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十二章 誓約の儀 1

 


 雲一つない快晴の下、誓約の儀がとり行われた。

 謁見の間では、玉座にいる王と王妃のかたわらに椅子を並べ、有紗は闇の神子として同席している。

 王の声がろうろうと響く。


「我ら王族と臣下一同、闇の神子アリサ様の自由と意思を尊重する。神子様の選択は神子様のものであり、我が国の誰も、その決定に介入しない。


 神子の力を使わせようと、神子様を(おど)さない。


 そのために、伴侶であるレグルス・ルチリアを人質にとったり、配下にさせない。

 この誓いをたがえたら、誰であろうと死罪である」


 レジナルド王は宣誓の言葉を読み終えると、有紗のほうを確認した。


「私、闇の神子アリサはこの儀式を見届けます」

「ではまず、私がサインしましょう」


 最初にレジナルドがサインしたため、集まった王族と貴族の代表はかしこまって(こうべ)をたれる。

 たとえ彼らにとって意にそわないことでも、ここで反論すれば、王の反意を示すことになる。即退場の危機であるから、誰も否とは言わない。

 有紗が見守る先には筆記台が置かれ、レグルスがサインの監督をしていた。


「確認しました」


 レグルスの声とともに、サインをした王は頷き、玉座に戻った。

 脇に立った神官が次の者の名を読み上げる。王妃が緊張した顔でやって来た。

 この豪奢な飾りがついた白い神官服をまとうのは、以前、アリサに召喚の儀についての書物を見せた男だ。聖典の管理もしていた司書の男が、新しい大神官の一人のようだった。


 召喚の儀に詳しい神官は軟禁するというのが王との約束だったが、大神官ならば公人の目からは逃げられない。神殿について全てを把握しているような才能を閉じ込めて無駄に遊ばせるよりも、大神官として忙しく働かせようという魂胆らしい。王も策士である。


 光神教では、大神官は三人いる。神殿の最高決定機関で、三人で協議してから決めるのだ。しかし闇の神子を処刑しようとした事件のために、監査機関が作られた。閉鎖的だと、また悪さをするかもしれないからだ。


 他の召喚に詳しい者は軟禁され、空座となっている残り二つの大神官は、投票で決められるそうで、そのための準備中だそうだ。


 王妃がサインをすると、王子が順に名を呼ばれる。その中にはレグルスもいて、彼もサインした。王子が終わると、この王宮に一人しかいない王女も呼ばれる。


「王女ミシェーラ様」


 ミシェーラが呼ばれ、淡いピンク色の服に身を包んだ彼女は静かにやって来て、筆記台の前でお辞儀をする。そしてサインをした。


「確認しました」


 レグルスが頷くと、ミシェーラは微笑んでお辞儀をし、また下がっていく。

 これから側妃がサインをして、貴族の代表へと移る予定だ。

 三時間ほどかけての誓約が終わる頃には、正午はとっくに過ぎていた。

 サインされた誓約の書を、有紗は丁寧に確認する。


「見届けました。いいでしょう。私を利用しようとしなければ、私はこの国にとって薬になってあげます。――でも、約束をたがえたら、邪神の神子として毒になるわ。忘れないで」


 集まった人々の前に書物を掲げると、全員が頭を垂れる。


「闇の神と神子様に誓い、ゆめゆめ忘れません」


 そして、誓約の儀が終わった。




 無事に儀式は終わったが、有紗はさっそく誓約の書をどこに置くかで困っていた。

 これから数日後には隣国に渡るので、こんな貴重品を持ち歩くわけにはいかない。しかしルーエンス城に保管しておくと、留守中に誰かに盗まれる恐れもある。


 結局、レジナルドの厚意で、王の宝物庫で一時的に預かってもらうことになった。有紗が帰還したら返してもらう約束だ。


「よろしくお願いします、陛下」

「これくらいお安い御用ですよ。それでは、使節のほうの準備がありますので、私はこれで失礼を。――側妃とエドガーの件、あなたが介入しなければ、こう上手くは治まらなかったでしょう。感謝申し上げます」


 レジナルドは温かく微笑み、宝物庫前から立ち去っていく。


(あの笑いかた、レグルスとそっくりね)


 レグルスが優しげに笑う時と似ている。さすがは親子だ。

 有紗はなんとなくその背中に会釈をしてから、宝物庫前で待っていたレグルスとともに別宮に帰るべく廊下を歩きだす。王宮では、これから遅い正餐の時間だ。王族だけでなく、貴族も食事にありついているだろう。


