九章 調査
朝日が出てすぐにモーナに起こしてもらった有紗は、大きなあくびとともに伸びをした。
この世界に来てから、日の出とともに起きて、日が沈んで少しくらいに寝ていたから、昨夜の夜更かしのせいで眠い。
「おはようございます、お妃様。昨晩は遅かったのですし、もう少し寝ていてもよろしいのでは?」
水入りの洗面器を運んできたものの、モーナは心配そうに問う。
「ううん。ヴァネッサさんのためだもん、じっとしてらんないわ!」
頬をパチンと叩いて気合を入れ、顔を洗う。身支度を整えた頃、女官が訪ねてきた。
「アリサ様、贈り物を届けにまいりました」
「贈り物?」
女官が運び込んだのは、綺麗な花の鉢植えだ。白い花が美しい。
「綺麗! レグルスってば、直接渡してくれればいいのに」
「え? いえ、こちらは……」
「お礼を言ってくるわ!」
昨夜のことのお礼だろうか。今の時間は庭で稽古中だからと、有紗はさっそく建物の外に出る。
レグルスがガイウスと木剣で稽古をしているのを、ロズワルドや若い騎士が三人見守っている。
「レグルス、おはよう」
「アリサ、おはようございます」
レグルスが構えをとき、こちらを向いてあいさつをする。騎士達も続いてあいさつした。
「お花、ありがとう。うれしかったから、お礼を言いに来ちゃった」
「花……?」
「ん?」
レグルスには身に覚えがないようなので、有紗も首を傾げる。そこへ、花を運んできた女官が追いついた。
「アリサ様、違います。あちらはその、レグルス様ではなく……」
女官はレグルスがいることに気付いて、声が尻すぼみになった。あきらかに気まずそうな様子だ。
「え? それじゃあ、王様とか?」
「ルーファス兄上ですよ、アリサ」
「あ、そういえばそんなこともあったわね!」
レグルスが苦笑とともに教えたので、ぐっすり眠って、ルーファスのことを忘れていた有紗は、ようやく合点がいった。
「うわぁー、これって修羅場ってやつか?」
「横恋慕とは、第一王子とはいえ見苦しい……」
腰が引けているガイウスに対し、ロズワルドは眉間にしわをくっきりと刻む。女官を追ってきたモーナがおろおろしているのを見つけ、レグルスが女官に聞こえるように命令する。
「モーナ、兄上からの贈り物は取り次がなくていい。アリサの部屋に運び入れるなんて、もってのほかだ」
「申し訳ございません」
縮こまるモーナをかばい、有紗はレグルスに言い返す。
「レグルス、モーナは悪くないでしょ。それに、女官だって王子に命令されたら断れないでしょうに。行き場に困ったら、応接室にでも入れておいて。後で処分しておくわ」
有紗が女官にそう話しかけると、女官はあからさまにほっとした表情を見せた。
「アリサ、受け取ったという事実を、誰かに利用されたらどうするんです?」
「それじゃあ、どうすればいいの?」
「断って、送り返せばいいんですよ」
「あなたのお兄さんは、それであきらめるタイプなの? 女官が何回も往復させられるだけじゃないかしら」
「……それは、否定できませんが」
「そんなに心配なら、レグルスが検査すればいいじゃないの。私は贈り物に近付かないわ」
こんな朝っぱらからレグルスと言い合いになって、有紗の機嫌はゆるやかに下降していった。
「何よ、レグルスからだと思ったのに。期待させて馬鹿みたい」
すっかりへそを曲げた有紗は、ぷいっときびすを返す。これに慌てたのはレグルスだ。
「ちょっと待ってください、アリサ。声を荒げて申し訳ありませんでした。そんなに花が欲しいなら、僕からも贈りますから」
「……本当?」
ちらっとレグルスのほうをうかがうと、レグルスは大きく頷いた。
「ええ、もちろんです。むしろ気が利かなくて申し訳ありません」
「レグルスがくれるなら、その辺の野花でもいいのよ。そうだ、調査に行くんだし、町で買って欲しいな」
「いいですよ。アリサが物を欲しがるのは珍しいですね、もっとわがままを言ってください」
「やだもう、悪女にはならないってば」
険悪な空気が一転して、有紗とレグルスはにこにこと笑みを浮かべる。
