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 翌日も天気が良く、外で作業がしやすそうだ。

 ロドルフのおかげで材料が集まった。城下町から木工職人を呼んでくれたので、燻製用の木箱について説明をする。

「なるほど、煙が漏れないようにしたいんですね」

 さすがは職人だけあって、仕事がスムーズだ。木材の長さをはかって、棚用の板に切り分けた。

 正直、職人がいて良かった。

 日本では母が燻製用の木箱を通販で買っただけだから、てっきり板を並べて釘で打てば終わりなんだと思っていた。本棚みたいなものだ。

 職人は端を半分切り落として、板がかみ合うようにして固定していった。これなら確かに煙が漏れない。

 鉄網を置くための支えとなる木材も設置し、扉には蝶番とひっかけて固定するだけの鍵を付けてくれた。

 彼に任せるうちに、午前中で木箱が完成した。ついでに、水入れ用の樽を用意して、横のほうに小さな穴をあけてもらった。塩抜きに使うのだ。その穴に、溝をつけた板を差し込んでもらって完成だ。

 次に鍛冶屋に行って、鉄網と鉄のトレイを作ってもらう。それぐらいなら簡単だと言って、鍛冶師はその場であっという間に作り上げた。

「すぐにできちゃったわ!」

 鉄網とトレイを入れて、木箱を持ってルーエンス城に戻ってくる。すんなり行ったことに、有紗のほうが驚いている。

 木工職人にいたっては、電動工具もないのに、すごい。

「次はこれで木のチップというものを作ればいいんですね? のろしとは少し勝手が違いますね」

 香りの強い木を見下ろして、レグルスがつぶやく。有紗は何か違うのかと、レグルスに問う。

「煙が出ればそれでいいんだけどねえ。のろしだとどうするの?」

「煙を多く出す木があるので、それの枝葉を燃やすだけですよ」

「燃やすものが違うのね。とりあえず、このチップ、面倒だけど作ってしまいましょ」

 木材は染物で使うこともあるし、最後には薪にできるので、乾燥させて保管しているそうだ。生の木は燻製には使えないから、助かる。

 削ってみたり、ナタで小さくしたりと、皆で地味な作業をする。途中で、ロドルフが腰が痛いと言い始め、手の空いた騎士や使用人が代わりに加勢した。

 木材ごとに分けて、こんもりと山になったものを作り終える頃には夕方になった。涼しい所で保管しようと倉庫に運び込んで、今日の作業は終わりだ。

「ふわあ。眠い……」

 妃の間に帰ってきた有紗は大きくあくびをした。疲れは感じないし、手にマメができることもないが、とても眠い。

「今日は聖堂に行かなくて大丈夫なんですか?」

 モーナが心配そうにするので、有紗は頷く。

「さっき、ロドルフさんの腰痛とか、皆についてたもやをつまみ食いしたから、大丈夫よ」

「そうなんですか。道理で、あんまり疲れないと思いました。手も痛くないですし」

「ということは、私、怪我と疲労を食べちゃったのかしらね」

 毎日風呂に入るのは使用人がかわいそうになるので、今日は洗面器一杯分のお湯をもらって、体を拭くにとどめた。

 後でレグルスに血を飲ませてもらったら、早めに寝てしまおう。

「明日は朝から塩抜きをして、その後は風乾ね。ああ、今は夏だから危ないかしら? でも、日本より涼しいから大丈夫?」

「ふうかん……ですか?」

「簡単に言うと、脱水のことよ。水に浸けて塩を抜いた後、その水分をとるために、魚をつるして乾かすの」

「それなら夜から早朝のほうがいいんじゃないですか? 昼間は心配ですね。魚ですし……」

 そう思って、有紗もたびたび魚の様子を見ているが、ボウルを地下の食糧庫に移動させたおかげか、表面がベタベタしていないし変なにおいもしていない。しかし塩漬けを長引かせるのは怖い。

