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 ヴァネッサの部屋は、王宮の西にある塔の上にある。

 有紗がレグルスやミシェーラとともに訪ねると、ヴァネッサは落ち着きなく部屋を歩き回っているところだった。彼女は訪問者が誰か知るや駆け寄ってきた。有紗を抱きしめる。

「アリサ、パーティーでかばってくれてありがとう。私、もう駄目かと思ったわ」

「大丈夫ですか、ヴァネッサさん。王妃様って本当におっかないわね。あんなにすぐに処刑って騒ぐなんて、信じられないわ!」

 ヴァネッサを抱きしめ返し、有紗は憤然とぼやく。レグルスとミシェーラも、母親と順にハグをかわした。

 レグルスは憂鬱そうに首を振る。

「本当に危なかった。もしアリサの機転がなければ、処刑されてもおかしくなかった状況です。あ、母上」

 ヴァネッサは顔に疲れを浮かべ、その場に座り込みそうになった。レグルスがヴァネッサを支える。

「ごめんなさい、あなた達の顔を見たら、気が抜けたみたい。ここにいると、どうにかなりそうよ」

 レグルスに誘導され、ヴァネッサは木彫りがされた椅子に座り、クッションにもたれた。

 騎士の監視がある状況は、軟禁と変わらない。いつ迎えがやって来て、ヴァネッサを死地へ連れて行くか分からないのだから、ヴァネッサが落ち着かないのも無理はない。

「王妃様は、昔からそうなの。何かと私を目の敵にしているのよ。気を付けていたのに、まさかパーティーでこんな罠にはまるなんて」

「あの方はプライドが高いですからね。父上の寵愛が深い母上のことを許せないのでしょう。王妃なのだから、もう少し後宮のことは割り切って欲しいものですが」

 レグルスの政治的なつぶやきを、ミシェーラが否定する。

「お兄様、情はどうしようもありませんわ。王妃様、お父様のことを愛していらっしゃるから、嫉妬してしまうのです。同じ女としては、あの方の陰鬱なお気持ちも分かりますの」

 母親を心配している一方で、王妃に同情しているようだ。

「ミシェーラちゃん、なんて優しいの。本当に良い子ね」

 有紗が思わずミシェーラの頭をなでると、ミシェーラは頬を赤らめた。

「それにしても、王妃様のあの怖がりよう。今回は王妃様のしわざって感じじゃないわよね。真相をはっきりさせなきゃ!」

「ええ、確かに……。本気でおびえていらしたわ。処刑だと言い出したのも、怖さのあまり、ヒステリーを起こしてしまったように見えました」

 冷静なミシェーラの指摘に、ヴァネッサは首を傾げる。

「分からないわ。それどころではなかったから」

「私が声をかけたせいで、ヴァネッサさんがデキャンタを壊してしまったのが痛いわね。毒が入っていたのがグラスかデキャンタかでは、だいぶ状況が変わるわ」

 有紗は腕を組んで、ううんとうなる。ヴァネッサは不思議そうに問う。

「どういうこと? 何が違うのかしら」

「デキャンタだと、王か王妃に危害をくわえたい人が、ヴァネッサさんか侍従に罪を着せようとしたって考えられるわ。でも、グラスだと、王家の女性なら誰が死んでも良かったってことでしょ。狙いがあいまいになっちゃう」

「そうね……。第一王子の言う通り、犯人は騒ぎを起こしたかったのかしら」

「どちらか分からないけど、調べてみるわ。もしグラスなら、私が動けば、あっちも動くはずよ」

 この閉鎖的でよどんだ王宮で、有紗という存在そのものが暴風のようなものだ。風通しを良くして、これまで積み上げたものを吹っ飛ばす。

 何者か知らないが、誓約の儀を邪魔したいのなら、答えは簡単だ。闇の神子である有紗を、都合良く利用したいのだろう。誓約をかわせば、有紗とレグルスに対して、不可侵になってしまうのだから。

「せっかくアリサが手に入れてくれたチャンスです、無駄にしないようにしたいですが……いろいろと心配ですね」

「そうですわね、お兄様。王宮も一枚岩ではございませんもの。近衛に敵がまぎれていないとも限りません。ジールお兄様は問題ないとして、ルーファスお兄様ったら、何をたくらんでらっしゃるのかしら」

 ルーファスと有紗達のやりとりを知らないミシェーラにとって、ルーファスの動きはうさんくさく見えているようだ。レグルスはこめかみを指でもみ始めた。

「頭が痛い……。ミシェーラ、兄上はアリサに一目ぼれしたんだ」

「「え……?」」

 ミシェーラだけでなく、ヴァネッサも固まった。それから、ミシェーラは胸を手で押さえ、目をキラキラさせた。

「なぜかしら。いけないことだと分かっているのに、胸がときめきますわ。お姉様をめぐって、二人の王子が対立! 三角関係っていうものではないかしら。でもでも、わたくしは断然、お兄様を推しますわ」

