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「そんな瓶、知りませんわ!」

 レジナルドとともに王妃の間に行くと、王妃ローラは顔を真っ赤にして怒った。

「わたくしを陥れようとしているのは誰なの?」

 王妃は少しの汚れも見逃さないとばかりに、侍女をにらみつけた。侍女達は震え上がっている。

 そんな王妃の様子に、レジナルドはため息をついた。

「さすがに行き過ぎではないか。王妃という立場なのに、側妃を目の敵にするとは……。このままでは、共に国を治めていくパートナーとして信用できぬ」

「陛下、わたくし、本当に知らないのです!」

 王妃は必死に言い張り、瓶が見つかった場所を示した。

「あんな物入れ、わたくしは触りませんもの。そもそも、わたくし、しばらく誰とも会っていないんですよ。部屋の外に見張りをつけて、謹慎させていたのは陛下でしょう?」

「しかし、そこに化粧水がある」

「陰謀ですわ! ヴァネッサではないかしら。闇の神子を味方につけて、調子に乗っているのだわ」

「どうして彼女が、わざわざ策略をしてまで、命を危険にさらす真似をするのだ。間違いがあれば、王妃がすぐに処刑と騒ぎだすのは目に見えているのに」

 レジナルドはすっかり呆れている。

「だが、王妃の言うことも一理ある。見張りを置いていたから、客の出入りはなかったはずだ。責任を問うのは、すべての調査が終わってからとしよう」

「わたくしの無実は、きっと息子が明らかにしてくれますわ。なんて冷たい方! あんまりですわ」

 強気に言い返していた王妃だが、次第に声に涙がにじんでいって、しまいにはハンカチを取り出してうつむいた。

 これが嘘泣きなら演技派だと思うが、グジュングズンと鼻を鳴らしているので、有紗には王妃が本気で泣いているように見える。

 王妃の間を出ると、有紗はレグルスにこっそりと問う。

「どう思う? レグルス」

「なんとも。事態が複雑になったようだ……としか」

「だよね」

 証拠が出てきたので怪しいが、王妃の毒への怯えようや先ほどの取り乱しようは、とても演技には見えない。

「母上のためにも、毒の出所を追跡するしかないようですね」

「きゃあ!」

 ルーファスの声がすぐ左でして、有紗は飛び上がった。レグルスが兄から遠ざけようと、有紗を引き寄せる。

「兄上、近いです! 離れてください」

「犬を追い払うようにしなくても。神子様の悲鳴、可愛らしいですね」

 ルーファスはにっこりしたが、有紗はこめかみに青筋を立てるだけだ。

「怒るわよ! それに、朝もなんなの! お花なんて送りつけてきて」

「あの白い花、アリサ様にお似合いだと思ったんですよ。いかがでした?」

「迷惑だって言ってるの!」

「そうですか、では、次は青い花でも」

「少しは話を聞いて!」

 まったく話を聞かないので、有紗はぶち切れた。

「ルーファス、来てくれたのね。聞いてちょうだい」

 王妃がルーファスに気付いて部屋へと手招く。ルーファスはレジナルドと有紗にお辞儀をしてから、近衛騎士の身体検査を受け、中に入った。王妃がすすり泣きながら、状況を訴えている。

「なんだ、ババアは思ったよりも元気そうだな」

 そこへ、王妃の二番目の息子であるヴァルトが顔を出した。ちらりと中を見て、悪態をつく。

「ヴァルト、その呼び方はなんだ」

 さすがにレジナルドが注意すると、ヴァルトはレジナルドにお辞儀をしてから、冷めた目をして口を開く。

「親愛なる王妃陛下の息子は、どうも一人だけのようなので。お許しください、父上」

「まったく……王妃の態度にも困ったものだが、そなたもひねくれすぎだぞ。あれがどう言おうが、息子であるのに変わりないというのに」

 皮肉たっぷりの返事に、レジナルドは嘆かわしいと言いたげだ。

(そういえば、さっきも王妃様、“息子”って言ってたわね。“息子達”じゃなくて)