「水抜き、三時間くらいかかるのよね。午餐の後に始めて、夜中に作業なんて悪いわ」

「魚が無駄になるよりいいですよっ。他の方が駄目でも、私は手伝います! その後、休息時間をずらしてもらえれば……」

「そうする? 私の段取りが悪くてごめんね、モーナ」

「いえいえ、謝らないでくださいませ」

 眠気をおしてイライザに話に行くと、イライザは睡眠不足も辞さないと言い切った。

「新しい調理法を教わるんですから、少し眠れないくらいなんてことありません。もちろん私も同席しますわ」

 イライザの頼もしい言葉とともに、すぐに水抜きを始め、夜中に三人で風乾の作業をすることで話がまとまった。


 塩抜きは、燻製する材料に直接水がかからないように、水をちょろちょろ流す。そのために、穴をあけた樽が必要だった。

 樽に水を汲んで入れておけば、小さな穴から少しずつ水が流れ落ちるという算段だ。水を流しっぱなしにするため、台所のすぐ外での作業となる。しばらく様子見をしていたが、問題なさそうだ。

 午餐の後、使用人が片付けを終えたタイミングで台所に戻り、木串や麻縄を用意してもらった。

 猫に魚をとられても困るので、有紗達が台所の傍で椅子を並べて雑談していると、見回りに来たロズワルドに渋い顔をされた。

「お妃様、殿下に話しました?」

「台所にいるって言ったわ」

「ここは外でしょう。城内とはいえ、こんなひとけのない暗がりに女性だけでいるなんて、危ないでしょうが。どうして騎士に同席を頼まないんですか」

「私の段取りが悪くて、さっき決めたんだもの。そんなにうるさく言うなら、ロズワルドさんがいれば?」

 上から見下すみたいに叱られ、ムッときた有紗が言い返すと、イライザとモーナが「えっ?」と顔を引きつらせた。ランプの明かりでも、嫌そうにしたのが分かる。ロズワルドは使用人にも嫌われているようだ。

「しかたないですね。見回りを他の者に代わってもらいます」

 結局、有紗は売り言葉に買い言葉で、自分の首を絞めてしまった。

 樽と魚入りのボウル、女三人が座っていて、しかめ面の騎士が傍に立っている。ものすごく気まずい。

 どうにかしてくれと、イライザとモーナに目で訴えられたが、有紗もどうすればいいか分からない。

「あの~、ロズワルドさん? もしかして遠回しの嫌がらせとかじゃ……ひえっ」

 じろっとにらまれ、有紗はモーナの腕に抱き着いた。モーナとイライザも有紗をかばうように、ぎゅっと有紗を抱きしめる。

 ロズワルドはため息をつき、しぶしぶという調子で切り出した。

「本当は、私達は死んでいたはずだったのです」

「え?」

「ですが、殿下が慈悲をかけてくださった。誇りとは生まれではなく、あり方なんだそうです」

「へえ……」

 レグルス、かっこいいことを言うなあ。

 気の抜けた合槌を返し、有紗は感動にひたる。

「一度死んで生まれ変わったのだから、誇りある騎士となるように……と。せっかくいただいた機会ですので、努力しようかと」

「つまり、今、ロズワルドさんはものすごーく真面目に、私達を心配してくれているっていうこと……?」

「夜に女性が外に出るもんじゃありませんよ」

 肯定する代わりに、嫌味っぽい注意が飛んだ。

 有紗達は顔を見合わせ、おずおずと警戒を解く。

「ふーん。なんか分かりにくいっていうか、損してるタイプ? まあ、いっか。ねえねえ、その調子で傍にいるなら、ついでに後で作業を手伝ってよ」

「ちょっ、アリサ様! 駄目ですよ、騎士様はプライドが高いんですから」

「使用人の仕事なんてしませんって」

 必死に止めようとするイライザとモーナだが、ちょうどそのタイミングでレグルスが顔を出したことで、ロズワルドの参加が決定した。

「アリサ、夜中に作業をするんでしょう? 僕も手伝いますよ」

「……ならば、私もします」

「なんだ、ロズワルドが護衛してくれていたのか。別に嫌なら構わないぞ。これは騎士の仕事ではないからな」

「いえ、主君を見守るだけなど無理です」

 レグルスを主人と定めてから、ロズワルドは殊勝なことを言う。

「ロズワルドがするなら、俺も混ぜてくださいよ。面白そうです」

 さらに、水差しに水を汲みに来たガイウスまで加わることが決まり、イライザとモーナは今にも泡を吹いて倒れそうだ。彼女達にしてみれば、レグルスは王子で、ロズワルドとガイウスは貴族の末弟だから、気軽に手伝わせていい相手ではない。

