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 翌朝、有紗はレグルスと居間で準備をしていた。

 報告書をたずさえて王の執務室を訪ねるため、使いをやったところだ。返事を待っていると、やがて騎士が扉を叩いた。

「思ったよりも早かったな。陛下はなんと?」

 レグルスが問うと、騎士は首を振る。

「いえ、別件のお知らせにまいりました。ヴァルト殿下の婚約者ユリシラ・ホーエントの部屋から、例の化粧水が見つかったのです。ユリシラ嬢が地下牢に入れられると、ヴァルト殿下が自分のたくらみだと白状したとのこと」

「ヴァルトが?」

「本当に?」

 レグルスと有紗は同時に質問をする。

 ヴァルトの態度は、たしかに怪しいものだった。しかし、彼は警戒されていて王妃の間に近づけないし、使用人からの話でも、準備中のパーティー会場に来た様子すらなかった。

「どうして、今になって分かったの? この間、近衛騎士が王宮中をひっくり返していたはずでしょ」

 有紗の問いに、騎士は返事に困った。

「申し訳ありませんが、私はただの伝令ですので」

「アリサ、詳しくはヴァルト本人に聞くとしましょう。父上に報告書を渡して、面会許可もとればいいかと」

「そのほうが早そうね。分かったわ」

 レグルスの提案に乗ることにした。

 それからじりじりと返事を待ち、ようやく王に会えたのは、昼近くになってからだ。大事な会議があったようだ。報告書を渡し、その足で地下牢へ向かう。

 牢獄は王宮の敷地の西端のほうにある。地味な灰色の建物がそうだ。王宮内での犯罪の他、政治犯や重罪の者が入れられ、裁判を待つ場だ。時には血なまぐさい拷問にかけられることもある。

 上の階には貴族牢があるが、有紗達が向かうのは地下だ。薄暗さと湿気た空気、漂う黒いもやに有紗が尻込みしていると、レグルスが気遣いを込めて問う。

「別宮で待っていてもいいんですよ?」

「ううん、行くわ。二人の様子が気になるし」

 もし、ひどい怪我をしていたら……。

 そんなことを考えて、有紗は嫌な気持ちになった。

 邪気を取り上げて治してあげてもいいが、その前にどういうことか確かめなくては。

「レグルスはどう思う?」

「なんとも言えませんね。ただ、タイミングが変だとは思います」

 有紗も、違和感がある。

 ヴァルトの態度はチンピラみたいだが、もし化粧水があったのなら、パーティーの直後でなければおかしいのではないだろうか。

(それとも、隠していたのが表に出てきたとか?)

 ユリシラは薬草オタクだという。毒を盛った犯人だとして、普段から取り扱いに慣れている人間が、そんなへまをするだろうか。そもそも、真っ先に疑われるだろうから、彼女が動くのは自殺行為にしか思えない。

 牢番の持つ明かりを頼りに、重罪の者が一時的に拘留されるという牢に向かう。ガイウス、レグルス、有紗、ロズワルドの順に歩みを進めると、通路の片方に鉄扉が並んだエリアに着いた。

「まったく、馬鹿だと思っていたが、本物の大馬鹿者だな、お前は!」

 奥の鉄扉が開いて、ルーファスが怒鳴りつけながら出てきた。ガシャンと激しい音を立て、扉が閉まる。牢番が鍵を閉めるのを待たず、ルーファスはきびすを返し、足音も荒くこちらに向かってきた。

