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     *****



 ロズワルドはぐっと目を閉じ、来たるべき瞬間に備えた。

 思えばたいした人生ではなかった。


 ――由緒ある伯爵家の者だから。


 幼い頃から、祖父母だけでなく、周囲からそう言われて育った。

 伯爵家の者だから優秀であるべきと言うくせに、長兄より目立つと叩かれる。末子のロズワルドはいつも後回しだ。

 ゴマをするくせに、裏では愚痴を言う使用人や領民。王宮の騎士団に入ればマシかと思えば、権力を求めて後ろ暗い連中が多い。

 信じられるものは、剣の腕だけだ。

 あんな場所でも前を向き、正攻法で成り上がろうとするガイウスは鬱陶しかった。兄という日陰のもとで育ったロズワルドには、カンカン照りの太陽は、眩しくて暑苦しいだけなのだ。


 だが、それでも尊敬する人はいた。

 レジナルド王。

 あの惚れ惚れとする勇姿は理想だった。あの王に仕えられれば、ロズワルドも立派になれるのではないか。由緒ある伯爵家の一員として、誇れるのではないか。そんなことを想っていたが、死の間際で気付いてしまった。


 理想の王に仕えるから、誇りある者になるのではない。誇りある者だから、そうなる。心構えがあれば、それで良かったのだ。

 なんて無様で矮小(わいしょう)な人生だろう。

 カチャリと剣を構える音がして、剣が振り下ろされる風音が聞こえる。

 だがその瞬間がやって来ない。

 不可解に思って目を開けると、ロズワルド達の前に、いつの間にかレグルス王子が立っていた。

 ふっと不遜に笑う姿は、遠き日の王に似ている。

 レグルスは問うた。

「一度、死んでみた気分はどうだ?」

 ロズワルドは目を見開いた。

「……は」

 息のような疑問のような、そんな音が口から零れる。

 それからレグルスは悠然と周りを見回す。

「どこぞの騎士が、部下を連れて出て行ったのでな。私の城は人手不足だ。どうだ、ロズワルド。これから私とともに、城でやり直さないか?」

「な……にを言って」

「ああ、もちろん、罰は受けてもらう。減俸三ヶ月、お前達が暴れた分は、それで弁済させる。そして、村人に誠意をもって謝ること」

「そんなこと」

 下々の者に頭を下げるなど、とんでもない。そんな考えが頭の隅をよぎる。

「この瞬間、お前達は一度死に、生まれ変わった。『誇り高い騎士』として生き直すなら、当然、誠実な対応はできるはずだ。いいか、ロズワルド。誇りとは血筋ではないんだ。心の持ちようだ」

 そして、レグルスは不敵に笑った。

「いずれ王となる私の配下になるのだから、心から誇り高くあってもらわなければ困る。できないと言うなら、ここで本当に引導を渡してやろう」

 他に選択肢がないくせに、まるで譲歩したみたいな言い方だ。

 この王子もまた、日陰の者だった。それがどうだろう、今は太陽の中にいる。

 ロズワルドはふらふらとその場にひざまずいた。部下達もすっかり魅了され、自然と礼儀を示していた。

「ご慈悲に感謝します、レグルス王子殿下。ロズワルド・カヴァナー、これより心を入れ替え、殿下にお仕えいたします」

 ぼんくら?

