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十章 毒を追いかけて



 翌日は、朝からよく晴れていた。

 城下町に調査に行くには、とても具合が良い。

 有紗は緑色のドレス(コタルディ)を、レグルスは灰色の上着と黒いズボンという地味な装いをして、商人の若夫婦っぽい服装をした。護衛のガイウスとロズワルド、侍女としてモーナを連れているが、王都見物に来た夫婦の付き添い程度にしか見えないだろう。民を怖がらせるといけないので、有紗は髪をしっかりと覆い隠している。

「せっかく綺麗なのに、隠すなんてもったいない」

 お忍びのつもりだったのに、きらびやかな格好のルーファスのせいで、いろいろと台無しだ。有紗とレグルスは、ルーファスに冷たい視線を向ける。

「いや、なんで一緒に来るのよ」

「そうですよ、兄上」

 ルーファスはひょうひょうとかわす。

「たまたま、調査先が一緒だっただけですよ、アリサ様」

 その答えに、レグルスは納得していない。

「配下にしか行先を教えていないのに、どうして知ってるんですか」

「王宮内で、私に隠し事なんかできないよ、レグルス」

 ルーファスはにこりと笑ったが、有紗とレグルスの肝は冷えた。

(こわっ)

 どうやらこちらの行動は、ルーファスには筒抜けのようだ。

 彼のことはさっぱり分からないのに、彼はこちらを把握しているなんて、不公平ではないだろうか。有紗はもやもやとしてしかたがない。澄まし顔にヒビを入れたくなって、ずばり問いかける。

「ルーファス王子には、もしかして犯人の目星がついているの?」

 少しの動揺を見せることを期待してじっくりと観察する有紗に、ルーファスは思案げな視線を返す。

「まあ……あなたが疑っている人は違うだろうと思っていますけどね。まだ確証はありません。そもそも、証拠がなければ罪に問えない」

「それって王妃様の自作自演のこと? 怪しすぎるわ」

「母上と弟のことですよ。母上が怪しいのはしかたありませんね。ヴァネッサ様を嫌っていますから。しかし、母上はあれで気が小さいので、命までは狙いません。せいぜい、病気と疑わせて王宮から追い払うくらいです」

「どこが気が小さいのよ。陰湿じゃないの」

 有紗のツッコミにも、ルーファスはにっこりするだけだ。

 腹黒という単語が、有紗の頭に浮かんだ。

「ヴァルトが母上をおとしいれる? それもないですね。弟は口と態度は悪いが、根は悪くないので。まあ、賢くはないですが」

 有紗がヴァルトを不審に思っていることも知っているみたいだ。

「失礼じゃない?」

「正当な分析です」

 有紗はレグルスのほうを見た。

 彼も同意しかねるのか、複雑そうな顔をしている。

「兄上が二人をかばっている……という見方もできますが」

「そうとも言えるね」

 まったくはっきりしない。なんともくえない男である。

「ところでアリサ様、弟といえば、エドガーの絵を見ました?」

「エドガー王子? あのきれいな新緑の絵のこと?」

「そうです。何か気づきました?」

「絵が上手だと思ったくらいよ」

「もしかして、黒いもやは見えなかったんですか?」

「邪気のこと? 見えなかったわよ」

「ふうん。……思い過ごしかな」

 要領をえないつぶやきだ。有紗が不審に思うのだから、レグルスだって同じだ。

「エドガーがどうしたんですか?」

「彼、鉱脈探しをしているそうだよ。国の利益になるから、王位争いの点数稼ぎにはいいかもね。でも、鉱山は王のものになるだろう? 勝負に負けたら取り上げられるだけで、ただ働きになってしまう」

「その噂なら知っていますよ。結局、見つかっていないんでしょう? 金をかけているせいで、利益どころか赤字になりそうだとか」

「うん、それでどう思う? 弟は、何をしたいんだろうね」

 たしかに、国益はあってもエドガーに有利でないのなら、あまり意味がない目的に思える。

 次の国王はルーファスではないかと思われているのだ。いくら公平な勝負といっても、敵国の血を引くエドガーを次の王にしたいと思う臣下は少ないだろう。そうなると、自分の利益を確保に動くのが賢いというものだ。

(それと、なんで絵のことを聞いたの?)

