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一時間ほどが経ち、ようやく近衛兵による調査結果が出た。
ホールでは、王侯貴族達は待ちくたびれている。落ち着きなく歩き回っている者もいたが、ほとんどは近衛兵が用意した椅子に座っていた。
団長が厳しい表情で入ってくると、彼らは腰を浮かせ、ホールにピリッとした空気が流れる。
団長はレジナルドの前で片膝をつく。
「報告いたします! 側妃ヴァネッサ様がおつぎしたワイン以外からは、毒は出ませんでした!」
人々はどよめいた。
レグルスとミシェーラが気色ばんで、椅子を立つ。
「ありえません! 母上がどうしてそんな真似をするのです!」
「デキャンタを渡した者も怪しいではありませんか」
すると、団長が冷静な態度を崩さず、レグルスとミシェーラを順に見る。
「酒を管理する執事から話を聞き、ワイン樽も全て調査しました。しかし、どれからも毒は出ませんでした。ワイン樽は隣室の配膳室に置かれ、執事がつきっきりで管理しています。側妃ヴァネッサ様、侍従が最も疑わしいと言わざるをえません」
ワイン樽を調べて、魚が死ななかったのなら、ヴァネッサが持っていたデキャンタのワインだけがたまたまいたんでいたことになる。
(そんなこと、ありえないわね……)
ワイン樽の中身も全ていたんでいるならば、その理屈は通じる。
ヴァネッサの顔からは血の気は引いて、青を通り越して白くなっていた。小刻みに震えながら、体を強張らせている。
パチンと扇を閉じる音がして、王妃ローラが冷たい声で切り出す。
「これで充分でしょう。陛下、王妃を害しようとした者は、処刑です。二人を牢へ!」
近衛兵がヴァネッサと侍従を引っ立てる。
「待って!」
有紗はとっさに声を張り上げた。
彼らは、神子の言葉を無視できない。
皆の視線が集まる中、有紗の心臓は騒がしく鳴り始める。
「何か問題点でも? 神子様」
レジナルドが硬い声で問う。しかしその目には、祈るような感情が宿っているように見えた。王は政治と関係ない立場で、ヴァネッサを愛していると聞いている。
危機というのは、頭の回転を速くするものらしい。有紗はこの数秒で、一つだけ打開策を思いついた。
「もう一つ、調べていないものがあるわ」
「なんでしょうか?」
調査にケチをつけられ、不愉快だと言わんばかりに、団長が正面からにらんでくる。涼やかな容貌をしているが、貴族然としていて鼻につく雰囲気の男だ。
喧嘩を売られると、有紗は不思議と腹がすわる。
(負けるか! 私は今、『邪神の神子』よ!)
敵意には、敵意を返す。この世界に来て、有紗が自己防衛のために学んだことだ。
有紗は王妃のワイングラスを示す。
「そのグラスよ!」
「……どういう意味です?」
「デキャンタからワインをついだ。でも、もしかしたら元々グラスに毒が塗られていたのかも。王妃様、ワインの前に、そのグラスで何か飲みました?」
王妃はワイングラスを恐ろしげに見下ろし、ふるふると首を横に振る。
「いいえ」
「それなら、中に入っていなかったと証明できないわ。この食器を準備したのは誰?」
捕まっている侍従が、周りを見回す。ホールにいる使用人も互いに視線をかわした。
すると、レグルスが口を開く。
「父上、このパーティーの監督は誰ですか」
「大臣に任せている」
「では大臣に問う。食器を配置したのは誰だ?」
大臣は冷や汗をハンカチでぬぐいながら、女官長に声をかける。
「女官長、誰だ?」
「ここにいる誰かですが、食器は最初に配置しましたから……その……」
「出入りする中で、誰かがグラスに毒を仕込んでも分からないというわけだな?」
レグルスが確認し、女官長は返事に困って、涙目で黙り込む。この状況で下手なことを言えば、命が危ないと理解しているのだ。
「容疑者は母上と使用人全て、それから大臣というわけだな。父上、全員を牢に入れるのですか?」
レグルスは慎重に問う。
パーティーのために、王宮の要職についている使用人のほとんどが居合わせている。彼らを牢に入れるということは、王宮の機能が停止するのと同じ意味だ。
「それは……」
