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 朝食後、部屋でレグルスに血を飲ませてもらった。

 今回は指を針で刺して出た、血を一滴程度だ。それだけで渇きがいえたので、有紗はほっとした。毎回、血が大量に必要なんてことになったら、吸血鬼みたいで落ち込んだだろう。

 それから、城の裏――使用人達のいるエリアにレグルスと行ってみることにした。生活改善のために見ておきたかったのだ。

 砦というだけあって、主の生活スペースである二階へ続く階段には、遠回りをしないと近づけないようになっている。

 一階の半分は広間がしめているのだが、広間を通り抜けて、謁見用の椅子に近い辺りの扉から廊下へと入らないといけない。階段前を通り過ぎると、護衛と召使いの待機室、倉庫があり、奥まった場所にヴァネッサやミシェーラの部屋がある。

 そうして考えてみると、ミシェーラ達とは暖炉の配置こそ同じでも、主人の部屋と妃の間のほうが二倍は広い。

 とにかく防衛のために出入りしづらい造りになっているので、裏口に行こうと思うと、広間を出て、玄関から廊下に入って回り込むしかない。

「面倒くさいわね」

「しかたありませんよ。アークライト王国と我が国は、互いに人質を出しあうことで、今は落ち着いています。しかし、戦はいつ起きるか分かりませんから」

 思わず文句を零す有紗に、レグルスがやんわりと取り成す。

 それから裏に出てみると、小さな村みたいに民家が集まっている。台所なのか、屋根だけあって煮炊き用の竃や石窯があるが、それ以外は平屋の石造りの家だ。小さいながら畑もあり、馬のいる厩舎もあるそうだ。

 中央部に井戸があり、その傍で洗ってから、近くの物干し場で洗濯物を干しているようだ。シーツや衣服が風に揺れている。

「結構、人が少ないのね」

「素行の悪い者が多かったせいですよ」

「ロドルフさん達が生き生きしてたわけね」

 ロドルフはレグルスが動くのを待っていたようだが、内心では解雇したかったんだろう。

 残っているのは真面目な人達のようで、レグルスには頭を下げるものの、すぐに仕事の続きに戻る。

 老若男女さまざまで、子どももいる。大人の邪魔にならないように隅で遊んでいるようだ。少し年長の子どもが、小さな子どもの世話をしている。

「あっ、ご主人様だー!」

「違うぞ、デンカって呼ぶんだ」

「デンカって何?」

「知らなーい」

 子ども達は言い合いながら、レグルスの前に駆けてきた。女の子が野花を差し出す。

「デンカ、お花あげる!」

 レグルスはぽかんとした顔で、女の子を見下ろした。

「レグルス」

 有紗が肘で軽く小突くと、レグルスは腰をかがめて丁寧に受け取る。

「……ありがとう」

「うん! お妃様も!」

「わぁ、ありがとう。可愛いわねー!」

 有紗は礼を言って、黄色い花びらをもった小さな花を受け取った。女の子は明るく笑った。

「いじわるなおばさん、辞めさせてくれたの、デンカなんでしょー? みーんな顔色をうかがって、ビクビクしてたからうれしい!」

「お母さんが元気になったよ」

「おじいちゃんも~」

 子ども達はにこにことしていて無邪気なものだ。だが、その中で気の強そうな男の子が、レグルスに文句を言う。

「早く辞めさせてくれればよかったのに!」

「ねえ、やめなよぉ。お母さん達まで辞めさせられちゃうよ」

「えっ」

 女の子が止めると途端に気まずげな顔になり、男の子はこちらをうかがう。レグルスは彼の頭に手を伸ばして、ポンッと撫でた。

「そんなことはしないから、大丈夫だ。お母さん達は働き者だろう?」

「そうだよ! うちは父ちゃんがいないから、母ちゃんとじいちゃんががんばってるんだ。俺も手伝ってるんだぞ」

「母上のためにがんばってるのか、良い心がけだ」

 レグルスが褒めると、男の子はにししと笑った。

 レグルスが遊びの続きをするように言うと、子ども達は鬼ごっこに戻っていった。彼は不思議なものを見るような顔をして、もらったばかりの花を見下ろしている。

「どうしたの?」

「こんなふうに花をもらったのは初めてで。好かれているらしいのが、とても不思議です」

「レグルスは良い人だもん。王宮の人が見る目がないのよ。チビッコは分かってるわね」

 有紗は自分のことみたいにうれしくなった。

(好意を向けられて戸惑うだなんて、どれだけ寒い場所にいたのかな)

