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結局、家畜の管理ができていないということで、家畜所有者が罰金を払うことになり、そこからいくらか土地所有者への弁償として支払われた。
ガーエン領は農業よりも牧畜が盛んなので、餌となる草についてはピリピリしがちだそうだ。
「ああ、そういえば村には馬や羊がいたわね」
柵で囲まれた土地を思い出して、有紗は呟く。
人々は解散し、午餐の準備のため、使用人が慌ただしく働き始める。それを見ていると、聖堂の司祭バルジオが歩み寄ってきた。
「レグルス様、アリサ様、ご機嫌麗しゅう」
お辞儀をするバルジオに、レグルスも丁寧に返す。
「司祭様、立ち会いありがとうございました」
「はは、これもまた神官の務めです。記録は家令殿に渡しておきましたのでね」
「ええと、どうして司祭様が?」
有紗が説明を求めると、レグルスが教えてくれた。
「裁判には司祭が立ち会うと決まっています。神の前で偽りがないようにと、誓いを立ててから始めるんですよ」
「それから、領主が不法な裁判をしないように、監視する役目も。レグルス様やロドルフ様とは親しくさせていただいておりますが、聖堂は時には領主と敵対することもあります」
バルジオがそう言ったので、有紗は意外に思った。無条件でレグルスの味方をしているわけではないのか。
レグルスは特に気分を害した様子もなく、神官の役割について教える。
「聖堂は、時には罪人を保護して、加害者からの不当な暴力から守るんですよ。そして、裁判を平等に受けられるように取り成すのです」
「へー。領主がなんでもできるってわけじゃないのね」
もっと独裁的な感じかと思っていた。
有紗の言葉に、レグルスは返事に困った様子でほんのり苦笑をして、少し考えてから答える。
「いえ、アリサ。力で押さえつける者もいますよ。しかし、それで上手くいくとしたら、余程のカリスマがある場合です。だいたいの場合、そんなことをしたら、恨みの種があちこちに残って、いずれまた芽が出ます」
「お互いに協力しながら、統治するのが良いってこと?」
有紗が問うと、バルジオが少し皮肉っぽく言う。
「利用しあう……というほうが、適切やもしれませんな。ほっほっほ」
穏やかで、岩のようにどっしりした趣のあるバルジオだが、彼も一筋縄ではいかなさそうだ。ロドルフが狸なら、バルジオは狐だろうか。
「そうしてお互いに少しずつ利用しあって、バランスをとっている……ということですね」
レグルスがそつなくまとめた。
「じゃあ、裁判の記録は? ウィリアムさんが付けるんじゃないの?」
有紗が質問すると、バルジオが口を開く。
「ああ、彼はこの領地の会計係ですよ。都市では裁判所にも書記官がいますが、ここでは私が担当しております。文字の読み書きができなければ、司祭にはなれませんのでね」
「あ、そっか。文字の読み書きをできる人が少ないってことか」
「アリサ様の故郷では違うのですか?」
「七歳から学校に通うから、ほとんどの人は読み書きできるよ。でも、私はここの文字は分からないわ」
「そうでしょうな。しかし、ほとんどが読み書きできるとは。この領地だと、城主と妹姫、家令、書記官、私のような司祭以外だと、村長が数字を扱えるくらいでしょうかね。しかし、村長には書類のような文章を書く仕事は無理でしょうな」
そこまで読み書きできる者がいないのか。有紗には結構な驚きだ。
「アリサ、こういった城では、だいたい城内に礼拝所があって、そこの司祭が日誌を担当するものなんですよ。ですが、ルーエンス城は古い時代のものなので、礼拝所はありません。それで、裁判のたびに、司祭が立ち会いに来てくださるわけです」
