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「化粧水……ですか? いえ、わたくしは持っておりませんよ」
突然の訪問に目を丸くし、ミシェーラは首をふるふると振った。
事情を話すと、ミシェーラは苦笑を浮かべる。
「わたくし、まだしわを気にする年齢ではありませんから」
「確かに、そうね! ごめんなさい!」
「大変失礼しました」
有紗とともに、ロズワルドが廊下のほうから、恐縮しきって頭を下げる。
「何事もなく済んでよかったかと思いますが、お妃様はもう少し深く考えたほうがいいですよ」
「もうっ、また嫌味を言う! 良い化粧水ならもらってもおかしくないでしょ!」
言い合いをする二人に、ミシェーラはまあまあと呼びかける。
「わたくしもお母様も、ハーブ・ウォーターを化粧水にしていますから、大丈夫ですよ。それに、個人的なもらいものには気を遣っています。実は、お母様がこちらに嫁いだ後に……」
王宮で勤める女官は、貴族の娘が多い。
レジナルド王が気立てのよい女官を褒めたら、後日、その女官が顔に炎症を起こして、病気と思われて王宮から追い払われた事件があったのだそうだ。
「恐らく、側妃が増えるのではと恐れた王妃様のしわざかと思います。それを見たお母様は、いただきものには神経をとがらせているのですわ。こんな王宮でもっとも怖いのは、病気と思われて隔離されることですもの」
「こわー! 陰湿すぎるわよ、怖すぎる!」
ぶるっと震え、有紗は悲鳴を上げる。ロズワルドの顔色も悪い。
それから、ミシェーラとともにヴァネッサの部屋を訪ねた。ヴァネッサは持っていないと言うので、安心した。
「ああ、良かった。健康はもちろんだけど、持っていたら状況が悪くなってたわ」
「ええ、毒殺に使えることになりますからね」
レグルスも胸を押さえて、溜息をついている。
「王宮で信じられるのは、陛下と自分よ。体に使うものは、自分で育てているの。ほら、見て」
ヴァネッサに手招かれ、バルコニーに出る。花に混じって、ハーブの鉢があった。
「肌荒れする時は、セージがいいわよ。ハーブティーを淹れる時みたいに、お湯に入れておいて、冷めた水を使うだけ」
「ああ、たしかセージって、殺菌力が強いんですっけ。なるほどね」
化粧水向きだと、有紗は頷く。ヴァネッサは少し驚きを見せた。
「ハーブに詳しいの? これは庶民の知恵なのだけど」
「私の母は、熱しやすくて冷めやすいタイプで。ハーブにこっていた時期があったんですよね」
おやつ時になるとハーブティーを淹れ、ペラペラと効能についてしゃべりだすから、なんとなく覚えているだけだ。
植物を育てるのは下手なので、最終的に、スパイスコーナーにある乾燥ハーブ入りの小瓶に落ち着き、それもいつの間にか家からなくなっていた。
「燻製にこっていた母君ですか」
レグルスが興味を示し、有紗の顔をじっと見つめる。
「そうそう。お母さんは良く言えば趣味人、悪く言えば飽きっぽいのよねー。でもまさか、そのおかげで、ここで暮らしやすくなるなんて思わなかったけど。なんでも使いようね」
「楽しそうなお母様ね。ハーブティーをふるまいたいところだけど、アリサは飲めないから、入浴用にストックしている分をおすそわけするわね。自慢の一品なのよ、使ってみて」
ヴァネッサは麻袋に入れた乾燥ハーブを混ぜた入浴剤を持ってきて、有紗に渡す。
近衛騎士に中身を改められたものの、無事に持ち帰ることができた。
「見てみて、レグルス。花びらも入ってる。きっといい香りだわ」
「そういえば、幼い頃は、夏場に汗をかいて肌荒れすると、母上に薬湯で洗われたものですよ。ちゃんと意味があったのですね」
「民間療法ってやつね。やぶ医者に当たるよりも、いいかもね」
中世くらいの時期では、たいした医者はいない。医者といえば、詐欺師の代名詞みたいなものだった。
「そうだわ、レグルス。とりあえず化粧水のこと、陛下にお話しましょうよ。部屋に持っている人がいたら、容疑者候補になるわ」
「ええ、父上に相談しましょう」