「当たり前じゃないの、ミシェーラ。レグルス、ちゃんとアリサを捕まえておくのですよ!」

 ミシェーラとヴァネッサに発破をかけられ、レグルスは大きく頷く。

「もちろんです」

「私が浮気する前提で話すの、やめてくれる? 失礼しちゃうわ。私が好きなのはレグルスよ!」

 有紗がムカついて言うと、ヴァネッサはため息をつく。

「もう、あなた達、早く結婚しなさ……あら? そういえば、していたわね?」

「だからややこしいことになってるんじゃないですか! レグルスってば、正式な結婚式まで、キスもしてくれないって言うのよっ」

「ええっ、それは駄目よ、レグルス。なんて乙女心を分かってないの! そこに座りなさい。私が恋愛について語ってあげる」

 はりきるヴァネッサを前に、レグルスは赤くなった顔を両手で覆う。

「やめてください、アリサ。母にそんなことを発表するのは……っ」

 親に恋愛がつつぬけなのは、有紗だって逃げたくなる。やりすぎたとは思ったが、反省はしていない。

「お兄様……おかわいそうですけど、残念ですわ。わたくし、お姉様の味方でしてよ」

「アリサ、寝込みをおそうのはどうかしら?」

「母上っ、妙なことを吹き込むのはやめてくださいっ」

 結局、ヴァネッサの暴論にレグルスがぶち切れ、この場はお開きとなった。



 ヴァネッサの部屋を出る頃には、真夜中に近い時間になっていた。

 こんな時間に調査を始めてもしかたがないので、ミシェーラを部屋まで送ってから、別宮に戻ることにした。

 篝火に照らされる廊下を、ランプの明かりを頼りにゆっくりと歩いていく。

 王宮はルーエンス城よりも広いが、閉鎖的な空気があって、なんとなく息苦しい。自然と足音を立てないようにしてしまう。

「すっかり遅くなっちゃったわ」

 アーチをえがく大きな窓の向こうには、月が三つ浮かんでいる。

「アリサ、母上を気遣ってくださってありがとうございます」

「いいのよ。だってヴァネッサさんは私にとって、この世界でのお母さんだもん」

 有紗の実母よりも若いから、どちらかというとお姉さんか親戚のおばさんのようにも思えるのだが、ヴァネッサの温かさは母親そのものだ。

「……ありがとうございます」

 レグルスは目元を押さえて、天井をあおぐ。面白がって、有紗はレグルスの横顔を覗き込む。

「もしかして、感動したの?」

「故郷を失ったアリサのなぐさめになれれば、本当にうれしいです。母上に言ったら、泣いてしまうでしょうね」

「おおげさねえ」

 有紗は笑いながら、レグルスに寄り添った。照れくさいだけで、本当のところ、そんなふうに言ってくれる人が傍にいてくれてうれしい。だが、今の状況は危険だ。ほとんど綱渡りに近い。穏やかな未来のために、ヴァネッサの無実を証明しなくてはいけない。

「ねえ、調べるって言ったはいいけど、何をどうすればいいのかな」

「毒については、すでに近衛が調査済みです。デキャンタが残っていればよかったのですが……過ぎたことを悔やんでもしかたありませんしね」

「ごめんなさい。私が急に声をかけて、ヴァネッサさんを驚かしたから……」

「アリサを責めていませんよ。今、できることは、人の出入りを調べることと、毒の出所ですね」

「そっか、そんなものを手に入れる方法は、限られているよね。そういえば、なんの毒だったのかな。グラスに入っていたんでしょ、あれだけで何か分かるもの?」

 有紗は護衛を振り返る。ガイウスとロズワルドが、後ろからひっそりとついてきていた。

「毒の種類によります。においだけで分かるものもあれば、無味無臭もありますので」

 ロズワルドが答え、ガイウスが付け足す。

「ああいったものは、近衛のほうが詳しいですよ。何も言わなかったということは、なんの毒か、分からなかったんでしょうね」

「お妃様がいなかったら、誰も気付かなかった可能性が高いですね」

 ということは、無味無臭で特徴のない毒ということになる。

 こんな中世のような生活レベルで、高度な毒がほいほい手に入るものだろうか。

「そんな毒を、使用人が手に入れられるものなの?」

「うーん、なんとも言えませんね」

 レグルスは言葉に迷う。

「使用人といっても、王宮で王族に仕えているのは、貴族の子弟がほとんどです。身分次第では可能……としか答えられません。下働きは無理ですが、貴族に頼まれたのならありえないことではない」

「利用されて、使い捨ての駒にされてるかもってこと?」

「今の時点では、何も分かりませんが、そうでもなければ、庶民には手に届かない毒でしょうね」

「なるほどねえ」

 有紗は良いことを思いついた。

「それじゃあ、人の出入りについてはガイウスさんに任せて、私とレグルスは毒について探りましょ!」

「お妃様、危険です。そちらを騎士に任せるべきでは?」

 ロズワルドが口を挟んだが、有紗にだって考えはある。

「だって、私には邪気が見えるのよ。怪しいものならすぐに分かるから警戒できるし、隠そうとしても無駄よ」

「確かに、そういうことでしたら、お妃様が調べたほうが向いていますね。お妃様が行動するなら、殿下も付き添うでしょうし……」

 ロズワルドも納得したようだ。ガイウスは止めないが、条件を付けた。

「殿下、お妃様、必ず騎士を二人、同行させてください。御身に何かあっては困りますから」

「分かった」

 レグルスは安心するようにと言いたげに、薄く微笑む。

「調査は明日からね。腕がなるわー!」

「アリサ、くれぐれも無茶はしないでくださいよ」

 不安でたまらないとばかりに、レグルスが釘を刺した。


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