 険しい顔で物思いに沈んでいたルーファスは、有紗達に気づくと冷静な顔に戻った。

「これは失礼。レディの前で、とんだ醜態を」

「弟さんに会いに来たの?」

「調査のために。ヴァルトは馬鹿なことをしでかしたものだ……」

 ルーファスは溜息をつき、有紗にお辞儀をして、横をすり抜けていった。その背を見送り、有紗はレグルスをうかがう。

「ええと、本当にヴァルト王子が悪いってこと?」

「さあ。あれだけでは、なんとも」

 とりあえず会ってみようということになって、鉄扉を開けてもらう。

「まだ何か用があるのか、兄上。……あ?」

 簡易ベッドに座っていたヴァルトは、服装こそ王子らしい立派なものだが、くたびれているように見えた。

「今度はレグルスのほうか。神子さんまで、こんなむさくるしい場所に、いったいなんの用だ?」

「ユリシラ・ホーエントの部屋から、あの化粧水が見つかったそうだね。それで、ヴァルトの計略だって聞いたけれど、どういうことかな」

 レグルスが問うと、ヴァルトはこちらをじっと見た。

「何を聞きたい?」

「実の母親に毒を盛って、君になんの得があるんだ?」

「俺をいないもの扱いしている女に、いっぱいくらわせただけだよ。ユリシラは関係ねえ。俺が悪いんだから、あいつのことはとっとと解放しろ」

 腕を組み、ヴァルトはそっぽを向く。

 有紗はずばり問う。

「もしかして、ユリシラさんをかばってるの?」

「は? なんで、俺が女なんかのために!」

「でも、どう見ても彼女はあなたを慕ってるでしょ。自分のことを馬鹿にするだけの男なんて、普通、女は好きにならないわ。実際のところ、何があったのよ」

 ヴァルトは黙り込んだ。不愉快そうに、眉を寄せる。

「なんなんだ、偉そうにするなよ」

「闇の神子なんて、偉いに決まってるでしょ」

 つい売り言葉を買ってしまう。有紗が堂々と言い切ったので、傍にいるレグルス達が小さく噴き出した。ヴァルトはへんてこなものを見るような顔をして頷く。

「……まあ、そうだな」

「でしょ! ねえ、これがまずい状況って分かってるの? 処刑されても知らないわよ」

 有紗はレグルスをちらっと見た。ぜひとも援護して欲しい。レグルスは一つ頷き、忠告する。

「ヴァルト、君だけでなく、ホーエント嬢も巻き添えだ。毒を準備しただけでも重罪だよ、分かってるだろ」

「あいつはそんなことしねえよ! ただの薬草オタク! よく分からんコケを採取しては、瓶を眺めて、にやにやと笑ってる変な奴だよ。気持ち悪いだけで、害はねえ!」

 ユリシラ、さんざんな言われようである。

 あんな美少女が、コケを眺めてにやにやしているだなんて、どうも想像ができない。

「それなのに、なんでか部屋から化粧水が見つかったんだ。罠だって分かった。俺ならまだ情状酌量の余地はあるが、あいつは極刑だ。それで……」

「とっさに嘘をついたの? 馬鹿じゃないの?」

 有紗の言葉に、ヴァルトは立ち上がる。

「あんだと、くそ生意気だな、てめー!」

「アリサ、刺激しないで」

 レグルスが有紗を背にかばい、有紗の軽口をとがめた。有紗はレグルスの背中から顔を出して、ヴァルトに言い返す。

「調べるように言えばいいだけでしょ、もうっ、状況を悪くしているだけじゃないの。ルーファス王子が怒ってたのは、このせいだったのね」

「うるせえな。俺が普通にかばったところで、誰が話を聞く? 王宮のこともよく知らねえ、くそ女!」

「はー? こっちは、お偉い神官のせいで迷惑をこうむったのよ。陰湿なのは知ってますぅー!」

 二人が言い合いをしていると、ロズワルドが皮肉っぽく口を挟む。

「実に低レベルですね。時間の無駄なんで、そこまでに」

「「うるさい!」」

 ロズワルドにムカついて、有紗とヴァルトは声をそろえた。レグルスはヴァルトに苦情を言う。