(何、この面子……)

 有紗は心底不思議に思ったが、人数がいるならすぐに終わるかと、打算でオーケーした。

 その後、塩抜きを終えた魚に木串を刺し、開いた状態で固定して、麻縄を口に通して輪にすると、ロープに吊るしていく。

 有紗は少量を物干しざおにつるしていたから、ロープをつるす段階になって、どこにつるせばいいか困った。

 結局、日が当たらなくて風通しがいいならと、台所の軒下に下げることにした。台所は居館の裏に、別棟である。屋根はあるが、壁はない。竈から出る煙が気にかかるが、早朝に魚を取り込めば影響はないはずだ。

「できたー! 後片付けをしたら、休みましょ。皆さん、ご協力、ありがとうございました!」

 有紗はぺこりと頭を下げる。顔を上げると、ガイウスとモーナ、イライザは驚きで固まり、ロズワルドは不愉快そうに眉をひそめている。

「お妃様ともあろう方が、下々の者に気安く頭を下げてはなりません」

「え? 私の故郷の礼儀よ。手伝ってもらったらお礼を言う。当たり前でしょ」

「頭を下げるなと言ってるんですよ」

 深夜残業で疲れてるのだろうか。いつもにましてロズワルドが怖い。本能的に震え上がった有紗は、レグルスの後ろに隠れた。レグルスは少しうれしそうにしたが、苦笑を浮かべる。

