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39/65

 日が落ちると、篝火に照らされる廊下を通り抜け、有紗はレグルスとともに会場へ向かった。

 謁見の間をかねる大ホールで、パーティーを開くと聞いている。

 アーチ型の飾り付き窓にはガラスははまっておらず、ぬるい風が吹き込んでいた。

「アリサお姉様!」

 入り口の前で、レグルスの妹であるミシェーラ姫が待っていた。

 小柄の可愛らしい栗鼠みたいな少女が、にこやかに歩み寄ってくる。薄桃色のドレスが年若い彼女によく似合っていた。

「お会いできて光栄ですわ。お父様に、ルーエンス城でお姉様のお手伝いをしたいと頼んでいるのですが、誓約の儀が終わるまでは王宮にいるようにと言われてしまって。でも、この儀式が終わったら、お姉様のお傍にまいりますね」

「ありがとう! 助かるけど……いいの?」

「はい! お姉様のおかげで、王宮でもだいぶ過ごしやすくなりましたけれど、前が前だけに不気味なんですよ。それに、命を助けてくださった御恩はお返ししませんと」

「ミシェーラちゃんってば、本当に良い子ね!」

 頭をなでたくなったが、ミシェーラの赤い髪には真珠の髪飾りがついているので我慢した。

「お姉様、今日のお召し物、とっても素敵。水色と白がさわやかで、とてもお似合いですわね」

「そう? うれしいわ。ミシェーラちゃんは、お花の妖精みたいね」

「もったいない言葉ですわ」

 ミシェーラは頬を赤く染め、恥ずかしそうにうつむく。こういう姿を見ると、ハグしてなでなでしたくなる。いくら年下相手だからって変態じみた真似はよくない。有紗はぐっと我慢した。

「まいりましょうか、二人とも」

 レグルスにうながされ、三人でホールに入ろう、大きな扉の前に立つ。すると、ラッパが高らかに鳴らされた。

「闇の神子アリサ様、レグルス殿下、ミシェーラ殿下、ご入室!」

 ギギ……と大きな扉が開く。割れんばかりの拍手が響き、ホールでは着飾った人々がにこやかに笑っている。

(本当に、態度が真逆で、いっそすがすがしいわ……)

 くえない狸と狐の巣窟という感じだ。

 うれしいと思うよりも、気持ちが冷めた。この中のいったい何人が、本当に歓迎しているのだろうか。

 レグルスとともに、王家の椅子のほうへ向かう間、貴族達の視線を感じた。

 その後、王と王妃が入場する。王妃は謹慎の身だが、今回の誓約の儀には参加するので、顔合わせにも顔を出したようだ。

 末席だが、レグルスとミシェーラの母、側妃ヴァネッサもいる。

 レグルスが気にする第一王子とはどんな人物だろうか。こっそり見てみたが、なんと空席だった。

 レジナルド王があいさつをする。

「このよき日に集まってくれたこと、感謝する。闇の神子様、ご足労いただきまことにありがとうございます。失礼ですが、第一王子は外交の調整のために遅れてまいります」

 有紗はこくんと頷いた。

「こたび、神子様との誓約をかわすこととなった。触れの通り、大神殿の神官により、神子様は大変傷つかれた。我々はこの方の意思を尊重し、守らねばならない。そうしなければ、闇の神により、この国から夜が取り上げられるだろう。そして、この国は滅ぶ」

 レジナルドはとうとうと話し、集まった人々に釘を刺す。

「実際、滅びかけたのだ。それを神子様のご恩情で回避しただけのこと。皆の者、くれぐれも肝に銘じておくのだぞ」

 ホールはしんと静まり返り、畏怖の空気に満ちた。居並ぶ人々から、笑顔が消えた。

 彼らが充分に理解したのを察すると、レジナルドは温和な空気に戻る。

「それでは、まずは王子を紹介しよう。アリサ様、第一王子はルーファスという名だ。王妃の子で、二十五歳となる。また後で紹介します。第二王子はそちらのレグルスだから、省きます」

