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収穫祭が終わって日常が戻ると、有紗達は王宮へ出発した。
ルーエンス城を出て、迷いの森の外をぐるりと迂回し、王都がある崖の下に向かう。お供の騎士達がのろしを上げると、しばらくして上から鉄製の籠が下りてきた。
本来は、崖の上へ通じる道はルーエンス城から一週間ほど行った所にしかない。それで、簡単に行き来できるようにと、レグルスがレジナルド王に頼んで作ってもらったエレベーターもどきだ。
牛を使っての巻き上げ式で、収穫祭の途中で手紙を運んできた使いも、これを試しに使ってやって来たらしい。人が乗る前に、小型の動物から始めて、ロバや牛で耐久試験もしてみたそうだから、安全は保障されている。
「大人でしたら四人まで、鎧をつけている騎士でしたら二人までお運びできます」
上から下りてきた近衛兵の説明を受けたが、護衛師団団長のガイウスは及び腰になっている。
「ほ、本当に大丈夫なのか?」
「行くぞ、団長。殿下とお妃様を乗せる前に、まずは配下が試さなければ」
「ロズワルド、お前、なんでそう潔いんだよっ」
「そこの男が降りてきたのを見たのだから、大丈夫だろう。私は試験にも立ち会っている。問題ない」
「嫌だー! 俺は高い場所は苦手なんだ。屋根の修理ならできるが、こんな宙ぶらりんは……やめろぉぉぉぉ」
大騒ぎをするガイウスを容赦なく引きずっていって、ロズワルドは鉄籠に入った。近衛兵に合図を出すと、近衛兵は扉を閉め、カンカンカンと小鐘を叩く。ややあって、鉄籠が上へ戻っていった。
「へえ、ガイウスさんって高所恐怖症なんだ?」
「塀の上でも平気で登るので、まさかですよ」
悲鳴を上げる余裕もないみたいで、鉄籠の真ん中に座り込んで固まっているガイウスを眺めながら、有紗とレグルスは言葉をかわす。モーナは口を手で覆う。
「ガイウス様ではないですけど、こんなの、恐ろしいです……」
「モーナ、怖いなら手を握っていてあげるわ」
「アリサ、僕もいいですか?」
「レグルスも怖いの? しかたないわね」
あっさりと返す有紗に対し、モーナは目をそらす。
「殿下、私を出汁に使わないでくださいませ」
レグルスは薄く微笑んだだけで、どうとも答えない。そして何事もなかったかのように、使用人をもう一人選んだ。
しばらくして戻ってきた鉄籠に四人で乗り込んで、ゆっくりと崖の上へ到着した。
崖に大きな溝を掘り込んで、そこに鉄籠が到着するようになっている。鉄籠がしっかり固定されると、近衛兵が扉を開け、足場の板を置いて手を差し出した。
地面に降り立つと、階段の前にガイウスがへたりこんでいるのを見つけた。その傍ではロズワルドが涼しい顔をしている。
「へえ、巻き上げ機の固定のために、崖を利用してるのね。牛はここにいるの」
階段の向こうでは、牛が巻き上げ用の棒にくくりつけられている。石臼を回すために家畜を棒につないで歩かせることはよくあるので、エレベーターもどきも同じ方法を使っているようだ。
そのまま歩いていくと、大神殿の裏側に出る。
光神教の神官が勢ぞろいして、有紗達を出迎えた。
「神子様、お帰りなさいませ」
「王宮までご案内いたします」
闇の神を邪神と嫌う彼らだが、有紗の激怒で地震にあった事件のせいか、態度が真逆になっている。召喚されてすぐに崖から落とされたせいで、有紗は白い神官服を見るとどうしても身構えてしまうのだが、これには拍子抜けした。
それでも信用できない。警戒しながら馬車に乗り込むと、王宮でも熱い歓迎を受けた。
「すごい手の平返しって感じね」
有紗がぼそぼそと感想をつぶやくと、レグルスもほんのり苦い顔をしている。
「あからさますぎて、いっそ怖いくらいですよ」
レグルスの母は、踊り子だ。下賤な血を引く王子だと冷遇されてきたレグルスにとっても、この様子に戸惑っているようだ。以前は険しい目をしていた大臣が、今回は恭しく頭を下げる。
