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六章 王宮でのパーティー



 王都に着く頃には、すっかり真夏となっていた。

 日差しは強いが、日本のようなじめっとした暑さではない。セミの声がしないので、体感的にはこちらのほうが涼しいくらいだ。

 それでも人々は日中の外出を避けているようで、通りにはあまり人がいない。

「やっと着いたわ」

 有紗は心底ほっとした。

 旅の間、食事を誤魔化すのが大変だった。事情を知るモーナにこっそり有紗の分を食べてもらっていたが、モーナは食が細いほうで無理があり、ガイウスやレグルス頼みになった。ガイウスは結構な健啖家で、このお願いはうれしそうに聞いてくれた。騎士として運動量が多いので、その分たくさん食べるみたいだ。

 それから、血を飲む時も困った。

 我慢しようにも、この暑さでは喉はかわく。人目をしのんでレグルスと会っていたら、いちゃいちゃしていると思われて、周りからからかわれたり生ぬるい目で見られたりして、恥ずかしくてしかたがない。違う方向で大変だった。

「礼儀作法も覚えたし、あとはパーティーを乗り越えるだけね。そういえば、レグルスって勝手に私を妃にして良かったの?」

「今更ではありません? お姉様」

 ミシェーラが目を真ん丸にして言う。

 四人乗りの馬車に、有紗とレグルス、ミシェーラ、ヴァネッサが乗っている。馬車はガタガタ揺れるし、座席が固くて乗り心地は最悪。いろんな意味で、到着が待ち遠しい。

「忘れていたけど、ここって親が子どもの結婚を決めるんじゃないかと思って」

 有紗が疑問をぶつけると、レグルスはこくりと頷いた。

「婚約者のいる兄弟もいますよ。ですが、ほとんどは決まっていません。王位争いの結果次第で、貴族が名乗りを上げるでしょうね」

「第一王子が優勢なのに?」

「その第一王子が、結婚をしぶっているので。そちらの正妃争いにやぶれた王侯貴族の子女のうち、側妃の立場を良しとしない者が弟に向かうのは目に見えています。皆、争いを避けたいんですよ」

 つまり、力の強い家の子女が、弟のほうに嫁ぐかもしれない。今のうちに正妃になれても、蹴落とされる可能性があるので、様子見しているというわけか。

「レグルスは私を妃にして大丈夫だったの? お嫁さんの実家の権力を後ろ盾にするんでしょ?」

 いずれ王になるのなら、そういう援護は必要に思える。

 今更、有紗を放り出されても困るのだが、そぼくな疑問だ。

「僕にとって、後ろ盾よりも信用できるかどうかが大事です。今のところ、僕は彼女達の候補にも上がっていないし、『正妃になってやってもいいわよ』なんていう女性と結婚する気はないですね。王になるつもりならば、なおさらですよ」

「なるほど……」

 相槌を打ち、有紗はどうしても頬がゆるんでしまい、口元を手で覆う。

「私のことは信用してくれてるのね、うれしい」

「ええ。何しろ、命の恩人ですから」

「私もレグルスのこと、信じてるからね」

 照れ混じりに告げると、レグルスもにっこりする。向かいの席で、ヴァネッサとミシェーラは赤面していた。

「ねえ、あなた達、ふりだったのではないの?」

「見てるほうが照れます」

 二人にそんなことを言われ、有紗は首を傾げる。

「ふりよ。ね?」

「……今のところは」

 後になったら変わるのか?

 有紗がレグルスに訊こうとしたところ、ようやく馬車が王宮に門に入った。



 王宮はアーチを多く使った、洗練された外観をしている。

 地球でいうなら、ゴシック様式といえばいいのか。

 大きくとられた窓と尖塔が印象的だ。

「アリサ」

「ありがとう」

 レグルスの手を借りて馬車を降りると、使用人と騎士がずらりと並んでいる。レグルスはヴァネッサとミシェーラにも手を差し伸べた。

 玄関ホールから大柄な男が出てきた。

「おお、ミシェーラ。我が娘よ。病が治ったとは、ありがたいことだ」

 喜色満面で歩み寄ると、ミシェーラとハグをかわす。ヴァネッサとはキスをかわしたので、この真紅の髪と明るい緑の目をした男が、アークライト国の王なのだろう。レジナルド・アークライトという名だ。