「昔はここも重要な拠点でしたが、昨今は平和です。領内に目を光らせやすい地点にあるとはいえ、戦火にさらされることはなく……」
バルジオは急に言いよどむ。有紗はピンときて、結論を口にする。
「ああ、必要にかられたことがないから、改築費をケチったってことね! それで老朽化が進んで住みづらいんだ」
「金を上手いこと使っていると言ってもらいたいですな」
ロドルフがぬっと口を挟み、有紗はびっくりした。
「え、ロドルフさん! さっきまでそこで使用人に指示を出して……」
「同じ広間にいれば聞こえます!」
「うわ、地獄耳……」
有紗は小さな声でぼそぼそと言った。
「まあ、ガーエン伯爵家の皆様は、城壁などの使わねばならない所には使っておりますから問題はありません。しかし、ロドルフ様のご子息は、ここの不便さを嫌がって王宮で働いているのですよ」
バルジオがさりげなくロドルフの家庭事情を教えた。
「跡継ぎのくせに困ったものだ。いい加減、身を固めろと言っているのに」
「ははは、案外、王都でうっかり結婚して、嫁と子どもを連れて戻ってきそうですなぁ」
「まったく笑えぬわ!」
冗談を言ってころころと笑うバルジオに、ロドルフは顔を赤くして怒った。
やらかしそうな息子なんだろうか。有紗はロドルフに聞いてみたくなったが、今は蜂の巣をつつくようなものなのでやめておいた。
バルジオは涼しい顔をしてロドルフの怒りを受け流すと、有紗に話しかける。
「それはそうと、アリサ様。ロドルフ様と話し合って、侍女を決めたのです。すでに妃の間で仕事をしていますので、会ってみてください。気に入らなければ、他の者を推薦しますからな、遠慮なくどうぞ」
「我慢しろって言わないんですか?」
「ははは、人と人には縁がございます。ひと目で惹かれあう者もいれば、ひと目で嫌う者も。合わなければすぐに離れたほうが、お互いにとって幸せでしょう」
「分かりました」
有紗は頷いた。
(なんか……お寺のお坊さんみたいだな)
バルジオは神官なのだ、似たようなものだろうか。
バルジオはロドルフと話があるようで、冊子を手に話しだした。有紗はレグルスとその場を離れる。二階の部屋へ向かいながら、レグルスが言った。
「司祭様には、ロドルフも頭が上がらないそうですよ」
「うん、なんか分かる」
ロドルフだけでなく、有紗もすでに、バルジオを前にすると身を正してしまっている。
「全然厳しい人じゃないのに、背筋が伸びるよね」
「私もなんですよ」
互いに言い合って、なんとなく肩をすくめた。
妃の間に戻ってみると、女性が床にはいつくばるようにして、石床をたわしで一心不乱に磨いている。茶色のワンピースの上に、白いエプロンを付け、麻の頭巾で頭を覆っている彼女には見覚えがあった。
濡れている所を踏まないように気を付けて、アリサは女性に歩み寄る。
「モーナさん? まさか、侍女って……」
モーナは掃除道具を置いて、エプロンで手を拭いてから有紗にお辞儀をした。
「はい、実は司祭様から、推薦されまして」
「推薦?」
「ええ、司祭様はおっしゃいました。『秘密を知る者は少ないほうがいい。聖堂で働くのもいいが、神様にお仕えするのと、神様がおつかわしくださった神子様にお仕えするのは同じこと。助けになって差し上げなさい』……と」
なんでまた、バルジオは有紗に味方するのだろうか。バルジオの真意が分からず、有紗は不思議に思って眉を寄せる。有紗の疑問を読み取ったのか、モーナが付け足した。
「それから、『神子様が不当に扱われていたら、守ってあげなさい』とも」
「あの方は神官ですから、神子を無条件で助けるのは当然ですね」
レグルスがわずかな苦笑とともに言った。