ミシェーラを部屋まで送り届けてから、今度はレジナルド王に面会を求め、王の執務室のほうへ向かった。
レジナルドの執務室に向かう途中、小柄な末王子エドガーとばったり出くわした。
真ん丸な目は深い青色で、真紅の髪を後ろで三つ編みにしている。彼はレグルスを見つけると、子犬みたいに人なつっこく笑った。
「レグルスお兄様、ご無沙汰しております」
「エドガー、久しぶり。元気だったか?」
「ええ、もちろん! アリサ様、ご機嫌うるわしゅう。お兄様、こんな素晴らしい方と婚約なんて、本当に幸運ですね!」
昔からレグルスを慕っているというエドガーは、にこにことしていて可愛らしい。レグルスも自然と相好をくずしている。
「初めまして、エドガー王子」
「エドガーとお呼びください。せんえつながら、アリサお姉様とお呼びしても?」
「ええ、いいわよ」
「うれしいです、ありがとう!」
ぱあっと場が明るくなるような笑顔を浮かべるエドガーを前にして、有紗も自然と微笑んだ。
(ロドルフさんは猫をかぶってるって言っていたけど、普通に良い子に見えるけどなあ)
隅で気に留めているが、宮廷を警戒しすぎて、ひねくれて受け取りすぎなんじゃないだろうか。
「あら、その布はなあに?」
エドガーは左脇に布で包んだ板を持っている。彼の後ろにいる少年従者は、イーゼルと箱を持っていた。
「僕、絵を描くのが好きなんです。パーティーであんな恐ろしいことがあったでしょう? 王宮から出ないように言われていて暇なので、木陰で絵を描いていたのです」
エドガーは覆い布を外し、布を張った板を見せた。夏に描いていた絵だろうか、美しい緑と黄の絵の具で、あざやかな夏の庭がえがかれている。油絵の具の独特なにおいがした。
「綺麗な絵ね」
「ありがとうございます。なかなか完成しなくて、修正をしているところなんですよね」
絵を描くのが趣味なんて、王子らしい優雅さだ。
エドガーはふうと息をついた。従者がそっと口を出す。
「申し訳ございません、殿下はのどがかわいていらっしゃるのです。お加減が悪くなるやもしれませんので、失礼してもよろしいでしょうか?」
「あら、少し顔が赤いわね。レグルス、行きましょう」
黒いもやはついていないが、エドガーの頬は赤い。涼しくなってきたとはいえ、日中はまだ日差しが強いのだ。水も飲まずに、外で絵を描いていたのなら、のどがかわくのが自然だろう。
レグルスはエドガーに優しく声をかける。
「ええ。それではエドガー、今度お茶でもしよう」
「はい、喜んで」
エドガーは丁寧にお辞儀をすると、再び廊下を歩きだした。有紗とレグルスも歩みを再開する。
「ロドルフさんは裏があるって言ってたけど、可愛い弟って感じじゃない?」
「そうですが、臣下から見えるものもあるので、念のため、気を付けておきましょう」
レグルスの慎重な意見に、有紗は頷きを返した。
有紗とレグルスが相談したいと告げると、レジナルドは夕方に時間をとってくれた。
「しわとりの化粧水? 薬師から知らせはあったが、まだ出回っているのか?」
とっくに対処済みだと思っていたようで、レジナルドの声には呆れが含まれている。すぐに大臣を呼び出すと、大臣は冷や汗をハンカチでぬぐう。
「危険物なので捨てるようにと通達はしましたが、貴人の持ち物まで全て検閲するわけにもまいりませんから、この目で直接確認したわけではございません。申し訳ありません」
「まあ、それはそうだな。しかし、今回はことがことだ。アークライト王国のことは伏せて、危険物が混じっているかもしれないとぼかして、持ち物検査をするか。大臣、私の部屋も含めて、調査するがよい」
「ええっ、陛下のお部屋もですか?」
「私の部屋を調べれば、王妃以下も断れぬだろう。別宮も全て、例外なしだ」
呼び鈴を鳴らし、レジナルドは近衛騎士も呼びつける。
「これから、いっせいにだ。さあ、すぐにとりかかれ!」
さすがは賢王。仕事が早い。
近衛騎士達があわただしく動き出すのを横目に、レジナルドはやれやれと溜息をついた。
「二人は知らんだろう。アークライト王国で、あれがなんと呼ばれているか。『遺産薬』だ。家長を殺して、遺産を受け取って後を継ぎたい者達がひそかに使っているそうだよ」
