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ルーエンス城二階、書斎に向かった。
ウィリアムが書類をまとめていたが、レグルスは気にせず、ロドルフの椅子を自分の机の前に持ってくると、ガイウスに座るように言った。
まるで面談でもするみたいだ。
有紗の椅子はレグルスの隣に置きっぱなしだ。おのおのが席につくと、有紗ははりきって切り出す。
「それじゃあ、レグルス。私から自己紹介するね」
「お願いします」
レグルスが頷いたので、有紗はフードを下ろし、ヴェールとウィンプルの布も外す。「私は水口有紗。闇の神の神子として、異世界から召喚されたの」
真っ黒な髪が零れ落ちるのを、ガイウスはぽかんと眺める。
「え? 闇の神の神子……?」
「待て、悪魔呼ばわりするのではないぞ。私は森で狼に襲われてひん死だったが、アリサに命を救われたのだ。ミシェーラの病も完治した。アリサには他人を癒す力がある」
「姫様のご病気も?」
驚いて口を開けっ放しのガイウスに、有紗は太鼓判を押す。
「ガイウスさんの怪我くらいなら、すぐに治ると思う」
有紗とレグルスの説明を聞き、ガイウスはごくりと唾を飲み込む。目は期待に輝いたものの、冷や汗を袖でぬぐった。
「なんか俺、とんでもない秘密を聞かされた気がするんですが。これって、後で命であがなえと言われたりは……」
「心配は分かるが、そんなことはしない。私は信頼できる配下が欲しいんだ」
「それで、落ちぶれている元騎士ですか」
神妙な顔で、ガイウスは呟く。
「私はレグルスに助けてもらったの。帰るまではレグルスの傍にいたいから、レグルスには王様になって欲しいんだ。それで、できることで協力したい」
有紗はレグルスのほうを見る。意図を汲んだレグルスが、有紗の身に起きた不幸について説明する。ガイウスがぐっと眉をしかめた。
「はあ? 自分達で神子様を呼んでおいて、処刑ですか。しかもこんな女性を! そいつら本当に神官なんですか? そりゃあ悪い奴もいますけど、王都の連中だってそこまではないでしょう」
「きっと神罰がくだるだろう。神子を軽視すれば、闇の神がお怒りになる」
「まさに天啓ですね。レグルス様と神子様は互いに出会うことで、危機を回避された。俺でも運命を感じますよ。殿下だけでなく神子様まで守れるなんて、騎士にとってはこの上ない名誉です。是非、俺を配下にしてください!」
ガイウスは椅子を立ち、その場に片膝をついた。諦めてすさんだ空気が一変し、緑の目は強い光を宿す。
「私、ガイウス・ケインズは、レグルス殿下と闇の神の神子アリサ様に、生涯の忠誠と惜しみない助力をささげます。この誓い、六神にささげます。――たがえる時は、死をもってつぐないましょう」
有紗は喜ぶ半面、こんなことを言わせて大丈夫なのかと心配になった。
だが、レグルスは気にせず、長剣を抜いて、その剣をガイウスの肩にのせる。
「レグルス・ルチリア、ガイウス・ケインズの誓いを受け取る。この誓いに恥じぬよう、今後、職務に励むように」
「はっ」
ガイウスは威勢よく返事をした。
レグルスは剣を鞘へ戻し、有紗を振り返る。
「アリサ、怪我を治してあげてください」
「分かった」
聖堂でつまみ食いしてきたので、お腹はいっぱいだが、これくらいは入るだろう。有紗はガイウスの左足に巻き付いている黒いもやを引っ張る。するすると引き抜きながら、パンのようにちぎって口に放り込んだ。
(軽いのが良いなって思ったせいか、みかんゼリーみたいな食感と味だわ。おいしい)
デザートは別腹なので、あっという間に食べてしまった。
「ごちそうさまでした。はい、立ってみて」
いまだ膝をついたままのガイウスの左腕を支え、有紗は立つ手助けをしてあげる。
「ありがとうございます」
礼を言って立ち上がったガイウスは、目を白黒させている。