「えっと……レグルスが嫌な気分になるなら……」
神殿が堂々と傍で見張る宣言をしているのだ、レグルスには不快だろう。気にする有紗に、レグルスは平然と返す。
「アリサが良いなら構いませんよ」
「いいの?」
「僕がアリサを不当に扱うことなど、絶対にありえませんから」
不愉快そうにするどころか、レグルスはきっぱり断言してのけた。
「もし窮屈な思いをさせるとしたら、安全面での口出しくらいです。その程度なら、僕が言う前に、モーナが止めるでしょう」
「殿下、信じております」
モーナは微笑みとともに言い、じっと有紗の答えを待っている。レグルスが良いなら、有紗が断る理由はない。モーナは感じが良いから、仲良くやれそうだ。
「よろしくお願いします、モーナさん」
有紗はモーナを受け入れた。すると、モーナは深々と頭を下げる。
「こちらこそ、ありがとうございます。私は家事くらいしか取り柄がありませんので、女官長様から教えを受けながらがんばります。しばらく至らない点もあると思いますが……」
モーナはちらりとレグルスを見た。不安そうだ。
「誰にでも、初めてはある。これからがんばってくれればそれでいい。女官長のイライザは優しいから、そう心配しなくても大丈夫だ。とりあえず、お前の一番の仕事は、アリサの安全を気にすることだ。アリサはここの常識にうといから、よく注意してくれ」
「例えばどんなことです?」
「この間、アリサを嫌う騎士が押しかけた時に、自分から鍵を開けて出てきた」
「えええっ」
モーナはあんぐりと口を開けて有紗を見て、それから両手で口を覆う。
「そんな危ないことを? 分かりました、気を付けます。出歩く時も、お傍を離れません!」
「その調子で頼む」
有紗が傍観しているうちに、二人の間で話がまとまってしまった。
「何よ、同じことはしないって言ってるのに!」
てんで信用されていなくて、有紗は頬を膨らませる。レグルスはそんな有紗をまじまじと眺める。
「アリサ」
「何?」
「そんな可愛らしい仕草をしても、こればかりは譲りませんからね」
「なっ」
――可愛らしい仕草!?
思わぬ返り討ちに、有紗は顔を赤くして動揺する。
「ちょっとレグルス! そういうのは卑怯よ!」
ぐぬぬと口を引き結ぶ。照れのあまり、顔から熱が引かない。有紗はくるっとレグルスに背を向ける。
「わ、分かったわよ。モーナさんに教わるし、気を付ける」
「よろしくお願いします」
上手く丸めこまれた気がしたが、レグルスは政務の続きがあるからと、妃の間を出て行った。
「仲がよろしくて、微笑ましいですわ」
モーナはにこにこしている。
そういえば、モーナは侍女になるのだから教えておかなくては。有紗はモーナにひそひそと話しかける。
「あのね、モーナさん」
「モーナと呼び捨てに。私は使用人ですから、立場があります」
「ええとモーナ、これはそういうふり(・・)なのよ」
「ふり?」
僅かに首を傾げるモーナ。有紗は頷いた。
「私はレグルスの妃候補っていう設定なのよ」
「ふふっ、面白いご冗談ですね。お二人の仲は、見ていれば分かりますわ」
モーナは有紗の言葉を笑った。
「確かに初日なので緊張はしておりますが、お気遣いいただかなくて大丈夫ですよ。アリサ様、書斎に参られますか?」
「え? うん、行く」
「ではお送りしますわね。ほとんどレグルス様と一緒に過ごされたいようだと、ロドルフ様からお伺いしております。私、当てられそうですわ」
ちょっぴり頬を赤らめて、モーナは照れている。
「いや、だから、そういう設定……」
「恥ずかしがらなくて大丈夫ですよ」
有紗の話をまったく聞かず、微笑ましそうにモーナは言って、有紗を書斎まで送ってくれた。
――ちょっとは話を聞いて!