生活が成り立たなくなるので、さしものレジナルドも言葉に迷う。近衛団長は黙して続きを待ち、場がこう着した時だった。
第一王子のルーファスがすっと右手を挙げた。
「父上、進言してもよろしいでしょうか」
「なんだ、ルーファス。申してみよ」
戸惑う人々が、期待に満ちた視線をルーファスへと注ぐ。
こんな状況でもゆるやかに構えているルーファスは、王妃を示す。
「そもそも、この毒は我が母上を狙ったものなのでしょうか」
「どういう意味です、ルーファス。現に、わたくしのグラスに毒があったのですよ!」
王妃が言い返すが、ルーファスは両手を広げて落ち着くように言うだけだ。
「そう怒らないでください、母上。皆さん、忘れておいでのようだ。母上は陛下と神子様の怒りを買い、謹慎の身です。神子様をご不快にする可能性があるのに、どうしてこの場に参加すると予想できるでしょうか」
「……たしかに、その通りね。王子との顔合わせの場でしたから、陛下がわたくしの立場を立ててくださったのですが、わたくしも最初は不参加だと思っていました」
息子の意見なせいか、王妃はあっさりと頷いた。
「そのワイングラスは王族の女性用だが、女性の席ならばどこに置かれてもおかしくはない。見ての通り、同じデザインだ」
ルーファスの指摘で初めて気付いたが、有紗のテーブルにも同じデザインのグラスが置かれている。
「団長、残りも調べてくれるかな」
「はっ」
近衛団長が部下に命じ、全てのグラスを引き取って退室する。しばらくして、すぐに戻ってきた。
「他には何もありません」
「そう。ということは、もしかしたら、神子様の席にあったかもしれないわけだね」
ルーファスのつぶやきに、レグルスが眉をひそめる。
「何が言いたいのです、兄上」
しかしルーファスはレグルスではなく、有紗をじっと見つめた。
「神子様は普通の飲食はできないそうですね。お食事が邪気とはおうかがいしていましたが、飲み物も口にできないとは知りませんでした」
「水も食べ物も受け付けないと話したことはあるけど、王宮の皆さんは動揺していたから、気付かなかったのかもしれないわね」
有紗はそう断った。そういえば、パーティーの監督である大臣が、有紗に酒をすすめてきた。責任者でそうなのだから、周知されていなかったと考えるべきだろう。
食事のほうは、疫病の解決で邪気を食べていたから、皆もよく知っているのだ。
有紗が水のかわりに血を飲むとまでは、さすがに言いたくなかったので、このことを知っているのはレグルスとミシェーラ、ヴァネッサだけだ。
「つまり、標的はあなただったかもしれない」
有紗に毒がきくのだろうか。分からないが、試したいとは思わない。
「それで?」
「ふふ、分かりませんか。母上には失礼を申し上げますが、たかが一国の王妃と神子では格が違う。神子を害すれば、国が滅ぶんですよ。つまりこの件は、簡単に答えを出していい問題ではないのです」
「そうなると、私以外が飲んでいたら、どうなっていたの?」
「神子様がいらっしゃるパーティーで、毒殺が起きた。現在のように、騒ぎになりますよね」
「ねえ、待って。そもそも、私には邪気が見えるわ。食中毒だろうが、毒だろうが、すぐに分かるのよ。意味がないんじゃない?」
「そうでしょうか。誰の犠牲も出ずに、騒動を起こせますね」
ルーファスと話していると、だんだんイライラしてきた。
「もうっ、まどろっこしいわね! つまり、どういうこと!」
有紗が憤然と足踏みしても、ルーファスの態度は変わらない。
「ですから、騒動を起こすことが犯人の狙いではないか、と申し上げているのですよ」
「……騒動?」
「誓約の儀を邪魔したい者が、ここにいるようです」
ルーファスが推測を口にすると、ホールにざわめきが走る。
「陛下、この件は慎重に調査すべきです。関係者には見張りを付け、側妃ヴァネッサ様も謹慎なさるべきでしょう」
「……ふむ。第一王子の言うことが妥当だな」
「よろしければ、この件、私が調査をしても? 偶然か故意か分かりませんが、我が母が狙われたのは事実です。犯人を見つけたいのです」
ルーファスが名乗り出たので、有紗も急いで挙手する。