「今回は彼の言う通りですが、少しずつ慣れていけばいいですよ。それからロズワルド、アリサをにらむな」

「申し訳ありませんが、この顔は生まれつきです」

「ロズワルド、眉間が怖いことになってるぞ。はははは」

 ガイウスが笑い飛ばしたので、場の空気がゆるんだが、ロズワルドは相変わらずおっかない。

「いずれ王妃になるのなら、身に着けるべき礼儀というものがあるでしょう。外国人だろうと、王宮では容赦ないものです。せいぜい精進なされよ」

「はい、そうします……」

 お辞儀をして立ち去るロズワルドに、有紗は小声で返す。ガイウスは面白そうににやにやしている。

「なんだ、あいつ。殿下を王にする気満々なんじゃないか。素直じゃないなあ」

「しかし、アリサに厳しくはないか?」

 むすっとするレグルスの腕を叩き、有紗は怒りを鎮めるように言う。

「まあまあ、レグルス。ああいう人も必要よ。みーんな甘くて注意しないんじゃ、私、悪女になっちゃうかも」

「アリサがそうおっしゃるなら……」

 レグルスは怒りを引っ込め、しかたないなあという顔をする。

「私は苦手だけど、すっごく不器用そうね。あの調子で、敵ばっかり作ってきたんじゃない? そういう意味では器用なのかしら」

「そういえば、彼の配下も、不器用なりに助けてくれたと言って、彼をかばっていましたね」

「今、がんばろうとしてるのは本当みたいだから、レグルスは見守っていてあげて」

「アリサは?」

「私は怖いから無理よ」

 はっきりと返すと、ガイウスが噴き出した。

「お、お妃様、正直ですなあ」

「ガイウスさんこそ、気にかけてあげてよ」

「俺は護衛師団の団長になったんで、配下のことは気にしてますよ。あいつの扱いをちゃんとしないと、団内で派閥ができそうなんで。身内で争うのは嫌ですからね」

「立派ねえ」

 ロズワルドが仲間になってから、ガイウスが何かと場をとりなしていたのを思い出した。あのトゲトゲしい男と親しくしようというのだから、ガイウスはすごい。

「ガイウスさんが団長になって良かったわね、レグルス」

「アリサのおかげです。さあ、もう夜も遅いですから、片付けを終わらせて寝ましょうか」

 最後まで手伝うつもりのレグルスを、イライザとモーナが止める。

「殿下、あとは私達でやっておきますので」

「ええ。お妃様も、お先にお休みください」

 え、でも……と困惑する有紗に、二人は声をそろえる。

「「お構いなく」」 

 ここまで強く言われては、有紗も任せるしかない。

「そう? それじゃあ、よろしくお願いね」

「はい。お妃様、がんばってくださいね」

「ファイトです」 

 二人はにこにこと応援し、有紗は首を傾げる。

「え? 何を?」

「アリサ、行きましょう」

 それでどうして、レグルスは頭が痛そうに、額に手を当てているのだろうか。ランプを手に先導するガイウスが、肩を震わせて笑っていた。


 翌朝、早朝のうちに魚を取り込んだ。

 くさっていないか心配していたが、特に問題なさそうだ。日本に比べれば湿度はないし、初夏なのでまだ涼しい。それでも、やっぱり冬に作ったほうが安心だろう。

 今回は試しなのでいつもしている熱燻にしたいが、上手くいったら温燻ならできるだろうかと考えていて、有紗は問題に気付いた。

「レグルス、温度計ってどこかしら」

「温度計……?」

「気温やら体温やらをはかる道具よ」

「そんなものはありませんよ」

 念のためにロドルフやウィリアム、ガイウスにも訊いてみてくれたが、誰も知らない。

「温度計って、そういえば最初に作られたのはガリレオ・ガリレイの頃よね! ここは中世ぐらいだからあるかと思ってたわ」

「ちなみにどういうものなんですか?」

「説明できないわよ。ガラス製で水銀が入ってて、目盛がついてたなーってことくらいしか! しかもそれは理科室で使う場合で、今の家庭じゃ、電子製だしね!」

 レグルスは面食らった様子を見せ、あからさまに落ち込んだ。

「すみません、どんなものか分かれば職人に頼んで作れるかもと思ったんですけど、助けにならないようです」

「レグルスは悪くないから! まくしたてて、ごめんなさい!」

 有紗は謝った。

「今回は熱燻だから、そう難しくないわ。とりあえず、やってみましょ!」

 まさかのなんとなくの感覚で思い出しながらの作業だ。

 熱燻は十分から一時間ほどの短時間で、高温でいぶす方法だ。

 鉄網に魚を並べ、蓋をして、チップに火をつける。



「なんとか、できた!」

 燻製を終えた川魚は、うっすらと色がついておいしそうだ。

 一晩寝かせて熟成させたほうがいいが、一匹だけ味見してもらうことにした。もし腐っていたらまずい。

「ああ、私、味見ができないんだったわ」

 一生懸命作っていただけに、食べられないことにがっくりする。

「見た感じは大丈夫そうだけど、どうしよう」

 有紗の味覚が正確なら、自分が真っ先に食べるのに。

「お妃様、味見ができないとは?」

 事情を知らないイライザが不思議そうにして、有紗は返事に困る。するとレグルスが助け舟を出した。

「アリサは味覚障害がありましてね。何を食べてもおいしくないそうで、あんまり食べたがらないんですよ」

「それでいつも少食なんですね」

 お気の毒にと言いたげに、イライザはいたましげに眉をひそめる。

「昔はいろいろと食べられただけに、悲しいのよね。この燻製も好きだったのよ。えぐみがある時は、涼しい所で少しなじませたほうがいいから、教えてくれない?」

「では、いただきます」

 イライザは一口食べて、目を輝かせる。

「あら、香りが口の中で広がって……。魚くささもなくて、とてもおいしいですわね。塩けがあるので、そのままで食べられますわ」

「えぐみは?」

「こちらはありませんよ」

「良かった」

 あんまりスモークしすぎるとえぐみが出るので、三十分くらいで切り上げたのが良かったのかもしれない。

「アリサ様、クンセイとやらはどうなりました? おお、なんだかおいしそうな感じがしますな!」

 ロドルフが現れ、ガイウスに連れてこられたロズワルドも加わり、試食する。

「おいしいですね。なんというか、お酒が欲しくなります」

 レグルスの呟きに、男達は大きく頷いた。

「これは飲まなくては駄目でしょう。イライザ、ワインを頼むぞ」

「ふふっ、畏まりました」

 イライザとモーナが酒を取りに行き、すぐに戻ってくる。モーナも食べてみて、うれしそうにしている。

「手間がかかるだけあって、おいしいですね」

「他にはね、チーズや肉、木の実なんかも燻製にできるのよ。低い温度で数日かけて燻製させたら、ひと月は保管できるらしいんだけど……。私の腕だと、温燻で一週間がやまかしら。でも魚や肉は冬に燻製にしたほうが安心だと思うわね」