 かわいそうだなと思った。だが、そんなレグルスだから、有紗に優しいのだとも思う。

「レグルスには嫌なことだったと思うけど、ここにいてくれて良かったわ。レグルスが王宮の人達に嫌われていたお陰で、私、あの森で助けてもらえたんだもんね」

 有紗はそう呟きながら、井戸のほうへ歩いていく。滑車がついていて、桶で汲み上げるもののようだ。

「わぁ、すごい。深い井戸ね。ここって水が湧いてるの? ……あれ、どうしたの、レグルス」

 振り返った有紗は、レグルスの顔が赤いのに気付いて目を丸くする。

「……アリサはすごいですね」

「ん? 何が?」

「こんなどうしようもない僕の人生を、一瞬で肯定してしまった。……ありがとう」

 レグルスははにかんだ笑みを浮かべた。ほんのりとささやかな笑みではなく、純粋で、子どもみたいな笑みだった。

 それを見ているうち、有紗まで照れが伝染する。有紗は目を泳がせた。

「思ったことを言っただけよ。もーっ、おおげさなんだから!」

「おおげさではないんですが……」

 レグルスはひょいと有紗を覗き込んで、フードの下に花を差し入れた。

「後でフードを外して、見せてくださいね」

 髪を花で飾られたのだと気付いて、有紗はフードの上から手を当てる。なんて自然な動きだ。

「王子教育って、こわ……」

 思わずつぶやく有紗に、レグルスは噴き出す。

「はは、誰にでもするわけがないでしょう。女性に礼儀をとるのは当たり前のことですが、それはただの義務です。家族やアリサには、心からそうしたいと思いますよ」

「あの、こっちこそ、ありがとう。家族扱いをしてくれるんだね」

「いつか、本物になるといいですね」

「え? う、うん」

 本物? 有紗が王様の養女になるという意味だろうか。

「そうだね、レグルスがお兄さんだったら安心できそう」

「兄はご勘弁を」

「ええー?」

 そっちから話題を向けておいて、なぜか有紗が振られた。有紗は納得がいかなくて渋面になる。

 レグルスの態度がよく分からないまま、有紗はレグルスと家臣の仕事場や家の状況を見て回った。古い城だけあって、老朽化が目立つ。

 何人か、黒いもやをまとわせている者がいたので、ちょっとずつつまみ食いをして、有紗も朝ごはんを終えた。




「はあ、この城の防衛はたもちつつ、住みやすいように改善……ですか」

 気の抜けた顔をしているロドルフに、有紗は大きく頷く。

「領地を向上って言ったって、私にはよく分かんない。でも、大きな場所に取り掛かる前に、まずは土台を固めなきゃいけないってことは分かるわ」

「それと住み心地がどうかかわるんです?」

「一番上の人が安心して、余裕をもって暮らせるなら、態度にも出るじゃない? そしたら自然と、下の人にも優しくなるんじゃない? 下の人が優しくなったら、更に下の人に」

 書斎でロドルフとレグルスが静かに訊いているのを良いことに、有紗は持論をしゃべり続ける。

「大部分の問題は、人間関係と環境よ。どんな場所でも人格が素晴らしい人はいるでしょうけど、そんなのひとにぎり。ここにいた嫌な使用人っていうのを見ていたら分かるでしょ」

「……まあ」

「確かに」

 レグルスはあいまいに、ロドルフも首を傾げつつ頷く。

「今、残っている人は、前からああいった人かもしれないし、前よりも環境が良いからここに残りたいとがんばってる人かもしれない。そんな人ばかりではないから、また雇えば問題が出てくるでしょうけど。大事に扱われれば、当然、その人も周りを大事にすると思う」

 有紗はレグルスに問う。

「子ども達にあいさつされて、お花をもらったでしょ? どう思った?」

「ええと、そうですね。――不思議だなあ。でも、良い子だからすこやかに育って欲しいな……とは思いました」

 あの時、そんなことを考えていたのか。有紗はレグルスの内面に感動を覚えたが、話を続ける。

「でしょ? 優しくされたら、優しくしたくなるものなの。『情けは人の為ならず』、よ」

「なんですか、その言葉」

「私の故郷のことわざよ。人に親切にすると、その相手にとって良いことになるだけではなくて、巡り巡って自分にも良いことがやってくるって意味」

 有紗が意味を教えると、レグルスとロドルフは感嘆のため息をついた。

「素晴らしい教えですね」

「闇の神の神子様らしい発言です。ありがたい」

「ちょっと、拝まないでっ」

 ロドルフが祈りのポーズをするので、有紗は頬を引きつらせた。

「わしは後世に残るような本を作るのが夢でしてな。闇の神子様の説話集として記録しましょうかね」

「何、その嫌がらせっ」

 冗談ではないと思い切り嫌だと顔で示すが、ロドルフはにやりと笑うだけだった。

(この人、止めても無駄だわ……)

