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パーティー当日。
朝から、有紗達はばたばたと準備に追われていた。
準備を手伝うという別宮のメイド達は、風呂の準備だけで締め出して、モーナに身支度を頼む。
「ごめんなさい。私の故郷では、信用できない人には、同性でも髪と顔を見せないの。あのねずみのこともあるでしょう?」
申し訳なさそうに謝るふりをして、「裏で疑ってるんだぞ」と釘を刺すと、三人が分かりやすく顔を引きつらせていた。
ドレスを着た後、髪を覆ってヴェールで顔を隠し、あとはアクセサリーを身に着けるだけという時になって、別宮の一階でメイド達がぎゃあぎゃあと騒ぎ始めた。
「とうとう尻尾を出したのかな? 行ってみましょ」
「危ないので、殿下を呼びましょう」
モーナの言うことに従い、隣室を訪ねる。レグルスは刺繍が見事なのに、地味なくすんだ緑色という服に身を包んでいた。
「レグルス、かっこいいけど……」
少し地味すぎではないか。有紗が口に出すか迷った言葉を、レグルスは正確に読み取った。苦笑を浮かべ、理由を話す。
「あまり目立つ真似をすると、王妃様に注意されるので」
「そうなの」
出る杭を叩く見本みたいなことをする。
「銀製のアクセサリーがあったら、それをつけたらどうかしら。品があって、見栄えするわよ。落ち着いた雰囲気だから、派手ではないし」
ついファッションについて真面目に考えていると、レグルスに腕を引かれた。
「後で見繕ってください。まずはあちらに」
この話の間にも、わめき声が激しくなっている。
階段を降りると、アンナとマリアがキャットファイトの真っ最中だった。激しい喧嘩ぶりに、騎士達も二の足を踏んでいる。
「お、おい、やめないか!」
「これは私達の問題よ、引っ込んでいて!」
「そうですわ!」
話し方は上品なのに、顔は憎々しげにゆがんでいて怖い。アンナはマリアにつかみかかる。髪をつかまれたマリアは悲鳴を上げる。
「あなたね、お妃様に買収されるなんて、品がないわ! みっともない!」
「うるさいわね! あなただって、アクセサリーを盗んだじゃない!」
「これは誤解よ! 知らないわよ、さっき気付いたらポケットに入ってたんだもの」
「まあああ、盗人猛々しいこと!!」
どうも、有紗のアクセサリーをアンナが盗み、マリアが見とがめたのが喧嘩の原因らしい。それからアンナはマリアが小遣いをもらったのを面白くないと思っていたようだ。
「モーナ、アクセサリーを確認してくれる?」
「かしこまりました」
有紗の指示でモーナは二階へ戻り、有紗は手を叩く。二人はようやく離れ、人が集まっていることに顔を赤らめた。
「はいはい、そこまでよ。この忙しい時に、なんで喧嘩なんかしてるのよ」
「だって、お妃様ぁ。この女がアクセサリーを盗んだんです!」
マリアは涙目で、アンナを示す。アンナは慌てて首を振る。
「知りません! 私、お妃様のお部屋にすら近づいていないのに、どうやって盗むんですか。台所で明日の正餐のために確認をしていたら、エプロンのポケットから出てきただけで!」
話を聞いてみると、彼女達は貴族の子女なので、掃除や身の回りの世話はするが、料理や洗濯まではしないらしい。そちらは下働きの仕事なんだそうだ。有紗が言ったみたいに、罰で掃除と洗濯をするように言われなければ、洗濯まではしないという。
マリアにとって、あの罰は屈辱的なことだった。それでベラとアンナを疑って、絶対にしかえしをすると意気込んでいた。するとアンナのポケットからアクセサリーが出てきたから、大騒ぎしたんだそうだ。
「殿下、お妃様、確かにネックレスが一つなくなっていました」
戻ってきたモーナが報告し、マリアが鬼の首をとった態度で、アンナをにらむ。アンナはわっと泣き出した。
「本当に、私は知らないんです!」
「ねずみは?」
「知りません。確かに、ねずみとりを置いて、ねずみを捕まえるのは私どもの仕事ですわ。でも、触りたくないので、占い師の所に持っていくんです。飼っている蛇の餌になるからと、いくらかお小遣いをくれますし」
アンナが話すと、マリアが眉を吊り上げた。
「だから、あなた、あの仕事を率先して引き受けていたのね! あなたもずるいじゃない!」
「ちょっとしたお小遣いかせぎなんて、誰でもやってるわよ。失礼ね!」
アンナは十六歳くらいだろうか。マリアと年齢が近いのもあって、お互いに遠慮がない。
レグルスはガイウスに話し、占い師の所に使いを走らせた。すぐに戻ってきた騎士は、占い師を連れて戻ってきた。学者に似た雰囲気の老人だ。
「占い師、この話は本当か?」
「ええ。ですが、この娘だけではありませんよ、他にも何人か来ますしね。ほら、そちらの女性がそうだ」