 魚は燻製もいいが、塩漬けのほうが長持ちするのではないだろうか。

「チーズのクンセイですかあ。おいしそうですなあ。絶対につまみに合います」

「ロドルフさん、お酒のことばっかりね。まあ、分かるけど」

 有紗も、母親と酒のつまみにしていた。

 ふむ、とレグルスが思案げに頷く。

「チーズならこの領でも多く作っていますから、クンセイにして価値を上げて売ることもできますね。夏場はチーズのクンセイ、冬に魚のクンセイを作るというのはどうでしょうか」

「いいんじゃない? 名物を作って、領の資金を増やすのが目的なんだし。味が問題ないなら、今日の午餐に出しましょうよ。特に魚釣りを手伝ってくれた騎士さんに食べてもらいましょ」

 有紗がレグルスに話しかけると、レグルスはにこりとした。

「そうですね。それから、母上とミシェーラにも食べてもらいたいです」

「賛成よ」

 特に、ミシェーラには精をつけてもらいたい。

「そうだわ、イライザ。チーズなら塩漬け作業がいらないから、ついでにやってみない? 鉄網は洗わないと、魚のにおいがついてるけど」

「いいですね。チーズを切ってまいりますわ」

「では網は私が洗っておきます」

 イライザが食糧庫に向かい、モーナが鉄網を手に取ろうとして、先にガイウスが持った。

「俺がするよ、モーナ」

「ええっ、護衛師団の団長にしていただく仕事では……」

「いいからいいから。お妃様、お手伝いするので、ぜひともチーズを分けてくださいね」

「それが目的ですか……」

 呆れ顔のモーナは、いそいそと井戸のほうへ行くガイウスを見送る。

「ええ、構わないわよ」

 有紗が返事をすると、ロドルフがずいと前に出た。

「お妃様、わしには何かありませんか!」

「え? 木のチップを作るくらい?」

「やりますぞ! そしておいしい酒のつまみを作りましょう!」

 ロドルフの好みの味だったようで、がぜんやる気を見せている。

(別に、手伝わなくても、試食してもらうけど……?)

 何か勘違いしているようだが、手伝ってもらえる分には助かるので、有紗は何も言わないことにした。

 すると、話を聞きつけた騎士や使用人も木のチップ作りに参戦する。用意していた木材のほとんどがチップに変わった。

 午餐で出した燻製の魚とチーズは大好評で、木材の香りの違いで評判も聞いて、どれを主に使おうかと記録をまとめた。

(この調子で、燻製をガーエン領の名物料理にするぞー!)

 何回か練習して、安定して作れるようにならないと、商品には向いていないだろう。

 有紗は気合いを入れ、こり性のイライザと燻製の研究に没頭した。


 初挑戦から二週間ほど、有紗は試行錯誤を続けていた。

 あれから、ガーエン領は少しずつ暑くなってきた。

 夏場では食中毒の危険がある魚を使うのはやめて、チーズと木の実を材料にして、風味を確かめている。

 有紗が試食できないのが厄介だ。

 味わえないのがつらいし、燻製をしていると自然と母を思い出してしまう。落ち込んだりもしたけれど、これも聖典を読むために必要な足がかりだと思い直してがんばっている。

 それから、良いこともあった。

 ミシェーラが部屋から出られるようになったのだ。

 彼女の病は治っても、寝ている間に弱った筋力まではどうしようもない。ミシェーラは壁や杖を支えにしてゆっくりとしか歩けないけれど、以前のような元気を取り戻したいと努力している。

