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一階に下りて、玄関から外に出ると、城館と門の間のちょっとした広場で、すでに試合が始まっていた。
剣での試合のようで、激しい金属音が響いている。その時、くすんだ金髪の大柄な男が、向かい合っていた相手を剣で振り払う。その腕力にふっとばされて、鎖帷子を身に着けている騎士は地面に転がった。
「そこまで! 勝者、ガイウス・ケインズ!」
ロドルフが判定をすると、相手は悔しそうにしながら立ち上がり、脇へと移動する。観客が輪のように取り囲んでいて、そこから代わりに違う騎士が出てきた。
そこでロドルフがこちらに気付いた。
「殿下、すでに始めておりますぞ! 悠長にしておりますと、日が暮れますからな。あと十九人です」
「ええっ、二十人も勝ち抜きするの? それはさすがに疲れるし、不利なんじゃない?」
「アリサ様、戦ではそんな泣き言は通用しませんぞ。団長となるなら、それくらい豪胆であるのが望ましい! くーっ、わしも槍を振り回したい!」
ヒートアップしているロドルフに、くすんだ金髪の男が声をかける。
「ロドルフ様のお相手は勘弁してください。戦にて勇猛で名をあげたあなたにはまだ敵いませんよ」
「ロドルフさんって強いんだ?」
「わしは陛下がお若い頃からお仕えして、戦で名を上げ、この領地をたまわった身ですぞ。最近は平和ですし、戦いからは引退した身ですがな」
「へ~! それで、その格好いい人は誰?」
有紗の問いに、ロドルフは呆れた顔をする。
「誰って、ガイウス・ケインズでしょうが」
「ええ!? だって、前は無精ひげが生えてて、世の中を斜に見た感じの、ちょっとアウトローなお兄さんだったじゃないの」
有紗は驚きをあらわにする。
無精ひげをそり、髪を整え、服装も身綺麗にして、鎖帷子などの防具を身に着けたガイウスは、ちょっと野性味のあるイケメンといった雰囲気だ。
「こっちのほうが断然格好いいよー! モテまくるんじゃないの?」
「あのぅ、お褒めいただき大変恐縮なのですが、お妃様。俺の身が危うくなるので、どうかそれ以上はお控えください」
「え? なんの話?」
大きな体を気まずそうに小さくして、ガイウスが申し訳なさそうに切り出すが、有紗はなんのことだか分からない。
「ね、レグルス。前よりずっといいよね?」
「……アリサはああいう方が好きなんですか?」
「身綺麗な人のほうが好きだよ。無精ひげはないよねー。あ、でも、レグルスはきっとイケオジになるから、ちょっとひげがあると格好いいかも!」
「いけおじ、ですか?」
「格好いいおじさんって意味。もちろん今も格好いいけど、歳をとっても素敵なんだろうな」
「アリサもきっと可愛らしいままなんでしょうね」
「そうなったらいいよね」
可愛いおばあちゃんには憧れる。うんうんと頷いていると、ガイウスが赤面して顔を手で覆っている。
「あの……当てられますので、どうかお控えください」
「だから、さっきからなんの話?」
いったいどうしたと思っていると、モーナがやって来た。
「アリサ様、試合を見学なさっておいでとか。野蛮です! 危ないです! お下がりくださいませ!」
「失礼だぞ、モーナ。剣や人を、お守りする御身のほうへ飛ばしたりするものか」
「信用なりませんわ!」
モーナはすぐに言い返す。そういえば、ガイウスは休みのたびに聖堂で神様に愚痴を言っていたのだから、モーナとも顔見知りのはずだ。しかしそれよりも、有紗には気になることがあった。
「え、人を飛ばすって辺りには何も言わないの?」