 ヴァルトはとっとときびすを返す。

「どうも大丈夫なようなので、俺は失礼します」

「ヴァルト! ……まったく」

 レジナルドは首を振り、遅れて駆けつけた他の王子に苦笑を向けると、「疲れたから」とその場を離れる。エドガーがレジナルドに付き添って、王の部屋のほうへ行った。

 残ったのは有紗とレグルス、第四王子のジールだ。

「あんまり騒動を大きくしないでくださいよ、兄上。アークライト王国とは落ち着いているのに、これで問題になったら、貿易で損害が出るかもしれません。慎重にお願いしますね」

「ああ」

 ジールの忠告に、レグルスは頷く。ジールは近衛騎士から詳しい報告を聞くと、すぐに戻っていった。

 有紗とレグルスも王妃の間を離れ、篝火が焚かれている廊下を進む。

「ヴァルト王子って、王妃様と仲が悪いの?」

「仲が悪いというより、できが悪いヴァルトを、王妃様は嫌ってらっしゃるんだ。無視されているのを見たことがある」

「じゃあ、あのひねくれようは、王妃様にも責任があるんじゃない? 皆、いろいろと問題を抱えてるのねえ」

 ううんとうなり、有紗はふと思いついたことを口にしてみる。

「そういえば、ヴァルト王子は王妃の間には出入りできるのかな?」

「礼儀には反しますが、あの二人なら用があれば入れますね。しかし、ありえませんよ。ヴァルトは乱暴者だと警戒されているんです。見張りが通さないでしょう」

「ああ、そっか」

 王妃の策略なのだろうか。

 それとも、王妃の言葉が真実だった場合、あの化粧水はどこから現れたのだろう。




 別宮の自室に戻ると、有紗は午餐に参加せず、これまでのことを樹皮紙に書きだしてみた。


 ・顔合わせのパーティーで、王妃のグラスに毒が入っていた。

 ・毒は無味無臭、色もない。→薬師によると、おそらくヒ素?

 ・グラスは、妃は全て共通のデザイン。→王妃が狙いとは限らない?


 ・ヒ素入りの化粧水が、アークライト国で流行。最近、ルチリア王国に入ってきた。

 ・その化粧水が、王妃の部屋から発見された。他の部屋からはなし。→王妃の自作自演? しかしおびえようは本物に見える。

 

 ・ヴァルトと王妃には確執があるようだ。→しかし、彼は簡単には王妃の部屋には入れそうにない。


 有紗は改めて読み上げると、ばたっとテーブルに突っ伏した。

「手詰まりじゃないのー!」

 王妃が限りなく怪しいが、だからといって、ヴァネッサが毒を入れたという疑いが、完全に晴れたわけではないというのが問題だ。

「でも、不思議よねえ。誓約の儀を邪魔したいって人が、この国にいるのかな?」

 落ち着いて考えてみると、こんな騒ぎを起こしてまで妨害したい理由が分からない。

 王位争いで、もっとも有力なのは第一王子だ。王宮の人々を見ていると、彼への期待と信頼の大きさがよく分かる。

 確かに、有紗が味方になったことで、レグルス達の地位は上がっただろう。表だって邪魔扱いしなくなったのだから、分かりやすい。でもそれが王位につながるかといえば、そうではない。

(むしろ、私っていう歩く火薬庫みたいな存在を、レグルスがなだめてるって思えば、同情しそうよね)

 なぜなら、この国の人々は闇の神を嫌っているのだ。できれば有紗に近付きたくないというのが本音ではないだろうか。

(私、治癒できるけど、反対もできるもんね。不興を買って、ひどい目にあうかもって思うのが自然じゃない?)

 何をどう調べたら、この問題は解決するのだろうか。

 くさくさしているうちに、午餐が終わって、レグルスが戻ってきた。

「アリサ、ガイウスから、ホールに出入りしていた人達について聞きました?」

「ううん。何か分かったの?」

「下の部屋で話しましょう」

 一階にある小広間に移動すると、ガイウスや数名の騎士が休憩をしているところだった。午餐の間、彼らは警備なのだから、交代で休みをとっているのだろう。

「ガイウス、隣にお邪魔してもいいかな?」

「もちろんですよ、殿下、お妃様」

 樫の長テーブルは、ちょうどガイウスとロズワルドの傍だけ空きがある。二人は何か話しているところのようだった。

「二人って友達になったの? 楽しくしているところを悪いわね」

 迷わずガイウスの隣を選んだ有紗が話しかけると、ロズワルドにじろりとにらまれた。座る位置を間違えたと、有紗はすぐに後悔した。正面に顔が見えないから、隣のほうが良かった。

