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 近衛騎士団の兵舎を訪ねると、団長が迷惑だと顔に書いて現れた。

「陛下のご意向で、おのおので調査すると決まりました。こちらを頼らないでいただきたい」

 ルーエンス城に来たばかりの頃のロズワルドを思わせる態度だ。有紗が言い返す前に、レグルスがなだめるように言った。

「使われていた毒について知りたいだけだ。それとも、毒のことをこちらに教えたら、君達には都合が悪いのか?」

 言葉はやわらかいのに、内容は「後で改ざんする予定でも?」という疑いだ。団長の口元がひくりと引きつった。

 肯定すれば身が危うくなり、否定すれば教えても問題ないことになる。

(レグルス、なんて巧妙な質問なの……!)

 普段はひかえめで後ろでひっそりしているタイプだが、レグルスは頭が良い。いや、違う。思慮深いからこそ、不用意に言葉にしないのだろう。そうしなければ、この王宮ではすぐに揚げ足をとられるのだ。

 団長は柳眉をひそめ、負け惜しみを返す。

「殿下はずいぶんと悪知恵が働くようになりましたね」

「そうかな。あいにくと、古狸にはかなわない」

「ふっ。神子様を後ろ盾に得られてから、ずいぶん強気のようだ」

「そうしなければ、アリサを守れない。必要なら、私はなんでもするつもりだ」

 一歩も引かないレグルスを、団長はどこか面白そうに眺める。

「あなたががんばったところで、泥の沼でもがくようなもの。第一王子殿下にかなう方がいるでしょうか」

「やってみなければ分からない。泥の底で、砂金を見つけるかもしれないからな」

 レグルスは有紗のほうを見た。

 砂金という例えが、有紗を示しているのはなんとなく分かった。

「レグルス、照れるからやめてってば」

「失礼しました。アリサは砂金などよりずっと大切です」

「もーっ」

 のろけに参ったのは有紗だけではない。団長は、食事をしていて砂でもかんでしまったかのような、苦い顔をした。

「仲がよろしくて結構ですね。おい、そこの、調査をした薬師のもとへ案内してさしあげろ」

 これ以上は時間の無駄だといわんばかりの態度で、団長は部下に言い付けて、有紗とレグルスの横を通り抜けていった。

「団長が根負けするほどとは……これが噂の天然あまあま夫婦……」

 部下の騎士は恐ろしそうにつぶやき、有紗と目が合うと、すぐさまきびすを返す。

「こちらです、神子様、殿下」

「あ……うん。ええと、何? 噂の……天然?」

「アリサ、細かいことは置いておいて、参りましょう」

 レグルスに誘導され、あいまいなままになったが、どうも引っ掛かる。首を傾げながらついていくと、建物を通り抜け、薬草園に出た。兵舎の裏に、薬師の詰所があるらしい。二階建ての屋敷にはアーチ型の大きな窓があり、緑のマントをつけた男達が行き来するのが見えた。

 案内の騎士が誰かを呼び止め、手を振った。

 しばらくして、ひげの先が焦げている老人がせかせかとやって来た。

「お初にお目にかかります、私はギリル・ホーエント。この薬師棟の責任者です」

「ギリル師、以前は妹の世話をありがとうございました」

 レグルスが礼を示した。どうやら、不治の病にかかったミシェーラの治療を担当していたのは、この老人のようだ。

「お礼を言われることでは。結局、我々ではなんの手助けにもなりませんでした。神子様に治癒していただけたようで、何よりでございます。それで、パーティーで使われた毒についてお知りになりたいとか?」

「何か分かりました?」

 前のめりで問う有紗に、ギリルは首を横に振る。

「あいにくと、ワインのにおいが強すぎて分かりませんでしたよ。神子様の予想通りならば、グラスの内側に塗られていたとみるべきでしょうなあ。無味無臭となると、ヒ素あたりが濃厚ですが……グラスが銀器ではなくガラス製でしたので、分からなかったようです」