夕方、辺りが暗くなり、城に篝火がたかれ始めた頃。
有紗は午餐のため、広間にやって来た。
すでに使用人達は給仕を終え、席についている。レグルスとともに席に着くと、光神への祈りをしてから、食事となった。
食事中にマントのフードを被っているわけにもいかないので、有紗は頭をヴェールで覆い、目元には紗のかかった布を下ろしている。ヴェールの固定のために円形帽を被っているものの、それ以外は、デコルテが見える青いドレス姿だ。
飲食はできないので、目の前に並べられていても手を付けず、レグルスやヴァネッサと雑談に興じている。
「ヴァネッサさん、ミシェーラの様子はどうですか?」
「まだ弱り切った体力が戻っていないので、しばらくは部屋で過ごさせるつもりよ。少しずつ歩けるようになってきたわ」
ヴァネッサの話を聞いていると、有紗は病気や怪我を治すことはできるが、寝たきりの間に弱った筋肉の回復まではできないようだ。
「食事ができるようになったから、もう安心よ。陛下にも伝令を送ったの。返事が来るまでまだ二週間はあるのだけど、恐らく王宮に戻るように言われるわ」
「ああ、帰っちゃうんですね」
レグルスから聞いてはいたが、実際にそう言われると落ち込む。
「でも、ミシェーラはこちらで静養させるという名目で、あなたの傍にいるようにするわ。病み上がりには王宮の生活は厳しいと思うから、そのほうが良いと思うの」
「母上が寂しいのでは?」
気遣うレグルスに、ヴァネッサは明るく笑って返す。
「陛下がいるから大丈夫よ。それに、ミシェーラもアリサの助けになりたいと言うんですもの。あの子のほうが教養は高いから、アリサはあの子から教わるといいと思うわ」
「勉強をしたいなら、私もいますし……司祭様に頼んでみるのもいいですよ」
レグルスが付け足すので、有紗は頷く。
「司祭様かぁ。そうだね、ちょうどいいかも」
勉強に来たという理由があれば、聖堂にひんぱんに出入りしても不自然ではない。あの場所は、有紗の食事確保にうってつけだ。
(文字を読めるようになったら、何か分かるかも……)
元の世界に戻れるかどうかについては、今のところはかなり難しい。それでも、他のこと――前にいた神子について分かったらありがたい。この国は神子を召喚する習わしがあるのだ、きっと記録があるはずだ。
(もしかしたら、私と同じように日本から来た人がいるかもしれない)
聖典を読めれば一番良いが、神殿には気軽には近づけない。幸せに暮らした記録でもあれば、有紗の励みにもなる。
(ん? それでいくと、最初から処刑された私って、悪い例ってことになるんじゃ……)
今後の人のために、日記を残しておいたほうがいいんだろうか。
「アリサ、どうしたんですか? 何か悩み事でも……?」
レグルスの呼びかけで、はたと意識を引き戻す。レグルスだけでなく、ヴァネッサも有紗を案じる視線を向けていた。
「あ、なんでもない。考え事をしてただけ。ところで、レグルス」
有紗は気になっていたことをレグルスに問う。
テーブルクロスの上に、平たいパン(フラットブレッド)がのっていて、それを皿代わりに肉を取り分けてのせ、手持ちのナイフで切って食べているレグルスだが、そのパンは食べず、途中で新しいものと入れ替えられていた。
「パン、食べないの……? もったいない」
「え? ああ、これはそのまま使用人に下げ渡されるんですよ。肉の味がしみこんでいるので、少し火であぶればおいしいと思います」
「そ、そうなんだ……」
なんとも不思議な文化だ。
パンには手を付けていないのだから、セーフか?
さすがに熱々のスープを手で食べることはないようで、スプーンが添えてある。
(使用人に下げ渡すのが当たり前、か。不遇でも、レグルスは『王子様』なのね)
こういうところは、上の階層で当たり前に暮らしてきた人、といった感じがする。
その後、ただ同席しているだけで、食事には何も手を付けずに妃の間に戻った。すると、後でレグルスとともに女官長が訪ねてきた。




