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 髪と目を隠さなくても良くなったので、ハーフアップにしてリボンでとめた。

 それから袖が邪魔にならない服に着替えると、レグルスやモーナ、ガイウスやロズワルドとともに王宮内の聖堂に戻る。

 有紗が来ても、神官や医者は止めなかった。だが、さっき有紗が落ち込んでいたのを見ていたせいか、鬼気迫る顔で乗り込んできたことに驚いている。

「さあ、ここから片付けるわよ!」

 有紗はかたっぱしから黒いもやをつかみ、ガラスの小瓶に入れていく。ある程度入れると、もやが中に吸い込まれなくなるようだ。コルクで栓をして、赤いリボンを結ぶ。

「アリサ、こちらにどうぞ」

「ありがとう」

 レグルスが持つ木箱へと小瓶を入れ、モーナが差し出す新しい小瓶を手に取る。

 おおよそ十人分で小瓶が一つというところか。六本目の途中で、聖堂内の患者は全て癒し終えた。

 最初は有紗におびえていた患者達だが、病が治ると、一転して有紗に感謝した。

「奇跡だ……!」

「闇の神子様、ありがとうございます」

 身をもって、治癒の業を体感したからだろうか。この変わりように、有紗は苦笑した。

 彼らを助けようとしていた医者や神官に薄くまとわりつく黒いもやも回収し、有紗はすぐにきびすを返す。王宮内を歩き回り、時に黒いもやをつまみ食いしながら、全部集め終えた。