「はい」

「そちらから、第三王子ヴァルト。王妃の子で、二十二歳だ。レグルスと同い年だが、レグルスのほうが先に生まれた」

 真紅の髪と明るい緑目を持った、いかにも柄の悪そうな青年がお辞儀をした。髪の色はレグルスとよく似ているのに、まったく違うタイプに見える。

(確か、レグルスが嫌っている弟よね)

 いかにも生意気な弟といった雰囲気だ。意外にも、彼の傍らには白金の髪を持つ美少女がいる。

「ヴァルトにはすでに婚約者がいる。ユリシラ・ホーエントだ」

 レジナルドの紹介を受け、ヴァルトの婚約者はスカートをつまんでお辞儀をする。

「ユリシラでございます。お会いできて光栄ですわ、神子様」

 にっこりと微笑む姿は、妖精みたいだ。

(なんか……美女と野獣? 野犬?)

 有紗は二人を眺め、失礼なことを考えた。

「次に、第四王子ジールだ。今年で二十歳である」

 銀髪と明るい緑の目を持つ青年が、ゆっくりと礼をとる。たれ目がちでのんびりした空気をしているものの、噂通り賢そうだ。なぜか商人を思わせた。

「側妃エメリアの子だ。エメリアは国内の有力者――侯爵家の血筋でもある」

 銀髪のふくよかな美女がお辞儀をするが、彼女は特に口を開かなかった。大人しそうな雰囲気がある。レジナルドの紹介は続く。

「それから、末の第五王子エドガー。十九歳だ」

 小柄な少年が、お辞儀をした。真紅の髪は短く、真ん丸な目は深い青だ。動きが小動物じみていて、なんとなく警戒心をそぐタイプである。

「側妃マールの子だ。マールはアークライト王国の王女で、同盟を築いた関係でとついできた」

 側妃マールはきりっとした顔立ちの美女だ。知的で、気が強そうだ。

(美男美女ぞろいねえ)

 レグルスは顔立ちが整っているが、パッと見た時は地味そうに見える。こんな王族の中にいると、あまり目立たない。

(これでも充分にすごいけど、文武両道で容姿が良いっていう第一王子はどんだけなのよ)

 とりあえず王族の顔と名前を頭に叩き込みながら、有紗は不思議に思った。

「親族の紹介は以上です。残りは遠縁と貴族ですが……」

 レジナルドは思惑ありげに周りを見回す。

「皆、神子様はわずらわしいのは好まぬゆえ、あまり話しかけて不興を買う真似はさけるように」

 王からの、有紗へと不要に近づくのはひかえるようにという注意に、心中で何を考えているのか分からないものの、彼らは「承りました」と素直に返事をする。

 なぜだか、王子よりも、ヴァルトの婚約者ユリシラのほうが記憶に鮮烈に残った。



 それから、パーティーが始まった。

 いくつか置かれた長テーブルにはごちそうが並び、給仕係が肉などを取り分けて、客に提供している。

 有紗はできるだけそちらを見ないようにした。

 普通の食事をとれない身には、宮廷料理は目に毒すぎた。

 代わりにとホールを見回して、楽師と踊り子を見つけた。陽気な音楽と、二人で組んで踊る女性二人。衣裳がひらひらしていて、華やかだ。

「わぁ、レグルス。あの人達、綺麗……」

 有紗はレグルスの袖を引こうとして、ぴしりと固まった。いったいいつの間にテーブルの前に来たのか、着飾った少女達がレグルスにあいさつしている。

「お会いできて光栄ですわ、神子様、レグルス様」

「国をお救いになったとか。さすがはレジナルド王のご子息。ご立派ですわね」

 レグルスは困惑顔ながら、父親を話題に出されては返事をしないわけにもいかず、丁寧に返す。

「陛下のお役に立てたのなら、息子としてうれしく思います」

「まあ、なんて奥ゆかしい方かしら!」

「ご謙遜なさらないで」

 お嬢様言葉で、きゃあきゃあと色めきたつ彼女達。

 有紗はしらっとした目を向けた。

(あれか……! 今まで低評価だった男が、美女と結婚したとたん、モテるやつか……!)

