして。アリサ、あなたは息子と娘を助けてくれた恩人よ。実の娘と思って接させていただくわね」
有紗の両手をやんわりと包み込むヴァネッサの手から、思いやりが伝わってくるようだ。有紗はしんみりした。
「よろしくお願いします」
「ええ、身の回りのことも手伝うわ。あなたの正体を秘密にしないといけないから、私達で尽力するわね。娘を殺す進言をするような神官になんか、あなたのことは渡さないわ。そうだ、この鉄の枷、素材は良いみたいだから、これを護身用の短剣の材料にしてもらおうと思うの。構わない?」
「ええ、どうぞ」
ヴァネッサの問いに、有紗は頷く。そのしたたかさには感嘆を覚える。
レグルスも思わずという様子で笑っている。
「母上にはかないませんね。アリサ、話を戻しても?」
「はい」
「神子が遣わされる場合は二つありますが、どちらにせよ、神子を大事にしなければ、神罰がくだります。神子とは、この世界の人々へ贈られた、神の救いの手なのです」
「そう信じている……という感じじゃないよね。神様は本当にいる?」
レグルスの話しかたは、某所に親戚が住んでいるというニュアンスに近い。神が身近にいるのが当たり前だと、有紗に感じさせるものだ。
「いますよ。ただ、人間が好き勝手に願いを言うのに嫌気がさしたそうで、大昔にこの地を去りました。この世界は――グランドステラには、六柱の神がいらっしゃいます。光、闇、風、水、地、火の神々が。今は、それぞれの領域にいらっしゃるとか」
「神子様に直接お会いできるなんて、滅多とないことなんですよ。ここはお兄様のお城ですけれど、どうかご自分の家のようにくつろいでくださいませ」
ミシェーラは青い目を輝かせ、有紗にたっぷりの好意を示す。まるで飼い主になつく子犬みたいなので、有紗はつい、ミシェーラの頭を撫でた。
「ミシェーラちゃんも、無理はしないで、元気になってね」
「はい! ありがとうございます、アリサお姉様」
有紗はその笑顔にほっこりした。ヴァネッサは鉄の枷を木箱にしまい、レグルスを促す。
「レグルス、アリサを妃の間に案内してあげなさい。ロズワルドがうるさいでしょうけど、無視していいわ。二人の結婚を私が許可したと言っていいからね」
「分かりました。ありがとうございます、母上。さあ、行きましょう、アリサ」
「あの……レグルス」
「なんでしょうか」
「私、他の人のことが怖いの。できればレグルスの傍にいたいんだけど……」
レグルスはそんなことかというように、静かに微笑む。
「もちろんです、アリサ。目が届く所にいてください。そのほうが安心です。僕のことは、好きに利用していいんですよ」
「うん、でも、鬱陶しかったらごめんね。がんばって慣れるから」
「そうですか?」
なぜかレグルスは残念そうに呟き、それを見たミシェーラとヴァネッサはおかしそうに顔を見合わせた。




