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五章 資金問題



 あの騒動から一週間が経ち、ようやくルーエンス城は落ち着いた。

 騎士が戻ってきて、新しい使用人も決まり、規律と活気がある城になった。

 午後、ミシェーラの部屋を訪ねた有紗は、ミシェーラと雑談していた。

 ミシェーラはまだ部屋から出られるほどではないが、弱っていた様子は薄れ、昼間はベッドではなく長椅子やテーブルのほうにもいられるようになった。疲れたらベッドに戻って休んでいるようだが、そろそろ外で散歩も出来るだろうとのことだ。

「すごいわ、アリサお姉様。あの嫌味くさいロズワルドまで、味方に付けてしまうなんて!」

 薬草茶を飲みながら、ミシェーラはその青い目をキラキラと輝かす。

「私じゃなくてレグルスよ。相変わらず怖い雰囲気の人だけど、レグルスの前だと忠犬みたい。前に見たあの人が嘘みたいよ。ついて回って子どもみたい」

 有紗は分かりやすくむくれていた。ミシェーラがくすくすと笑いを零す。

「お兄様をとられたみたいで、つまらないのですわね?」

「レグルスと外に出ると、絶対にどこからか現われるし、私のことをじろっと見るのよ。『邪魔』って言われてるみたい」

「あの方、目つきが悪いですものねえ」

 納得だと言うように、ミシェーラが呟き、薬草茶を飲んで顔をしかめた。それから、有紗が羽ペンで樹皮紙に書き込んでいるものを覗く。

「なんですの、その絵」

「ボイラー?」

 みたいなものだろうか。薪ストーブを使った湯沸かし器だ。

「ぼいらー」

 聞き慣れない言葉なのだろう、ミシェーラが繰り返して、きょとりと瞬きをした。リスみたいで可愛い。

「私ね、元いた場所では学生だったの。日本史……私の国の歴史を勉強していたのよ」

「学者さんですか?」

「ううん、私は研究者になる予定はなかったわ。学校の教師になる予定だったの」

 春から地方の高校に、新任の歴史教師として赴任する予定だったのに。大学の卒業式の日に、こんな所に召喚されてしまったせいで、その努力も意味がなくなった。思い出すと胃がチクチクしてくるので、有紗は頭を振って追い散らす。

「お姉様、大丈夫ですか?」

 ミシェーラが心配そうに問う。有紗はなんとか気を取り直し、ミシェーラに頷いた。

「大丈夫よ。ええと、それでね、歴史は歴史でも、昔の生活が見える辺りが興味深くて、趣味でお風呂についても調べていたのよ。これは、マリー・アントワネットっていう外国の王妃様が、ええと最初は王太子妃だったんだけど、そういう方が作らせた、当時では先進的なお風呂よ。うろ覚えだけどね」

 風呂場の壁際に浴槽を配置して、隣室で沸かした湯を、パイプを通して流し込む構造だ。蛇口をひねれば、お湯が出る。大勢の使用人が付き添わなければ風呂に入るのが難しかった当時、一人でゆっくり風呂に浸かれるのは画期的なことだった。

「王妃様のお風呂ですの? でも、使用人の手を借りれば、問題ないのでは?」

「この王妃様がいた国はね、開かれた王室をうたっていたの。でも王妃様は違う国から嫁いできたから、その気質に慣れなくて。プライベートが少なくて、王妃様にはストレスだったんですって。初夜と出産も、客に見せたらしいわ」

「な、なんですの、それ! ありえませんわ!」

 ミシェーラは唖然として、顔を真っ赤にした。

(あ、いけない。こんな年下の子に……)

 有紗もありえないと思っていたから、つい饒舌になったが、五歳下――つまり日本でいうなら高校生だ。もっと考えて話すべきだった。

「ごめんなさい。えっと、それでね、自分だけの時間が欲しくて、部屋を改造していたの。そういったことや服飾品にお金をたくさん使って、財政を圧迫させたから、悪女といわれてたわ」

「女としては同情しますけれど、国のお金は大事に使いませんとね」

 ミシェーラは感受性が豊かのようだ。自分のことみたいに悲壮な顔をしている。

(可愛いなあ。いやされる)