 レグルスは血筋のせいで不遇の身だった。それが闇の神子を射止めたものだから、貴婦人達には急に良物件に見え始めたのだろう。

「ところで殿下、側妃をめとるご予定は?」

 ものすごくムカつく質問だった。有紗は聞いていられなくて、椅子を立つ。

「レグルス、私、ミシェーラちゃんとおしゃべりしてくるわ。――ゆっくり話したらどうかしら」

「えっ、アリサ?」

 レグルスが止めようとする手をすり抜け、有紗は窓辺のほうにいるミシェーラのもとへ向かう。

 ちらっと振り返ると、他にも令嬢が増え、レグルスは退路を断たれていた。

(何よもうっ、馬鹿!)

 有紗は胸をもやもやさせ、ホールを横切る。

 大切にしていた自分だけの宝物を、誰かにベタベタとさわられたような感じと似ている。

(せっかくレグルスの地位が向上したのに、あんなの見たら、喜べない!)

 よっぽど有紗は怖い顔をしているのか、客達が慌てて離れて、道があく。

「ミシェ……あれ?」

 有紗がミシェーラだと思った少女は、近づくとまったく違っていた。人違いだ。

(やだ、こんな面前で恥ずかしい!)

 大きな声で話しかけなくて良かった。

 有紗はいかにも最初から庭に用事がありましたみたいな顔で、彼女の傍を通り抜けた。外に出ると、一面、黄色の世界が広がっている。イチョウによく似ていて、故郷を思い出させて、有紗はしばし呆然と木々を眺めた。

 整備されているが、庭園のようなものは見当たらない。花が植えられている様子もなかった。

「すごい……。なんて名前の木かしら」

「ラーリヤの木をご存知ないのですか、お嬢さん」

 不思議そうに問われ、有紗はそちらを振り返る。

 金髪碧眼の美青年が立っていた。黒地に青い差し色が綺麗な上着とズボンを着ている。

 有紗は、どこかで見た顔だなと考えた。

 彼の顔が強張り、目が大きく見開かれる。

(……あ、いけない。怖がらせちゃったかも)

 ルチリア王国では、光神教を信仰する者がほとんどだ。闇の神を恐れ嫌っているせいか、有紗と初めて会った人は、どうしても身構える。

 その顔から血の気が引くところまで想像したが、意外にも赤みが差した。

(え?)

 この反応は新しい。びっくりしていると、青年は片膝をついて敬意を示す。

「これは失礼いたしました。その夜のごとき髪と目。闇の神子アリサ様ですね?」

「ええ」

 ああ、そうか。

 今日は円筒形の帽子をかぶり、その下に髪を覆い隠すヴェールをしている。黒髪が見えるようにしておかないと、面識のない人間が有紗に失礼をするかもしれないとレジナルドが心配していたというので、こんな髪型になったのだ。

 後ろからでは誰か分からないから、彼は有紗に話しかけたようだ。

「アリサ!」

 そこで、ようやく貴婦人の包囲を逃れたレグルスが駆け寄ってきた。

「あ、レグルス。ねえ、聞いてよ。この木、ラーリヤっていうらしいんだけど、私の故郷の木にそっくりで……」

 有紗はどれだけうれしいか聞いて欲しくて、木を指さしながらレグルスに話しかける。だが、最後まで言う前に、レグルスが有紗をかばうように背の後ろに追いやった。

「兄上、アリサに何かご用ですか?」

「ちょっとごあいさつしていただけだよ、レグルス」

「どうして庭にいるんです」

「会議が終わったから、外を通って、ショートカットして来たんだ。中通路はうんざりするくらい歩かせられるからね。そしたら女性の客人が『なんて木だろうか』とひとりごとをおっしゃっていたから、教えてさしあげていただけだよ」