「レグルス、長時間、お疲れ様!」


 有紗は解放感から、レグルスの左腕に抱きついた。


「いえ、重要な役目を任せていただき光栄ですよ、アリサ様」


 途中で休憩時間もとったが、レグルスは立ちっぱなしで疲れただろう。有紗は心配したが、うっすらと微笑を浮かべる顔は普段通りに見えた。有紗の疑問を読み取ったのか、レグルスは言葉を付け足す。


「鍛えているので、あの程度では疲れませんよ」

「そうなの? かっこいい!」

「ありがとうございます。そんなふうに言っていただけると、元気が出ますよ」


 レグルスの笑みが深まり、有紗もにこにこする。

 そこへ、ヴァネッサがドレスの裾を持ち上げ、急ぎ足で追いかけてきた。


「アリサ!」

「ヴァネッサさん」


 有紗達が足を止めると、ヴァネッサはふうと息をつく。後ろにはミシェーラもいる。ヴァネッサは有紗をぎゅむっと抱きしめた。


「ありがとう、アリサ。パーティーでかばってくれたことも、調査してくれたことも。おかげで、私への疑いは晴れたわ。私、どうやってあなたに恩返しすればいいかしら!」


 感極まっているヴァネッサは、目をうるうるさせている。有紗はゆるく首を振る。


「レグルスの次に優しくしてくれたのは、ヴァネッサさんでしたから。それに、ヴァネッサさんのこと、ここでのお母さんだと思っているの。助けようとするのは当然よ」

「なんて優しい子なのかしら! お母さんも大好きよ!」


 ヴァネッサは泣き出しながら、有紗をぎゅうぎゅう抱きしめる。豊満な胸がやわらかいが、さすがに息苦しい。


「お母様ったら、アリサお姉様が困ってらっしゃるわよ」

「そうですよ、母上」

「あら、ごめんなさいね」


 ミシェーラとレグルスはヴァネッサを止めたが、二人とも同時にハンカチを差し出すので、母親想いぶりが微笑ましい。ヴァネッサはミシェーラのハンカチを受け取り、涙をふく。


「それなら、あなたが留守の間、私があなたの母親代わりとして、結婚式の準備を進めてもいいかしら?」

「いいんですか?」

「もちろんよ! ここでは普通、嫁入り側は持参金や家財道具を持ってきて、結婚式や新居の準備は婿側がするのよ。レグルスの母親は私だから、当然、私が式の用意を進めるの。王妃様や大臣とも話し合ってね」


 有紗は目をすわらせる。


「へえ、王妃様と……」


 結婚式に王妃がかかわるなんて、ろくなことにならない気がする。嫌だなあという気持ちが声に出てしまったようで、ヴァネッサは小さく噴き出した。


「わかりやすいわね、アリサったら。でも、王妃様は今、謹慎されているでしょう? 私と大臣で進めるようにと陛下に言われているの。旅立つ前に、色の好みからいろいろと教えてちょうだいね」

「はい、それはもちろん。そっか、持参金か……」


 有紗の表情が曇る。もしお金持ちの令嬢だったら、レグルスの立場もずいぶん良くなっただろうに。


「アリサ、あなたが何を考えているか分かりますよ。我が国はあなたにつぐなう立場です。そもそも、結婚式などいらないと言うあなたに、国の都合を押し付けているんですよ。損害賠償にしたってあんまりだと怒っていい」


 赤裸々な言い分に、有紗は呆れた。


「レグルスって、私のことになると手厳しいわよね。でも、そうね。損害賠償だと思って、気楽に受け取ることにするわ」

「そうしてください」


 これで腹がすわった。


「だいたい、王宮の修繕費などは、光神教のほうに賠償を請求しているので、王家の損害はそこまででもないんですよ。これを機に、父上は大きくなりすぎた神殿の勢力を削ぐおつもりのようです」

「陛下って、本当に素晴らしい統治者ね」


 賞賛と皮肉を混ぜて、有紗は呟く。転んでもただでは起きないとは、まさに彼のことだろう。

 ヴァネッサとミシェーラは、「見直した」「お父様、かっこいい」と黄色い声を上げてはしゃぐ。母娘なのに、姉と妹みたいで可愛らしい。それからヴァネッサは思い出した様子で、有紗を褒める。