 ルーファスの考えていることが、有紗にはよく分からない。

「鍛冶屋に着きましたよ」

 そこでルーファスは話を変えた。とりあえず、疑問は横に置いておくことにして、有紗とレグルスもルーファスに続く。

 広々とした一画は、塀で囲まれている。中からカンカンと金属を叩く音が響いていた。有紗は通りを見回してみたが、他に似たような店は見えない。

「鍛冶屋さんって他にもあるの?」

「いえ、王都ではこのエリアだけですよ。火を扱う関係で。ここは王宮が運営しています。つまり、この近辺で王宮内に品物を仕入れるなら、この鍛冶屋しかありません」

 レグルスが鍛冶屋に行こうと言い出したのは、そのせいらしい。



「最近、ヒ素を誰に売ったか、ですかい?」

 鍛冶屋の親方は、弟子に帳面を持ってこさせた。

「王宮には売ってないですよ。鼠対策として農家が買ったのと、貿易商にいくらか。銅の精錬をしてたら余るってのに、よそに持っていって買ってくれるものですかねえ?」

「よそというのは?」

 レグルスの問いに、親方は首を傾げながら答える。

「アークライト国だそうです」

「はい、アウトー!」

 思わず有紗が叫んだので、親方がぎょっとした。

「あうと?」

「駄目って意味よ。もーっ、なんてことしてくれてんの、その商人!」

 親方は困惑顔だったが、帳面をさらにめくる。

「それから、絵の具屋に売りましたね」

「絵の具?」

「石黄っていう鉱物がありまして。銅を精錬していると出てくるヒ素とは違うんですが、こっちもヒ素ですね。淡い黄色の塗料になるんです」

 レグルスが有紗の傍でささやく。

「それから、毒薬の材料にも」

「レグルス、詳しいわね」

「毒の危険については、王宮で一通り教わっていますよ」

「怖い。怖すぎるわ、王宮……」

 ぶるりと震える有紗に、ルーファスが声をかける。

「ああ、あれですよ、アリサ様」

 木箱の中に、黄色いような琥珀色のような鉱物が入っている。

「へえ、これがそうなの? 無造作に置きすぎじゃない?」

「注文された分ですよ。あとは引き渡すだけなんで。それ以外は倉庫に置いています」

 もうすぐ問題の貿易商が来るというので、ちょうどいいので、有紗達は待たせてもらうことにした。


「そのヒ素、アークライト国で売る予定だそうですね」

 品物を受け取りにきた商人は、レグルスの質問にけげんそうにした。

「そのつもりだが、君はいったいなんだね、藪から棒に」

「失礼。レグルス・ルチリアと申します。そちらは兄と妻ですね」

「で、殿下!?」

 商人はレグルスよりも、ルーファスがいることに驚いたようだ。

「アークライト国ではヒ素入りの化粧水が出回っているとか。ご存知ですか?」

「需要がある所に行って、売る。それの何が悪いんです?」

「いえ、商売の鼻がきくようで何よりです。どの辺りでよく売れるのでしょうか。よかったら、食事でもしながら話しませんか」

 レグルスは穏やかな態度で、そんなことを切り出した。

「ちょ、ちょっと、レグルス」

 有紗は眉をしかめる。

(いやいや、糾弾するほうが先でしょう!)