「さっき、吹っ飛ばしてましたよ。しかし剣が飛ぶと危険ですね。ロドルフ、周りを囲んでいると危ないから、列を整理させろ」
レグルスが命じると、ロドルフは人々を城館側に集めて、それ以外はあけた。
「殿下、お妃様、どうぞこちらへ。椅子をご用意しました」
女官長のイライザが、食堂から椅子を運んできてくれた。
「ありがとう、イライザ」
「気が利くな」
ちょうど真ん中辺り、よく見える位置に座ると、傍にモーナとイライザ、ウィリアムが付き添う。それを見て、騎士も周りを固めた。
「大丈夫よ、モーナ。見てよ、頼もしい騎士さんがいっぱいいるじゃないの。剣が飛んできても、カーンとはたき落としてくれるって!」
「そうですかぁ?」
有紗はモーナをなだめただけだが、何故か周りの騎士が張りきり始めた。
「お任せください、お妃様!」
「殿下とお妃様の護衛は我らの仕事!」
なんで急にむさ苦しくなるんだと、有紗は彼らにビビって、レグルスのほうに身を寄せる。
「大丈夫ですよ、私がいますから。飛んできた剣を落とすくらいはできます」
「それはすごいわね」
自分で言ってみたものの、想像するとなかなか大変な動きに思える。
「ですから、飛ばしませんってば!」
ガイウスだけは気に入らない様子だ。
「ガイウス・ケインズ、次を始めるぞ。ほら、位置に付かぬか」
ロドルフにどやされて、ガイウスは渋々広場の中央に戻る。そして、次の騎士と向かい合った。
その瞬間、すっと空気が鋭くなり、戦士の顔になる。十も打ち合わずに、また相手を吹っ飛ばす。
そんな調子で、ガイウスは面白いように対戦相手を吹っ飛ばし、剣を弾き、剣先を突きつけて降参させ、二時間くらいで二十人を全員叩きのめしてしまった。さすがに連戦で疲れているようだが、最初は馬鹿にされたと感じて反発心を持っていた騎士達の顔が、最後にはガイウスの勇姿を称えるものになり、全員を負かすと、拍手と歓声が沸き起こった。
「わぁ、すごいすごい! ガイウスさん、強すぎ! 足が治ったばかりなのに、なんで!?」
拍手しながら有紗が騒ぐと、ガイウスはこちらにやって来た。
「そりゃあ、鍛錬は続けていましたからね。怪我のせいで長時間は動けませんでしたが、今までも短時間なら戦えたんですよ? 三日は走り込みや足への調整をしていました」
そう説明すると、ガイウスはレグルスの前に片膝をついた。
「殿下、お約束通り、全員を叩きのめしました。俺の実力を認めていただけるなら、どうか団長にして、あなたがたへの忠誠を成し遂げさせてください」
神妙に頭を垂れるガイウスは、まさに騎士の鑑といった雰囲気だ。皆が固唾を飲んで見守る中、レグルスは周りに問う。
「私はガイウスが護衛師団の団長にふさわしいと感じたが、皆はどうだろうか。反対の者は?」
その問いに答える者は、誰もいない。
「では、満場一致で決まりだ」
レグルスは立ち上がり、腰の長剣を抜いて、その剣の腹をガイウスの肩にのせる。
「ガイウス・ケインズ。お前を私――レグルス・ルチリアの護衛師団団長に任じる。忠誠・武勇・礼節を示し、他の者の模範となるように願う。光神の加護があるよう祈っている」
「は。謹んで拝命いたします」
ガイウスが答えると、その場にわっと拍手が起こった。
広場の人々には、一体感ができていた。
ガイウスの試合に参加した騎士は、互いの武芸の腕を称えあい、見ていた使用人達は、門番から団長へ、成り上がった鮮やかな一幕に胸をおどらせていた。
「ガイウス殿はケインズ子爵家の四男だそうだぞ」
「元々近衛騎士だったというじゃないか」
「最近、怪我が良くなられたそうだよ」
