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七章 邪神の神子

 勝利を確信したアンナの声が高らかに響き、パーティー会場はどよめいた。

「黒髪ですって……!」

「レグルス殿下のお妃様が髪と目を隠しているのは、そのせいなのか」

「悪魔だ!」

 あっという間にでんぱする恐れの気配に、有紗は身を固くした。

 アンナは王妃の手先で、レグルスの妃にかしがないが探っていたのだ。どうやって秘密裏に有紗の部屋に入ったかは謎だが、このままではレグルスの立場が悪化する。

「どういうことだ、レグルス」

 レジナルドの問いに、レグルスは有紗を背にかばう。

「誤解です、父上」

 有紗の右腕を、レグルスの手が少し強くつかむ。レグルスの緊張が感じられた。

 当然だ。王は戸惑っているが、王妃や配下は邪悪に微笑んでいる。周りは殺気立ち、今にも飛びかかってきそうだ。

(あっちのほうが、よっぽど悪魔だわ!)

 召喚された日のことを思い出すと身がすくむ思いがするけれど、有紗はそれをはねのけるほどの強い怒りが浮かんできた。

 おとしめられているレグルス達のほうが、ずっと良い人達だ。

 そんなにこちらを悪い者にしたいのならば、有紗は「邪神の神子」になってやろうではないか。

「そうね、誤解だわ」

 有紗はレグルスの言葉に頷いて、レグルスの左手を優しく外す。

「アリサ……?」

 何を考えているのかと戸惑いを見せるレグルスに大丈夫だと微笑んで、有紗は髪を覆う布とヴェールをつかんで外した。

「悪魔だなんてとんでもないわ。私は闇の神からつかわされた神子。そこの連中の言葉を借りるなら、『邪神の神子』よ」

 ついでに編み上げた髪をほどいて、真っ黒な髪を見せつける。

 言葉を失う人々の前で、有紗は丁寧にお辞儀をしてみせた。

「初めまして、皆さん」

 ざわめきが戻り、神官達が騒ぎ出す。

「お前! どうしてここにいるのじゃ!」

「あれから儀式が成功しないのは、お前のせいか!」

「衛兵、邪神の神子から陛下をお守りせよ!」

 神官の声で我に返った人々が、有紗の正体が本当に邪悪なのだと知って悲鳴を上げる。壁際にいた王宮の騎士が駆けつけ、有紗の周りを取り囲んで槍を向けた。レグルスは有紗を引き寄せて、刃先から守ろうとしている。

(まったくもう……本当に良い人なんだから)

 体を張って守ってくれるレグルスの姿に、有紗の胸は温かくなった。有紗は愛を返せないけれど、この冷たい世界で、彼だけは真実に思える。

「やめよ!」

 レジナルドの声が響いた。

「しかし、陛下」

「邪神の神子ですよ」

「愚か者め! 神子を傷つければ、国が滅ぶ。伝承を忘れたか!」

 レジナルドは病身をおして、配下を怒鳴りつけた。

「どういうことだ、レグルス。こんな大事をなぜ報告しないのだ」

「答えは簡単ですよ、父上。アリサを召喚し、『邪神の神子』だからと崖から突き落としたのが、そこにいる神官達だからです」

 レグルスが神官をにらむと、神官達はいっせいに言い返す。

「おのれ、邪神にとりつかれおったか、第二王子!」

「貴様がその女をかくまっていたとは!」

「陛下、だまされてはいけませんぞ。邪神の使いじゃ。この疫病も、その者のしわざに違いない!」

 勢いづく彼らを、レジナルドはいっかつする。

「黙らんか! 私に黙って、召喚の儀をとりおこなったとは。それだけでなく、崖から突き落とした? お前達、どの神子であれ、害すれば国が滅ぶというのに。お前達は反逆罪をおかしたのだ」

 顔を真っ赤にして怒ると、レジナルドはげほげほとせきこんで、その場に膝をつく。

 有紗は腹から声を出して、レジナルドに問いかける。

「陛下、実は私には、病をいやす力があるのです。陛下を治してさしあげましょうか?」

「なんですって?」

 レジナルドを支え、王妃がけげんそうにこちらを見る。

「何か勘違いしているみたいですけどね、王妃様。私は疫病なんてもたらしていません。だって私の食事は、そういう病気や怪我といったものにまとわりつく黒いもやなんですよ。私達の騎士や使用人が元気なのは、私が悪いものを食べているからです」

