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 しばらくして落ち着くと、今度は恥ずかしさがこみ上げてきた。

「ごめんなさい。子どもみたいなことして」

 気まずくなって首をすくめながら、有紗は男が貸してくれたハンカチで目元をぬぐう。男はやんわりと返す。

「いえ、昨日まで人間だったのに、急に神子に作り変えられたのでは、僕でもそうなりますよ」

「作り変えられる?」

「そうでしょう? お話を伺っていると、どうやら神の祝福を受けたことで、あなたは神子として肉体そのものが変わったようです」

「よく分からない」

「水や食べ物を受け付けなくなったそうですね。僕のこの食べ物はどうですか?」

 男に差し出されるまま、パンを口に運ぶ。粘土みたいな味がして、思わず地面に吐きだした。

「あ……ごめんなさい。あなたの食べ物なのに」

「大丈夫ですよ。やはり推測通りですね。では、その黒いもやというのが食べ物で、血が水代わりなのでしょうか」

 その結論に、有紗は落ち込んだ。ただでさえ訳が分からないのに、人間ではなくなったと言われて、気に病まない者はいないだろう。

「あなたはなんでそんなに落ち着いてるの?」

「さっきまで自分は死ぬと思っていたんです。死より怖いことはありません。神子様は僕を助けてくださった。それが分かっていれば充分です」

「その呼びかたはやめて。私は水口有紗っていうの。有紗と呼んで」

「アリサ……異国の響きですね。僕はレグルス・ルチリア。ルチリア王国の第二王子です」

「王子様なの?」

 そんな立場の人と会ったのは初めてだ。そういう目で見てみると、彼は品が良いような気がした。

「その、助けられたっていうのはどういうこと?」

 とりあえず気になったことを問う。

「これを見てください」

 レグルスは上着を脱ぎ、シャツの裾をたくしあげた。血で汚れている皮膚がのぞく。さっき見た時は、切り裂かれた服の隙間から、ぐちゃぐちゃだった傷口が覗いていた。それがまっさらになっている。

 有紗が恐る恐る指先で脇腹に触れると、レグルスがフッと笑った。

「あ、すみません。くすぐったくて」

「ごめんっ、無遠慮に触って」

 皮膚に触れていた手をパッとどける。レグルスは有紗をじっと見ている。

「理解していただけましたか? アリサ様のなした偉業を」

 有紗はゆるゆると頷く。

「私にもよく分からないけど、レグルスさんを助けられたなら良かったと思う。人間を食べなきゃいけないって言われたほうが、よっぽど怖いから」

 座り込んだままうつむく有紗の頭を、レグルスは優しく撫でる。

「さんはいりませんよ、レグルスと呼んでください」

「私のことも、アリサでいい」

「では、そう呼びましょう。アリサ、あなたは僕の命の恩人です」

 急に畏まり、レグルスは有紗の前に片膝をついた。まるで騎士の宣誓のようで、有紗はドキッとしてしまう。

「僕の命にかけて、あなたを助け、守ると誓います。ですからどうか、落ち着いて僕の話を聞いてくれませんか」

 どうやらレグルスは緊張しているようだ。

 いったいどうしたのかと、有紗は息を飲んで続きに耳を澄ますと、レグルスは恐る恐る打ち明けた。

「僕の国は、あなたを処刑した神官がいる所と同じなんです」

 有紗は眩暈がするような衝撃を受け、この優しげな青年を見つめる。あの神官とこの青年が同じ国の人間だなんて、悪夢のようだ。逃げなければと頭の隅で声がした。だがそれより強い衝動が湧きあがる。

 有紗はレグルスの襟元にしがみついた。

「そ、それじゃあ! 私を帰して!」

 恐怖よりも強いのは、故郷に帰りたいという渇望だ。

「日本に、家族の所に帰りたいの。来ることができたんだから、帰ることだってできるよね? お願い、そうだって言って!」

 レグルスが苦しげに眉をひそめた。有紗はハッとして手を緩めたが、彼の表情は変わらない。

「どうともお返事できません。僕には分からないんです」

「どうして? 王子様なんでしょ!」

 嘘をつかないで。意地悪しないで! 喉元まで声が出かかるが、わめく前に彼の話を聞くべきだと、冷静な部分が諭す。

「神子の召喚を行うのは神殿で、王族は関わりません。この国は祭政一致の政治をしていて、神殿の力が強いので、彼らは王家の言いなりではありません。それに……」

 一筋縄ではいかないらしいが、他にも理由があるようだ。

 申し訳なさそうに目を伏せ、レグルスはため息とともに言う。

「僕は第二王子ですが、権限は強くないのです」

「え? どういうこと……?」

「父上――王には王妃と側妃が三人います。王の血を引いていても、王子や姫の立場は、母の実家の権力が物を言うのです。僕の母は王の寵愛が深いですが、ただの旅の踊り子です。平民です。僕と妹の地位は、最も低いのですよ」

