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「ヴォルガンフ、これはいったいなんの真似ですか」


 乗り込んできた男に、エドガーは困惑を隠しきれていない。


「誰、この人」

「王宮の壁画修復を担当している画家です。ヴォルガンフ・ノルガー。高名な画家を僕が訪ねていると、あなたも知ってるのでしょう?」


 あの話題の画家がこの男なのかと、有沙はしげしげと観察する。

 大柄で、明るい茶色の髪をしており、朗らかな雰囲気に見えた。しかしその茶色の目には敵愾心が満ちており、高圧的だ。


 いくら有沙が神子であるといっても、大勢の見知らぬ男の神官達に崖から落とされたトラウマがある。持っているナイフも怖くて、じりっと下がった。


「まったく、残念だよ、王子様。毒にも薬にもならないとは、あなたのような人間のことを言うのでしょうね。まあ、神子をこの場に引き止めただけ、役には立ってくれましたがね」


 ヴォルガンフは鼻で笑う。エドガーがムッと顔をしかめ、侍女も敵意を浮かべる。


「エドガー様はお母君のために必死ですのに、なんてことを言うのです! 無礼な!」

「ははっ、無礼ですみませんなあ。王宮の馬鹿女どもときたら、二言目には無礼だ。他に言うことはないのかね」

「なんですって!」


 気色ばむ侍女とヴォルガンフのやりとりを眺めながら、有沙は状況を整理する。


 よく分からないが、どうやら画家とエドガーらは仲間だったようだが、有沙とエドガーのかわした契約を聞いて、画家が怒ったようだ。

 そういえば、この画家はアークライト王国の技術を学んだと噂で聞いた。


(つまり、アークライト王国とつながりがあって、エドガー王子にいろいろと吹き込んだってこと?)


 急に、有沙の中でも全てがつながった。

 そもそもエドガーは、敵国の王女の血を引くために、ルチリア王国の王侯貴族には警戒されている。

 絵の具が毒薬の材料になるという知識を得るのはもちろん、アークライト王国に逃げるためのルートの確保なんて、独断では難しいはずだ。


 年若い王子の行動など、この王宮の老獪な大人達にはあっさり看破されるだろう。


 そうならなかったということは、手引きした者がいたのだ。母親のことで悩んでいる少年に手を差し出されれば、他に味方のいない彼は迷いつつも転がり落ちるだろう。


「エドガー王子、あなたに私を手土産にアークライト王国に帰ろうとそそのかしたのは、その男?」

「なぜ」


 分かったのか。エドガーはそう言いたげに、顔をこわばらせる。

 ヴォルガンフが笑う。


「聡明な娘さんではありませんか。あっさり見抜くとはね」


 しかし、その笑みは忌々しげなものに変わった。


「俺達に必要なのは、アークライト王国のための神子なんですよ。ルチリアからの援助ではないってことです、王子様」


「何を言ってるんですか。お母様が故郷に帰れるように手助けしたいと、そう言っていたではないですか」


「神子を手土産にして、王宮の宮廷画家に取り立ててもらうつもりでいたんですよ。エドガー王子、あなたは一つ忘れていることがあります」


「なんです?」


 エドガーは戸惑いつつも、ヴォルガンフには丁寧に接する。態度をどうすべきか、決めかねているみたいだ。


「マール側妃様は、王命で嫁いだ。同盟の人質として。王の許しもなく国に戻れば、反逆罪ってことだ」

「な……んですって」


 絶句。そんな様子でエドガーは息を飲む。侍女の顔色も変わった。


「あなたは分かっていて、エドガー様とマール側妃様をアークライト王国に連れていくと約束したというの⁉」

「無事に連れていくとは言ったが、国についた後までは知らねえよ。約束してない」

「詭弁だわ!」


 怒る侍女のことも、ヴォルガンフはさして気にしていない。


「あなたはこの国の人間ではないの?」


 有沙が気になったのは、ヴォルガンフの素性だ。王宮を出入りできるのだから、身元はしっかりしているはずだ。アークライト王国とつながりがあれば、警戒されるはずである。


「そうですよ。しかし、あちらの神子復活派に依頼されたんですよ。神子を保護したいから手伝えとね。地位を約束してくれました」


「神子復活派? どういうことよ。召喚の書物は焼いたんじゃなかった?」


「ええ、そうですよ。それでもまだ、神子を取り戻したいと願う者がいる。闇の神子様は、ここで神官にひどい目にあわされたのでしょう? 一緒にアークライトまで来てくだされば、 豪遊させてくれると思いますよ」


 つまり、それだけの大物が、ヴォルガンフのバックにいるらしい。


「いらないわよ。私はレグルスがいればいいの」

「あんな影の薄い王子といるより、よっぽど良い生活ができると思いますがね」

「ちょっと! それ以上、レグルスを馬鹿にしたら怒るわよ!」

「まったく。ご理解いただけないとはね。最初の予定通り、神子を奪うしかないようだ」


 そして、ヴォルガンフは急に動いた。有沙がビクッと首をすくめた時、ヴォルガンフはエドガーの腹部にナイフを突き立てた。


「えっ」


 有沙とエドガー、どちらの声だったのか。


「エドガー様!」


 侍女が悲鳴を上げ、有沙は頭が真っ白になる。エドガーが膝から崩れ落ちるのを見て、有沙は無意識に手をさしのべようとし、ヴォルガンフにはばまれた。


「さて、どうしますか、神子様。一緒に来てくれますか?」

「何を言ってるの、そこをどきなさい!」


「駄目ですよ。こんな王宮で危ない橋を渡ってるんだ。当然、担保がいる。この王子が目論見通りに動かないなら、こんなふうに役立ってもらわないと」


 清々しいほどに分かりやすい、ヴォルガンフの自分勝手さに、有沙は怒りよりも驚きが強かった。

 王子ですら、物扱いされている。人の命が軽い。いや、そもそもあきらかに、現代日本よりも、薄っぺらい扱いだ。


(こんなの、あのクソ神官と変わらないじゃない!)


 何が神子復活派だ。重んじるか軽んじるかの差があるだけで、彼らも有沙を都合の良い道具程度に見ているのだ。


 そして、今、有沙の前で、エドガーの命が天秤にかけられている。

 エドガーの服には血がにじみ、エドガーは苦しそうに息をしている。侍女は青ざめておろおろし、ヴォルガンフは静かにこちらを見すえていた。


「いいわ、アークライト王国を助けてあげる」


 ヴォルガンフの顔に喜悦が浮かんだ瞬間、有沙はエドガーの怪我からまとわりつく黒いもやをつかんだ。


「ただし、エドガー王子と約束した通りにね! これでもくらいなさい!」


 有沙がヴォルガンフの体に黒いもやを押しつけると、ヴォルガンフはきょとんとした。


「え……?」


 カランと音がして、エドガーに刺さっていたナイフが落ちる。

 エドガーの怪我が治った代わりに、ヴォルガンフの腹が血に染まった。

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