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 燻製(くんせい)に必要なものは、野菜や肉、魚などの材料。

 魚ならば下処理が必要だ。内臓を取り除いて、開いておく。それから水分を抜くために、直接塩をすりこむか、ソミュール液という塩やハーブを入れた水に浸ける必要がある。


 その後、塩分を抜いて、日陰で干し、燻煙した後は、すぐに食べてもいいが、熟成させたほうがいい食材もある。煙っぽさが和らぎ、全体に味がなじんでおいしくなるそうだ。


「簡単に燻煙(くんえん)するだけなら、木のチップの上に網を敷いて、鉄製のボウルで蓋をするだけでも出来るのよ。長く保存はできないけど、これはこれでおいしいわ」

「なるほど、木のチップ。燻煙というのは、のろしを上げる時の煙に近いんですかね?」

「え、のろしなんて上げたことないから、分かんないわよ」

 ロドルフの質問に、有紗は困った。

「でも、のろしって歴史小説にはよく出てくるわよね! 見てみたい! やってみたい!」

「はあ。あんなものを見たがるなんて、お妃様は変わってますなあ。今度、のろしを上げる訓練をする時に、お誘いしますよ」

 前のめりで頼み込む有紗に、ロドルフは引き気味である。有紗がロドルフに詰め寄っていると、レグルスに手招かれた。

「アリサ」

「ん? あ、ごめんなさい。ロドルフさんに失礼だったわね」

「…………」

 どうして黙るのか謎だが、たしなめられたと思った有紗は、ロドルフにも会釈して謝った。

「ええと、ごめんなさい?」

「はっはっは。若くていらっしゃる。当てられるので、目の前ではおやめください」

「なんの話?」

 有紗が訊いてみても、ロドルフは笑うだけである。よく分からないが、レグルスが隣の椅子をポンポンと叩くので、有紗は大人しくそこに戻った。

「えっと、とにかく(いぶ)すのよ。バーベキューの鉄板の隅を借りても、同じことはできるわ。でも長時間の保存に向いてるのは、冷燻(れいくん)っていう方法なの」

 有紗は説明を続ける。

 燻煙には、冷燻、温燻(おんくん)、熱燻に分かれている。それぞれ温度が違うのだ。


「チップは熱燻(ねっくん)向きなんだけど、木くずの粉を固めたウッドの作り方はわかんないから、とりあえずチップで試すしかないわ。魚ならソミュール液が向いてるかな? 塩と砂糖とスパイスを入れた水を沸かして、常温に戻してから、魚を一日くらい浸けておくの」


「なるほど、塩と砂糖ですね。スパイスは何を?」

「カルダモンとベイリーフって分かる?」

「カルダモンとベイリーフですか?」

 レグルスは聞いたことがなかったようで、ロドルフとウィリアムのほうを見た。彼らも首を振る。

「王都に行けば、南方からの商人も来るので、売っているかもしれませんが、まずはイライザに訊いてみましょうか」

 ロドルフがそう言い、ウィリアムにイライザを呼びに行かせる。少ししてイライザが書斎にやって来た。

「分かりませんわ。ハーブはそろっていますが、南方産のスパイスは高価ですから……」

「ローリエは?」

 有紗が問うと、イライザは唇に微笑みを浮かべる。


月桂樹(げっけいじゅ)の葉を乾燥させたものですわね? ありますよ」

「風味は違うけど、代用できなくもないらしいし、ローリエにしておこうかな。塩水に浸けるってことが大事だから、スパイスは好みで変えればいいらしいし……」


 イライザにも燻煙について教えると、イライザは前のめりに食いついてきた。

「新しい調理方法ですか? 私もお手伝いしたいです!」

「おお、それはいい。イライザの料理の腕は、城で一番だからな。同じ物を作らせても、何故かイライザのほうがおいしいのだ。材料は同じなのに不思議じゃな」

 ロドルフがそう言うから、間違いないだろう。

「分かるわ。私が書いてある通りに作っても、料理が上手い人が適当に作ったもののほうがおいしかったりして、納得いかないのよね」

 まさに有紗の友達にそのタイプがいる。深く同意する有紗である。

 思案していたレグルスが口を開く。

「煙を充満させるっていうことが肝のようですね。鉄製品より木工品のほうが手軽なので、燻煙用の木箱というのを作りましょうか。あとは、魚ですね」

「塩水につけて、塩を抜くのに一日半は見てたほうがいいから、先に魚を用意したほうがいいかな。待ってる間に、木箱を作って、木のチップも作るの。あ、でも、木のチップ、桜しか使ったことがないのよね」