「レグルス、妃をめとったそうだな」

 レジナルドがこちらを見るので、レグルスと有紗はお辞儀をした。

「父上、彼女がアリサです」

「お初にお目にかかります、アリサ・ミズグチと申します」

 髪と目を隠しているものの、レジナルドの鋭い視線が正体を見透かしそうで、有紗は怖くなった。

「異国の方だそうだな。息子の命を救ってくれたとか、ありがとう」

「こちらこそ、道に迷っていた所を助けていただきました。レグルス様は立派な方ですわ。ガーエン領を発展させるため、微力ながらお助けしています」

 心の中で数字を数えながら、できるだけゆったりと返す。焦りをみせず、堂々と丁寧に話せば、良家の子女っぽく見えるそうだ。ミシェーラから教わった。

「ほう、異国の知恵か。何か面白いことをしてくれるのか?」

 ふふん。そう言うと思って、燻製料理の調理セットは持ってきている。

「よろしければ、燻製料理をお出ししましょう。ガーエン領のチーズを持参していますの」

「クンセイ?」

「父上、酒のつまみにもってこいなのです。今は彼女の知識を再現すべく、研究途中なのですが、チーズと木の実の燻製ならば今晩にでもお出しできますよ」

 レグルスがぜひとすすめると、レジナルドは興味を示す。

「ほう、左様か。しかし長旅で疲れただろう。明日の晩にでも、つまみを用意してもらおうか。――しかし、レグルス、お前が突然、嫁を迎えるとは驚いた。だまされているのではないかと心配していたのだ」

 レジナルドの単刀直入な言葉を口にすると、ヴァネッサとミシェーラがくすくすと笑う。

「陛下ったら。この二人は見ていて恥ずかしくなるくらい、仲良しですよ」

「アリサお姉様も、お兄様を信頼なさっておいでなのよ。おかげでお兄様はやる気を出されて、今では立派な統治者ですわ。すでに城の者は手中におさめましてよ」

 レジナルドはそこで初めて、同道してきた騎士や使用人に目をやって、わずかに驚きを見せた。そしてにやりと笑い、レグルスの背中を叩く。

「はっはっは。レグルス、お前も立派に男だな。妻を迎えたことで、心持が変わるとは。今は細かいことは言わずにおこうか。ミシェーラが元気に戻ってきてくれただけで、私はうれしいからな」

 痛かったのか、レグルスは苦笑を浮かべている。

 そこへ、太鼓腹の小男が駆けてきた。なんだか狸の人形みたいだが、眼光は鋭い。

「陛下! まったく、おみずから出迎えにいらっしゃるなど……」

「口うるさく言うな。家族を迎えに来て、何が悪い」

「正妃ではなく、側妃ですぞ」

「息子と娘もいるだろう。見つかったから、私は戻る。今日はゆっくりと休むがよい」

 レジナルドは渋々といった調子で王宮に戻っていき、小男は去り際に、侮蔑に満ちた目をこちらに向けた。許されるなら、つばでも吐きそうな顔だ。

 彼らが去ってから、レグルスはささやき声で教える。

「今のは大臣です。陛下の側近ですね。バートレイ・アドラムです。役職だけ覚えておけば、それで構いませんよ」

「分かったわ」

 レグルスはそう言うが、覚えておいたほうがいいだろう。有紗は頭の中で、何回か名前を唱える。

「では、行きましょうか。――ガイウス、後は任せたぞ」

「かしこまりました」

 ガイウスが敬礼をし、ルーエンス城の配下がいっせいに動き出す。荷物は彼らに任せ、有紗はレグルスらとともに王宮に入る。

 廊下を進むと、分かれ道でヴァネッサが口を開いた。

「私達は別に部屋がありますから、ここで失礼するわ」

 ヴァネッサは有紗の耳元でささやく。

「アリサ、くれぐれも気を抜かないで。王宮の使用人は全て敵だと思いなさい」

「分かりました」

 有紗の返事を聞くと、ヴァネッサはこくりと頷いてきびすを返す。

「お姉様、後でおうかがいしてもいいかしら?」

「もちろんですわ、ミシェーラ姫」

「ふふ。では、また」

 花がほころぶように可憐に微笑み、ミシェーラはヴァネッサの後に続く。

「アリサ、行きましょう」

「ええ」

 レグルスが左手を差し出すので、有紗は右手をのせ、エスコートを受ける。王宮といっても、建物が一つというわけではない。今、いるのは、貴族や役人が出入りできるエリアだ。謁見の間やパーティーホールなどもある。この建物を通り抜けると、屋敷がいくつか建っている。妃や王子に与えられている別宮だ。