 原因不明の難病から、奇跡の回復を果たしたミシェーラの様子に、元からいた騎士や使用人達は驚きをあらわにしている。

「ミシェーラ様は、あんなにお可愛らしい方だったのだな」

「以前、拝見した時は、痩せて枯れ枝のようだったから、健康を取り戻されて安心したよ」

「アリサ様がいらしてから、良いことばかりね!」

 それでどうして有紗を褒めるのか謎だ。実際のところ、ミシェーラを癒したのは有紗だが、闇の神子だと知られるわけにいかないので、偶然だと笑ってごまかしている。

 評判は城だけでなく、聖堂でふせっている病気の人々についても同じだ。

 有紗が毎日、少しずつ黒いもやをつまみ食いしているので、自然と彼らも病状が回復してきている。

 信心深い有紗の祈りが通じたと持ち上げる神官もいた。――その筆頭が、バルジオ司祭だったりする。

 そのおかげで病人のいる部屋に出入りしやすくなったのだが、有紗はなんとも複雑な気持ちにさせられた。聖女みたいに拝む病人が現れたせいだ。

(私はごはんを食べてるだけなのよ……)

 良心が痛むのだが、レグルスは笑うばっかりだ。

「あなたが治しているのは事実でしょう。本当に得難い方ですね」

 そんなふうに言って、レグルスがにこっとするので、レグルスがうれしいならいいかな……と、有紗はついほだされてしまう。

 城下町で燻製チーズを売り始め、レグルスと有紗の評判が噂になり始めた頃、王宮から使者が来た。

 王からの使者は身分の高い者は総出で迎えるものらしく、有紗も同席している。レグルスとミシェーラだけが椅子に座り、それ以外は立っている。ミシェーラの場合は、まだ全快ではないからで、普通は立っているものらしい。

「陛下よりご伝言でございます。側妃ヴァネッサ様、ミシェーラ王女様は王宮にお戻りになるように、とのことです。それから、ミシェーラ様のご快癒と、レグルス殿下がお妃様をお迎えなさったお祝いのため、パーティーを開きたいとおおせです。皆様そろって登城いただきますように」

 有紗はレグルスを見た。

 はたして有紗がそんなパーティーに参加していいのだろうか。それに、王宮にはあの神官がいる。闇の神子だとばれる可能性が高く、近づくのは危険だ。

 そもそもの話、有紗を正式に紹介していいのかという疑問もある。

 有紗の不安を察したのか、レグルスは有紗の左手をやんわりと握った。薄い微笑みに、大丈夫と伝えてくれたみたいだ。

「彼女の国では、ごく近しい者にしか顔や髪をさらさないのだが、このままで大丈夫だろうか」

 適当にでっちあげてのレグルスの問いに、使者は数瞬迷った。

「王宮のしきたりは、私には分かりかねます」

「では妃も同行するが、王宮のしきたりにそむくようであれば、パーティーには参加できないと伝えておいてくれ」

「しかし、陛下の命ですよ?」

「つまり君は、私の妃に恥をかかせたいのか?」

 レグルスの眼光が鋭くなり、使者はあきらかに緊張を見せる。

「か、畏まりました。そのようにお伝えします」

「理解してくれてうれしい。では、下がるがいい。ロドルフ、使者に休息をとっていただけ」

「はっ」

 ロドルフはお辞儀をし、使者を案内する。

「ありがとう、レグルス」

「いいんですよ、アリサ」

 有紗が礼を言い、レグルスが優しく返す。ミシェーラが杖をついて、こちらにやって来た。

「アリサお姉様、王宮ではわたくしがついているので大丈夫ですわ! 今日から少しずつ、礼儀作法をお教えしますわね」

「ミシェーラ、ありがとう。頼りにしてるね」

 今にも転びそうなミシェーラに手を伸ばして支えると、有紗はミシェーラにもお礼を言う。するとレグルスが少し面白くなさそうに口を挟む。

「僕も頼っていいですよ」

「うん、頼りまくるからよろしくね、レグルス」

 有紗だけでなく、ミシェーラも一緒に笑う。

「もう、お兄様ったら。そうだわ、いつ出発なさいますの?」

「旅支度があるから、三日後だな。イライザ、ロドルフに指示をあおいで、しっかりと準備を頼む」

 レグルスがイライザに声をかけると、イライザは丁寧にお辞儀をする。

「かしこまりました」 

 それを合図に、その場は解散になった。使用人達は慌ただしく準備を始める。

(旅かあ。王宮も嫌だけど、困るなあ)

 料理を食べられないので、誤魔化すのが大変だ。レグルスやミシェーラにサポートをお願いするしかないだろう。


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