聖堂の治療の腕がいいらしいぞと噂しながら、ガイウスのレグルスと有紗を慕う態度に、使用人達はざわめく。
「勝ったというのに、まったくひけらかす様子はないし、むしろ一つずつ技を褒めているぞ。ロズワルド様とは大違いだ」
「あの方は、部下に怒鳴ってばかりだったからな」
「お妃様がいらしてから、良いことばかりだ」
「いや、殿下の徳が素晴らしいんだよ」
彼らが楽しげに話し合うのを、有紗は聞いていないふりをしながら聞いている。
(ガイウスさんのお陰で、まるっと良い感じに持っていけたわ。ラッキー)
レグルスの評判が上がるのは、有紗としては嬉しい。
「いやあ、やっぱりお妃様だよ。賢妻を持つと、男は変わるからな」
「高貴な方なんだろう? お顔を拝見できないのが残念だ」
のほほんとしていたら、噂が不思議なほうに流れていくのに気付いた。ひそかに焦っている有紗に、レグルスが声をかける。
「アリサ、聖堂に行きましょうか。もう日暮れですが」
そういえば試合の後に出かけようという約束だった。
「ありがとう」
レグルスが左手を差し出すので、有紗は自然と掴まって椅子を立つ。ちょっとお腹が空いてきたから、この気遣いはうれしい。
「殿下、お妃様、付き添います!」
すぐさまガイウスが駆け寄ってくるので、レグルスが体調を問う。
「しかし、こんな試合の後だ、疲れているだろう?」
「まだまだ元気です!」
ガイウスの声に、周りはどよめき、騎士達はこれはかなわないと笑い出す。レグルスはふっと笑った。
「では、代理の者を門番に付けて、ガイウスに同行してもらおう」
「殿下、お妃様、私も参ります! こんな野蛮な方と一緒にいたら、お妃様に野蛮さがうつりそうで心配ですっ」
モーナの主張に、ガイウスがしかめ面をする。
「失礼だぞ、モーナ。お前が戦いのにおいを嫌うのは、しかたないとは思うが……」
結局、苦い顔になって、ガイウスは言葉を切る。ガイウスもモーナの事情を知っているようだ。だがこのモーナの激しい調子では、いつかガイウスと溝ができそうで、有紗はすでにハラハラしている。
有紗の不安を感じ取ったのか、レグルスがモーナをなだめた。
「モーナ、確かに騎士は争い事にも参加するし、態度の悪い者もいるだろう。しかし、騎士の本分は守ることだ。お前の村を襲った賊は奪う者だ。この違いを分かっていないといけない」
「殿下……」
「騎士は礼節を求められる。もし騎士道からそれるようなら、笑い物になる。ガイウスは盗賊にはなったことはないし、門番の仕事でも真面目にこなしていた。誰も悪く言わないのだから、人となりは充分に分かるだろう?」
「……大変失礼しました」
モーナはしおしおとうなだれて、その場に膝をついてガイウスに謝る。
「分かってくれたらいいから、そんな真似をしないでくれ。女性に恥をかかせるなんてとんでもない」
ガイウスのほうが慌てて、モーナの手を貸して立ち上がらせる。しょんぼりしているモーナに、有紗は話しかけた。
「モーナ、あなたも聖堂に行きましょ」
「ガイウス様が許してくださるなら」
「もちろんだ。モーナは信仰熱心だから、神様も楽しみにされてるはずだ」
ガイウスのとりなしに、モーナの顔が少し緩む。
「お妃様も精が出ますな。ほぼ毎日のように聖堂に参られておいでです」
ガイウスはどこか白々しく、そんなふうに褒めた。有紗が聖堂に行く理由を知っているはずなのに、どうしてこんなことを言うのだろう。不思議に思って見上げると、周りがまた噂を始めたのに気付く。
「賢妻であるだけでなく、信心深いのか」
「ご立派なかただな」
――ちょっと、妙な見方を植え付けないでくれませんかね!