「どうしてそんなものが野放しになっているのです?」
レグルスが驚きをあらわにするので、レジナルドは理由を話す。
「どうも、あちらではやっている病と症状が似ているせいで、見分けがつかないのだそうだぞ」
「陛下、その薬で本当にしわをとれるんですか?」
有紗のそぼくな疑問に、レジナルドは苦笑を浮かべる。
「肌の色が明るくなるそうだが、それで中毒死したら意味がないだろうな。さて、私はもう仕事は終わりだ。アリサ様、レグルス、調査が終わるまで、一緒にお茶はいかがかね」
「私は飲めないんですけど、同席したいです」
レグルスはどうだろうか。有紗がレグルスの横顔を見ると、レグルスは「うれしいです」と答えた。
執務室には、六人掛けの重厚な樫のテーブルが置いてある。レジナルドと向かいあうようにして、有紗とレグルスは椅子に座った。
すぐに侍女がお茶を運んできて、レジナルドとレグルスが味わう。侍女は有紗の前にもカップを置いてくれた。薬草みたいなにおいがする。
「父上、崖につけてくださった移動装置、とても助かりました」
「おお、そうか、良かった。建築用のクレーンがあるだろう? あれを改良したのだよ」
レジナルドはにこやかに返したが、そこで急に、申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「そういえば、第一王子が迷惑をかけているそうですな。申し訳ありません、アリサ様」
「な、なんでそれを!」
つい昨日のことなので、すでに広まっているのかと、有紗は焦る。
「レグルスと口喧嘩をしていたでしょう? 話を聞いていた騎士から報告があったのですよ」
「分かってるなら、どうにかしてくれません?」
遠回しに、息子をしかってくれるように頼んでみたが、予想と違って、レジナルドはしぶい顔をする。
「注意するのは簡単ですが、逆効果かと」
「どういうことですか、父上」
「レグルス、恋というのは、障害があるほうが燃えるものだ。ルーファスはなんでも持っているし、たいていの願いは叶えてきた。手に入らないものほど、欲しくなるものだ」
父親の言葉に、レグルスは黙り込む。
「誓約の儀と結婚式までは、我慢するしかなさそうね」
下手をしないように気を付けよう。
「そのためにも、この問題を早く解決しなくては」
浮かない顔をするレグルスを見ていて、有紗はテーブルの上のぶどうに目をとめた。小皿に取り分ける。
「まあまあ、とりあえずお腹に何か入れたらどうかしら。もうすぐ午餐だけど、お腹が空いたんじゃない?」
一粒つまんでレグルスの口元に持っていくと、レグルスは少し固まってから、有紗の手づからパクリと食べる。
「……おいしいです」
「なんで落ち込むのよ。もう一つあげようか?」
「いただきます。……アリサ、兄上には近付かないでくださいね」
素直に食べるわりに、すねた調子でそんなことを言うので、少し面白い。
「二人とも、父の前でやめてくれぬか。いたたまれないのでな」
レジナルドにそっと口を出され、有紗は小皿をレグルスに渡し、椅子に座りなおす。
「ごめんなさい」
「仲が良いのはいいことだよ」
そう言ったが、レジナルドは困り顔である。
それから、レジナルドがルーエンス城でレグルスやミシェーラがどんなふうに過ごしているかと訊くので、三人で雑談をするうちに、やっと調査が済んだようだった。
近衛騎士団長が入ってきて、胸の前で敬礼をする。
「陛下、王の間、妃の間、全て調べ終えました」
「どうだった?」
「それが……」
近衛騎士団長は言葉をにごす。
「お前の主君は誰だ? 妃に遠慮するでない」
「はっ、失礼しました。実は、王妃様のお部屋でこちらを見つけました」
近衛騎士団長が差し出したガラス瓶を見て、有紗は椅子を立った。黒いもやがまとわりついている。
「それ、やばいやつよ!」
「闇の神子様のおっしゃる通り、例の化粧水かもしれません」
近衛騎士団長は報告したものの、あきらかに困惑しているようだった。
有紗達も、無言で視線をかわす。
まさかの、毒殺未遂事件が、王妃による自作自演説浮上の瞬間だった。