「ここにいると、馬に蹴られそうだな」
「解散だ、あっちに行くぞ」
ガイウスがうんざりとつぶやき、ロズワルドが騎士達を連れて下がる。女官は顔を引きつらせ、モーナはそんな彼女を同情を込めて見つめた。
軽い朝食後、パーティーホールへの出入り調査をガイウスに任せ、有紗達はロズワルドの率いる小隊を護衛につけて、さっそく出かけることにした。まずは近衛騎士団に行こうと廊下を歩いていると、向こうから第三王子ヴァルトと婚約者のユリシラ、見知らぬ青年が三人で連れ立って歩いてくるところに出くわした。
ヴァルトはレグルスと有紗を順に見て、皮肉っぽく笑ってお辞儀をする。
「これはこれは、神子様と兄上じゃないか。久しぶりだな」
「ああ、久しぶり、ヴァルト」
レグルスは苦手だというそぶりはまったく見せず、ヴァルトにあいさつした。有紗も加わる。
「おはよう、ヴァルト王子、ユリシラ様」
「おはようございます。どうかわたくしのことはユリシラとお呼びください。もったいないですわ」
ユリシラは気まずそうに返した。レグルスが後ろの青年を紹介する。
「アリサ、後ろの方は、パーシャル・ホーエント殿です。ホーエント侯爵家の跡継ぎで、ヴァルトの側近です」
「お褒めいただき光栄でございます。パーシャル・ホーエントです、どうぞよろしく。レグルス殿下とお妃様におかれましては、ヴァルト殿下と親しくしていただけると幸いです」
文官のようなたたずまいのパーシャルは、ユリシラとそっくりで、白金の髪を後ろで結い、膝丈まである深緑色の上着と灰色の靴下を合わせている。
「パーシャル、余計なことを言うな。そもそも、たった三ヶ月の差で弟だなどと、俺は認めんからな! まあ、しかし、隅をネズミのようにこそこそと歩き回っていた頃より、ずいぶんマシな顔になったじゃないか」
ヴァルトはずけずけと言った。
(ネズミって……)
あんまりな言いように、有紗がびっくりしていると、ユリシラが楚々とした笑みを浮かべる。
「殿下、失礼ですわよ。皆様は調査ですか?」
「え? ええ、毒について調べようかと」
「毒……でございますか。近衛のほうに? 毒も薬も、いろいろございますものね。その辺のキノコでも、使いようでは毒ですし……。案外、王宮内でも手に入るものですわ」
「え……と?」
なんでそんなに詳しいのだろうか。有紗が戸惑いを見せると、ヴァルトがユリシラを怒鳴りつけた。
「おい、こら! 趣味のことになると、そうやって語るくせを王宮内ではやめろと何度も言っているだろ! 死にたいのか、お前は」
「も、申し訳ございません!」
ユリシラは縮こまって、すすっと兄の後ろに隠れた。
「ちょっと、そんなに怒らなくてもいいでしょ!」
有紗が怒ると、レグルスがなだめた。
「いや、しかしヴァルトの言うことももっともですよ。何が足をすくうか分かりません。特に、今のような危ない状況では……。ホーエント家といえば、薬師を多く出しているので有名ですよね。近衛にも協力を?」
パーシャルは首を振る。
「いいえ、我ら兄妹は関わっておりません。親族が王宮で医師をしておりますので、そちらが調査を。近衛騎士団の詰所におりますので、話を聞いてみてください。それから、妹はただの薬草マニアなので、お気になさらず……。毒も薬も使いよう。使う者の心次第で、どちらにも変わるものです」
彼は遠まわしに「自分達は関係ないぞ」と言ったが、ヴァルトは愉快そうに言う。
「あのババアのおびえる様は、見ものだったぜ」
「殿下、またそんなふうにおっしゃる。殿下も言動にはお気を付けいただかないと! 殿下には末永く健康でいてもらって、ホーエント家を……いえ、私達を守ってもらわないといけないんですからね。そこのところ、お願いしますよ!」
「だから、お前らのその他人を盾にするところ、どうにかならねえのかよ。つーか、俺よりルーファス兄上のほうがよっぽどいいだろ!」
「あんな恐ろしい方のもとにつけますか! 怖い! ヴァルト殿下のほうが安全です」