 困ったら桜の木を使っておけば大丈夫らしいから、有紗はそれしか使ったことがない。

「つまり香りを付けるわけですから、燃やした時に香りの強い木ならいいわけですな。村に詳しい者がおりますから、用意するように言います」

 ロドルフがそうまとめたことで、話が固まった。

「魚が必要なら、明日の早朝に出かけましょうか。試作用に数匹釣ってくればいいでしょう」

「ではロドルフ様、騎士に護衛するように伝えておきますね。村への連絡もお任せください」

「頼むぞ、ウィリアム。ああ、騎士は魚釣りの心得がある者を中心に頼む」

「畏まりました」

 ウィリアムが部屋を出て行き、イライザも午餐の準備があるからと退室した。

「これが上手くいったら、植樹をして森林保護をしなきゃいけなくなりそうね」

「森林保護ですか?」

 有紗の呟きを拾い、レグルスが不思議そうに問う。

「そうよ。切るだけなら森が消えちゃうわ。山や森は大事よ。土地を豊かにするものね。山の状態が良ければ、川や海も潤うんですって」

「そうなのですか……。確かに、切ったら切りっぱなしですね。村の共用林以外は、領主の持ち物ですから、そこなら保護できます。計画的に切って、植えて育てていけばいいんでしょうか」

 レグルスはさらさらとペンを走らせ、樹皮紙にメモをする。

「そうですなあ。木を切った後、そこを野焼きして畑に変えてしまいますから、森は年々減っています。狩猟の楽しみも減りますから、御領林だけでも守れるといいでしょうな。森と川のつながりはよく分かりませんが、闇の神子様がおっしゃるのですから、それなりの理由があるんでしょう」

 ロドルフは思案げに呟く。

「私の世界の、過去の教訓で話しているけど、あんまり鵜呑みにされるとそれはそれで怖いっていうか……」

 彼らがあんまりにもすんなり飲み込むので、有紗はたじろいでしまう。すると、レグルスはあっさりと返す。

「しかしアリサはそれが良いと思うから言っているのでしょう?」

「まあ、そうだけど」

「話を聞いて、それがいいと思ったから、こちらも議題に上げているんです。目先の利益より、長期的に利益を得るほうがいい。領民も話せば分かってくれますよ」

 ロドルフも肯定する。

「そうです。無理そうならば、そう言っていますよ。お二人は『女や子ども、老人が住みやすい国』を目指しているんでしょう? その上での提案なんですから、一考の価値はあるというもの」

 そして、面白そうに目を細めた。

「わしはそろそろ隠居の身ですからなあ。お二人をお手伝いして、どんなふうに変わっていくのか。それを見るのが楽しみです」

「隠居? そんなに若いのに?」

 驚く有紗に、面映(おもは)ゆそうにロドルフは口を開けて笑う。

「ははっ、ありがとうございます。しかし人生五十年といいまして、もう老いぼれですよ。殿下が王になるのを見るまでは、生きていたいものですなあ」

「奥さんは?」

「妻はとうの昔に亡くなりました。息子を産んだ後、体調を崩しましてね。息子も息子で、都から戻ってきませんし。まったく、親不孝者ですよ」

 ふんと鼻を鳴らし、ロドルフは口元をぐっと引き締める。こんな顔をすると、古民家の屋根にのっている鬼瓦に似ている。

(レグルスといいロドルフさんといい、家族関係でいろいろとあるのね)

