表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/65

5 【第一部おわり】



 風に飛ばされる雲のように、ざああと黒いもやが空へ舞い上がる。

 黒いもやはどう見てもまがまがしいが、たんぽぽの綿毛みたいな役割でもあるのか、有紗はふわふわと浮かんでゆっくりと迷いの森へ降りていった。

 思わず追いかけて崖から飛び降りそうになったレグルスは、それを見て安堵し、崖の端で立ち止まる。

「心臓に……悪すぎる……」

 膝から力が抜け、その場に座り込んだ。

 崖から落とされたことをあんなに怖がっていたのに、「前も無傷だったから」と飛び降りるとは思いもしなかった。

 遠くを漂う黒い影を、レグルスは憧憬を込めて見つめる。

 ほんの少し前まで、有紗は自暴自棄になって国ごと滅ぼうとしていた。父王のしんしな態度で考えなおし、あの邪気のかたまりを連れて立ち去った。彼女の身に起きた不幸を思えば、あれを放置しても誰も責められない。

「本当に、優しくて強い方だ」

 迷いの森で命を救われたあの日から、レグルスの心は有紗にとらわれている。


 ――迎えに来て。


 王都からルーエンス城まで、馬車で一週間の距離だ。

 つまり有紗は、一週間であの黒いもやをどうにかしておくという意味で言っていたのだろう。

 だが、さっき別れたばかりなのに、レグルスはもう有紗に会いたい。

「アリサ、急いで迎えに行きますから!」

 崖から叫ぶが、返事はない。

 崖にロープを張って下りれば一日とかからずに再会できるだろう。しかし、生身の人間にすぎないレグルスには、あの黒いもやのかたまりは危険だ。ある程度は有紗の言うことを聞くべきだろう。

 レジナルドに崖に移動に便利な装置を付けてもらえるように頼んでから、馬を飛ばして帰ろうと、レグルスは慌ただしく神罰の崖から走り去る。

 可愛いお姫様のお願いは、全力で聞くものだ。



     *****



 黒いもやのかたまりのおかげで、ハンググライダーみたいに迷いの森へ降り立った有紗の前に、突然、黒い闇が広がった。

 手の先も見えないほどなのに、不思議と怖くない。

 なんとなくこの場所に覚えがあり、懐かしささえ感じられた。

「なんだっけ、見たことあるような……」

 暗闇の中、奥のほうが明るく見えた。そちらへ歩いていくと、しくしくと悲しげな泣き声が聞こえてくる。

 金銀の飾りがついた黒いローブ姿の青年が、宝石のついた豪奢な椅子に座ってうつむいている。フードで目元は見えないが、すっと通った鼻筋と細くとがった顎、青白い唇は形が良い。

「もしかして、闇の神様? この森に住んでる神様って、あなただったの?」

 飾りがシャラリと揺れた。どうやら頷いたらしかった。

「すまぬなあ、愛しい子。我々……神々ははるか昔に約束をかわした。好き勝手な願いばかり口にする人間から距離をとり、それぞれの領域で世界を運行する……と。この世界に神子が来た時だけ、我らの誰かが祝福を与える。そして神子は神の代わりに、人々に救いを与えるのだ」

 憂鬱そうな溜息をこぼし、闇の神はこちらを見た。シャラシャラと飾りが揺れる。

「そういう約束だったのに。あの神官達は、私の神子を崖から……崖からぁ……」

 闇の神は膝を抱え、再びしくしくと泣き始める。

 神様にとっても、あの神官の所業は驚かされることだったみたいだ。

 美麗な大人なのに、することがまるで子どものようだ。

「神子は寿命が来るまで死にはせぬが、さすがにあの高さから落ちると苦痛だろう。そなたを助けるために、力を使った。そのせいでしばらく寝ていたから、あの後、呼びかけに答えられずにすまなかったな」

 指先まで美しい手が、有紗を手招く。

 有紗が闇の神に近付くと、闇の神は親が幼子にするみたいに、有紗の頭をよしよしと撫でた。心配していたのがよく分かる。

 見知らぬ異性の男は怖いはずだが、なぜか保護者のように感じられて、有紗は素直に受け入れた。

「寝てたの?」

「干渉するのは約束違反だ。ものすごく疲れるのだよ。今回は、神子が邪気を連れてきてくれたから助かった。邪気は神の領域であるから、私の領域に呼んでも問題ないのでな」

 ここには違う神がいるのだと思っていたが、どうも神様の間で細かい決まり事があるらしい。

「しかし、あの国を滅ぼすべきか、少し迷った。王族が誰もかかわっていない、神官の独断だったからな。そこで王子に機会を与えた。あの者は私の神子を大切に扱ったから、あとは神子の判断に任せようと見守っていたのだよ。――どうする? そなたが望むならば、この国から夜を取り上げようと思うが」

