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八章 王子達と顔合わせ



 王宮での出来事から日が流れ、短いようで長かった夏の終わり。

 色鮮やかに輝いていた草花は、すっかり冬に向けて準備を始めている。辺りはほとんど黄色や茶色となり、秋の景色を作り出していた。

 とはいえ、ルチリア王国の季節には「秋」はない。夏の終わりであり、冬の始まりだというのが、日本人である有紗には不思議な感覚だ。

「闇の神子様、お会いできて光栄です。よろしければお話を……」

「今、忙しいから、またにして。はーい、皆さん。燻製チーズを持ってきたわよ」

 話しかけてきた男の言葉を無視して、有紗はがやがやしている大広間へと踏み込んだ。盆にのせたチーズを、商人の集まるテーブルに置く。

「ありがとうございます、お妃様!」

「これが燻製チーズ! なんとかぐわしい!」

「おい、邪魔だぞ。そこに突っ立っているだけなら、手伝いでもしたらどうだ」

 商人に邪険にされ、男はすごすごと端に戻っていく。

 有紗が闇の神子だと周りに知らされてから、神子とつながりを持とうという、面倒な客が増えた。

 その一方で、商機ありとみなした商人も集まってきたので、有紗はここぞとばかりに燻製料理を売り込んでいる。 

 ルーエンス城は、収穫祭のまっただ中だ。

 城の一画を領民に解放し、一年の仕事のねぎらいを込めて、三日の宴を開く。この時ばかりは、朝から晩までにぎやかだ。

 商人にもふるまって、味見してもらっている。気に入ると買っていく者もいるし、そうでなくても行商に出かけた先で噂をしてくれるので、ガーエン領の評判につながる。

 燻製にしたチーズや木の実を試食して、ワインで上機嫌になった商人達は、神子よりも燻製のほうに気を取られていた。

(ふふふ。計画通り……!)

 心の中で、黒い笑みを浮かべる有紗。

 神子の力よりも、有紗の知識をみんなでがんばって再現して得た物で、領地を盛り上げたい。

(私が死んだら消えてしまうものより、私がいなくても残り続けるもののほうが、絶対にためになるわ)

 ――目指せ、女や子どもに優しい国作り!

 そのためには、神子としての能力は足かせになるかもしれない。

 病気や怪我で苦しむ人々が訪ねてくるのはしかたがないが、有紗も食事をとらねばならないので、彼らの邪気を食べていた。

 そうして人の流れができれば、領地にお金が落ちる。それは良いことだが、悪いこともあった。よそ者がもめごとを起こすのだ。

(おかげで、私がロズワルドさんににらまれるんだけどね……!)

 とんだとばっちりにぶち切れた有紗が、「邪神の神子」の顔で、トラブルメーカーを脅しに行くこと数回。最近では、お行儀のいい巡礼者が増えた。

 神子が誰にでも手を差し伸べる慈悲の存在ではなく、怒らせればえげつない仕返しをする、めちゃくちゃ怖い存在だとも伝わったおかげだろう。邪気も力も使いようだ。

 有紗がガーエン領のチーズがいかにおいしいかを商人達に話していると、ふわりと後ろから抱き寄せられた。

「アリサ」

「あら、レグルス」

 レグルスが不服そうに眉をひそめ、後ろから有紗をハグしている。

「楽しそうですね」

「なんですねてるのよ。領地のために、売り込みをしてるのに」

「あなたが給仕など、しなくていいんですよ。侍女に任せればいいんです」

「みんな、忙しそうでしょ。いいじゃないの、手が空いてる人が働けば」

「妃はどんと構えていればいいんです」

 有紗が商人と同じテーブルにつくと、それはそれで嫌だと言うから方法を変えたのに。何がいけないんだろうか。

 不思議でならない有紗に対し、商人達は石を飲み込んだみたいな顔をする。

「うぐふぅっ、これが噂の天然あまあま夫婦か!」

「甘い、甘すぎる」

「見てるこっちが照れる……!」

 テーブルに突っ伏したり、頭を抱えたりと、商人達は忙しい。

「殿下、お妃様、ものすごく邪魔なので、あっちでいちゃいちゃしてください!」

 ふるまい料理を運ぶのに忙しいモーナから、苦情が飛んできた。そうだそうだと使用人が声をそろえる。

 いちゃいちゃってなんだ。

 レグルスの腕の中に大人しく収まったまま、有紗は首を傾げる。

「何よ、それ」

「いいですね、行きましょう。お茶に付き合ってくれませんか」

「分かったわ」

 有紗は肉体が作り変わったせいで飲食できないが、レグルスとテーブルを囲むのは好きだ。

 レグルスに誘われるまま、大広間を出て、外にもうけられた日陰のテーブルにつく。

 ちょうど大広間で、旅の楽師が軽快な音楽をかなで始めたところだった。かっさいが起きて、いっそう騒がしくなる。この場所は少し静かなので、有紗はほっとした。

「収穫祭って、こんなに忙しいのね」

 そう話しかける間にも、女官長のイライザが、レグルスのために軽食を運んできて、すぐに立ち去った。見るからに忙しそうだ。普段は遊んでいる子ども達も手伝っているくらいだ。