「はい! 陛下、私も調べたいです。ヴァネッサさんは私の義母になる人です。汚名をそそがせてください!」
「父上、私もお願いいたします」
「わたくしも!」
レグルスとミシェーラが追随し、レジナルドは困り顔をする。
「しかし、それでは当事者だけで公平性に欠ける。近衛団長と、もう一人……」
すると、第四王子のジールが手を挙げる。
「父上、私が担当いたします」
「第四王子か。そなたは派閥と関係ないし、常に周りから一歩引いている。公平さを期待する」
「職務をまっとうすると誓います」
四手に分かれ、それぞれ調べることに決まったが、レジナルドは申し訳なさそうに有紗を見つめた。
「このような状況では、誓約の儀で何が起きるか分かりません。アリサ様、この件が片付くまで、儀式は延期してもよろしいですか」
「ええ、構いません」
ヴァネッサのためだ。有紗は大きく頷いた。
そして、この場はなんとか無事にお開きになったが、とにかくヴァネッサの命のことばかり気にかけていた有紗は、ことの重大さに気づいていなかった。
別宮に戻るなり、レグルスが頭を抱えて言ったのだ。
「ああ、アリサ。僕達は、まんまと犯人の策にはまったようです」
「どういうこと?」
「兄上が言っていたでしょう? 騒動を起こすのが目的のようだ、と。誓約の儀を邪魔したいのではないか……とも」
「うん? それで?」
「延期になりましたよね。思惑通りということです」
有紗はしばし沈黙し、自分の馬鹿さ加減に気付いて、思わずその場にしゃがみこんだ。
「うわあああ、なんてこと! やってしまったー!」
「……ええと、まあ、いったん母上の処刑は回避しましたので、とっさにしては上手くやったほうかと。問題は、兄上です」
レグルスはうんざりと溜息をつき、有紗の腕を引いて立たせ、おもむろにぎゅっとハグをした。
「どうしたの? お兄さん、口添えしてくれたじゃないの」
「ほら、公平の顔をして、あなたの好感度アップに利用してるじゃないですか。あの聡い兄が、犯人の思惑に気付かないわけがない。誓約の儀を邪魔したいようだとは言いましたが、延期や中止が狙いではとは触れませんでしたよね」
「……ん? そういや、そうね」
あのやりとりで、あの状況に持っていけるなら、レグルスの言う通り、それくらい気付いていそうだ。
「兄上にとっても、誓約の儀の延期は都合が良いんですよ。アリサを口説く時間がとれる」
「うっそだぁー、まさか、そんなことで……」
レグルスが冗談だというのを期待して、有紗はレグルスの顔を覗き込んでみた。だが、彼はあきらめきった顔をしている。
「……本気で?」
ひくりと頬を引きつらせる有紗に、レグルスは苦々しく問う。
「兄上がどうして、次の王として最有力候補だと思います? あのように、場を味方につけるのが上手です。それに、問題が起きたとしても、自分にとって都合がいいなら、あんなふうに利用もするんです。……息をするように」
真夏に怪談を聞いたみたいに、有紗はゾッとした。
レグルスがルーファスを警戒する理由を、やっと理解した。
「こわ……っ。王宮の闇をなめてたわ」
「ですから、周りは全て敵と思えと教えているのですよ。アリサ、どうか気を付けてください。僕はできる限りあなたを助けますが、兄は手ごわいので。利用されて傷つくアリサを見たくありません。――いいですか、あなたは悪ぶっていますが、根っこは『良い人』です。王宮育ちの狸には分が悪い」
「気を付けます」
有紗は良い人ではないと思ったが、あの好青年じみた悪い人に比べたら、有紗なんてまだまだだ。
神妙にうつむく有紗を、レグルスは再び抱きしめる。
「しかし、アリサ。先ほどの、母上を義母になる人と言ってくれたのはとてもうれしかったです。ありがとうございます」
「すでに義母のはずなんだけどね。結婚式をするまでは、未定なんでしょう?」
「あ、そうでした。離れなくては」
「なんなの? レグルスの中で、どこまでがオーケーなのよ」
「僕からは、後ろからハグまでです。顔を見てのハグだと、ちょっとしんどいので……」
急によそよそしくなってレグルスが離れるので、有紗はじだんだを踏む。
「もーっ、そのルールはなんなのよー!」