 ミシェーラの分かりやすさは、有紗には可愛く見えた。しかもミシェーラは有紗を慕ってくれている。レグルスの妹だと思うと、もっと可愛い。

「あはは、そうね。私も散財はどうかと思うわ。マリー・アントワネットのことはさておき、お風呂は良いわよ。清潔は大事。病気予防になるし、体が冷えやすい女性にとっても健康に良いわ。それから、これが重要なんだけど。単に、私がお風呂に入りたいの」

「欲望が全開ですね」

 その言葉のわりに、ミシェーラはうれしそうに微笑んでいる。

「飲食の楽しみを奪われ、着飾ることにもあまり興味のなさそうなお姉様が、お風呂にだけはこだわりをもっていらっしゃる。王女としても叶えて差し上げたいわ」

「美容にもいいのよ。入浴剤に、薬草やお花を使えばいいと思う。そのお茶みたいに」

「飲むよりずっと良さそう」

 残っているお茶を見下ろして、ミシェーラは溜息をつく。それでも医者が用意してくれたからと、しぶしぶ飲み進めるあたりは良い子だ。

「次の案はこれ」

「これが浴槽なら、この溝に入っている丸いものはなんです?」

 ミシェーラは有紗の書いた簡単な図を、ほっそりした指先で示す。

「これは石よ。石焼き風呂っていうの。ドッツォっていう、私の世界のある国の文化よ。毎日入るわけじゃなくて、たまにね、お風呂に入るぞって気合いを入れてするみたい。焚火で石を焼いて、お水を張った浴槽に入れる前に軽く洗ってから入れるの。こういう仕切りがあるものもあれば、仕切り部分が外にあるものもあるんですって」

「そんなお風呂もあるのですか」

 有紗の説明を、ミシェーラは興味津々という様子で聞いている。

「私の国の古いお風呂は、五右衛門風呂っていうのよ。大きな鍋みたいな感じかな。鉄製か、底だけ鍋になっていて壁は桶になってるタイプの湯船があって、下で火を焚くの。湯船の底には木の板が敷いてあるから、その上に入るのよねえ」