 しかし家族関係に口を突っ込めるほど、有紗はロドルフと親しくはない。

 困って、ほんのり苦笑を浮かべる。

「ロドルフ、寂しいならそう言えばいいのに。こちらに戻ってくるように、私が手紙を出そうか?」

 レグルスの気遣いに、ロドルフは目に見えて揺らいだが、結局、首を振った。

「いえ……いつかは息子も分かってくれるはずです。ありがとうございます、殿下。優しい方ですなあ」

 そう言って、ほんのり目を潤ませるロドルフが、有紗には少し気の毒だった。





 有紗は妃の間に戻って、樹皮紙にメモの続きを書いていた。

 書斎には有紗の机がない。レグルスの机の端を借りていると書きづらかったので戻ってきた。侍女のモーナが部屋にいないので、午餐の準備をしているんだろう。

「私達、良いコンビかも」

 有紗は羽ペンを走らせながら、自分の考えににまりとした。

 有紗が現代知識を参考にアイデアを出し、レグルスがそれをロドルフやウィリアムと話し合って、現実化する。レグルスが言うように、有紗は軍師のようなものなんだろう。

 聖典閲覧と安泰生活のためだ、協力は惜しまない。

「よし、できた」

 まずは思いついたことをメモした。順番を間違えているところや足りないところがあるので、訂正したメモを作ってから、別紙に清書する。

 清書したメモを読み返していると、部屋の扉をノックする音がした。訪問者はヴァネッサだ。

「どうしたんですか、ヴァネッサさん」

「明日、魚釣りに行くと聞いて、お願いがあるの。ミシェーラに精を付けさせたいから、一匹分けてくれないかしら」

 お願いと聞いて身構えたが、そういうことならまったく問題ない。有紗は気軽にうけおう。

「構いませんけど、明日次第ですよ。釣れないかも」

 するとヴァネッサが色っぽくウィンクをする。

「大丈夫よ、男達がはりきるでしょうから。あなたは侍女と一緒に、おだてて応援してあげればいいの。それでばっちりよ」

「私も釣りたいんです」

「ふふ、それも楽しそうね。でも、大物が釣れても、威張っては駄目よ。男ってすぐにすねるんだから。特に騎士なんて、プライドは山みたいに高いわ」

「あー、確かに。ロドルフさんとか、すねそうですね」

「でしょう?」

 子どもっぽく背を向けるところまで想像できる。

 有紗が笑みをこぼすと、ヴァネッサもくすくすと笑う。それから、ヴァネッサは有紗の手元に目をとめた。

「あら、それってアリサの国の文字? 丸かったり四角だったり、不思議な字ね。私は字を書けないけれど、この国の字とは全然違うことは分かるわ」

 丸っぽいのは平仮名で、四角いのは漢字のことだろうか。

「あ、そっか。私の文字を読めないんでしたね、忘れてた……」

「ミシェーラに代筆してもらったら? 部屋からはまだ出られないけど、することがなくて退屈してるのよ」

「そういうことなら、お願いしてみます」

 善は急げと、筆記具をまとめる。そのままミシェーラに頼むと、喜んで引き受けてくれた。そしてヴァネッサに問いかける。

「お母様、私、元気になったら王宮に戻らねばなりませんの? こんなふうに、アリサお姉様のお手伝いをしたいわ」

「それは私ではなく、あなたのお父上が決めることよ。誠心誠意、頼み込んでみなさい」

「はーい」

 ミシェーラは分かりやすくふてくされる。

「そんなにお父さんは融通がきかないの?」

「ええ、頑固ですわ。その辺りはお兄様とそっくりですわね」

「レグルスと似てるなら、優しいから大丈夫よ」

 有紗がなだめると、ミシェーラは希望が見えたようで、機嫌が直った。有紗の話すことを、すらすらと樹皮紙にまとめていく。

「ここの文字は分からないけど、綺麗な字ね」

 アルファベットのような、全く違うような不思議な文字だが、ペンを走らせると単語を続けて書けるみたいだ。アルファベットの筆記体みたいなものだろうか。

 ミシェーラがにまっと笑う。

「お姉様、こちらを真似して書いてみて。簡単な文字よ」

 新しい樹皮紙に、ミシェーラが単語を書く。有紗はそれを見本にして、たどたどしく単語を書いた。