 苦りきった顔でそう話すレグルスは、どう見ても嘘をついていない。有紗はそこで、こんな森なのに、王子が一人でいる事実に気が付いた。

「そういえば、あなたはどうしてここに……? 狼に襲われて怪我をするなんて、普通じゃないわよね。まさか、レグルスも処刑に?」

「いいえ、それは違います。妹を助けたくて、聖なる泉を探しに来たんです」

「聖なる泉……?」

 よく分からないが、話が長くなりそうだ。有紗はその場に座りなおして、聞く体勢になる。


 ――迷いの森には、神様が住んでいる。

 その不思議な力で中に入った者を迷わせ、ひとたび森に入れば出られなくなる。そして、森のどこかに、怪我や病気をたちどころに癒す奇跡のような泉が湧いている。


 レグルスは伝説について話し、憂いを帯びた目をしてうつむいた。

「妹は原因不明の病におかされ、もう目も見えず、味覚もありません。医者もさじを投げました。それでも、僕はどうしても諦めきれなくて。供がいるとうるさいので、城を抜け出してきたのです」

「そして狼に襲われた?」

「ええ。妹を助けるどころか、自分が死んでいては意味がありませんね」

 フッと自嘲をこめて笑って、こちらを見て、眩しげに目を細める。

「しかしあなたと出会えた。これは天命だ。まだ死ぬには早いという、神のお告げでしょう。神など信じていませんでしたが、あなたに受けた大恩がある。僕は信じます。例え我が国では闇の神は邪神と呼ばれていようと、僕は自分で見たものしか信じない」

 真摯に言って、レグルスは強い目をして有紗を見つめる。

 あの悪魔のような神官と比べると、レグルスは天使に思える。目は心を映す窓だというが、これほど真に迫って感じられたのは初めてだ。

 疑ってしまう気まずさに身じろぎしつつ、有紗は気になったことを質問する。

「そのジャシンって何……?」

「邪な神という意味です。神殿は光の神を盲目的に信仰しているのですが、この世界にはそもそも六柱の神がおられます」

 レグルスのその言いかたは、なんだか引っかかった。

「え? 断言するってことは、見たことがあるの?」

「いいえ。大昔、好き勝手に願い事をする人間に嫌気がさし、神々はこの地を去りました。そして自分の領域にいるそうです。この森はその領域の一つではないかといわれていますが、どの神の領域かは分かりません」

「じゃあ、本当にいるかもしれないのね!」

 急に目の前が開けた気がして、有紗は立ち上がる。森に向けて大声で叫んだ。

「神様ー! いるなら返事をしてください。神様ー!」

 しかしいくら呼んだところで、返事らしきものは何もなかった。がっかりして、有紗は座りなおす。

「きっとここにいるのは闇の神じゃないんだわ。だって、私に言ったんだよ。『愛しい子』って」

「神子とは神の寵愛を受け、祝福をさずけられる存在ですから。神が去った代わりに、人間は神子召喚の儀をおこなって、神子をさずかるようになりました。召喚をしない国もありますが、この国では普通のことです。しかし、どの神の神子であろうと、丁重に扱わねば国が滅びます。あなたのいう神官の行いは、国への謀反に等しい」

 これも推測ではなく、断定しているようだ。

「滅ぶの?」

「ええ。歴史書に、そういう例がいくつかあります」

「えっ。それじゃあ、あなたの国、もう滅んじゃったの?」

「どうでしょうか。昨日はまだありましたが……」

 レグルスは困り顔でつぶやいて、ちらと崖があるほうを見た。

「そりゃあ、あの神官には天罰がくだって欲しいけど、関係ない人まで巻き込みたくないよ。どうしよう! 闇の神様にお願いすればいいの?」

 おろおろとする有紗の様子に、レグルスは温かい目をした。

「あなたは優しいですね。アリサを粗末にするような国など、僕は滅べばいいと思いますが」

「優しそうなのに、結構過激ね!」

 外見とのギャップに驚くが、レグルスは自国の神官に怒りをたぎらせているようだ。まるで親の仇でもいるような目で、崖のほうをにらんでいる。

「ねえ、そんなことになったら、あなたの妹さんも死んじゃうでしょ?」

「あ……。そうですね」

「レグルス、さっき、私の命の恩人だから、私を助けて守ってくれるって言ったよね」

「言いました」

 真剣な面持ちで有紗を見つめ、レグルスはしっかり頷いた。

「私は元の世界に戻りたいの。どうやったら神殿の秘密を探れるか、一緒に考えて」

「そうですね……。神子召喚の儀や重要なことは、神殿が大事にしている聖典に書かれているそうです。それを読めれば、あるいは……」

「方法が書いてあるかもしれない?」

 期待を込めて問う有紗に、レグルスはあいまいに頷く。

「そうかもしれませんし、そうでないかも。お約束はできません」

「召喚のことは書いてあるのよね! 私がここにいるんだし!」

「そうですね」

「じゃあ、聖典を読めばいいんだわ! 次はどうやって手に入れるか、よ」

 問題点を詰めていく有紗に対し、レグルスは苦笑を浮かべる。

「アリサ、ことはそう簡単ではありません。聖典は国宝のようなもの。大司祭――神官のトップしか触れないんですよ。普段は神殿の奥深く、金庫に保管されているとか……。それに、他にも問題が」