 有紗は首を傾げる。

「西洋……西のほうの国だと、湯に浸かるというより、蒸し風呂の文化ね。でも、私はお湯に浸かりたいわ。どれなら作りやすいと思う?」

「アリサお姉様のお話は面白いですけれど、わたくしは技術のことは分かりません。お兄様に相談して、職人を雇っては?」

「そうねえ。ロドルフさんに言ったほうがいいよね」

「というより、まずはお兄様に相談されないと、お兄様がすねてしまいますわよ」

 ミシェーラが笑いながら言う。すねるという言葉の響きが面白くて、有紗も噴き出した。

「まっさかー、レグルスがそんな真似するわけないじゃない」

「ふふ。アリサお姉様には頼って欲しいはずですわ。お姉様だって、お兄様が悩み事を相談するのが、先にロズワルドだったら嫌でしょう?」

「ま、まあ……そうね。ロズワルドさんより後は嫌かな」

 考えるだけで、もやっとする。

「わたくしは良い案だと思いますから、その紙を持って、お兄様達に話してみてください。それで、上手くいったら、わたくしもお風呂を使わせてくださいね」

「うん、もちろん! 広めに作れたら、一緒に入りましょ」

「ええ。そうだわ、お風呂が出来るまで時間がかかるでしょうし、真夏になったら一緒に水浴びに行きませんか? ちょうどいい泉があると、前に侍女が噂してましたの」

「えっ、外で裸になるの?」

「薄手のネグリジェですよ。今の使用人なら、信用できますから、安全に過ごせると思います」

「分かったわ。じゃあ、約束ね」

 有紗が微笑むと、ミシェーラもにこっと笑う。

「ミシェーラ、ちょっとお願いがあるんだけど」

「なんですか?」

「ぎゅってしていい?」

「ぎゅ?」

 首を傾げるミシェーラに、有紗はテーブルを回りこんで実践した。ミシェーラを抱きしめて、よしよしと頭を撫でる。

「可愛いわぁ」

 ミシェーラは真っ赤になった。

「わ、わたくし、お姉様になら、いつでもぎゅっとされて構いませんわよ」

「ミシェーラ、あなた、本当に可愛いけど、大丈夫? さらわれたりしないかな」

 どう見ても小動物なので、有紗は本気で心配してしまった。



    *****



 ミシェーラの部屋を出た後、さっそく二階の書斎に顔を出した。

「レグルス、ロドルフさん、今、ちょっとお時間を頂いてもいいかな?」

 裁判から戻ったばかりで忙しいかと、一応気遣うと、レグルスはかすかに笑みを浮かべた。

「もちろんです」

「何を急に他人行儀な。ずいずい踏み込んでくるくらいが、アリサ様でしょう」

「ロドルフさん、どういう意味よ、それ。そんなに厚かましくした覚えはないけど」

 有紗はロドルフに言い返したが、言いたい放題言っている自覚はある。

(少し控えたほうがいいかしら……)

 するとレグルスが気にするなと言う。

「いいんですよ、アリサは自由にしていて。政治は男、家のことは女と言う者もいるでしょうが、僕にとっては、アリサは参謀みたいなものですから」

「参謀! かっこいい響き!」

 有紗は目を輝かせる。そんな有紗を、ロドルフがからかう。

「裏を牛耳る悪女にはならないでくださいよ」

「もーっ、私はそんなのにはならないわよ! だって私達、女や子ども、老人に優しい国作りを目指すんだから。そんなの真逆じゃない」

「アリサ様、ロドルフ様の悪い冗談ですよ」

 言い返す有紗に、ウィリアムがそっと口を挟んだ。

「それで、どうしたんですか?」

 レグルスが話を進めるので、有紗はお風呂の案をまとめた樹皮紙を出した。

「一階にこういうのを作りたいわ。どれが作りやすいかな」

「ははあ。見た感じは、ゴエモン風呂というのが、一番効率的に思えますな。薪を燃やすのは同じですから、このパイプで隣室へという部分が減っただけ楽かと」

 ロドルフはそう言ったものの、溜息をついた。

「ところでアリサ様、問題があります」

「はい、なんでしょう」

 身構えて姿勢を正す有紗に、ロドルフは苦笑した。

「前にも話した通り、我が領にはたいして予算がありません」

「はい」

「家の簡単な修繕をする余裕程度はありますが、改築となると、お金がありません。緊急用の資金に手を出すわけにはまいりませんので、余裕を作らねば」

 有紗はぱちくりと瞬きをして、問う。

「つまり、お城を良くする以前に、そのための資金稼ぎから始めてってこと?」

「その通り!」

 ロドルフはパチンと指を鳴らした。有紗はがっくりする。

「なるほど、そう簡単にはいかないってことね。商売なんてしたことないから、よく分からないわ。まずはこの土地に何があるか、よね」

 レグルスが簡単に挙げていく。

「ここは牧畜がメインですよ。牛、馬、羊、それから山羊を飼っています。農作物は大麦と根菜ですね。山からは石を切り出し、木材もとれますが、あまり多くはありません。草原のほうが多いので」