「申し訳ございませんが、陛下は会議に出ておられまして。本日は別宮にてごゆるりとお過ごしください」
「兄上達はすでに?」
「ええ。それぞれの宮にいらっしゃいます。顔合わせのパーティーは明日の夜となっていますので、ご準備のほうをよろしくお願いいたします」
「ああ、分かった」
大臣を先頭にして、有紗達も続く。その後ろに王宮の使用人が並んだので、何事かと思った。
(わぁ、これ、ドラマで見たことあるわよ。大病院の診察めぐりじゃない……)
どうしてついてくるんだろうか。落ち着かない気分で、有紗は現実逃避に走る。この前は故郷に帰れないと分かって絶望し、怒りをぶちまけてしまったが、どちらかというと、有紗はできるだけ和をたもとうと努力するほうだ。
庶民なので、こんなふうにかしずかれるのは苦手だ。息苦しくて嫌になる。
やめてもらうように言おうかと考えたが、ふとレグルスを見た。
(レグルスが王になったら、こんなことが日常茶飯事になるのかも。今のうちに慣れておかないと駄目ね)
レグルスも居心地が悪そうにしているが、王子として人の上に立つのを慣れている分、有紗よりも堂々としている。レグルスは有紗にふさわしい王になりたいと言うが、有紗もレグルスの隣にいて恥ずかしくない女性になりたい。
(夫を支える、いい奥さんになるのよ)
結婚にさして夢を持っていなかったが、今まで運がなかったレグルスをめいっぱい幸せにするために、有紗は平穏で温かい家庭を築くのを目標にしている。
そして和やかに生活できたら、きっと周りにも優しくできる。そのためにも、自分達がまずは幸せにならなくては。
「どうかしましたか?」
有紗と目が合うと、レグルスはかすかに笑みを浮かべて問う。
「ううん、なんでもないの」
頭の中で、幸せ家庭についてシミュレーションしていましたなんて、レグルスに発表するのはさすがに恥ずかしい。自分に照れ笑いをして、気を取り直す。
別宮に着くと、以前の手抜きが嘘みたいに庭はきちんと整備され、妃の間の内装は豪華な仕様に変わっていた。管理の女官は以前と入れ替えたようで、無口でてきぱきと働く女官が五人となっている。
ルーエンス城の配下が忙しく働く中、有紗は以前と変わらないレグルスの部屋に入り、一緒にお茶を囲んだ。
「よく考えたら、レグルスの異母兄弟は親戚になるのよね。これからの安泰ライフのためにも、最低限、親しくしなきゃ駄目よね」
「いいです」
レグルスがきっぱり否定した。
てっきり、「考えてくれてありがとうございます」と柔和に微笑むだろうと思っていたので、彼の固い表情にドキリとする。
「え?」
「アリサ、どうか近づかないでください。特に、兄上に」
「でも、レグルスの血縁者だし……」
「駄目です。絶対に、駄目」
レグルスは、この考えをゆずる気がまったくないらしい。
「他の男に近付かないでください」
「えっと、でも、あなたの兄弟でしょ?」
「兄弟でも、男ですから。嫌なんです」
不愉快そうに顔をゆがませるので、有紗は思わず椅子を立って、レグルスに抱き着いた。
「ごめんなさい。そうよね、レグルスはここで嫌な思いをたくさんしてきたんだものね。兄弟でも、良い気分がしないのは当然だわ」
「あなたが親戚付き合いを考えてくださるのは、とてもうれしいのですが……。どの派閥も危険です。できるだけ近づかないでください」
「分かったわ、そうする」
有紗は素直に返事をしてレグルスから離れたが、心の内では、ひそかに考えを巡らせている。
レグルスが王として立つなら、王子達のことは放置できない。ある程度は親しくして、敵に回さないようにしたほうが絶対にいいはずだ。
王妃がどんなものかはまったく分からないが、親戚をとりなすのだと思えば、有紗にもできることはあるだろう。
レグルスを支える良き妻になるのだと、有紗はやる気に満ちている。
「アリサ、本当に、ちゃんと分かってくれたんですよね?」
ものすごく不安そうに確認するレグルスに、有紗はにっこり笑って返す。
「もちろんよ」