「調べたことを報告しあっていただけです」

「パーティー会場の出入りを聞き取ってきましたよ。あの場にいた、準備を取り仕切っている使用人がほとんどですが、途中、エドガー王子が水をもらいに来たみたいですね」

 ガイウスも有紗の軽口はさらりと流し、ワインを飲みながら報告する。フラットブレッドには肉の煮込み料理がのっていた。

「おいしそうね」

「パーティー料理の余りものですよ。あの騒ぎでほとんど手つかずだったんで、使用人や騎士に回ってるんです。ありがたいことに」

 肉料理はごちそうだから、ガイウスはにやりとした。

「良いんだか悪いんだか、ね。それで、エドガー王子? 他には?」

「個別に聞き取りしましたけど、他の部外者は思い当たらないみたいですよ」

「お水をもらいに来ただけじゃあ、なんとも言えないわね。でも、王子がわざわざ水を飲みに来るの?」

 それこそ、従者に頼んで持ってきてもらえばいいんじゃないだろうか。

「近くで絵を描いていたので、立ち寄ったみたいですね」

「ああ、そういうこと。あの人、そんなに絵が好きなのね」

 あの鮮やかな新緑の絵を思い出して、有紗は感想をつぶやいた。

「エドガーの母君、マール側妃様も絵を描くのがお好きなんですよ。内向的な方で、催しものも最低限しか参加しないみたいです。それで……」

 レグルスが言いよどんだ続きを、ロズワルドが引き取った。

「お高くとまってると、王妃様に嫌われているみたいですね」

「そもそも、王妃様と仲が良い妃がいるの?」

 有紗がずばり問うと、レグルスはわずかに首を傾げる。

「ジールのお母上、エメリア様とは親しくされているようですが……腹の内までは分かりませんよ」

「いるんだ、仲が良い人」

「エメリア様は、我が国の侯爵家の出です。王妃様は同盟国の王女様ですから、貴族の血を継いでいるエメリア様のことは、そこまで敵視しておりませんよ。僕の母を嫌いなのは、血筋がほとんどです」

「貴族主義ってこと? そっか、マール様は敵国の王女様だから、自然とそこに落ち着くってことね」

 なんとなく人間関係が分かったところで、事態は何も進展していない。

「マール様の部屋から、あの化粧水が見つからなかったのは不思議ね」

「女官の部屋まで探しましたけど、なかったようですし……。最初から持っていなかったか、すでに処分したのか。証拠がないのに、疑う真似はできませんよ。外交問題になるので」

「同盟の人質みたいな立場でも、国の代表だから丁寧に扱わないといけないってことでしょ?」

「そうです。アリサは賢いですね」

 レグルスがにっこりして、代わりにガイウスとロズワルドの視線が横を向いた。

「ねえ、他に何か分かったことは?」

 有紗がガイウスをせっつくと、ガイウスは首を横に振る。

「いいえ、ありませんよ。王妃様はご存知ないとおおせですが、部屋に化粧水が湧きだすわけじゃあないんで、罠にせよ、どこからか流れてきたはずです。次はどこを当たるべきですかねえ」

「鍛冶屋か、貿易商ではないか」

 ロズワルドが口を挟み、ガイウスは「そんなところかな」と呟く。

 他国から入ってきたのなら、化粧水については貿易商を当たるべきだろうか。

「どうして鍛冶屋?」

「アリサ、銅を精錬する時に、ヒ素が出てくるので……。そこから何か分かるかも、ということです。あとは防腐剤にも使いますしねえ。王宮を出入りできる者は限られていますから、市場を見てみたほうが早いかもしれません。貴人を見かければ、記憶に残っているかも」

「そんなに普通に出回ってるのね」

 手に入りやすい毒だと言っていたのは確かみたいだ。

「それならさっそく、明日は町に出ましょ! レグルス、約束を守ってよね」

「はい、もちろんですよ」

 花を買ってくれる約束だ。

 調査のためとはいえ、有紗は明日が楽しみになってきた。

「アリサ様、目的をお忘れなく」

「やめとけってロズワルド。邪魔者は馬に蹴られるぞ」

 ロズワルドがちくりと釘を刺し、苦笑をしているガイウスに止められた。


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