 ……とんでもない。

 レグルスは王の器だ。

 眠っていた獅子の目覚めに、ロズワルドは胸を震わせた。



     *****



 あれだけ不平不満を言い、態度が悪かったのが嘘みたいに、ロズワルド達の顔つきが変わった。

 レグルスは、最初は討伐するつもりでいたのだ。

 だが、彼らを見ているうちに、気付いてしまった。

 彼らもまた、人生を諦めた者達だった、と。王宮の闇を目の当たりにして、やけになっていたのだ。

 だから賭けをした。

 殺すふりをして、慈悲を差し伸べたら、彼らがどう変わるか。

 それを見てみたくなったのだ。

 まるで悪夢から覚めたみたいに、彼らの目は生き生きと輝き始めた。命令通り、村人達に誠実な態度で謝りに行き、弁償や怪我の治療費として財布ごと金を渡していた。

 警戒していた村人達も、この一幕を遠目に見ていたせいか、だんだんしかたないなあという態度になって、結局、ロズワルド達を許したのだった。

「お見事でございました、殿下。しかしロズワルドの変わりよう、気持ち悪いですね」

 ガイウスはレグルスを褒めた後、本気で不気味そうに、しかめ面をしている。

「これで変わるだろう。変わらなければ、その時に手を下せばいい。一度くらいはやり直す機会を与えようではないか」

 レグルスがそんなことを話していると、村を回り終えたロズワルドらが戻ってきた。

 ロズワルドは神妙にお辞儀をして、レグルスに問う。

「殿下、一つ解せないことがございます」

「なんだ?」

「点数稼ぎをするとおっしゃっていたのに、私達は生きている。点数にはならないのでは?」

「そんなことか」

 レグルスはふっと笑った。

「罪人を殺すより、改心させるほうが難しい。お前達は正しく、私の点数稼ぎになったというわけだ」

 ロズワルドだけでなく、居合わせた騎士の面々もあっけにとられ、レグルスを見つめる。

 ややあってロズワルドが噴き出し、つられて配下も笑い出す。

「これは参りました。完敗です、殿下」

 ロズワルドは改めて、その場に片膝をついて頭を垂れる。その後ろに、配下も従った。

「このロズワルド・カヴァナー、レグルス王子殿下に、生涯の忠誠と惜しみない助力をささげます。この誓い、光神にささげます」

 部下達も続く。

 レグルスは頷き、剣を抜いた。そして剣の腹で、彼らの肩を叩き、誓いを受け取った。

 そして、ぎこちない空気は薄れ、皆に温かい笑みが浮かぶ。

 二ヶ月前から共に過ごしていたのに、この瞬間、本当の仲間となった。

 もし有紗と会っていなかったら、こんな気持ちを感じることはなかったかもしれない。

 レグルスは空を仰ぎ、同じ空の下にいる有紗を想って目を閉じた。



     *****



 レグルスが戻ってきたと聞いて、有紗は急いで玄関先まで駆けつけた。ちょうど馬を降りたところだった。

「レグルス、お帰りなさい!」

「アリサ、ただいま戻りました」

 有紗が裾を踏んづけて転びかけたところを抱きとめ、レグルスはあいさつを返す。

「良かった。怪我してない? 大丈夫?」

「ええ、大丈夫ですよ」

「きゃーっ、あいつ、なんでいるの!」

 レグルスの肩越しにロズワルドを見つけ、有紗はレグルスの腕にしがみついた。

「改心させて、戻すことにしました」

 レグルスはそう言うが、有紗にとっては、態度の悪い嫌な騎士である。ロズワルドはつかつかと歩いてきて、こちらを見下ろした。嫌味なくらい背が高いので、迫力がある。

(何、喧嘩を売る気!? 売られても買わないわよ、逃げるわよ!)

 内心、情けないことを叫びながらロズワルドを見上げると、ロズワルドが動いた。

「ひっ」

「大丈夫ですよ、アリサ」

 思わずレグルスの後ろに隠れたのだが、よく見てみると、ロズワルドは片膝をついていた。

「立ち上がりざまに、頭突きでもする気!?」

「ただのあいさつですよ」

 警戒する有紗に苦笑して、ガイウスがロズワルドの横に立って言った。彼も膝をついて礼をとる。

「ただいま戻りました、お妃様」

「お帰りなさい」

 有紗もあいさつを返すと、ガイウスはすっと立ち上がる。だがロズワルドはその姿勢のままだ。

「先日のご無礼、大変失礼しました。これからは、レグルス殿下のため、身命を賭して働く所存。お妃様へ害なす者がいれば、この私が成敗いたしましょう。どうぞよろしくお願いいたします」