 青年ははきはきとしたしゃべり方ながら、言葉はやわらかい。

 レグルスの兄といえば、一人しかいない。第一王子ルーファス、その人のようだ。道理で見覚えがある顔のはずだ。ルーファスの顔立ちや外見は、王妃とそっくりだ。しかし、性格はレジナルドのほうに似たようで、意地悪そうな雰囲気は欠片も見当たらない。

「レグルスのお兄さん?」

 有紗がレグルスの横から顔を出すと、ルーファスはにっこりする。すると、レグルスが横にずれ、すぐに有紗の視界をふさいだ。

「ええ、そうです、神子様。第一王子ルーファスです、どうぞお見知りおきを。まったく、信じられない。あの神官達は、こんな美しい方によくも非道な真似をできるものだ」

 息をするように美辞麗句が出てくるので、有紗はぽかんとした。

「う……美しい? 誰が?」

「アリサです」

「アリサ様です」

 レグルスとルーファスの声が重なった。そのことに、「まったく似ていないけど兄弟なんだなあ」と感心しながら、有紗の顔は熱くなった。ルーファスは社交辞令としても、レグルスは本気で言っているのだろうと思うと、なんだかいたたまれない気持ちになる。

「照れるからやめて!」

「なんて可愛らしい……」

「兄上! アリサは私の妃ですよ。誤解をまねくような発言はやめてください」

 有紗には背中しか見えないが、レグルスが肩を怒らせて、ルーファスに注意をしているのは分かる。

「レグルス、私は父上のように妃を何人も持ちたくない。最愛の人が一人いれば構わないと、どこかにいるだろう運命の相手を探していた。アリサ様を見て、確信した。彼女だ、と!」

「「はあああ?」」

 今度は、有紗とレグルスの声がそろった。

 こんな訳の分からない告白をされたのは初めてだ。さすがにからかうにしたって度が過ぎている。有紗は不愉快をあらわにして、ルーファスに言い返す。

「何を言ってるのよ、レグルスのお兄さん。私の夫はレグルスよ!」

「そうですよ、兄上。まさか、誓約の内容を忘れたのですか?」

 レグルスの横顔は冷たい。声もトゲトゲしい響きがある。

「『二人を引き離さない』、『レグルスを神子様への脅迫に使う』。これをやぶったら、誰であろうと死刑だろう? だが、『神子様を口説いてはならない』とは書いていない」

 ふてぶてしくも、ルーファスはそう付け足した。

 確かに書いていないだろうが、なんだそのへりくつは。有紗は頭を抱えたくなった。

「私が口説いて、アリサ様のお心が手に入ったのなら、お前がその程度の男だったというだけだ。それでは、神子様、御前を失礼いたします。陛下がたにごあいさつに行かねばなりませんので」

 ルーファスは慇懃にお辞儀をする。

 そんなふうに丁寧にされると、有紗はつい日本でのくせで同じように返してしまう。

「あ、はい」

 ルーファスが右手を差し出したので、あいさつの握手かと有紗も右手を出す。するとその手を素早く取って、手の甲にキスをし、ルーファスはにっこり微笑んでから去っていった。

「すごい……王子様だ……」

 有紗はあ然とルーファスを見送る。彼がホールに入った途端、あちこちから女性の黄色い声が飛んだ。芸能人みたいだ。

「どういうことなの、レグルス。冗談にしては笑えないんだけど」

「だから嫌だったんですよ! 昔から、兄上とは好みが似ているので。兄上がアリサに会ったら惚れるんじゃないかと、戦々恐々としていました」

「ええっ、じゃあ、あれで本気だってこと? 待って、おかしいわよ。木の名前を教えてもらっただけよ? どこに惚れるのよ」

「それこそ、何をおっしゃってるんですか、アリサ。小柄でほっそりされていて、可憐で。どう見ても守りたくなるタイプじゃないですか!」

 誰のことだ、それは。

 自分の認識とおおいにずれていて、有紗は面食らう。

 レグルスは有紗の肩に手を置いて、じーっと正面から見つめてくる。

「アリサ、怒らないので言ってください。少しはぐらっときました?」

「はあ? 失礼ね、まったく来ていません! 何よ、レグルスなんて、美少女にちやほやされてたくせに!」

「ちやほやって……。どう見ても、権力狙いのこうかつな女性達だったじゃないですか! 蛇に囲まれた蛙の気分でしたのに、アリサは置いていきましたよね。ひどいじゃないですか」

