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「な、何故。俺が……」


 (ひざ)をついて腹を押さえるヴォルガンフ。信じられないという顔だった。


「私は邪気を取り上げて癒すこともできれば、逆に邪気を入れて苦しめることもできるのよ。もしかして、癒しのことしか聞いてなかった? 神官がどんな目にあったか知らないの?」


 有紗がヴォルガンフに一歩近づくと、彼はビクリと震える。


「“邪神の神子”をなめんじゃないわよ。私を利用しようなんて、百年早いわ」

「ひっ」


 ヴォルガンフは青ざめ、恐れにおののく。


「化け物! こっちに来るな!」


 有紗が眉をひそめた時、応接室にレグルスが乗り込んできた。


「アリサ!」

「あら、レグルス。どうしてここに? 報告会はどうしたの?」

「他国からの急使(きゅうし)が来たため、午後に延期されました。それで僕もエドガーの様子見に来たら、使用人に襲いかかられまして……」


 そこでレグルスは入り口を振り返った。ガイウスが剣を片手に、こちらににかりと笑ってみせる。

 どうやらガイウスが蹴散らしたらしい。

 ロズワルドがいかにも不愉快と言いたげな顔を見せたので、有紗は肩の力を抜いた。侍女はともかく、騎士は殺されたかもしれないと心配していたのだ。


「あの通り、やり返しました。――アリサ、大丈夫ですか?」

「心配すべきなのは、そこの男じゃない?」

「話は廊下で少しだけ聞きましたが、怖かったのに変わりないかと。アリサは少し変わっているだけで、普通の女性なんですから」


 レグルスの言葉は、血を流してうめくヴォルガンフにさえぎられた。


「どこが普通だ! 俺は王子を刺したのに、俺に怪我を移しやがった。何が奇跡だ!」


 ぜいぜいと息をする合間に、ヴォルガンフは悪態をつく。それでレグルスは膝をついたまま呆けているエドガーに気付いて、様子を見る。


「エドガー、怪我は?」

「神子様のお蔭で、消え去りました」


 エドガーの顔には、初めて畏怖が浮かんだ。そして、レグルスに尊敬の視線を注ぐ。


「レグルスお兄様、感服いたしました。味方だと分かっていても、僕には恐ろしい。しかしあなたはあのような(わざ)を見ても、心が揺らがないのですね……。なんて強い」


 まぶしげに目を細めると、エドガーは突然、床に両手をついて、土下座の姿勢をとる。


「神子様との取引だけではない。心からの敬意を、お兄様に捧げます。生涯、弟として支えることを誓います」

「エドガー、やめなさい」


 レグルスはエドガーの肩をつかんで、エドガーの顔を上げさせる。


「君の気持ちは分かった。確かに母は違うが、兄弟であって臣下ではない。私が欲しいのは仲間だ。なんでも恭順を示す人形ではない」

「……しかし」


「この王位争いがどうなるのか、まだ分からない。でも結果がどうであれ、兄弟として親しくしてくれないだろうか。そうすればこの王宮も、少しは温かくなる。もちろん、政治全てが綺麗ごとで片付くとは思ってはいないが、上に立つ者だからこそ、夢を持っていたい」


 レグルスはエドガーに諭すように話しかける。


「異母兄弟だからって、本物の絆で結ばれてはいけないなんて、誰が決めたんだ? 敵国の血も引くからって、君がこの国を大事に思っていないなんてことはないだろう? 誰がなんと言おうが、ここはエドガーの生まれ故郷だ」


 エドガーははっと目を丸くし、その目からほろりと涙がすべり落ちる。思わぬふいを突かれたとばかりに、エドガーはそれを恥ずかしそうに指でぬぐいながら、レグルスに大きく同意した。


「そう……そうですよ! 僕だってこの国が好きなんだ。それなのに、何もしていないのに、臣下は僕を『いずれ裏切る』と決めつける。一方で、僕はお母様を助けたい。どうしていいか分からなくて……それで。申し訳ありません、この件は責任をとります」


「きちんと謝ろう。誰にも被害が出ていないのが幸いだった。父上ならば分かってくださる」


 レグルスが手を貸してエドガーを立たせると、エドガーの侍女がさっと近寄って、エドガーを支えた。そのまま長椅子へと移動させる。


「そうよ。私が口添えすると言ったでしょ。そりゃああなたも悪いけれど、あなたを追い込んだのは王宮の皆だわ。それから、利用しようとしたそいつもね」


 有紗はヴォルガンフをにらむ。怪我にうめきながら血の気が引いているヴォルガンフに、にんまりと意地の悪い笑みを向けた。


「ヴォルガンフ、助けてあげましょうか?」

「え?」


 放っておけば、出血多量で死ぬだろう。ヴォルガンフもそれが分かっているのか、すがるような視線を有紗に向ける。有紗を化け物とののしっておきながら、助けにはしがみつこうとするのだから、底の浅さが知れるというものだ。


「洗いざらい事実を暴露するなら、その怪我を治してあげる」


 エドガーを助けるために、ヴォルガンフの証言は必要だ。


「話します。だから、お願いです。お願い……」


 とうとう床へ倒れ伏し、ヴォルガンフは弱弱しくささやく。

 有紗の目には、邪気が濃さを増していくのが見えていた。すでに死が近い。


「約束は守りなさいよ」


 有紗はヴォルガンフから邪気を取り上げた。そのまま口に放り込む。先ほど、ナッツ入りのクッキーをうらやましく思ったせいだろうか、そんなお菓子の味がした。


「ごちそうさま」


 手を合わせてつぶやくと、ヴォルガンフの顔色がゆっくりと戻っていった。さすがに失った血までは補えないのか、ふらつきつつも意識をはっきり取り戻す。

 レグルスが騎士達に命じる。


「先ほど、この者がエドガー王子を刺したと自白したのを聞いていたな? 牢へ連れていけ!」

「は!」


 騎士達の声が重なり、他にもひそんでいたヴォルガンフの仲間達もまとめて連行する。去り際に気を取り戻したヴォルガンフに、レグルスは冷たい声で告げる。


「お前の目論見は外れたな、ヴォルガンフ。報告会を取りやめることになった急使は、アークライト王国からの支援要請だ」

「そんな……まさか! 約束が違う!」


 ヴォルガンフは顔色を変え、何かわめいていたが、その声は次第に遠ざかっていった。


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