 王が事前に命令し、レグルスの宮に有紗の部屋を準備してくれているそうだ。

 廊下を進みながら、レグルスはくすくすと笑いをこぼす。

「どうしたの?」

「妹のすることが可愛くて。公にあなたと親しくすることで、王女の後ろ盾があると牽制していったんですよ」

 あのびっくりするくらい可愛らしい笑みに、そんな意味が含まれていたとは。

「僕が守りますから、安心してください」

「ありがとう」

 有紗はにこにこと返す。

 通りすがる貴族や騎士、使用人の目は冷たいが、レグルス達が優しいおかげで、あんまり気にならなかった。



「わあ、素敵なお屋敷ね」

 レグルスの別宮はこぢんまりとした、小さな屋敷だ。

「お庭、風流ね~」

 木陰に木製のテーブルと丸太椅子が置かれ、小さな花が咲き乱れている。

 レグルスは気まずそうに花を示す。

「フウリュウ? ええと、アリサ、申し上げにくいんですが……、こちらの庭の手入れはされていないようです」

「そうなの? 高原の花畑みたいで綺麗だなって思ったのよ。レグルスの趣味なのかなって」

「確かに、僕はごてごてと花を植える趣味はありませんね。アリサ、そこで読書をすると気持ち良いんですよ」

 有紗は椅子に座ってみた。

「本当だわ! こっちに来てよ、風が涼しくて気持ち良いから」

「アリサが気にしなくて良かったです」

 レグルスももう一つの椅子に腰を下ろし、ふっと薄く微笑んだ。

「どんな場所かより、誰といるかよね」

「そうですね」

 有紗は目を細めて伸びをし、レグルスが気まずげにしている理由について、遅れて気付いた。

 つまり、使用人が手入れをさぼり、雑草を伸びっぱなしにしているという意味なんだろう。鬱蒼とおいしげるというほどではないから、有紗にはそんなふうに整えているように見えるのだが……レグルスへの風当たりの強さを感じて、あんまり良い気持ちはしない。

「レグルス、お部屋を見てみましょうよ。この調子だと、手入れしてないんじゃない? 心配だわ」

「さすがに部屋は掃除していますよ。気まぐれに父上が来て、見とがめられると罰がいきますから」

「そうかしら」

 有紗は見てから考えようと思い、レグルスと屋敷の中に入る。

「お帰りなさいませ」

 無愛想な中年女が、お辞儀をした。鷲鼻で、いかにも意地が悪そうな雰囲気をしている。後ろには二人、若いメイドがひかえている。レグルスは頷くことで返事として、まず有紗に彼女達を紹介する。

「アリサ、彼女はベラ。ここのメイド頭だ。そちら二人は新入りかな?」

「はい、アンナとマリアです」

 メイド達がスカートを持ち上げてお辞儀をした。

「ベラ、こちらはアリサ・ミズグチだ。僕の正妃に迎えたから、そのつもりで対応するように」

「かしこまりました」

 返事は良いが、ベラはうさんくさそうに有紗を観察する。有紗はにこりとしてあいさつする。

「よろしくお願いします、ベラ」

「長旅で疲れているからな、部屋に案内してくれ」

「はい」

 ベラはすぐに玄関ホールから二階へと階段を上っていく。レグルスの部屋の隣が、アリサのものだそうだ。中は樫材の家具が並び、ベッドとクッションがローズレッドなので女性らしさを感じる程度。簡単に言うと、シンプルだ。

「もう少し華やかなものはなかったのか?」

 レグルスが口を出すと、ベラは淡々と返す。

「王妃様が、倉庫の物をお使いになるように、と」

「構わないわ、レグルス。王妃様のお気遣いに感謝を、とお伝えしてちょうだいね」

「かしこまりました」

 実際、有紗は家具がどんなものだろうが興味がない。数日滞在すれば、ルーエンス城に戻る。それよりも、ベッドのほうが気になった。黒いもやがあるのだ。有紗はベラに気付かれないように、レグルスの腕を軽く引く。目くばせで伝えると、レグルスはベッドに近付いた。