「ヒ素!? うわ、怖い! 悪意たっぷりじゃないの!」

 有紗はたじろいだ。

 銀器は変色しやすいため、毒が入っていると黒ずむといわれている。実際は毒の種類によるのだが、暗殺防止のために、王侯貴族は銀製の食器を使うことが多い。

 有紗の反応を見て、レグルスはそちらに驚いたようだ。

「アリサは毒にも詳しいのですか?」

「元の世界で、劇や物語で聞いたことがあるの。だから、薬にまで詳しくないわよ」

 ドラマや映画と言っても伝わらないだろうから、有紗はそう説明した。

「その毒は手に入れづらいの?」

「いえ、手に入れやすいですよ。ねずみとりに使うこともありますから」

「ねずみとりに? 危なくないの!? 他の動物や子どもが食べちゃったら、どうすんの!?」

「そう言われましても、塗料で使っているところもありますし……」

 レグルスは困り顔をした。

「そうよね、私のいた現代と一緒にしちゃいけないのよね……」

 歴史を見ていると、今では毒として遠ざけられているものを、昔は化粧品や絵の具の材料に使うことはよくあった。この世界は中世くらいの様子だから、何が含まれていてもおかしくない。

 ギリルはあっさりと言った。

「毒薬としてはポピュラーですよ」

「いや、そんな、流行みたいに言われても……」

 面食らう有紗のことは気にせず、ギリルは教師のように語り出す。

「ほんの微量をとらせて、ヒ素中毒にして、数日後に亡くなるということもありますからなあ。しかし、治療で使うこともありますので、毒も使いようです」

「治療で?」

「ええ。滅多と使いませんがね。さじ加減が非常に難しいので、できる限り他の方法を試しますよ」

 ギリルはひげをなでた。

「気になってたんだけど、ギリルさん。そのひげはどうしたの?」

「これですか? 薬を煎じるのに、火に近付きすぎて焦がしてしまって……。弟子に『先生、焦げてる!』と言われてあせりましたよ。ははは」

「笑いごとでいいの、これ?」

 有紗がレグルスをうかがうと、レグルスはあいまいに微笑み、話題を変えた。

「ギリル師、王宮内でヒ素の保管場所は?」

「薬の保管庫でしたら、許可がなければ入れませんよ。事件の後にすぐに確認しましたが、特に減っている様子はありませんでした。他の場所ですと、王宮ではねずみとりは使わず倉庫で猫を飼っていますから……あとは貴婦人の化粧水か絵の具ですかねえ」

 ギリルの返事を聞いて、有紗は耳を疑った。

「は? なんで化粧水?」

「しわとりに良いとかで、最近、隣国から入ってきたんですよ。使わないようにと通達したんですがね、どうもまだ一部ではやっているみたいで。困ったものですなあ、美への執着というのは」

「その隣国って?」

「アークライト王国ですよ」

 ギリルはやれやれ困ったものだと、ぶつぶつ文句を言っている。

「ええと、レグルス。アークライト王国ってたしか……」

「元敵国ですね」

「……まさかと思うけど、内部からこの国をつぶそうっていう陰謀系?」

 化粧水としてはやらせて、貴婦人が中毒でばたばたと死んでいったら、それも成り立つ。真顔になったレグルスは、目を閉じて溜息をつく。

「そうでないことを祈りましょう。ギリル師、陛下には伝えますが、このことはひとまず秘密に。扱い方を間違えると戦争になります」

 レグルスの注意に、ギリルは初めて気付いたという間抜け面をした。さっと青ざめる。

「まさか、そんな方法が?」

「いちゃもんをつけられる余地があって、戦争をしたい者がどこかにいるなら、いずれそうなる可能性も。一つずつ調べていくしかありませんよ。ただの流行かもしれない。ただ、問題になったのが王侯貴族の集まったパーティーの席ですからね……」

 頭痛の種が一つ増えて、有紗もこめかみを指で押さえる。

「どんどんとんでもない方向に行くわね。あっ、化粧水なら、ヴァネッサさんやミシェーラちゃんは大丈夫なの!? レグルス、すぐに行きましょ!」

「はい! ギリル師、失礼します」

 血相を変えて薬師棟から出てきた有紗とレグルスの様子に、ロズワルド達はぎょっとした。

「どうしました、殿下」

「ロズワルド、アリサとミシェーラの部屋へ行ってくれ。アリサ、僕は母上の部屋に行ってきます。手分けしましょう」

「了解!」

 一刻を争う事態になったので、二手に分かれて王宮の廊下を走りぬけた。


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