「何?」

「我が国では、闇の神は邪神です。それからその美しい、夜のような黒髪と目ですが」

「う、うん……」

 さりげなく褒められて、有紗はたじろいだ。頷いていいのだろうか。自意識過剰って笑われないだろうか。そんな思いが浮かんだ。

「そのような色を持つ人間は一人もいません」

「一人も!?」

「他国の人間とも会ったことはありますが、暗い色でも濃い茶色か赤でした。この国ですと、ほとんど茶色か金髪です。つまり、アリサを見た者は、闇の神の使いだとすぐに分かるということ。そうなると、御身に危険が……」

 つまりあの神官みたいに、有紗を殺そうとする者が現れるかもしれないのか。レグルスの厳しい表情から、有紗の予想は当たっているようだと悟る。

「髪は隠せても、目の色までは難しいわ。カラーコンタクトってある?」

「なんですか、それ」

「目に入れる道具?」

「そんなことをしたら、目がつぶれますよ!」

「あ、うん。無いのね、分かった」

 レグルスの焦りようを見ていれば、コンタクトなんてないことが分かる。

「そうだ。神様や神子がいるのが普通なら、魔法ってあるの? そしたら魔法で姿を変えたりとか」

「魔法……?」

「呪文を唱えたら、火がつく、とか。そういうなんかすごい技」

「ありませんよ、そんな不思議な力……。アリサの世界にはそんなすごい力があるのですか」

「無いよ。無いけど、空想上の本なんかで書かれているの」

「物語のことですね。あいにくとそんな力はありませんので、他に方法を探すしかないのですが……」

 レグルスは言いよどんだ。

「何? 良い案があるの?」

「一つだけ。都合の良いことに、僕は第二王子で、妃はいないんですよ」

「うん、それで?」

「尊い地位の女性は、ベールで髪や顔を隠していても問題ないんです。ですから、アリサ」

 レグルスの提案に、有紗は目を丸くした。

「ええっ、妃!? つまり奥さんってことよね?」

「そうです。身元の証明ができないアリサの場合、僕が一方的に惚れて連れてきた設定なら手っ取り早いです。溺愛するあまり、周りに顔をさらさないように言い付けていることにしたら、周りは何も言えませんよ。あなたが文句を言われたら、僕の名前を出せばいい」

「でも、そこまで甘えていいのかな……? レグルス、周りに悪く言われるんじゃない?」

 有紗はどうしても気になってしまう。

 頭では分かっているのだ。レグルスを利用するしかない、とは。だが、悪いのは召喚した神官でレグルスではないのに、レグルスに負担をかけるのはどうなんだろうか。

「優しいですね、こんな時に僕を気遣うのですか?」

「王子様なら婚約者くらいいるでしょう?」

「いませんよ。他のほとんどの王子にも。それについては、また今度、話しますね。いいですか、貴族の娘ではない、後ろ盾もない、そんなアリサを上に引っ張り上げるにはこれがいいんです」

「でも、神官のしたことの罪滅ぼしで、どうしてそこまでしてくれるの? 私が闇の神子だってバレたら、きっとあなたもただじゃ済まないよね」

 有紗のように、崖から突き落とされるのではないだろうか。同じ目にあわせると思うと、胸が重くなる。

「そのための策です。使用人では、すぐにボロが出ます。アリサを妃にすれば守りやすいので。僕はあなたに命を救われた大恩があるんです。命には命で報いるべきでしょう。命をかけてあなたを守ります。望むなら、血も飲ませてあげます」

 レグルスは有紗の右手を握り、強く訴えた。

「あなたが不信感を抱くのは当然です。それでも、どうか僕を信じてくれませんか?」

「わ、分かったわ」

 そこまで必死に言いつのられると、有紗もむげにはできない。

「でも、助けたのはたまたまなのに……。それだけでそこまでしてくれるのって、どうして?」

 レグルスは少し考えてから答えを返す。

「うーん、そうですね。あなたに惚れました」

「惚れた?」

「好きな人を助けたい。それではいけませんか?」

 レグルスが真顔で言い切るものだから、有紗は面食らった後、思い切り笑い出した。

「あはははっ、とってつけるにも程があるわよっ。分かった、いいわ、その理由で。レグルスは私が好きだから、助けたいのね?」

 あんまり清々しい態度なので、有紗は楽しくなった。重苦しい理由より、ずっと気楽だ。

「ええ、そうです」

 きっぱり答える姿に、また笑ってしまう。

 なんだか気が抜けた。

 すると急に眠気を覚え、ふわっとあくびをする。

 横たわりたい欲を抑えきれず、有紗はそのまま地面に横たわる。この一週間、ずっと気を張っていた。飲食ができてお腹が満たされ、味方ができたおかげで、肉体的にも精神的にも満たされたからだろう。

「ごめん、少し眠るね……」

「傍で守っているので、安心して休んでください」

 レグルスの穏やかな声に誘われて、有紗の意識は闇へ落っこちる。


 ――アリサ、愛していますよ。


 そんな言葉が聞こえた気がしたが、先ほどの言葉は冗談なのだから、きっと聞き間違いだ。


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