 憤慨する有紗に、レグルスは困ったように微笑みかけ、耳元でこっそりとささやく。

「事態を把握するほうが先です。僕に任せておいてください」

「あなたがそう言うなら……」

 何か考えがあるみたいだから、有紗はしぶしぶ意見を引っ込めた。レグルスは商人と再び向き直る。

「実は他国との流通について勉強中でして。よければご教示願えませんか」

 レグルスがひかえめな態度で話しかけると、警戒を見せていた商人は動揺を見せた。

「わ、私が王子殿下に教えを……? は、はい! できる範囲でよろしければ!」

「それは良かった。アリサ、絵の具屋のほうをお願いしても? ロズワルドあたりが詳しいかと思うので……」

 レグルスがそう言いかけたところで、ルーファスがにこやかに割り込んだ。

「私が詳しいから、お供するよ」

「兄上、余計な真似はしないでくださいよ。アリサ、危険を感じたら、お力を発揮してかまいませんからね」

「失礼だな」

 ルーファスは愚痴を返す。

 レグルスは心配そうにしているが、有紗に調査を任せるつもりのようだ。信頼してくれていると分かって、有紗はがぜんやる気になった。

「こっちは任せて! それじゃあ、勉強をがんばってきてね」

 偶然とはいえ、貿易商と直接会えたのだ。この幸運を無駄にすることはない。有紗は話を合わせて激励すると、鍛冶屋に絵の具屋の場所を聞いてから、店を出た。

 絵の具屋はすぐ近くのようなので、供を引き連れ、ルーファスとともに通りを歩いていく。さりげなく距離をとる有紗に、ルーファスが話しかける。

「そう緊張しなくても、無理強いなんてしませんよ、面白くな……不作法ですから」

「誤魔化せてないわよ。面白いって何!? つまり、私をからかって遊んでるの?」

 他人の感情をゲームにするやからは許せない。有紗がルーファスに氷のような視線を向けると、ルーファスは両手を上げた。

「落ち着いてください、姫。怒っても、綺麗だなとしか思いません」

「なんなの、この兄弟は! 褒めたって何も出ないし、私はそんなに美人じゃないのは分かってるから、逆にへこむのよ。持ち上げるのはやめてよね!」

「レグルスが言うと、嬉しそうなのに?」

「あの人は嘘をつかないもの」

「この件に限っては、私も嘘はついていませんよ」

「ルーファス王子、あなた、本当にうさんくさいわね!」

 まったくつくろわない有紗の本音を聞いて、ルーファスは笑い出した。

「嘘をつかないと言ったら、嘘になるので。そのほうが信じられないのでは?」

「……まあ、一理あるわね」

「まったく、レグルスは変なところで気が回らない。そんなに心配なら、アリサ様の傍に張り付いていればいいものを」

「信頼してくれるのは、嬉しいわ。仕事を任せてくれるのもね。付き添いがなければ何もできない子どもじゃないんだから。それに、侍女も護衛も傍にいるわ」

 有紗がモーナやロズワルドのほうを振り返ると、モーナがにこりと微笑んだ。レグルスは護衛としてガイウスだけを連れて別行動をとっている。

「というより、あの商人にあなたを近づけたくなかったんでしょう。毒に使われると分かっているのに、よそで売ろうとするなんて、良心が欠けている。商人は利益を得る。当然のことですが、他人を不幸にする者は悪徳商人と呼ぶんです」

「危険だから、レグルスだけで乗り込んだってこと?」

「ええ。それから、消去法でしょう。私は外交を担当しているので、商人との取引は慣れていますが、だからこそ、私に任せるには信用できなかった」

「何もかもお見通しってわけ」

「王に向いているでしょう?」

 有紗がルーファスを見ると、ルーファスはくえない笑みを返した。

「残念だけど、私はレグルスの味方なの。王位争いは別として、今は毒について調べなきゃ」

「それから、黒いもやが見える時と見えない時の差も。ああ、このにおい、絵の具屋で間違いないですね」

 こぢんまりとした石造りの店は扉があいており、中からなんともいえない独特なにおいがした。

「何、このにおい」

「にかわでは?」

 にかわとは、動物の足の腱などを熱して溶かしたもののことだ。絵の具は色のついた石を粉にして、接着剤となるにかわや油と合わせたものを指す。

「にかわねえ。油絵の具じゃないのね」

「どちらもあるのでは? ああ、中はアトリエにもなっているようだ」

 ルーファスがずかずかと店に入っていき、有紗はそれに続いた。店の中は、壁に棚や引き出しがたくさんあった。石のかたまりがそのまま置いてあったりして、雑然とした印象を受ける。

 奥の窓際、明るい場所で、男が背丈ほどもある板に絵を描いていた。

「何かしら、あれ。文字と絵が描いてあるわ」

「劇の看板のようです」

 有紗の疑問に、ルーファスが答える。それから、ルーファスは集中していて客に気づかない男へと声をかけた。

「こんにちは、ちょっといいかな」

「おや、お客さんですか。少々お待ちを。よし、これでいい。何かご用ですか?」

 ひげを生やした男は筆を置くと、こちらに歩いてきた。ルーファスが用件を告げると、王子が来たことにたちまち萎縮し、店主はおどおどし始めた。

「ヒ素ですか? 最近は石黄が売れたばっかりですね、だから鍛冶屋から買い入れたのですよ。王宮から注文をいただいて、引き取りにきた侍女に納品しました」

「王宮に? 誰の注文だったんだ?」

 ルーファスの問いかけかたが少し威圧的だったので、店主はさらに縮こまった。

「やんごとない方だとしかお聞きしておりませんよ。亜麻色の髪の女性で、お忍びといっても質の良い服を着てらっしゃったので、下働きではないかと」

「亜麻色の髪の女ねえ。王宮にはごろごろしている。他には何かないのか?」

「銀の指輪をしていましたよ」

 ルーファスは無言で首を振った。たいして役に立たない情報だと、暗に示している。顔色が悪くなっている店主がかわいそうになったので、有紗は場をとりなした。

「教えてくれてありがとう。石黄ってどんな絵の具なの?」

「あ、はい、奥様。こちらです」

「この人の奥さんじゃないからね!」

「ひぇっ、すみませんすみません!」

 逆に店主をびびらせてしまったが、大事なことなのでしっかり訂正しておいた。

 石黄のかたまりと、粉にしたものを見せてもらった。

「ハンマーで小さくしたものを、こちらの道具ですり潰すんですよ」

「へえ。そういう絵に使うの?」

「壁画に使うことが多いですね。聖堂の天井画なんかがそうです。でも、これには毒があるので、気を付けないといけませんが」

 有紗が興味津々だと感じたのか、店主は絵のほうに手招いて、どんなふうに絵の具として使っているかを見せてくれた。

「この黄色がそうですよ」

「意外と、粒が荒いのね」

「そういう絵の具なので。貴族の方は、趣味で絵をたしなむこともおありでしょう? いかがです、奥様も試してみませんか。初めてなら、このあたりの画材がいいですよ」

 さすがは商人だけあって、なめらかなセールストークだ。

「私、絵心がないのよね。ごめんなさい」

 うさぎの絵を描いて、熊かと聞かれるレベルなので、丁重にお断りしておいた。


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