「こう?」

「ええ、そうよ。可愛い字。子どものらくがきみたい」

「そりゃあ、書いたことがないし……」

「あ、馬鹿にしたのではなくて、ただ可愛いと思っただけなの。これを見せれば、お兄様が喜びますわ」

「なんでレグルスが喜ぶの? これ、どういう意味?」

「見せてのお楽しみですわ」

 ミシェーラはにこにこと笑って、意味を教えてくれない。ヴァネッサがミシェーラをたしなめる。

「こら、ミシェーラ。アリサをからかうんじゃありません」

「だって、お兄様とお姉様を見ているとじれったいんですもの。ねね、お姉様。見せるだけでよろしいですから。意味はお兄様に訊いてくださいな」

「悪口じゃないよね?」

 有紗が確認すると、ミシェーラは首を振った。

「違いますわ」

「それならいいけど」

 ミシェーラの悪戯っぽい顔が気になるが、兄を慕っているミシェーラだ。悪いことではないだろう。それから燻製についての説明を書き終えると、ミシェーラは有紗に紙束と筆記具を押し付けて、部屋の外に誘導する。

「さあさあ、すぐにお兄様のもとへ行ってくださいませ!」

「いったいなんなの、ミシェーラってば」

 訳が分からない。有紗は首をひねるが、ミシェーラは手を振って扉を閉めてしまった。謎の態度をいぶかりつつ、有紗は二階のほうへ歩き出す。どうせこの樹皮紙を渡す予定だから、レグルスに会う。ついでに渡そう。

 二階の書斎に行くと、すでにレグルスは退室していた。そちらを訪ねると、レグルスは長椅子で本を読んでいた。午餐のための身支度に戻ったとウィリアムが言っていたが、すでに終えていたらしい。

 改めて見ると、城館ではレグルスの部屋が最も広い。妃の間よりも窓が多いので明るい。空はオレンジ色に染まり始め、時折、風が吹き込んでくる。

「アリサ、そろそろ喉が渇く頃ではないかと思っていました」

 隣に座るようにと手招かれ、有紗は遠慮なくそちらに向かう。

「それもあるけど、先にこっちね。ミシェーラに書いてもらったの。これが燻製についてで……」

「なるほど、文字だと分かりやすいですね」

 じっと樹皮紙を見下ろすレグルスの前に、有紗はメモを差し出す。

「あと、これも」

「え」

 何故かレグルスが石のように動きを止めた。

「ミシェーラが、レグルスに見せるようにって。意味も教えてもらえって言ってたわ」

 有紗がそう言うと、レグルスは顔を手で覆ってうつむいた。

「……そういうことか、ミシェーラめ」

 うめくように呟くレグルスの耳が赤い。

「どうしたの? そんなにひどい言葉?」

「いいえ……。いえ、ひどいですね」

「どっち?」

「喜んだのに、直後に穴に蹴落とされた気分です」

「何それ、どういう言葉なの、これ!」

 ミシェーラだから大丈夫だろうと思ったが、有紗の考えが甘かったのだろうか。おろおろとしていると、レグルスが噴き出した。

「そんなに気にしなくていいですよ。ミシェーラのことは、後で叱っておきます。これはいただいても?」

「え? 欲しいの?」

「この国の文字を書いたのは、初めてでしょう? 記念にとっておきますね」

「あ、そういうこと。構わないけど、なんだか恥ずかしいわね。それで、意味は?」

「今度、教えます」

 なんで後回しにするんだろう。有紗には不思議でならないが、レグルスは静かに微笑んでいる。

(あ、がんとしても言わない顔だわ、これ)

 レグルスは優しいが、ときどき頑固だ。有紗が折れることにした。

「そのうち話してくれるなら、いいわ」

「ええ」

 レグルスはメモを手に取って立ち上がると、チェストの上に置いてあった綺麗な木箱にメモを入れた。

(宝箱に入れるようなものかなあ?)

 戸惑いを隠せない有紗だが、レグルスがこの話は終わったという態度なので、深く問いつめるのはやめておくことにした。



  読みづらいところだけ、行間あけました。

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