遠巻きに様子見していたベラを示すと、ベラは慌てて逃げ出そうとした。ロズワルドが捕まえて、こちらに連れてくる。
「大のねずみ嫌いなのに、ねずみとりを占い師の所に運べたのか?」
レグルスの問いに、ベラは頷く。
「布で覆い隠して、なんとか……」
「真相は謎だが、そちらはスープに蜘蛛を入れて運んできて、あちらはアクセサリーを盗んだそうだ。監督不足ではないか」
「そうおっしゃられても、わたくしも二人には手を焼いていて……」
「言い訳は聞きたくない。アリサが連帯責任にすると言っていただろう。お前達は減俸一ヶ月、今日は自室で謹慎しているように」
レグルスの厳しい言葉に、ベラは慌てて問う。
「お、お待ちください。あの……パーティーでも、ですか?」
「当たり前だ。下手な騒ぎを起こされてはたまらない」
「そんな……!」
減俸よりもショックなようで、ベラはアリサをねめつけた。それからアンナとマリアを叱りつける。
「あなた達のせいですよ! こちらにいらっしゃい!」
八つ当たりをし、ベラは二人を引きずるようにして下がる。別宮のメイド達が去ると、占い師も帰った。
「なんで今日の謹慎がそんなに嫌なの?」
有紗はレグルスのほうを見る。
「パーティーの後、使用人達は残ったごちそうなどを食べられるんですよ。それに、給仕をしていて、客の貴族や騎士に見初められることもあるので」
「お見合いにもなるってこと?」
「そうですね」
ベラは中年だが、いまだに出会いを求めているのだろうか。それともごちそうが目当て?
どちらだろうかと考える有紗の傍で、モーナは不思議そうに、取り返したネックレスを見つめている。
「あのアンナという方は、確かに、二階で見かけたことがありません。どうやって盗んだんでしょう? 出入りする時は、扉に鍵をかけていたんですが……」
「合い鍵がある。ベラが管理しているはずだが……。謎が多いから、今回は軽い罰にしておいた。しばらく泳がせるしかないな。アリサに嫌がらせをしているのは間違いない。ガイウス達はより一層、気を付けておいてくれ」
使用人のエリアに騎士は立ち入らないとはいえ、怪しい挙動に気付くかもしれない。
レグルスの注意に、ガイウス達は敬礼を返す。
「は!」
それでレグルスはこの場をお開きにする。
「今はパーティーの準備で忙しい。このことは後でゆっくり追及しよう」
「そうしましょ。レグルス、どんなアクセサリーを持ってるの? 服に合わせるから、見せて」
「アリサが選んでくれるなんて、光栄です」
厳しい空気を一転させ、穏やかに微笑み返すレグルスの様子に、騎士達は石を飲み込んだみたいな顔をして、さっと視線をそらした。
★
レグルスは男性なのでそれほどアクセサリーは持っていないようだが、シンプルな銀製のネックレスを見つけた。四角い板をつなぎ合わせたみたいで、どっしりと存在感がある。幅広の腕輪もつけてもらい、有紗はばっちりだと親指を立てた。
「落ち着いていて、品が良い感じ! 派手ではないから、きっと大丈夫よ」
「ありがとうございます。父上に成人祝いでいただいたものの、今一つ使い方が分からなかったんですよね。へえ、こんなふうに着こなすんですか……」
いつもどうしていたのかと訊くと、付けても腕輪程度だそうだ。邪魔なのであんまりつけたくないとか。
「動きやすさ重視というんですかね。何かあっても避けられるでしょう?」
「レグルスってば。パーティーで、いったい誰と戦ってるのよ」
有紗が思わずそう言うと、レグルスの手伝いで傍にいたガイウスが噴き出した。
「私も、仕上げにアクセサリーをつけて終わりよ。もうそろそろ時間よね、急ぐわ」
「はい」
有紗は部屋に戻り、用意していたアクセサリーを付けて仕上げる。
今日のドレスは、初夏によく合う淡いオレンジ色のものだ。レグルスが緑なので、しっくりなじむ。
正餐の時間帯に合わせ、パーティーで食事を楽しむことになっている。
準備を終えると、すぐに部屋を出て、待っていたレグルスと別宮を出る。
パーティー会場に向かい、屋根のある外廊を歩きながら、有紗はこっそりとレグルスの横顔をうかがった。
好きだと言われたことを思い出すと、エスコートをされていいのかとどうしても気が引ける。そんな視線など、レグルスにはお見通しだ。少し困ったように注意された。
「アリサ、あのことは気にしないでください。普通にしないと、挙動不審ですよ」
「うっ、気を付けます」
「たとえ不服でも、仲の良い夫婦のふりを。それがあなたを守ります」
「分かったわ」
自分は女優だと言い聞かせ、レグルスと一緒に歩いていく。
王宮の入口からもっとも近い宮に、パーティーホールがある。そこに近付こうとして、白い衣の老人達を見つけた。思わず、レグルスの腕に添えていた右手に力を込めてしまう。
――あの声! あの顔! そしてあの服装!