 有紗は目と口をあんぐりと開けた。

「え……? 誰よ、これ」

「ごあいさつが遅れましたな。私はロズワルド・カヴァナーと申します」

「あ、はい。水口有紗です。有紗と呼んでくださ……え? 本当にあのおっかない人?」

 猛犬がチワワに化けたくらいの衝撃だ。

「彼も人生を諦めた者だったということですよ。一度だけ機会を与えました。もし、また騎士道にそれるような真似をしたら、僕が容赦しないので、アリサは心配しなくて大丈夫ですよ」

 また大丈夫だと諭して、レグルスは微笑んだ。その笑みに、怖い迫力を感じ、有紗は気圧されるようにして頷く。

「わ、分かったわ」

 よく分からないが、一件落着したらしい。

 ロドルフが拍手して大喜びしている。

「おお、ご立派ですぞ、殿下! ところで、護衛師団の団長はどうなさるおつもりで?」

「ガイウスだ。ロズワルド、お前達は下位に戻ってもらう。今後の働き次第では、また昇進させてもいい。よく励むことだ」

「はっ」

 レグルスが命じても、彼らは反論もせず、お辞儀をして受け取った。

「騎士の件は解決だな。あとは使用人を雇用しなおすだけだ」

「これで城の住み心地が良くなりますな。人心を掴むのも、王になるには必要なこと。いつもは地味に見えたのに、カリスマ性がおありのようだ」

「失礼ですよ、ロドルフ様」

 ロドルフにガイウスが注意したが、レグルスは微笑んで返す。

「いい。私がよく分かっている。そもそも目にとまらぬように、気配を薄くする努力をしていたからな。王宮にいると、私を嫌う者に嫌がらせを受けるから、目立たぬほうが楽だったのだ。だが、それももう終わりだ。私が私の王族としての尊厳を守らなければ、アリサまで軽んじられる」

 レグルスの言う通り、なんだかまとう空気が変わったように見えた。芯が通ったような、堂々とした雰囲気だ。

 過去を乗り越えたのだと、有紗には分かった。

「おめでとう、レグルス。良かったね」

「ありがとうございます、アリサ。それからこれも、お返ししますね」

 レグルスは布で包んだ何かを、上着の内側から取り出した。大きなリボンがついたバレッタだ。

「ありがとう」

 リボンを受け取ると、有紗はレグルスの手を引いた。

「部屋に戻りましょ。喉が渇いたの」

「ええ、湯の支度ができるまで、お茶にしましょうか」

 連れだって城館に入る有紗とレグルスを、周りは微笑ましそうに見る。レグルスはいったん自分の部屋に入り、ロドルフの手を借りて鎧を脱いでから、軽装になって妃の間に顔を出した。ちょうど良いタイミングで、イライザがお茶を運んできた。モーナもお辞儀をして、にこっと有紗に笑いかけてから退室する。

(駄目だー、完全に誤解したままだ)

 頭を抱えたいのを我慢して、有紗は向かいの椅子に座るレグルスを伺う。

「アリサ、水のことは妹に頼んでいたはずですが……」

「やっぱり抵抗があって、飲めなかったの。レグルスだけにお願いしたいわ。……ごめん、レグルスには面倒くさいよね」

 誰からでも血を飲み始めたら、なんだかまずいような気はするし、ミシェーラの肌に傷を付けるのは、罪悪感が大きかった。すぐに治ると言っても、やっぱり女の子を傷付けるのはどうだろう。しかしレグルスはいいのかと言われると、それもおかしな話だ。