「王位争いでも期待されてないって言いてえのか、てめー!」
丁寧なのに地雷を踏んでいくパーシャルに対し、ヴァルトは声を荒げて追及する。しかし、怒鳴りはすれど、意外にもヴァルトは不良そうな見た目に反して手を出さない。
唖然としているうちに、彼らはホーエント家の二人はお辞儀をして、ヴァルトとともに去っていった。
「なんだかんだ家臣と上手くやっているみたいですね、ヴァルト」
レグルスが感心を込めてつぶやく。
「そう?」
有紗にはよく分からない。面食らっていただけだ。
ロズワルドが思わずという調子でこぼす。
「ホーエント家がヴァルト殿下の後ろ盾についた時は、意外に思ったものですが……。さすがは『風見鶏』。風を読んだようですね」
「風見鶏? 何それ」
ホーエント家のあだ名のようだが、屋根の上にある置物と彼らのイメージがそぐわない。有紗が問うと、レグルスが教えてくれた。
「ホーエント家は、もともとは北にある小国だったのです。しかし、父上が周囲の国と戦をして領土を広げると、すぐに我が国にくだりました。彼らは見識豊かで賢いですが、とても臆病なので、殺されるかわりに支配されることを選んだのです」
それに、ロズワルドが苦笑まじりに付け足す。
「泣いて拝み倒すので、陛下も呆れて家臣として迎え入れたのですよ。彼らの知識は欲しかった。王宮に薬師を派遣する代わりに、領地はそのままで、高位貴族の地位も与えました。無血で最良を勝ち取ったので、結果は素晴らしいものです」
だが、とロズワルドは続ける。
「彼らの真価は、臆病ゆえの直感です」
「直感~?」
まさかの第六感への称賛に、有紗は眉を寄せる。
「戦にホーエント家を連れていけば、どちらが有利なのか、風向きが分かるんですよ。彼らの情報収集力もありますが、『なんだか怖い、無理!』とホーエント家の部隊が逃げ出すと、直後に奇襲があって損害をまぬがれる、とか。まあ、よく分からない感じで生き延びるんですよね」
「それが何度か続いて、逆に彼らの臆病さは一目置かれているんです。ゆえに『風見鶏』と呼ばれています。そんな彼らが、王宮では評判が悪いヴァルトを選んだので、王妃の圧力ではないかとささやかれていたんですが……どうやら関係なかったみたいですね」
それで、レグルスは驚いているのか。
「毒に近い人物でもあるのよね?」
有紗が問うと、レグルスはあいまいに頷く。
「薬師とは、そういうものでしょう」
「なんでヴァルト王子は、王妃様のことを悪く言ってたの?」
「それは……彼の粗暴さを嫌っている王妃から、幼い頃から煙たがられていたせいかと。王妃様の息子でありながら、彼も僕らと同じく、王宮内では嫌われていますから」
「流血沙汰を起こしたとか?」
「幼い頃から狩りが好きで、しとめたネズミなどを王妃に見せようとして、あちこちで悲鳴が上がりましたね。馬鹿にされれば、年上の貴族だろうが突っ込んでいって殴る蹴ると狼藉を……。しかし、今、思うと、それには全部理由があった気がします」
レグルスは顎に手を当て、うーんとうなっている。
「レグルスも馬鹿にされたんでしょ。なんて言われてたの?」
「『隅をじめじめした顔でうろつくんじゃねえよ、ボケ』とか」
「わあ、レグルスが言うと、まったく似合わないわね」
「僕は目に触れないように必死でしたが、ヴァルトは声を上げては眉をひそめられていました。口は悪いですが、強いですよね……」
「案外、それで励ましてたつもりだったりして」
「はは、どうでしょうか。目障りだとはっきり言われたこともありますから」
だんだんレグルスの視線が下に下がっていく。過去を思い出して、気分が沈んできたのだろう。
有紗はレグルスの左腕にするりと右腕をからませて引っ張る。
「いろいろと聞いて悪かったわ。行きましょ!」
「……はい」
近衛騎士団の詰所へと、再び歩き出す。
ホーエント家の立場は謎だが、ユリシラは薬草が趣味みたいだから、分からないことがあったら聞いてみるのもいいかもしれない。迷惑かもしれないが、そこは闇の神子の立場を活用しよう。