有紗を崖から突き落とした、おぞましい神官達だ。
レグルスが気遣うそぶりで、有紗に耳打ちする。
「彼らですか?」
声も出せないくらい怖くて、有紗はこくこくと頷いた。ここにレグルスがいなかったら、悲鳴を上げて逃げだしていたかもしれない。
「大神殿のトップですよ。召喚できるとすれば、彼らだけだ。間違いないですね。――あいさつしなければいけないので、小声でお願いします」
有紗がはっきりと頷いたのを確認してから、レグルスはそちらに近付いた。
「これは大神殿の神官殿。ご機嫌よう」
「第二王子殿下、ご機嫌麗しゅう。奥方を迎えられたとか、おめでとうございます」
彼らはあいさつを返したが、歓迎する空気ではない。
「アリサです。よろしくお願いします」
有紗は小声で名乗り、お辞儀をする。ありがたいことに、彼らはちらと見ただけだった。有紗などいっこだにする存在ではないと言いたげだ。
笑顔の裏で必死に息をひそめながら、彼らの傲慢さに胸がむかむかした。
「しかし、殿下。陛下や我らの許可もなく、正妃を迎えられるとは。せめて父上には許しを得てはどうです?」
不作法だと遠回しに責めるが、レグルスは微笑で返す。
「私の立場では、とても王にはなれませんし……。彼女には命を救われたのです。恩にむくいるのは当然なこと。これは光神の教えではありませんでしたか?」
神官の教えに沿ったのに、どうして責められるのか。しれっと返すレグルスは、結構大物だと思う。
彼らも良い切り返しを思いつかなかったのか、苦々しい顔で頷く。
「信仰熱心で素晴らしいですね。さあ、中へどうぞ。皆様がお待ちしておりますよ」
ていのいい追い払いの言葉を口にするので、有紗達は彼らと別れた。
少し離れると、どっと安堵して膝から力が抜けそうになる。レグルスがさっと有紗の腰を支えた。
「大丈夫ですか」
「……問題ないわ」
ここは戦場だ。しっかりしなくては。
有紗はしっかりと足に力を込めて立つ。しっかりと前を見た。
今日のパーティーは小規模だと聞いている。
どちらかというと、レグルスが妃を迎えたことへというより、ミシェーラが奇跡の回復をとげたことへのお祝いが強い。
王子達は各地に散らばっていて、すぐには駆けつけられないため、他の王子は不在の会だ。それだけで、レグルスの立場が低いことが分かる。
立食パーティーのようで、一番前の上座にテーブルが用意され、王と王妃の椅子が並んでいる。それ以外は食べ物がのったテーブルがいくつかあるだけだ。
ホールといっても、教会の聖堂くらいの広さで、細長い造りだ。アーチ型の窓から光が入る。めいめいに着飾った人々が集まり、給仕に渡された金属製のグラスを持つ。
ラッパが鳴り響き、王と王妃が入ってきた。複雑な彫り込みがされた木製の椅子に腰を下ろすと、皆、いっせいにお辞儀をする。
王妃ローラと会うのは初めてだ。金髪碧眼、すっと通った鼻筋と、さくらんぼのような唇が可憐な少女のようだ。美しいのに、切れ長の目は鷹ににらまれた気分になる。
「今日は、王女ミシェーラの快気祝いと、王子レグルスが妃を迎えた祝いの席に集まってくれたこと、感謝する。特にミシェーラ、この幸運が本当にうれしい」
まだあいさつなのに、レジナルドはわずかに涙ぐんだ。
ミシェーラはスカートを持ち上げてお辞儀をし、レジナルドへの謝意を示す。
「それから、レグルス。異国の女性だそうだが、賢い妻を迎えたようだ。あのクンセイチーズとやら、大変美味だったぞ。できればこの席で、なれそめを聞きたいものだ」