 もやもやと悩む有紗だが、レグルスは何故かうれしそうに微笑む。

「僕だけですか。いいですよ、喜んで」

「なんでそんなに安売りするの? 良くないと思うよ、そういうの」

「僕も、アリサだけですよ」

 なんて優しい人だ。有紗は改めて、じーんと感動する。こんな吸血鬼みたいな真似を、化け物扱いもせずに受け入れてくれるのだ。懐が大きすぎて聖人じゃないかと思う。

 レグルスは針で指先を刺して、有紗に差し出した。喉が渇いていたのもあって、有紗はすぐにペロッとなめた。

「うーん……」

 しかし二日分の渇きのせいか、物足りない。

「アリサ、手首をザックリいきましょうか?」

「そういうの、良くないよ!」

 有紗は駄目だと言ったが、レグルスは手の平をナイフでザクッと切ってしまった。

「ああ! 痛そう! もったいない!」

 怪我に慌てたが、ふわっと甘い香りがして、有紗の頭は「もったいない」で占められた。思わずレグルスのいるほうに回り込み、手を掴んでがっついて飲んでしまう。そしてハッと我に返ると、レグルスがじっと見ていた。

「あ、あの……ごめんなさい」

 さすがに気持ち悪かったんだろうと思って謝る。レグルスは首を振った。

「いえ、子猫みたいで可愛いな、と」

「それはだいぶおかしいと思う!」

 そんな真顔で言うことだろうか。しかし、大丈夫なら良かった。レグルスの手と指の切り傷が治っているのを確認し、有紗は手を離す。

「アリサ」

 レグルスがじーっとこちらを見て、名前を呼ぶ。

「何?」

 問い返した瞬間、レグルスは身を乗り出して、有紗の唇の脇に口付けた。キスというより、なめた。

「えっ」

 絶句。びっくりして固まる有紗に対し、レグルスは眉をひそめて首を振る。

「血がついていて……おいしそうに見えたんですけど、特においしくないですね」

「当たり前でしょ。私が変なだけよ、大丈夫!?」

 疲れているのだろうか。有紗はレグルスの額に手を当ててみる。

「何してるんですか?」

「熱をはかってるの。でも、よく分かんない」

「馬で移動してきたばかりなので、熱いのは普通だと思いますよ」

「あ、そっか」

 自分の額にも手を当てて比べてみていたが、レグルスの言う通りだ。運動した後なら、体温が熱いのは当然だ。しかし手を外そうとすると、そのまま押さえられた。

「なんだかそれ、癒されるので、そのままにしてくれませんか?」

「私の手、冷たいからね! ふふふ、気持ち良いでしょ」

「ええ。やわらかくて綺麗で、優しい手ですね」

 本当に心地よさそうに目を閉じて、レグルスは呟いた。

 何も変わらない普通の手だと言ってくれているように感じられて、有紗は目を潤ませる。この二日、戻ってこないのではと心配していて、怖くてしかたなかった。

(よかった。ちゃんと戻ってきた。温かい……)

 もうすっかり、この存在に依存しかけている。いや、もう依存しているのかもしれない。彼の傍にいれば、安全に思えるのだ。

「そんなに気に入ったなら、これくらい、いつでもしてあげる」

「では遠慮なくお願いしようと思います」

 笑み混じりに返し、レグルスはふと思い出した様子で、つっと有紗を見上げる。

「どんな王になりたいか、考えましたよ」

「そうなの?」

「アリサに恥じない王になりたいです」

「私?」

 有紗は首をひねる。

「それは限定的すぎると思うのよね。女性に優しい政治をしたい感じ?」

「アリサは、どんな世ならうれしいですか」

「私は平和なほうが好きだけど……ここの情勢次第では、そうも言ってられないでしょ?」

 戦争は嫌いだが、保守的になりすぎては、ここでは強者の犠牲になるだけのような気がする。この城館でも見たように、時には追い出すくらいしないと平穏は保てない。

「女性や子どもに優しい王様でいいんじゃない? だって女性や子どもに優しいなら、年老いた人にも男の人にも、皆にも住みやすいと思うし」

「では、女や子どもが平和に暮らせる国を目指しましょうか。いいですね、きっと笑顔が溢れる、穏やかな国になる」

 想像したのだろうか。薄らと微笑みを浮かべるレグルスの顔は、とても優しい。

「それじゃあ、私達の目標は、女性と子どもが平和に暮らせる国ね」

「私達……。ええ、そうですね。まずはこの地から、がんばりましょう」

 目指すべき大きな目標も決まり、有紗とレグルスは笑い合った。


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