 有紗の言葉に、神官が顔をゆがめる。

「邪気が食事とは、おぞましい! この化け物め!」

「黙れ! アリサを馬鹿にするのは許さない。お前達のほうが、よっぽど悪魔の所業だ!」

 レグルスが怒って言い返す。有紗はその腕をそっと押さえてなだめた。今ので、有紗もブツッと切れた。

「レグルス、いいのよ」

「しかし、アリサ……」

「あいつらにはちゃんと、私がやり返すから」

「ええ、あなたの気が済むようにしてください。ですが、大丈夫ですか?」

 有紗が復讐すると言ってもレグルスは止めないが、心配そうにした。

「あなたは優しいから、きっと傷つく」

「私は優しくないわよ、レグルス。優しいのは、味方にだけ」

 レグルスは有紗を守ってくれる。有紗もレグルスを守る刃になる。腹をすえた。この連中には、それくらいでちょうどいい。

「陛下、あなたの病を治すかわりに、二つ、欲しいものがあります」

「なんでも申すがよい」

 周りと違って、レジナルドはまともな人だ。この王宮でレグルスやミシェーラがまっすぐに育ったのは、この父親のおかげだろう。そして、ヴァネッサの明るさも。

「一つ目は、そこにいる神官をいけにえに欲しいんです」

 恐怖にざわめく人々を見回し、有紗は自分の胸に手を当てる。

「私はこの世界に召喚され、『闇の神の祝福を受けた』と答えただけで、訳も分からぬまま、枷をつけられ、崖から落とされました。なぜか生きていますけどね。あんな怖い思いをしたのに、その加害者がのうのうと生きているのが許せない。苦痛を返したいんです」

「良かろう。許す」

 レジナルドが即答したので、神官達は顔を引きつらせた。

「陛下!」

「黙れ。反逆罪はどのみち処刑だ」

 真っ白に血の気が引き、神官達は震えだす。

「二つ目は、聖典の閲覧許可を、私とレグルスに」

「……聖典?」

「ええ。召喚の儀について書かれている本です。私は帰りたいんです。レグルスは神官がした罪をあがなうため、私を保護してくれました。功績を上げれば、聖典の閲覧もできるはずだと、一緒に領の盛り上げをがんばることにしたんです。――まあ、そこのメイドがあら探しに来て、私の正体がばれたのは誤算でしたけど」

 有紗がアンナをじろりと見やると、アンナはヒィッと悲鳴を上げ、へたりこんだ。

 そんな反応には少し傷つく。そこまで怖がらなくても……と思うが、アンナは有紗に嫌がらせをしていたのだから、報復を恐れるのは自然なことだ。

「分かった。閲覧を許可するよう、大神殿に命じておく。神子様、大変勝手なことを申し上げる自覚はあるのだが、私のことは放っていて構わぬから、その代わりに疫病の沈静化に手を貸してくれないか」

 片膝をつき、敬意を示してレジナルドはこんがんする。

「陛下! いけませんわ。あなたあっての国でしょう」

「王妃よ、何を馬鹿なことを。民あっての国だ。そこをはき違えるでない!」

 レジナルドに怒鳴りつけられ、王妃はたじろぐ。

 よくこんなに利己的で、王妃をつとめられたものだと、有紗は逆に感心を覚えた。有紗がちらりとレグルスを見ると、レグルスは悲しそうに眉をひそめて無言をつらぬいている。

「陛下、あなたが犠牲にならなくても、そういうことなら、手伝います。そもそも、お父さんを亡くしたら、レグルスが悲しみますし。――そのかわり、そのいけにえには何をしても構いませんよね?」

 黒いもやを取り上げることができるなら、その反対もできるはずだ。

 今まで試したいとも思わなかったが、あいつらは別だ。

「お父さんか……。民を助けてくれるのなら、神官は喜んでその身をさしだすだろう。光神教の信仰では、時に身を犠牲にせよと教えている」

「陛下! あんまりでございます」

「そんな……どうかお助けください」

 どうあがいても旗色が悪い。神官は這いつくばって頭を下げる。

「黙れと言っている! 神子を崖から落としておいて、自分達は命が惜しいのか。レグルスが神子を助けたから、闇の神が温情をくださったにすぎない。でなければ、この国からは夜が消えたはずだ!」

 興奮しすぎて、レジナルドはせきこんだ。

「夜が消えるってどういうこと?」

 有紗がレグルスに問うと、レグルスは伝承を話す。

「光の神を怒らせた国から昼が消えたことがあるんですよ。ずっと夜のままで、日の光がなく作物は死に、国が滅んだんです。ですから、闇の神なら夜が消えるのではないかと父上はお考えのようです」