「使用人と騎士団もこれで全部ね? この分じゃ、ガラス瓶が足りないわね。それに、レグルスが管理するにも多すぎるわ」

「そうですね。ガラス瓶の中身が空に見えても、これだけ容器があると重いですし……」

 途中から、ガラス瓶を一か所に置いて、ロズワルドに見張りを頼んだ。その地点に戻って、どうしようかと話していると、レジナルドが足早にやって来た。

「アリサ様、王宮内の邪気を全て封じてくださったとか。感謝します。ガラス瓶は職人達に急ピッチで作らせておりますよ」

「高価なものなのに、ごめんなさい」

 この世界の様子を見ていると、ガラスはそこまで普及していない。王侯貴族や神殿で使っている程度だ。つまり、それだけ高価だということになる。

「民の命に比べれば安いものです。ほう、これに封じてあるのですか? 空にしか見えませんな」

 赤いリボンを結んだガラス瓶を眺め、レジナルドは不思議そうに言った。

「父上、うっかり誰かが開けるとおおごとになりそうで、心配しているんです」

 レグルスの訴えに、レジナルドはそれが当然だと同意を返す。

「そういうことならば、宝物庫を使うがよい。あそこは私の許可がなければ入れぬからな」

「勝手に入ったら?」

 有紗が問うと、レジナルドは笑った。

「処刑ですよ。王の財産に手を付けようなんて、無謀な者はいないと思いますがね」

 無断で入ったら、死ぬのか。

「なるほど、一番安全そうですね。それじゃあ、いったんそちらで預かってください。私のごはんにするので、後で少しずつ引き取ります」

「かしこまりました。しかしアリサ様、病気や怪我のもとなんて食べて、体は大丈夫なんですか?」

 レジナルドの心配に、有紗は頷きを返す。

「ええ。お腹いっぱいになるだけです。その時々で、私の食べたいものの味がするんですよ」

「そうなんですか。それは良かった」

 ほっと息をつき、レジナルドは荷物を持ってついてくるように言う。

「陛下、昔は他の神子がいたんでしょう? 皆、何を食べていたのかしら」

「光の神子様は、日光浴をしていたようです。記録に残っているのは、あとは水の神子様ですね。水を飲むだけだったそうですよ」

 日光浴って、光合成みたいだ。有紗はレグルスを見上げて問いかける。

「火や風の神子はどうするのかな。火を食べるの? やけどしそうよね」

「気になりますね」

「ごめんね、王子様に荷物を持たせちゃって」

「いいんですよ。頼ってくれるだけでうれしいです」

 レグルスはにこりとし、有紗も笑みを返す。レジナルドがこちらを呆れ顔で見て、レグルスの様子に片眉を上げる。

「息子のこんな顔は初めて見ますよ。あまり笑わない子でしたからな」

「そうなの?」

 確かに、レグルスは静かに微笑むことが多いが、有紗は笑みをよく見ている。笑わない子と言われたレグルスは、少しばつが悪そうだ。

「父上、子ども扱いしないでください」

 レグルスの抗議を、レジナルドは笑うだけだった。

 それから宝物庫に着くと、レジナルドは鍵を開けて、中に入るように言う。広々とした倉庫には、いろんなものが置かれている。

 空の棚の前に来ると、レジナルドは立ち止まった。

「この棚を使うといい。レグルス、宝物庫に出入りしたい時は、私が同席するから声をかけるように」

「かしこまりました。ありがとうございます」

 いったん小瓶を棚に置くと、宝物庫を出る。

「アリサ様、王宮中の小瓶を集めているので、次は町に行きましょう」

「ええ」

 病気が広がると、有紗一人では手が足りなくなってしまう。

 とはいえ、王を味方につけたおかげで、手厚いサポートを受けられるのはありがたい。

 王宮を出るため、有紗達は正門のほうへ向かう。

「レグルス殿下、お妃様、我らもお供いたします」

 ルーエンス城からついてきた護衛師団の騎士達が、前庭で二列に並んで待っていた。

「皆、正気なの?」

 疫病のまっただ中に同行しようと言うのだから、有紗は思わずそう聞いてしまった。

「ご安心を。我らは一度死んだ身です」

「そうです。殿下は『誇りある騎士』になれとおおせです。ですから、皆のために身を張りましょう」

「それに、疫病にかかっても、お妃様が助けてくださるんでしょう?」

 最後は有紗を当てにしているようだったが、それでも勇気ある騎士達の様子に、有紗とレグルスは自然と顔を見合わせ、お互いに微笑んだ。

「もちろんよ。邪神嫌いから守ってね、よろしく!」

「皆の勇気に感謝する」

 有紗とレグルスの返事に、騎士達は「はっ」と声をそろえて敬礼した。



 王都の町へと出かけると、有紗は精力的に働いた。

 闇の神を邪神と呼ぶような人の中には、疫病に倒れる人々を死へ導くのだと大騒ぎをする者もいて、興奮して有紗に石を投げる者もいた。

 即座に騎士達が盾でかばってくれたので、その隙に、有紗は道の端に見捨てられた疫病患者に近付いて、黒いもやを引っこ抜いた。

 ぐったりしていた老人は、驚きとともに目を開ける。

「え……?」

 不思議そうに起き上がり、ぼんやりとしている老人に、有紗はできるだけ優しく見えるように、にっこりと微笑んだ。

「私は闇の神子アリサ。あなた達の病気を癒しに来たわ。皆にも教えてあげて」

 ここにいる人達は旅人か身寄りがないのか知らないが、道端に倒れている患者が多い。日本だったらありえない光景だ。あんまり気の毒なので、有紗は目にとまった彼らから病気を癒していった。次々に小瓶に邪気を封じていく。

 打ち捨てられていた人々は起き上がり、狐につままれたような顔で座る。そして、有紗を呆然と見ていた。ただ静かに涙を流し、有紗を祈る者もいる。

 そういった感謝の視線には少しの居心地の悪さと照れくささを感じたが、「諸悪の根源である神官達を孤立させるため」に必要だと思えば、有紗は不敵に笑う「邪神の神子」を演じることができた。

「さあ、次に行くわよ!」

 こぶしを天に突き上げ、治安の悪いほうを選んで進む。

 王都には、貧民が暮らすスラム街があるらしい。

 裕福な者達は治療を受けられるようだが、やはり思った通り、スラムの人達は見捨てられていた。一部の志ある医者と神官が必死に看護しているのを見かけ、有紗はレグルスに話しかける。

「レグルス、あの人達が誰なのか、覚えておいたほうがいいわよ」

 危機でこそ、その人間性が分かる。危険をかえりみず、弱者に手を差し伸べる人達だ。きっと立派な人達だろう。

「そうですね。ガイウス、記録を頼めるか」

「かしこまりました」

 レグルスはガイウスに声をかけ、ガイウスは配下に命じて筆記具を取りに行かせる。

「まさか、王宮の方ですか?」

 三十代くらいの男の神官が、驚きをあらわにして、遠くから話しかける。

「第二王子レグルスだ。こちらは闇の神の神子アリサ。この方が、病を癒してくださる」

「邪神の……? まさか、彼らを殺そうというのですか。あなたがたはいつもそうだ。貧民に病が広がると、町ごと焼いてしまう。今度は死神を連れてきたのですか! そうはさせませんよ!」