「牛と山羊のミルクでチーズを作り、馬は農耕用と売る用に育てていますね。羊からは羊毛を。羊は病気になりやすいですが、羊を育てておけば、必ず利益になりますな」

 ロドルフはそう付け足した。

「他には?」

「そうですな。山と迷いの森から流れてくる川があります」

「川以外……」

「ありませんよ」

 有紗は駄目元で問う。

「鉱山なんてものは……」

「あったら、もっと裕福に暮らしておりますぞ」

「ですよねえ」

 なるほど、牧歌的な田舎といった雰囲気の場所なのか。

「動物は病気になることもありますし、羊と山羊は基本的に牧人を雇って放牧していますが、狼に食われることもあります」

「……狼」

 日本にはいないから、なんとなくピンときていなかったが、そういえばレグルスが狼に噛まれて致命傷を負っていた。あんな真似をする動物が、家の外にいるのだと思うと怖い。

 レグルスが右手を軽く挙げる。

「稼ぐなら、川魚がいいと思っていたんですよ。魚は貴重なので、高く売れます」

「日持ちしないので、その日に食べるご馳走ですなあ」

 ロドルフがうなる。確かに、冷やすなりしておかないと、すぐにいたむだろう。

「え? 魚を燻製したり干物にしたり、塩漬けにしないの?」

「塩漬けは分かりますが、クンセイってなんですか」

「ヒモノ?」

 レグルスとロドルフが不思議そうに問うので、有紗は目を丸くする。

「ないの!?」

 ここは異世界だし、もしかすると呼び名が違うのかもしれない。念のため、有紗はそれがどういったものか詳しく説明した。するとロドルフがああと合槌を打つ。

「ヒモノって、干した物のことですか。それならありますぞ。ですが、クンセイは聞いたことがないですね」

「できるだけ水分を抜けば一ヶ月はもつし、上手に作れる人なら、数年はもつって話よ」

「ほう、それはすごい。冬を越すのにいいですな」

 ロドルフは顎を撫でて、しきりに頷く。

「野菜や肉を干すことはあっても、魚は怖いので、試したことがありません。とにかく一度、試作してみたいですなあ」

「とりあえず、方法を紙に書いてまとめておくわね。私のいた所は、食べ物を冷やしておく道具があったから、燻製って昔の保存食ってイメージだったし、燻製をする人は、そういう食品を作る人だったりアウトドア好きだったりする人だけだったんだけど、たまたま流行ってたのよね」

 有紗がそう説明すると、ウィリアムが口を挟む。

「どうして保存食作りが流行るんですか? その道具がいっせいに壊れたとか?」

「え? なんでだろう。なんか……おしゃれ? みたいな?」

「保存食作りが、おしゃれ?」

 眉を寄せるウィリアム。有紗も首を傾げるが、それ以外にちょうどいい答えは見つからない。流行って不思議だ。

「私のお母さんがはまってたの。それで、一緒に作ってみたのよね。そしたらほら、昔もこんなふうにしてたのかなって思ったら、気になっちゃうじゃない? 調べるでしょ。実践するわよね? ま、一通り作ったら飽きちゃって、燻製のために作った木箱はベランダで鉢置きになったわ」

 一度気になることがあると、有紗はとにかく調べて、ウェブから本まで読み漁る。手軽にできるなら試しにやってみるが、飽きるのも早かった。こうして雑学が増えていく。

(勉強にまったく関係ない辺りって、なんで面白いのかしら)

 かんじんの卒業論文に必要な資料は、全然読み進められなかったのだから、不思議なものである。それでもなんとか卒業はできたが。

「それが普通って態度で質問されても……。お妃様が凝り性ってことは分かりました」

「私のいた国は、調べものをするのが簡単だったから、その手軽さもあったんだと思うわ。ここでは本を探すか、詳しい人を探さないと厳しいでしょ?」

「そうですね。むしろそれ以外にどうやって調べるんですか」

「えっと……説明しづらいから、やめとく」

 インターネットのことを説明しようとして、有紗はすぐに諦めた。そもそもここには電気で動く機械がないのだから、理解できないだろう。それに有紗も、普段使っていることを噛み砕いて説明するほど詳しくない。

 使えれば問題ないのだ。興味がないことには、とことん関心が向かないのが、有紗という人間だった。

「アリサ、材料をそろえたら、魚を釣りに行きましょう」

「え? レグルスが釣るの?」

「釣り、一度してみたかったんですよね」

 レグルスは照れたように言った。

「いいですな。皆で川に行きますか! たまには親睦を深めませんとな! 何、このロドルフが、殿下とお妃さまにしかとお教えいたしますぞ!」

「ロドルフ様、自分が散策に行きたいだけじゃないですかぁ。私は留守番しますよ。こんな虫が多い時期に出歩くなんて嫌です」

「情けない奴だな! 虫がなんだ」

 ロドルフがウィリアムの肩を軽く小突くが、ウィリアムは気にしていない。

 有紗はくすくすと笑いながら、樹皮紙にメモをした。



 コピペも大変なので、ちょっと量のペースを落とします。

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