レジナルドはそう言って、急にせきをした。
「ごほっごほっ」
「陛下、朝からお加減が良くないのに、無理して出席なさるから……」
「しかしな、王妃よ。この席は私が設けたのだぞ」
「王のお気持ちは、王子と王女には十分に伝わっておりますわ。あいさつもしましたし、ご退席なさっては?」
心配する王妃の声に、レグルスとミシェーラも賛同する。
「父上、王妃様のおっしゃる通りです。そうなさってください」
「そうですわ。かけがえのない御身ですもの」
二人が体を優先するようにすすめると、レジナルドは渋々という様子で頷いた。
「お前達がそこまで言うなら、そうしようか。だが、せめて乾杯だけは行おう」
気を取り直してグラスをかかげた時だった。騎士がばたばたと駆けてきた。
「ご報告します! 大変です、陛下。王都で疫病が発生しました。城内でも感染者がいるようで、倒れる者が続出しております」
「疫病ですって」
王妃の顔から血の気が引く。レジナルドの体調悪化の原因をさとったせいだ。
そして、王妃はヴァネッサをキッとにらむ。
「ヴァネッサ、あなたのせいね! 外から病を持ち込んだに違いないわ」
「やめぬか、王妃よ。城内で感染者が多いのはどの辺りだ」
レジナルドの問いに、騎士は現状報告をする。
「は。こちらの本宮でございます」
「レグルスの宮の者は?」
「今のところ、一人もおりません」
「では、側妃らは関係ない。憶測で責めるのは良くないぞ、王妃よ」
レジナルドに注意され、王妃は悔しそうにしながら謝る。
「申し訳ございませんでした、陛下」
有紗はあからさまにほっとした。こんなことをきっかけに、ヴァネッサを失墜させようとするとは予想外だったのだ。
(びっくりした……。本当に、私達のせいかと思っちゃった)
冷静になってみると、旅の一団に黒いもやができても、有紗がごはんとして食べているので、疲れも怪我もなく健康そのものだ。もし感染源にふれていても、有紗がその芽を全てつぶしているのだから、そもそも疫病にかかるわけがない。
(こっわ。皆の恐怖をあおって、ヴァネッサさんを攻撃するなんて……。陰湿だわ)
こんな王宮で生きてきて、レグルスとミシェーラはよくまっすぐ育ったものだ。
向かいではヴァネッサが青ざめて顔を強張らせており、ミシェーラがヴァネッサに寄り添ってなだめている。
「パーティーどころではないな。レグルス、ミシェーラ、そなたらには悪いが、事態の収拾に当たらねば」
レジナルドが椅子を立つと、レグルス達は「もちろんどうぞ」と首肯を返す。始まる前に、パーティーはお開きとなった。
そこへ、別宮のメイド、アンナが駆けこんできた。
「失礼いたします。王妃様、お伝えしたいことが」
「なんですか」
アンナは王妃の傍に行き、ひそひそと話しかける。
(あのメイドがクロだったのね!)
堂々と現れたアンナの姿に、有紗は衝撃を受けた。ベラが怪しいと思っていたから、予想外だ。
(それじゃあ、アクセサリーを盗んだのもあの人なの?)
どうやって?
疑問が残るが、それよりも何を伝えに来たのかが気になる。
「陛下、少しお待ちを。――レグルス王子、その妃は何者なの?」
王妃も椅子を立ち、勝ち誇った笑みを浮かべる。レグルスは慎重に問い返す。
「どういう意味です?」
「アンナ、見せてさしあげなさい」
「はい、王妃様」
アンナは頭上に何かをかかげた。
「こちらの髪をごらんくださいませ。この髪、黒いのです! あの女はきっと悪い者ですわ!」