「神子の意見で決めちゃうの?」

「親は我が子が可愛いものだ」

「人間より?」

「当たり前だ。祝福をさずけたことで、そなたは半神となった。我が子同然だ」

 半神。それで体が作り変わったのか。

「私は神官と同じクズになりたくないから、滅ぼさなくていいよ。それより、私、帰りたい。この体も元の人間に戻せないの?」

 表情が分からないのに、闇の神がしゅんっと落ち込んだのが分かった。綺麗なのに可愛い。なんとも親しみの感じられる神様だ。

「すまぬ。戻せない。そもそもな、そなたらのようなはるか遠い世界は、我らの世界よりずっと上にある。そう想像してくれ。すさまじい高さから落ちれば、普通の人間にはひとたまりもない。体がバラバラになってしまうほどの衝撃だ。我らは祝福を与えて体を作り直し、この世界での生につなげている」

「それってつまり、私や他の神子は一度死んだってこと?」

「そうだ。そなたらの世界ははるか遠すぎて、ここからではとても戻せないし、肉体の変化もそのままだ。神子、そなたはすっかり変質している。もし元の世界に帰れたとして、さらなる孤独が待っているだろう」

 ショックを受けるかと思ったが、すでに腹をすえていたせいか、さして揺らぎはしなかった。

「そっか……そう聞くと、あきらめがつくよ」

「召喚とは、はるか遠き世界とこの世界との通路を開けるものなのだ。それ以外にも、自ら迷い込む神子もいる。人間に、我らが呼んだと思われているのはそういった神子だな。だが、我らが呼ぶことはない」

「なんで召喚の方法なんて教えたの?」

「それが約束であったからだ。国の存亡にかかわる時にのみ召喚する。そういうものだったが、長い年月とともに忘れ去られたのだろうな。他の国でも、この国のように儀式の書物を焼いたところがある。人間が自らの力で生きていこうと思うのなら、それは良いことなのだろう」

 ここでは、遠い昔の神様と人間の約束が、全てを左右している。

 人々が神様を頼りにし、神様は約束を残して去った。代わりに神子が来たけれど、神子という存在に頼らないようにと、人々は少しずつ変わっていく。

 有紗はそんな流れの中に放り出され、ほんろうされていたようだ。

「そういえば、この森には奇跡の泉があるって聞いたけど……本当なの?」

「ああ。その者は私の領域に入り込んだのだろう。私にとって邪気はおやつだから、取り上げたにすぎない」

「おやつ……」

 そんなことでと思ったが、有紗も邪気を食べているので似たようなものだ。

「この邪気のかたまりも、私が引き取ろう。疲れた時には甘いものだ」

「はは、そうですか……」

 一週間で食べきれるか怪しかったので、引き取ってもらえるのは助かる。

「私のごはん分は、少し持って行くわよ」

「ああ、もちろんだよ、神子。そなたには苦労をかけるな。光につらなる者達は、邪気をくらう私を嫌うのだが……。この世界のけがれをはらっているのは私なのだから、もう少し敬意を払って欲しいものだよ。光の神なんて、ひなたぼっこをするだけだぞ、ずるいではないか」

「光の神と仲が悪いっていうのは本当?」

「頭が花畑の、暑苦しい太陽野郎だぞ。嫌いだ。あっちは私を陰気くさいと言うがな」

「……ハハハ」

 有紗の頭の中で、アウトドア派のスポーツ系神様と、インドア派の真面目系神様がにらみあっている様子がありありと想像できた。そりゃあ気が合わないよなあと納得できるのが不思議だ。

 闇の神は有紗の両手をやんわりと取って、優しく話しかける。

「私の愛しい子。神子という立場は、そなたには不本意かもしれない。だが、私はそなたに幸せに生きて欲しい。――また、困り事があったら、邪気とともにこの森においで。私はいつでもそなたを見守っている」

「……そうね。正直、こんなふうに変わったことはうれしくないけど、神様が私を助けてくれてたってことが分かったことはありがたく思うわ。私、レグルスとがんばってみる」

 有紗も闇の神の手をぎゅっと握り返す。

 闇の神はふわりと微笑を浮かべる。

 そして、有紗が瞬きをすると、穏やかな森の中に立っていた。周りには数日分の食事に足りるほどの邪気が漂っている。

 周りを見回すと、大きな狼や鹿、動物達が集まっていて、敬意をあらわして頭を垂れていた。一頭の巨大な狼を残し、動物達はいなくなる。ボスなのだろうか、狼がじっとこちらを見つめ、ゆっくり歩きだした。有紗がそれを見ていると、ちらりと振り返る。