「どちらかというと、城の使用人が……ですね。ふるまいが終わったら、今度は彼らをねぎらう宴です」

 レグルスはワインと溶かしたチーズをかけたパンをつまみながら、うっすらと微笑んだ。笑みはささやかでも、こちらを見る目は温かい。

「収穫祭の後?」

「そうですよ。収穫祭最後の日はダンスパーティーがあるので、もちろん、彼らも自由時間ですけどね」

「いいわね、楽しそう!」

 ダンスなんてよく分からないから、今年は見学だけで終わるだろうけれど、祭り好きとしては期待してしまう。

「アリサが喜んでくれて、僕もうれしいです。でも、もう少し僕を構ってくださいね」

 髪を一房すくって、レグルスはうやうやしく口づけた。有紗の顔が照れで赤くなる。何かにつけて、「好きだ」と表現してくるレグルスに、最近の有紗はたじたじだ。

 甘やかしの度合が格段にはね上がり、有紗の心臓は騒がしい。

 だというのに、ふれあいは軽い程度で、夫婦らしいことはしていない。

「ああ、早く結婚式を挙げたいですね」

「王宮では正妃って紹介したんだし、もう結婚式なんていいのにね」

「駄目ですよ。身分が分からない謎の旅人ならともかく、神子だと分かったんです。式も挙げないなんてありえません。おざなりにしては、他国にも示しがつきませんし、母上にも、ちゃんとしないと嫁に一生恨まれるとおどされています。何より、アリサに恥をかかせるなんてとんでもない。きちんとしましょうね」

 王都を出る前に、レグルスはヴァネッサにきつく注意されたそうだ。律儀に約束を守る紳士ぶりは好きなのだが、今の有紗にはもどかしい。

「だからって、式まで清く正しく過ごしましょうって、なんなのよ。古くさいわね! って、中世くらいじゃこんなものだっけ。貴婦人は純潔を求められるから、姫は侍女と教育係に挟まれて寝るのが普通だもんね」

 レグルスは頭が痛そうに、額に手を当てる。

「アリサ、お願いですから自重してくださいね。僕だって、我慢するのはつらいんですから」

「でも、キスくらいしてくれてもいいでしょ。恋人なんだし!」

「無理です。アリサ、飢えている狼の前にステーキを差し出して、味見だけならしていいよと言って、我慢できると思います?」

「味見って……。えっ、そんなにせっぱつまってるの?」

 レグルスが有紗を好きなのは、よく承知しているが、まさかそこまで我慢しているとは思わなかった。

 だって有紗はレグルスの傍にいるだけで、とても幸せなのだ。レグルスもきっと同じだろうと勝手に思い込んでいた。

「婚約者なら、まだ良かったんですけどね。妃なのに手を出せないって……すごく生殺しなんですよ」

「私がいいよって言っても、駄目なの?」

「アリサに恥をかかせたくありませんから」

 有紗のためなら、我慢するらしい。こういうところは本当に頑固だ。有紗は呆れをあらわにする。

「レグルスって、本当に私のことが好きよね」

「好きどころか大好きですし、愛しています」

「もーっ、照れるからやめてってば」

 レグルスが真顔で口説くので、有紗は顔を手で覆う。これを四六時中されるので、有紗は照れてばっかりだ。

 そこへ、騎士が恐る恐る話しかけてきた。

「あのぅ、殿下、お妃様、よろしいでしょうか」

「なんだ?」

 仕事の顔に戻ったレグルスが、騎士に問いかける。騎士はあからさまに安堵し、敬礼をした。

「は。先ほど、王宮より手紙が届きました」

 銀のお盆にのった手紙を、騎士はずいっと差し出した。赤い封蝋がされた巻紙だ。封を解いて、レグルスは内容に目を通す。

「ようやく準備ができたのか。喜ぶべきなのに、複雑だな……」

 レグルスが憂鬱そうにするので、有紗は心配して口を挟む。

「どうしたの?」

「アリサは父上と約束したでしょう? あなたの意思を無視する真似をしたら、誰だろうと死刑だ、と。王子と貴族の代表を各地から召集し、約束を記した書類にサインさせるそうです。誓約の儀として、大々的に」

「おおっぴらに、国の行事にするってこと?」

「その通りです」

 あれから音沙汰がなかったのは、国をあげての式典にするつもりだったかららしい。

 有紗が激怒して地震が起き、王宮がめちゃくちゃになっていたので、後片付けもあって準備に手間取ったのかもしれないと、簡単に予想ができた。

 ここではなんでも手作業だ。工事を楽にするための道具はあるが、現代の日本に比べたら大違いだ。

「それでなんで、レグルスは暗い顔をするの?」

「僕とアリサも参加ですよ。そしてそこには、兄上……第一王子も来るんです」

「お兄さん?」

「文武両道、容姿も良い。王位争いで勝つと思われている人ですよ。我が兄ながら優秀すぎて、アリサがどう思うか心配でなりません」

 深い溜息をつくレグルス。騎士は何も言わなかったが、苦い顔で目をそらした。

「レグルスもたしかにかっこいいけど、私が一番好きなのは優しいところなのに?」

「アリサ……」

 感動という顔をして、レグルスが有紗の手を握る。

「あのー、私は仕事に戻っても構いませんかね」

 早くここから立ち去りたいと顔に書いて、騎士が素早く断りを入れた。


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