「ヴァルト、アリサと仲良くするのをやめてくれませんか」

「仲良くねえだろ。なんでそうなるんだ、お前、恋愛で頭がわいてるだろ」

「む……。確かに、アリサのことで頭はいっぱいですけど」

「なんで照れるんだよ! やめろ!」

 ヴァルトは心底嫌そうに言い、疲れた顔でベッドに座る。

「はあ。ったく、お前、ずいぶん変わったな。いつも湿気た面して、鼠みてえにこそこそと歩いてたくせによ」

「周りに見つかりたくなかったのに、君に呼び止められて、馬鹿にされたのはいい迷惑でした」

 レグルスも負けじと言い返す。ヴァルトはふんと鼻を鳴らすだけだった。それから面倒くさそうに溜息をつき頭をがしがしとかき回す。観念したのか、心の内をこぼした。

「俺は、王妃のことなんか興味もねえよ。うぜえから、俺には構わねえほうが気楽だね。ルーファス兄上を見てみろよ。ことあるごとに呼び出されて、愚痴だのなんだのに付き合わされてんだぜ」

「それでは、毒の件は、君ではないんですね?」

「ああ。お前らが信じるかは、ともかくな」

 ヴァルトはどうせ信じないのだろうと言いたげに、こちらをにらんだ。

「ユリシラ嬢は? 王妃に恨みがあるとか」

「だから、あいつは薬草オタクなんだって。人間のことはさほど興味がねえよ。放っておくと、身なりも地味でくそやばいんだぞ。俺の婚約者だってのに、ドリアードみてえに、あちこちに葉をくっつけて……それだけならまだましだな。虫にキノコに、ゾッとする」

 急に、ヴァルトはおぞましげに身を震わせた。

 もしかして、彼女は残念な令嬢なのだろうか。

「あんな真似したら、薬草の研究ができなくなるから、まず、しねえよ」

 想像以上のオタクぶりみたいだ。

「どう見ても深窓の令嬢なのに、意外だわ」

「そもそも、風見鳥のホーエント家だぞ。あいつらはそろいもそろって臆病だ。暗殺なんかできるか」

 このご時世で生き残っているのが奇跡とまで、ヴァルトは酷評した。

「俺はどういう経緯で、あいつの部屋に化粧水が現れたんだか知らねえから、ユリシラに聞け」

「そんなにいい加減で、よく自分が犯人だと言い張れたものですね」

 レグルスの呆れっぷりに、ヴァルトは頬杖をついて返す。

「自白したんだから、終わりだろ。近衛騎士の聴取は、結構お粗末だったぜ」

「とりあえず、事態をはっきりさせるまで、ここにいるしかない。自業自得だ」

「早いとこ、頼むぜ」

「そういえば、ヴァルトやユリシラ嬢は絵を描きますか?」

 予想外の質問だったようで、ヴァルトはけげんそうにこちらを見た。

「絵? 俺がそんなもんを描く柄に見えるか? ユリシラは薬草のスケッチをしていたが」

「では、絵の具を使う?」

「いや、黒いインクで書いてたぞ。それ以外だと、実物を押し花にしてた」

「詳しいですね」

「あいつの部屋がくそきたねえから、片づけを手伝ったんだよ」

 ものすごく嫌そうに言って、ヴァルトは追い払う仕草をした。

 牢を出ると、有紗は首を振る。

「なんか、意外と面倒見が良いのね、あいつ」

「僕としては、ユリシラ嬢のずぼらさがのほうがびっくりですよ」

 端から見ると、美しい令嬢が、チンピラ王子に連れまわされている感じだが、実際は駄目な令嬢を世話しているとか。人って見かけによらない。

「政務では、兄君がかなり助けているというのは、王宮ではよく知るところですがね」

 ロズワルドが言ったが、ヴァルト達のことはとりあえず置いておくことにした。

「次はユリシラさんの所に行きましょ」

「ええ」

 牢番に案内を頼むと、出入り口側の鉄扉を開けてくれた。


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