「もしかして、ついてこいって言ってる?」

「オンッ」

 返事があったので、有紗は黒いもやをつかんで歩き出す。寝泊まりにちょうど良さそうな巨木のうろ前まで案内すると、狼は少し離れた所に寝そべった。

 前回はまったく姿を見かけなかった狼だが、この賢そうな様子だと、遠くから見ていたのかもしれない。

 狼に案内を頼めば、この森から迷わずに外に出られるかもしれないが、有紗は一人でルーエンス城に戻る勇気がなかった。闇の神子だと知った彼らがどんな反応を示すのか分からず不安だ。

 レグルスが迎えに来るまで、ここでのんびり過ごすことにした。



 そして五日目の午後。

 狼に連れられ、有紗は森を歩いていた。

 昼は森を散策し、邪気をまとう動物の治癒をして、夜は狼と眠るという、以前よりもずっと快適な野宿生活を送っていたが、そろそろ人恋しくなってきた。

「ねえ、どうしたの? また、動物の治療とか?」

「ウゥ」

「何言ってるか分からないのよねー」

 狼の返事を聞いても、有紗は首を傾げるだけだ。それでも話しかけてしまうのは、なんとなくこの狼が人の言葉を理解していると分かるせいだ。

 以前も見かけた小川の傍を通り抜け、外へつながる地点についた。そう分かったのは、レグルスを見つけたせいだ。

「レグルス!」

「アリサ!」

 有紗よりも、レグルスのほうが早く駆けだした。レグルスは有紗をぎゅむっと抱きしめる。

「良かった、これから森に入るところだったんです。会いたかった。怪我はありませんか?」

 レグルスは急に思い出したようで、有紗を離して、心配そうにこちらを観察する。

「大丈夫よ。森にいる間は、そこの狼の世話になってたの」

「狼……」

 レグルスの表情が強張る。

 そういえばレグルスは、狼に噛まれて死にかけていた。トラウマの存在だろう。狼はじっとレグルスを見つめ、「オン!」と吠えると、くるりと身をひるがえして森の奥へと駆け去った。

「なんでかしら、『そいつを頼んだぞ』って言ってる感じがしたわね」

「奇遇ですね、僕もそう聞こえました」

 闇の神は、神官の所業に迷い、王子に機会を与えたと言っていた。もしかしてあの狼は、闇の神の眷属か何かなのだろうか。

「この森に住んでいる神様は、闇の神だったわ。私が邪気を持っていたから、会うことができたの。もう、そんな顔をしないで。聞いてみたけど、帰れないし、肉体の変化も元に戻せないんですって。私はここでレグルスと生きていくわ」

 有紗はレグルスの頬を、両手で挟む。喜ぶべきか落ち込むべきか分からない。複雑そうな顔をしていたレグルスは、やっぱり有紗を心配する。

「大丈夫ですか?」

「帰れないのはつらいけど、方法がないわ。ここで生きるって決めたから、もう大丈夫よ。でも落ち込む時は、一緒にいてね」

 有紗の手に左手を添え、レグルスは頷く。

「ええ、たとえアリサが頼まなくても、僕は傍にいます」

「うん!」

 その言葉の温かさに、目に涙をにじませながら、有紗は微笑んだ。

 生まれ育った地は遠く、もう二度と帰れない。

 けれど、たしかにここに居場所がある。

「さあ、帰りましょう。皆も待っています」

「……みんな、嫌になってない?」

「アリサ、ガーエン領は王都のすぐ傍にあります。地震とともに、神官の悪行が知れ渡りました。神子に同情する者はいても、憎む者はいません。――もしいたとしても、あなたには近付けませんから。どうか安心してください」

 そんな者はいないと嘘をついてもいいのに、レグルスは正直に話す。だから有紗はレグルスを信じられる。

「ありがとう、レグルス」

 レグルスの左腕に、有紗は右手をかける。

 寄り添いあって森の出口を抜け、外へ出る。

 そこには大勢の人々が並んで待っていた。

 騎士団のガイウスやロズワルドはもちろん、ロドルフ、イライザ、モーナもいる。そして、騎士や使用人、町の人達で野原はいっぱいになっていた。拍手が響き渡る。

「お帰りなさい、アリサ様!」

 声をそろえ、温かく迎えてくれる彼らの姿に、有紗はあ然とし、ゆっくりと破顔する。

「ただいま!」

 そしてはにかんだあいさつを返した。

 この小さなガーエン領が、いずれ有紗の故郷となるだろう。




 第一部おわりです。

 途中で予約時間を間違えているところもありましたが、とりあえずこんな感じで残りも移動させていきますね。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
 アルファポリスでの目次(先行公開)
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