「私は側妃なんて許さないからね!」

「僕だって、他の男に渡す気はありませんからね!」

 有紗とレグルスは、お互いに口喧嘩をしているつもりだったが、護衛のために追いかけてきたガイウスとロズワルドは遠くを見る目をした。

「あれ、天然でやってるんだから、すごくないか?」

「騎士としてあるまじきことなのだが、逃げないようにするのに必死だ」

「分かる。俺、家に帰りたくなる」

 騎士達の溜息など知らず、有紗達は言い合いをしていた。



 ひとしきり口論した後、「お互いに浮気はなし」というところに着地した。

 我に返ってみると、有紗は恥ずかしさでバツが悪くなった。

 レグルスは兄弟を気にしていて、有紗は手の平を返した貴婦人に思うことがある。まあ……つまり、やきもちだ。

 お互い、相手を素晴らしい人だと思っているのに、自己評価が低いせいで、よそ見されそうで不安になっている。この状況、はたから見たら喜劇だろう。

(というか、どんだけ好きなのよ)

 顔から火が出そうだ。

「どうかしました?」

「別に」

 レグルスのほうは、この喧嘩がどれだけ馬鹿みたいか気付いていないようだ。わざわざ説明するなんてごめんなので、有紗はぶっきらぼうに返事をする。

 とりあえずホールに戻ると、王族と貴族が酒杯をかわしているところだった。楽しげに雑談をして、ときおり笑い声が上がる。

 自分達のテーブルに戻ると、大臣が近づいてきた。従者が銀の盆に、ガラス製のデキャンタとグラスをのせている。

「神子様、いかがですか、赤ワインを一杯。王領のぶどう園でとれた一品で、こんな機会でもなければ出回りませんぞ」

 彼はすでに飲んでいるようで、赤い顔に笑みを浮かべている。

「申し訳ないですが、私、普通の飲食はできなくて」

「そうでしたな、私としたことが、失念しておりました。大変失礼いたしました、神子様。ご不快になられていないとよろしいが」

「大丈夫よ」

「では、殿下はいかがです?」

 有紗が軽く許したので、大臣はレグルスにグラスを差し出す。

「ありがとう」

 レグルスはグラスを受け取り、大臣と乾杯した。しばし季節のあいさつをした後、大臣は他の貴族のほうへ向かった。

「まさか、彼から酒をもらう日が来るとは……」

 グラスを見下ろし、レグルスは神妙な顔をしている。

 以前、大臣はあからさまにレグルスに侮蔑の目を向けていた。こうも態度が変わると、気味が悪いみたいだ。

「大丈夫よ、黒いもやは見えないから」

「はは」

 毒なんか入っていないという、有紗のブラックジョークを聞いて、レグルスは苦笑を浮かべる。

「まあ、王宮の人付き合いなど、利益になるかどうかですからね……」

「それも世知辛いわねえ」

「ガイウスのような者もいますが、少数派ですよ」

「良い人を味方につけたわよね」

 有紗はホールを眺め、レグルスに話しかける。

「意外と、王族と貴族って気安く会話するものなのね」

 王や王子、王妃や側妃の傍でほがらかに話す人々が不思議だった。もっと厳格な身分制度があるのだと思っていたせいだ。

「ある程度のマナーはありますよ。例えば、初対面では、下位の者は上位の者に紹介されなければ、相手に話しかけてはいけない、といったような」

「下位?」

「身分だけでなく、立場ですね。親が子を紹介する……とか、兄が弟を……ということです」

「なるほどねえ」

「その点、アリサはこの場でトップですから、好きに話しかけて大丈夫ですよ」

「……レグルスがもう少し親しくしろっていうなら、がんばるけど」

「僕としては、男には近付かないで欲しいですが、女性同士の付き合いまで口を出すつもりはありませんよ」

「友達は作っていいって意味?」

「そうですね」

 レグルスはほんのり困り顔をする。

「僕は男ですから、女性の悩みまで解決できません。母上やミシェーラもいますが、この狭い血縁関係の世界にアリサを閉じ込めるのは、違うと思うんです。いろんなことを知って、それでも傍にいてくれたらと願うばかりですよ」

