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十一章 毒の在り処 1



 正直、有紗はこんがらがってきた状況を持て余している。精神的に疲れたため、レジナルドに一日の休息を願い出た。

 ヴァネッサのために早く片をつけたいが、闇雲に動いてもしかたがない。

 有紗がエドガーの命を救ったため、レジナルドはそのお礼にと快く許可してくれた。

 エドガーの事件があった翌日、居間の長椅子で、有紗はクッションにもたれて、だらっとする。


「疲れたわぁー」

「アリサ、体調が悪いのですか?」


 ぎょっとなったレグルスが、素早く近寄ってきた。有紗の額に手を当て、顔色をチェックするので、有紗は手を振る。


「精神的なことよ。この数日、いろいろとありすぎたわ」

「確かに……」

「レグルスは大丈夫?」


 邪気は見当たらないが、心労になってはいないだろうか。


「王宮の闇には慣れていますので」

「よくすれなかったわねえ」

「すれてましたよ? アリサに会って、目が覚めたんです」


 レグルスは苦笑を浮かべ、ヴァルトの名を上げる。


「弟が言っていたでしょう? ネズミみたいにこそこそしてたって。母上のことは大事ですが、血筋のことで恨んだこともあります」

「そうなの?」


 思いもしないことだったので、有紗は身を起こした。


「母上よりも、父上を。僕達に優しくしてくださっても、喜べなかった。母上を愛していると言いながら、こんな冷たい場所に母上を閉じ込める父上の考えが、昔はさっぱり分からなかったんです。今なら少しくらいは分かりますが……。愛してしまったら、どうしようもないんですよ」


「ふふ。まあね。私もレグルスにほだされちゃったしね。地獄までついてくるなんて言われたらね」


 愛と呼ぶには、少し歪かもしれない。でも有紗には、レグルスの執着はいっそ心地が良かった。元の世界に帰れなくても、ここに居場所があるのだと、はっきり分かるから。

 その点、王宮で見た王と妃達の現実は、有紗の胸を重くさせる。


「はあ。なんだか、後宮のお妃様達がかわいそうだわ」

「王侯貴族ならば、国のためと割り切っているものですが……」


「そうかな? マール側妃様みたいに、泣く泣く嫁いできた人もいるみたいよ。あんなふうに心が病むほどつらいのね。敵国に嫁がされるのを、父親に捨てられたって思うくらいでしょ」


 むしろ、マールを傷つけているものは、後宮でのことではなく、親との関係性なのかもしれない。あくまで有紗の想像に過ぎないが。


「……そうですね。いつ暗殺されるとも知れないですし、頼みは父上の情だけ。苦しいですよね」

「ちょっと気になるから、今日も様子を見に行こうかな。エドガー王子の毒が抜けきっているかも確認したいし」

「分かりました。では、先触れを出しておきましょう」


 有紗の言うことに思うことがあったのか、レグルスは特に反対しなかった。


「返事が来るまで、私とのんびりしましょ」

「ええ」


 王宮に来てから、レグルスをはらはらさせ通しなので、妻としては、たまにはレグルスを甘やかしたいところだ。

 レグルスがエドガーの別宮に使いをやると、有紗は膝をポンと叩く。


「はい、横になって。膝枕をしてあげる」

「そんな(うわ)ついたことをしていいんでしょうか?」

「良いに決まってるでしょ。恋人や夫婦がこういうことをしないで、誰がするのよ。レグルスってば、いつもあなたが言ってることのほうがよっぽど恥ずかしいのに」


「本音を語るのは、特に恥では」

「その価値観、おかしい! もういいから、座る!」

「……はい」


 気まずそうにしていたレグルスだが、有紗がビシッと隣を示すと、素直に腰かけた。恐る恐る横になるので、有紗はちょっと無理矢理膝に誘導する。


「ねえねえ、どんな感じ? やっぱり膝枕って良いものかしら」

「ええ、こんな真似をされたのは、子どもの頃以来です。ですが、ちょっと怖いですね」

「なんで?」

「痛くないですか? 無理をして僕を甘やかさなくていいんですよ」


 心配そうに見上げるレグルスに、有紗はにこりと笑みを返す。


「とっても楽しいわ」

「なら、良いですけど」


 それでようやく、レグルスは肩に入れていた力を抜いた。頭の重みが膝にずっしりきたが、有紗は気にしないことにした。

 窓からは穏やかな朝の光が差し込み、庭で揺れる木々の葉音や小鳥のさえずりが聞こえてくる。のどかで平和だ。


「レグルスはこんな王宮で育ってきたのよね。私もレグルスも、いろんなことがあったけど、私達は幸せになれるわよね……?」


 こんなふうに平穏な日々を送るのが、有紗の望みだ。レグルスは不思議そうにこちらを見つめる。


「その言い方は変です、アリサ」

「えっ」


 まさかそう返すとは思わず、有紗の心臓がはねる。「まさか、将来に不安を……?」と心配になった時、レグルスは目を閉じて、口元に薄らと笑みを浮かべる。


「僕はアリサといるだけで、すでに幸せなので。きっと、ずっとそのままです。アリサもそうであったらいいなと思います」

「私だってそうよ。もうっ、びっくりしたじゃないの」


「心配はありますけどね。神子は老いないそうですが、僕の時間は進んでいく。いずれあなたは若い男のほうが良いと思うかもしれない」

「嫌なことを言うわね。私がレグルスを好きになったのは、外見だけじゃないわ。でも、顔も好きだから、そこは否定しないけど。年をとったって、きっとかっこいいんでしょうね」


 レジナルドとそっくりだとしたら、将来も有望だ。


「アリサが褒めてくれるなら、この地味顔で良かったと思いますよ」

「いや、派手さはないけど、レグルスだって顔は整ってるわよ? 見れば見るほど味が出るっていうのかな。昆布みたいな?」


「コンブ? なんですか、それ」

「海藻を乾かしたものよ。それでお出汁をとってスープにするの」

「そうですか、スープですか」


 耐えられないとばかりに、レグルスはくすくすと笑う。


「ありがとう、アリサ。あなたと話していると、僕は自分のことも少しだけ好きになれます。そう思わせてくれる存在に会えて、本当に感謝しています」

「どういたしまして。でも、こういうのはお互い様だと思うわ。私だってそうよ。レグルスがたくさんくれるから、返したくなるの。大好きよ」


 つい、ぽろりと告白すると、レグルスが急に起き上がった。顔が赤い。


「……アリサ。僕は結婚式まで手出ししないと決めているので!」


 有紗は頬をふくらませる。


「何よ、私が良いって言ってんのに!」

「駄目です。貴婦人の名誉は守らないと!」

「レグルスの頑固者!」

「なんとでも言ってください」


 せっかく良い感じだったのに、レグルスは稽古でもしてくると言って逃げてしまった。

 ヴァネッサの平和だけでなく、結婚式のためにも、この事件を解決しなくてはと、有紗は改めて気合を入れ直した。


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