 神官だけでなく、武器を取る元気のある貧民達が木の棒や石を取った。

 殺気立つ彼らの様子に、有紗は身をすくめ、レグルスの傍に寄る。今にも襲いかかってきそうな彼らだったが、有紗達の後ろから声が響いた。

「待て!」

 振り返ると、ついさっき助けた、通りに倒れていた人達が集まっている。

「この方は死神などではない。わし達を助けてくださった」

「そうだ。あの方々だけだ、俺達に手を差し伸べてくれたのは」

「私達も病で死にそうだったの。でも、こんなに元気になったわ。お願い、信じて!」

 貧民街の人々と同じように、古着をまとっている人々が有紗達をかばう。貧民街の人々はざわめいた。

「本当に助けてくれるのか……?」

 彼らの中から、眼光の鋭い老人が前に出てきた。

「どうやら、彼がここのリーダーのようですね」

 レグルスが有紗にささやく。対話する気になったのだと悟り、有紗は背筋を正して立つ。老人の質問に、きっぱりと答えた。

「ええ、そうよ」

「では、まずはわしが試そう」

 老人はゴホゲホとわざとらしくせきをしたが、有紗にはお見通しだ。

「駄目よ。おじいさんは元気じゃないの。疫病にかかってないわ」

 すると老人は驚きを見せ、深く頷いた。

「分かるのか。これは本物じゃな。――では、そこにいる重病の者はどうだ?」

 老人が示す先には、青年が横たわっている。

「いいわよ」

 有紗はそちらに近付くと、黒いもやを抜き取った。死相が浮いていた青年の顔色が良くなり、不思議そうに目を開けた。

「あれ……? 急につらいのがなくなった」

 病で疲弊した体力までは戻らないので、青年はふらつきながら起き上がる。

 医者が青年に駆け寄り、状態を診る。

「熱が引いている。本当に治っているぞ」

「これが神子様の奇跡……。救世主だわ」

 女性の神官が目をうるませ、祈る仕草をした。

 有紗はにっこりと笑ってみせる。

「分かってくれたみたいで良かったわ。ここにいる全員、疫病を治すわ。まずは特にひどい人からね。どこにいるの?」

「こちらです。来てください」

 医者に手招かれ、有紗達は貧民街にある広場へ向かう。

 日よけ布が張られたその場所には、多くの人達が寝かせられている。何とも言えないすえたにおいがするので、有紗は少したじろいだが、打倒神官をかかげる身としては、その程度に負けるわけにはいかない。

 気を取り直し、憤然と広場に乗り込む。

 そして有紗は、貧民街の人々から、邪気を抜いて回った。



 貧民街の人々が元気になると、平民が自分達も助けて欲しいと集まってきた。

 王宮から届く小瓶を手に、彼らからも邪気を取り去っている最中、貴族が馬車で押しかけてきた。

「おい、どかぬか。私達が先だ!」

 子どもを抱えた貴族の夫婦は、列を無視してやって来る。

 有紗は子どもをちらりと確認し、黒いもやがまだ薄いと分かると、彼らを追い払う。

「駄目よ、貴族なんか関係ないわ。その子はまだ大丈夫だから、後ろに並びなさい。重病人が先」

「私は侯爵だぞ!」

 貴族の男が顔を赤くして怒ると、レグルスが前に出た。

「そういうことなら、私は王子だ。言う通りにしなさい」

「踊り子の血を引くいやしい王子が、えらそうに!」

 レグルスの言葉に激昂し、男はレグルスを怒鳴りつけた。レグルスの顔からすっと表情が消える。

(ああ、レグルスはいつもこうやって身を守ってたんだわ)

 有紗の胸が痛んだ。反論もせず、黙って心に壁を作って、そうやって精神をたもってきたのだと、この数秒で分かってしまった。有紗の中に冷たい怒りがわいた。

「いいわ、その子から治してあげる」

「ありがとうございます」

 有紗はにっこり笑い、子どもから取り上げた邪気を、そのまま男の体に押し付けた。男は目を丸くし、子どもを落としそうになって、夫人が急いで子どもを抱き留めた。

「な……何を……。熱い……っ」

「約束通り、子どもの病は治してあげたわよ? でも、あなたが代わりに受け取ったけど」

 くすりと有紗が笑いかけると、男の顔が引きつった。

「そ、そんな、治してくれ!」

「あなたは分かってないみたいだけど、レグルスは私の夫なの。レグルスを馬鹿にするのは許さない。神子が人間の味方だと、誰が決めたの? こちらを傷つけるなら、容赦しないわ。いつでも『邪神の神子』になってあげる」