「ねずみの死骸?」

「きゃあああ!」

 ベラが悲鳴を上げ、青ざめてその場に土下座する。

「も、申し訳ございません! 朝、確認した時にはそんなものはなかったはずなのですが……」

「アリサに嫌がらせか。アンナとマリアを呼べ! この別宮に出入りできるのはお前達だけだろう。つまり、この中に犯人がいる」

「そ、そんな! 二人とも、仕事熱心ですわ」

「では、お前が犯人か?」

 レグルスににらまれ、ベラは息をのんだ。カタカタと震えだす。

「あ……あの……本当に違います。私では」

「違うのなら、二人を連れてくればいいだろう」

「レグルス、そんなに怒らないで。もしかしたら、ねずみがここに来て死んだのかもしれないし」

 わざわざベッドの上で死ぬとは思えないが、最初から波風を立てたくない。有紗はレグルスをなだめ、ベラに手を差し出す。

「ベラ、かわいそうに。大丈夫よ、あなた達を罰したりしないわ」 

「お妃様……」

 ベラは恐る恐る手を取った。有紗は彼女の手を引いて立たせる。

「レグルスも、心配してくれてありがとう。こんなものがあって怖いから、今日はレグルスの部屋で休みたいわ」

「ええ、構いませんよ」

 レグルスはあっさり受け入れる。夫婦だという設定なのだ、ベラに動揺を見せるのはまずい。

「ベラ、ここのお掃除担当は誰かしら?」

「マリアです」

「では、明日までに、ここの掃除をしなおして、洗濯も全部やり直すように言っておいてね」

 有紗が穏やかな態度で、厳しい注文をつけたので、ベラは唖然とした。

「え……」

「何か問題があるかしら?」

「い、いいえっ、ございません。申し伝えておきます」

「手が足りないなら、あなた達が手伝ってもいいわ。でも、私達の使用人に仕事を押し付けては駄目よ。この宮はあなた達が管理すべきなんだもの」

「……かしこまりました」

 ベラはお辞儀をしたが、顔が引きつっている。

 有紗はレグルスを見上げる。

「ああ、喉がかわいたわ。レグルス、お部屋でお茶にしましょう?」

「ええ」

 レグルスは有紗の腰に手を回し、自室のほうへ誘導する。レグルスの部屋は、いくらみそっかす扱いされていても、王子なだけあって立派だ。重厚な家具に、青い天蓋やクッション、カーテンでそろえられている。

 扉を閉めるなり、有紗はレグルスから離れ、レグルスに勢いよく頭を下げる。

「ごめんなさい! すごーく性格が悪い真似をしちゃった」

「はは、どこがですか。僕は罰するつもりだったのに、アリサは止めましたよ?」

「ううん。お掃除と洗濯しなおしが罰なの。最初から喧嘩を売られたから、ついやり返しちゃったわ。この屋敷に使用人が三人しかいないなら、犯人は絶対にあの人達のどれかでしょ? もしかしたら全員かも。どうなるにせよ、一人の嫌がらせが連帯責任になるぞっておどしたのよね……。うわー、我ながら性格が悪ーい!」

 頭を抱えて、自分の黒さに身悶える。

「しかもムカついちゃって、仲良しアピールで、レグルスの部屋で休むって言っちゃった! 迷惑をかけてごめんなさい!」

「むしろ迷惑をかけたのはこちらでしょう。この程度のしかえし、可愛いものだと思いますけどね」

「これで可愛いって、王宮はどれだけ陰湿なのよ!」

 レグルスの返事に、有紗はついツッコミを入れる。有紗は目をすわらせ、ぶつぶつとつぶやく。

「私、こういうのを映画で見たことがあるわ。妃の場合、男と密通容疑をかけて処刑するのよね」

 断頭台になんて上りたくない。生きて、無事に元の世界に帰るのだ。聖典を手に入れるまでに、死んでたまるか。

「アリサは宮廷の陰謀にも詳しいんですか? 二代前の王の側妃が、それで処刑されていますよ」

「こっっっわ! レグルス、私が疑われないように、できるだけ傍にいてね!」

「もちろんです」

 レグルスがしっかり頷いてくれたので、有紗は気を取り直し、テーブルのほうへ行く。

 少しして、ベラが恐る恐るという態度でお茶を運んできた。


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