 有紗は肩をすくめる。

「相変わらず、馬鹿正直よね。レグルスにとって都合のいいことだけ教えても、私には判断できないのに」

「僕は欲深いので、そんなちっぽけな愛はいりませんよ」

「ふふふ。そうね、大きくて広いのがいいわよね」

 有紗はつい笑ってしまいながら、有紗もレグルスみたいに、相手のためになる考え方をしたいものだと考えた。

「お二人とも、相変わらず仲良しですわね」

 テーブルの前で、ミシェーラが頬を染めて恥ずかしそうに両手を組んでいる。

「ミシェーラちゃん、どうしたの?」

「お母様がお酒をどうぞとおっしゃっていますわ。下位から上位にお酒をささげるのが、酒宴でのあいさつですの。お母様は側妃で一番立場が低いので、いつもお母様からなんですわ。アリサお姉様は飲めませんけど、形式だけでも受け取っていただきたいそうです」

「そうなの?」

 視線をめぐらすと、ヴァネッサが王妃のグラスに、デキャンタからワインをついでいるところだった。

「あ……!」

 有紗は思わず椅子を立つ。

 ワインに黒いもやが取り巻いているのだ。

「あのワイン、いたんでるわ。ヴァネッサさん、待って!」

 突然、有紗が大声を出したので、ヴァネッサはビクッとしてデキャンタを取り落した。ガシャンとガラスが割れる甲高い音が響き、飛び散ったワインが王妃とヴァネッサのドレスを汚した。

「きゃああっ、王妃様のお召し物に汚れが! 無礼者!」

 侍女がヴァネッサを怒鳴りつける。

「ちょっと、待ちなさいよ。今のは、私が悪かったわ」

 有紗が急いで王妃の席に向かうと、レグルスとミシェーラもついてきた。

「王妃様、そのワイン、黒いもやがついてるわ。たぶんいたんでるから、飲まないほうがいいと思って、口を出してしまったの」

 すでにつがれたワインの入ったグラスを、王妃は険しい目で見下ろす。指だけで侍女に指示を出すと、侍女は魚の入った器を運んできた。

 そこに、侍女がワインを少量垂らす。

 魚が腹を上にして、ぷかりと浮かび上がる。死んだようだ。

「毒だわ。ヴァネッサ、なんてこそくなの。わたくしの命を狙ったのね!」

 王妃は椅子を立ち、ヴァネッサを糾弾する。

 王妃の顔からは血の気が引いて青白く、小刻みに震えている。怖がっているのはあきらかだ。

「そ、そんな、違います! 私は侍従から受け取ったデキャンタを持っていただけで……」

 ヴァネッサも動揺して、声が震えている。

「神子を味方につけたからと、王妃たるわたくしを愚弄するのですね! だからお前はいやしいというのです」

「やめぬか、王妃」

 王妃の言葉が聞くにたえないと、レジナルド王が止めた。

「アリサ様のおっしゃる通り、たまたまいたんでいただけかもしれぬ。まずはこの場にあるワインを全て調べよう」

「私が見ましょうか?」

 黒いもやを探せばいいのだろうと、有紗が名乗り出ると、王妃が否定する。

「邪気はわたくし達には見えません。ヴァネッサをかばうために、口をそろえるかもしれませんわ」

 失礼な返事だったが、王妃の言うことにも一理ある。

「それじゃあ、公平に調べるために、今、この場で調べましょう」

「衛兵、ホールの扉を封鎖せよ。客をいっさい出すな。それから、二人一組になり、毒見の魚に不正をしないか監視し、裏庭の池に行って、管理人から魚を受け取ってくるのだ」

 騎士は敬礼をし、すぐに班を分けると、ホールを出て行った。


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