「ガイウスさん?」
引きつりそうになるのを我慢して、にこりと問いかけると、ガイウスは肩をすくめる。
「俺は、嘘は申しておりませんよ」
確かに嘘は言っていない。有紗はほぼ毎日のように聖堂に行く。だが、信心深いのではなく、ごはんのためだ。
「アリサ、都合のいい勘違いはそのままにしておきましょう。モーナ、出かける前に、ランプを持ってきてくれ。帰りには道が暗くなりそうだ」
「殿下、こちらをお使いください」
レグルスはモーナに言い付けたが、そのタイミングでイライザがランプを差し出した。
「えっ、なんで?」
驚いたのは有紗のほうだ。さっきまで、イライザは椅子を片付けていた気がする。
「何故とおっしゃられましても……。主人がご不便のないように働くのが、使用人の勤めです」
イライザにとってはごく当たり前のことらしい。
気が利くことを自然にする彼女は、女官長に昇格するだけあるんだろう。
「イライザ様! 私、がんばります!」
「がんばるのはいいのですが、モーナ。先手を打てばいいというものでもないんですよ。いつもそう動くわけではありませんし、予測しすぎるとコントロールされていると感じられて、不快な思いをさせることもありますから。あまり気を詰めすぎないように」
イライザの注意に、モーナは真剣な顔をしている。イライザは穏やかで優しそうな上、思慮深いタイプのようだ。
「良い人ばっかりだね。なんで噂の嫌な人が、前の女官長だったの?」
ロドルフが嫌っていたのを見るに、前からこの城にいたようには思えない。
「彼女も王宮から選ばれた女官です。王の命令には逆らえませんから、嫌々、こちらに来たんでしょう。こちらを辞めさせた代わりに、王宮に戻れるようにしておきましたよ。一応、下級貴族の出ですから」
レグルスの説明は分かりやすい。仮にも王族に仕えるのだから、貴族の出の女官や騎士をあてがわれたわけだ。
「なんか、レグルスのお父さんもかわいそうね。息子を気遣ったのに、あんなのばっかで」
有紗のぼやきに、ガイウスが口を挟む。
「それでも、ロズワルドやあの侍女みたいに、あんなあからさまなのも珍しいですよね。田舎にお住まいといっても、殿下は王族でいらっしゃる。もし苛烈な方なら、無礼を理由に斬り殺されてもおかしくない」
「ええっ、そんなことして大丈夫なの?」
「まさか。少なくとも、お人柄は最悪だという噂にはなりますよね。陛下に見放されれば、王子の位も危うくなります。ですが余程のことでもないと、王家の方は罰せられませんよ」
「それじゃあ、どうやって止めるの?」
気にする有紗に、レグルスが神妙に答える。
「歴史書に書かれる」
「え?」
「そう言えば、だいたいは反省しますよ。ただ、問題もあって」
「何?」
「どんな悪評でも、無名よりマシ」
「……政治家っぽい」
そんな感じなのか、この国のご時世は。とにかく評判が大事らしい。
「それなら、レグルス。レグルスは良い評判で本に書いてもらえるように、一緒にがんばろうね!」
「はい、そうしましょう」
有紗とレグルスが頷きあっていると、モーナが感激といった様子で呟く。
「はわ~、お傍でこんなやりとりを見られて、胸がいっぱいです。幸せ……。できればずっと見守っていたいですわ」
「なんでまだご結婚されてないんだ?」
不思議そうに零して、ガイウスはこちらから目をそらす。そして、咳払いをした。
「ええ~、ごほんっ。そろそろ参りませんと、帰りが遅くなりますよ。午餐も遅くなります」
ガイウスに促され、有紗達は門のほうへ歩きだす。
その時、ドドッと馬の走る音がして、ガランガランと鈴の鳴る音がした。
「伝令、伝令ー!」
鈴と旗を付けた馬が門から飛び込んできた。騎士は広場ですぐに馬を止め、レグルスのほうへ駆け寄ってきた。
「大変です、殿下! 領境にある村で、ロズワルド殿達が暴れているそうです!」
その報告に、和やかな空気が一気に消し飛んだ。