 きっとまとめる。間違いない。

「大丈夫ですよ、良いと思ったものだけにしておきます。お話はまだ続くのですかな?」

 前にも思ったが、ロドルフは狸だと思う。

「ええと、話ね。レグルスは今までは我慢してたけど、今回、私や家族の居心地を良くするために、態度が悪い人を辞めさせたわ。それを見ていて思ったの。この城の主が居心地を良くするってことは、その周りの人の環境も良くなるってことよ」

「そのために領民を酷使せず、適切に賃金を払えば……ですな。税金を上げては意味がない」

「ロドルフさんの言う通りね。でも、考えてもみてよ。この城でのレグルスの評判が良くなれば、勝手に口コミで伝わるんじゃないかな」

 有紗がそう言うと、レグルスとロドルフは顔を見合わせる。

「アリサ、クチコミとは?」

「噂よ。口で伝えるって意味」

「口以外でどう伝えるんです?」

「あ、そっか。私の故郷では、他にも色々と方法があったのよ」

 テレビや新聞、SNSなどと言おうと思ったが、ここには無いから説明しづらい。大雑把にまとめた。

「ははあ、なるほど。使用人や出入りの者、城下町の者の間でレグルス様の評判が広まれば、それを期待して、勝手に人が集まるわけですな。しかもそれは、少しでも環境を良くしたいと願っている者や、一旗あげようという気概のある者が移動してくるわけです」

 ロドルフはにまりとほくそ笑む。

「こちらで商人を探すより、利益のにおいをかぎつけた商人がやって来るのを待ち構えていればいいなら、楽なものですな。いいでしょう、土台作り。レグルス様はスタート地点に立たれたばかり、ここをしっかりしておけば、後々の役に立ちましょう」

 レグルスもうんうんと頷いている。

「そうだな。そうして人と物が行きかうようになれば、領地の経済も回っていく。少しずつ良くなっていくだろう。期限まであと四年と十ヶ月。着実に進めていけば、確かに勝てない勝負ではない」

 有紗はパチンと手を叩く。

「決まりね! あ、でも、それより大事なことがあったわ」

「なんでしょうか」

 レグルスが有紗をじっと見つめる。

「レグルスはどんな王様になりたいの?」

「え? 考えたこともありませんね」

 レグルスは困り顔になった。

 元々、王になれると思っていなかったようだから、その答えも納得だ。

「大事よ。だって、夜に真っ暗な中でさまようのと、家の明かりを目指すのでは違うじゃない?」

「目標に向かって進むわけですね。確かに、大きな目標を据えた後、短期目標を決めてこなしていくほうが行動しやすい。それから、始めた事業が失敗した時に、どの時点で手を引くかも考えたほうがいいですね」

 思案げに呟いて、レグルスは黙り込む。その顔が真剣なのを見て、ロドルフがうれしそうに、熊のような顔でにんまりと笑った。

「お二人のコンビは最高のようですな。神子様は発想豊かで、殿下は賢くていらっしゃる。――では、ひとまず使用人と騎士をそろえながら、一週間で土台固めとどんな王になるかについてじっくり考えてください。わしはあくまで補佐。考え、行動に移すのは殿下ですからな」

 そういえば、王位争いにはそんな決まりがあったなと、有紗は今更慌てる。

「え、それじゃあ、私が口を挟むのって駄目だった?」

「いいえ。殿下は闇の神子様に助けられ、味方になさった。運も実力のうちです。アリサ様は、殿下の味方枠ですな」

 それを聞いてほっとした。レグルスの邪魔になるのは望まない。

「ああ、そうでした。殿下、農民の間でもめごとがあったようでしてな。広間に来ていただいても? そろそろ裁判が始まるはずです」

「分かった」

 レグルスは考えを中断して、椅子を立つ。

「裁判?」

 有紗が問うと、ロドルフが答える。

「領主は裁判もするんですよ。領のルールで裁きます。昔からの慣習法というものがありましてね。罰金も領の大事な収入源です」

「横で見ていてもいい?」

「そんなに面白いものではありませんぞ」

 物好きだなと言いたげな顔をしたものの、ロドルフはレグルスのほうを伺う。

「構いませんが、僕の後ろにいると約束してください」

「分かった。大人しくしてるから」

 ここの人は、いったいどういったことでもめるんだろう。

 有紗はちょっとした好奇心で見学して、すぐに後悔した。家畜が農民所有の土地の草を食べたか食べていないかで怒鳴り合っていて、ひどくおっかない。

(なるほど、所有地の草も財産なんだ……)

 実家では、夏場の草刈りにうんざりしていた有紗には、結構な驚きだった。


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