「マール側妃様やエドガー王子様とも禍根を残さずに済んだし、アリサってすごいわ」

「まあ、王妃様には嫌われたみたいですけど」

「しかたないけれど、やっぱり傷つく?」

「全然。どうでもいい人に嫌われても、なんとも思わないから」

「強くなったわね、アリサ。どんどん魅力的になっていくんだもの。レグルス、きちんと捕まえておくのですよ!」


 ヴァネッサが発破をかけた時、ルーファスが顔を出した。


「そうそう、私のような者もいるからね」

「兄上!」


 レグルスがさっと有紗を抱き寄せた。目撃したミシェーラが、「まあ」と頬を染めて、口に手を当てる。


「なんですか、さっき、誓約の書にサインしたでしょう?」

「神子様のお気持ちが変われば、話は違うだろう?」


 レグルスの質問に質問で返し、ルーファスは楽しげに有紗のほうを見た。当然、有紗はこめかみに青筋を立てる。


「だ、か、ら! 私が浮気する前提で話すの、やめてくれる? ほんっと失礼しちゃうわね!」


 有紗の抗議も、ルーファスは意に介さない。


「神子だって人間です。気持ちは移り変わるものですよ」

「変わらなかったら?」

「そうですねえ。良いものを見せてもらったと思うことにします」

「変わってほしいくせに、変わってほしくないみたいね」

「矛盾を抱えて悩むのが人生だと、父上が言ってましたよ」


 いったいどんな会話をしているのだ、レジナルドとルーファスは。他人の言葉を出して、自分のことは煙に巻き、ルーファスはにこりと笑う。


「誓約の書には、神子を口説いてはならないとは書いていない。私は自由にさせていただきますよ。しかし、残念なことに、私まで隣国についていくわけにはまいりませんのでね。ご武運をお祈りしております」


 殊勝なことを言うと、ルーファスはレグルスに釘をさす。


「神子様をきちんとお守りするのだよ、レグルス」

「兄上に言われずとも、承知しております!」

「どうだろうね。私は毒の事件、エドガーが怪しいと最初から思っていたんだ。君は油断して、神子様をエドガーに近づけた。正直、がっかりしたよ」


 痛いところを突かれたレグルスが黙り込んだので、代わりに有紗が怒る。


「近づいたのは私だし、レグルスは心配してミシェーラちゃんを同席させてくれていたわよ」


「わざわざ敵地に乗り込もうというのだから、神子様の愚かさは、いっそ可愛らしいく見えますね。誰かの言う『良い人』とは、『都合の良い人』であることも忘れずに」


 褒めながらけなし、注意までしてのけるルーファス。反論できなくて、有紗も口を閉ざす。


「その程度で玉座を目指そうとは、恐れ入ります。私だったら、多少の道理がわからずとも守ってさしあげられる力があるが、レグルスならどうでしょう? 心変わりしたら、いつでもおいでなさい。歓迎しますよ」


 厳しい目をして言うだけ言うと、ルーファスは、最後には打って変わって懐柔するかのようにやんわりとほほ笑んだ。ルーファスはお辞儀をして、廊下を去っていった。


「毒のある花って、ああいう感じ?」


 有紗が鳥肌を手でなでながら問うと、レグルスだけでなく、ヴァネッサやミシェーラ、護衛騎士達も青ざめている。


「兄上は恐ろしい方です。ロドルフが『他人にもむやみに厳しくするだろう』と言っていたのは、あれでしょうか」

「完璧主義っていうより、王宮の闇を見すぎてひねくれてるんじゃないの。怖いわぁ」


 レグルスと有紗が呟くと、ミシェーラはヴァネッサの傍にピタリとくっつく。


「いろんな顔を自在に使い分けてらして、ゾクッとしました」

「悔しいけれど、確かに皆の言う通り、王の資質を一番に持っているのはあの方でしょうね」


 ヴァネッサは苦い顔をして、「でも」と付け足す。


「わざわざ陛下が王位争いを切り出したのですもの、きっと陛下のお考えでは、ルーファス殿下にも足りないものがおありなのでしょうね。王子の成長のために必要だと、以前、おっしゃっていたもの」


「よくわからないけど、私達は私達でがんばるしかないわ。レグルスは一人で勝負するわけじゃないんだもの。皆でがんばれば勝てるわよ!」


 こぶしを突き上げる有紗の態度に、レグルスらは毒気を抜かれた顔をする。ロズワルドがくっと笑いをこぼす。


「無謀としか言いようがありませんが、お妃様を見ているとどうにかなりそうな気がしますよ」

「ちょっと、どういう意味よ、ロズワルドさん!」


 有紗はすかさず言い返すが、ガイウスには感心された。


「ロズワルドを笑わせるとはさすがですね、お妃様」

「その誉め言葉もどうなのよ」


 まあまあと、レグルスが有紗の肩をゆるく叩く。


「アリサのおっしゃる通りです。我々なりに努力して勝ち取りましょう」


 レグルスが場をまとめ、有紗達は大きく頷いた。

 この場には主従も血筋も関係ない、連帯感があった。これだけは有紗達の武器に思えた。


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