「夜が消えると、ずっと昼ってことよね?」

 とんでもないファンタジーぶりだが、自分の身に起きたことがあるので、有紗には笑うことができない。

「そうなると、干ばつで大地が乾いて、国が滅ぶのではないでしょうか」

 怖い。神様が本気を出すと、そうなるのか。しかもその国だけが罰を受けるのだから、なおさら神がかっている。

「そうなの」

 反逆罪になるわけだ。

「そんなに心配しなくても、殺しはしないわ。陛下や国民の病気を、あなた達が肩代わりするだけ。国の役に立てるのよ、良かったわね」

 邪悪な神子っぽく、有紗は笑った。

 神官達がびくりと震える。

「肩代わり……?」

「そうよ。大丈夫、死にそうになったらちゃんと治してあげるわ。その後、他の人の病気を移すの」

 有紗の本気の怒りをようやく飲み込んだのか、神官達の顔は青白くなった。

「私ね、すごく怖い思いをしたの。なぜか食べ物も水も受け付けなくて、空腹を抱えて森を何日もさまよったわ。――あなた達は一週間、耐えられるかしら?」

「ひぃっ」

 おびえる彼らに背を向け、有紗はレジナルドのほうへ行く。

「陛下、この病気をいただきます」

「ああ……」

 汗をかき、レジナルドは苦しげに息をしている。倒れていないのが不思議なくらいつらそうだ。

 有紗は黒いもやをつかんで、レジナルドから引き抜いた。レジナルドは目を丸くする。

「体が楽になった。本当に、あなたは神子なのだな……。アリサ、いえ、アリサ様」

 レジナルドが敬意をあらわすと、ヴァネッサがミシェーラを示す。

「実は、陛下。ミシェーラの不治の病を治してくれたのも、アリサ様なのです。レグルスは狼に襲われ、ひん死でした。それを救ったのもアリサ様。あの方はわたくし達の恩人なのですわ」

「ミシェーラの病を?」

「そうです! ミシェーラは本当は目が見えなくなっていたのに、視力も取り戻したのですよ。闇の神の神子だからって悪者にしてはいけませんわ。神子様に変わりないのです!」

 ミシェーラもヴァネッサの言葉を強く肯定する。

「お父様、お母様の言う通りですわ。あの方は恩人なのです。どうか怖がらないでください」

 居合わせた人々はざわめく。様子を見ているようで、遠巻きにしている。

「アリサ様、息子と娘を救ってくださったこと、感謝申し上げます」

 レジナルドが丁重に礼を言うと、臣下達は慌ててならった。王妃も悔しそうに唇を噛み、レジナルドの傍でひざまずく。

「神子様、どうか先ほどのご無礼をお許しくださいませ」

「悪いと思うなら、レグルスやミシェーラ、ヴァネッサさんを目の敵にするのをやめるのね」

 有紗はきっぱりと返したが、ふと疑問が浮かんだ。

「でも、アンナはどうやって私の部屋に忍び込んだの? ベラも共犯ということ?」

 アンナが慌ててひれふして、許しをこう。

「お許しください。わたくしは王妃様のご命令で、レグルス殿下の妃に汚点がないか調べておりました。その……あの別宮には隠し通路があるのです」

「それを使って、部屋に入ったの? レグルス、知ってた?」

 有紗がレグルスに問うと、レグルスは首を横に振る。

「いえ、僕も知りませんでした。でも、王宮内に隠し通路があるという話は聞いたことがありますよ。避難用の通路です」

「隠し通路は老朽化が進んでいて危険なこともあり、いくつかはふさいでいる。レグルス、お前の宮のものもそうだったから、教えなかった。王妃には隠し通路のことを教えたが、まさかお前がこんなふうに悪用するとは」

 頭が痛いと、レジナルドはため息をつく。

「王妃よ、三か月ほど自分の宮で謹慎していろ」

「陛下……!」

「お前は同盟国の王女で、最も身分が高いからと大目に見ていた。自分で私の信頼を裏切るとはな」

 至極残念そうなレジナルドのつぶやきに、王妃は何も言えずにうつむいている。こちらをぎろりとねめつけると、すっと立ち上がり背筋を伸ばす。

「陛下の仰せのままにいたしましょう。アリサ様、御前を失礼しますわ」

 侍女を伴って、パーティーホールを出て行く。有紗はアンナにも出て行くように手で示す。アンナはすぐさま王妃の後を追いかけた。

「王妃がすまないことをした」

「どこの馬の骨とも知らない人間を調べようとする気持ちは分かります」

「そうか……」

 有紗は神官達を振り返る。手には黒いもやをつかんだままだ。

「さあ、次はあんた達の番よ。まずはその偉そうなあんたから、これをくらいなさい!」

 逃げようとする神官の背に、有紗は思い切り黒いもやを押し付ける。神官はぴたりと動きを止めた。

「熱い……気持ちが悪い。苦しい……!」

 床にうずくまり、神官は油汗をかく。

 やっぱり思った通りだ。有紗はこの黒いもやを、自在に扱えるようだ。

 しかし、香ばしくておいしそうなにおいがして、どうもお腹が空いてくる。

「他の奴も、同じ目にあわせるから覚悟していなさい! ――そこの人、倒れた病人はどこ!」

 有紗の剣幕に怖気づき、騎士は敬礼して答える。

「はっ。私がご案内いたします、神子様!」

「さっさと行くわよ。そこの人達は、元気そうな残りを連れてきなさい!」

「はっ」

 騎士達は敬礼をし、神官達を引っ立てる。

「アリサ、僕も行きます」

「来たいの? 面白くないと思うわよ」

「彼らのことが信用できないので」

 レグルスの言う通り、牢屋にでも誘導され、そのまま閉じ込められたらアリサにはなすすべがない。

「分かったわ。一緒に行きましょう」

「ええ。たとえこの先が地獄でも、僕はアリサと共に行きます」

「おおげさだわ」

 有紗はそう返したが、レグルスの目には本気が見えて、ふっと小さく微笑んだ。


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