 有紗の激怒が伝わったのか、男は青ざめた顔で地面に崩れ落ち、有紗の前でひれ伏す。

「おわびいたします、神子様、レグルス殿下。ですからどうか、治してください」

「そうね、そこまでされたら許すしかないわ。――並びなさい」

「え?」

「並べと言ってるでしょ」

 こめかみに青筋を立て、有紗は列の後ろを指さす。男は急いで立ち上がり、列の後ろに走っていく。その程度の元気があるなら、しばらくは大丈夫だろう。

 これには平民達から拍手喝采が起きた。

 居丈高な貴族をやりこめたので、すっきりしたみたいだ。

 レグルスが表情をやわらげ、礼を言う。

「ありがとうございます、アリサ」

「いいのよ。でも、ちょっとやりすぎちゃった」

 えへっと照れ笑いを返す傍で、事情を知るガイウスが「なんで本当に結婚してないの?」みたいな顔をしていたなど、二人は気付かなかった。



 有紗の奮闘の甲斐もあり、三日で王都から疫病を一掃した。

 その後も、念のため、一週間の見回りをし、完全に大丈夫だと納得すると、有紗はレグルスとともにレジナルドに報告に来た。

「陛下、疫病は終息しました」

 玉座にいるレジナルドは、丁寧に返す。

「ありがとうございます、神子様」

「つきましては、お願いしていた聖典の閲覧をしたいのですが」

 地下牢にいる神官をやり込める前に、有紗はこちらを確認したかった。ずばり切り出すと、レジナルドはすでに準備をしていると答える。

「レグルスとともに閲覧できるよう、大神殿に約束を取り付けた。今はトップの三人が地下牢にいるのでな、代理の者が王宮に運び入れている。国宝ゆえに監視がつくが、満足するまで客間で読むがいい」

 レジナルドはしっかりと約束を果たしてくれたようで、いつでも読めるように場を整えてくれていた。

 さすがは大国をまとめあげる名君だ。仕事が速くて素晴らしい。

 態度の悪い者も数名見ていただけに、国のトップのありようがありがたい。ここでごねられたら、有紗は「邪神の神子」の顔をして脅しつけなければならないところだった。

 そうするくらいなんでもないが、レグルスの状況を悪くすることは、有紗は望んでいない。

 有紗が帰るのだとしても、世話になった手前、レグルスがすこやかに過ごせるようにして、それからすっきり帰りたい。

 有紗は深々と頭を下げる。

「ありがとうございます。それでは、さっそく読んでまいります」

「深く感謝申し上げます、陛下」

 レグルスも片膝をついて、礼を返す。レジナルドは微笑んでいる。

「レグルス、我が息子よ、神子の保護をしたこと、大義である。お前にも褒美をつかわせようと思うのだが」

「私が望むのは、家族とアリサの安全です、父上。アリサは大丈夫でしょうから、母上を大切にしてくだされば、それで構いませんよ」

「まったく、城の一つでも望めばよかろうに。母親の安泰を望むなら、息子のお前が土地を多く持つことだ」

「状況によって減るか増えるかするものより、父上のお心のほうが得難いでしょう。私は欲深い王子ですよ」

 物よりも心をとは、謙遜のように聞こえるが、よっぽど贅沢な話だ。王の寵愛のほうが、手に入れるのは難しい。

「ヴァネッサがあのように優しいままなら、私は大事にするつもりだ。これは夫婦の問題で、息子のお前が気にかけることではない」

 しかたがない奴だなと言わんばかりに、呆れを込めてレジナルドがさとす。

「これは大変失礼しました」

 レグルスも分かっているのだろう、すましてそんなことを返す。たまらないとばかりに、レジナルドが大口を開けて笑い出した。

「思っていたより、肝のすわった息子だったようだ。分かった、ではヴァネッサとミシェーラ、アリサに服飾品や宝飾品を授けようか。それで構わぬな、レグルス」

「ありがとう存じます、陛下」

 父親から王へと礼の行方を変え、レグルスは改めてお辞儀をする。

 レグルスは父王との仲は良好みたいだ。有紗は二人のやりとりを、穏やかに見つめていた。


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