「痛みが無い」
その場で軽く飛び跳ねた。
「普通だ。怪我をする前の時みたいだ」
そして本当に怪我が治ったのを確信すると、ぶるぶると震え始める。かと思えば、その場に再びひざまずいた。
「神子様、ご慈悲に感謝します! 俺の人生の恩人ですっ!」
それから何度も礼を言うガイウスをなだめすかし、なんとか神子様呼びをやめさせると、レグルスは声をかけた。
「今日は休んで、明日から頼む。ロズワルドが宣言通り、部下も連れて出て行ったからな。残りの騎士を鍛えないといけない。いきなりは無理だろうから、徐々に動けるようにしてくれ」
「はい、鍛え直したら、あいつらを叩きのめしてみせます! 実力で団長にのし上がってみせますよ、あなたがたにふさわしいように」
ガイウスはやる気をみなぎらせ、はつらつとした態度で書斎を出て行った。
「頼もしいけど、暑苦しい感じ?」
「ロドルフが二人になったのは気のせいですかね」
有紗とレグルスが顔を見合わせる横で、ウィリアムが思い切り噴き出して笑っていた。
そのまま有紗達が書斎にいると、少しして、ロドルフが怒りながら動作も荒々しく部屋に入ってきた。
「まったく、自分達の行いが悪いというのに、冷たいとか血が青いとか失礼な連中だっ」
「やはりもめたか。ロドルフ、面倒をかけてすまないな」
「殿下、これは失礼を」
レグルスが声をかけると、ロドルフは恥ずかしそうに居住まいを正す。そしてじろっとウィリアムをにらんだ。
「ウィル、書類はできておるんだろうなっ」
「ちゃんと仕事してますよ。私に八つ当たりしないでください」
困った人だなあと言いたげに、ウィリアムが言い返す。ロドルフはふんと鼻を鳴らし、自分の席につこうとして、椅子がレグルスの机の前にあるのに気付いた。
「何かありましたか?」
「ああ、良い騎士を見つけた。門番のガイウス・ケインズ。元近衛騎士だそうだ」
「そんな人材がうちにいたんですか! 元騎士とは聞いていましたが……そのお顔を見るに、上手くいったようですな」
ロドルフはにやりと笑い、自分の椅子を机まで運んで行って、満足げに腰かける。遅れて召使いの女がレモン水を運んできたので、礼を言って受け取った。グビグビと勢いよく飲み干す。
「なかなか良い男だ。プライドが高いあまり、盗賊をしたこともないのだと」
「なるほど。頑固者で、不器用でもある。プライドの高さは時に身を滅ぼしますからな、わしが気を付けて見ておきましょう」
「頼む。それで、解雇のほうは?」
「つつがなく済ませました。あの連中のうかつなところは、わしが何も見ていないと思っていることですな。使用人のことだろうが、良いところも悪いところも見ております。女官長もクビにしましたからな、イライザ辺りを女官長にしましょう。気が弱いのが難点ですが、優しい性格で人望もありますし、仕事は丁寧で確実じゃ」
ロドルフの提案に、レグルスは首肯を返す。
「それなら補佐したい者も多いだろう。何人かに助けになるように声をかけておいてくれ」
「今ならビビっておるでしょうから、効果的ですな。後で言っておきます。ふう」
疲れのこもった息をつき、ロドルフは首を振る。
「ところで、殿下。思ったんですがな、秘密をばらしてまで雇用するのは、少数でいいのでは? 城の者全てを味方にするのは難しいですが、側近を押さえておけば、側近を支持する配下は連鎖的に言うことを聞くもの」
ロドルフの話は的を射ていて、有紗はとても納得した。元々城主をしていただけあって、ロドルフはそういった人間関係の扱いには強いようだ。
「そうだな。元騎士については、他の情報を待ってから判断しよう。男の使用人は、家令のお前がいるからいいとして、あとは女官長を押さえておけば安心だな」
「出入りの商人にも、信頼できる者を見つけたいですなぁ。味方になってくれれば好都合ですが、商人は利益にうるさいもの。そこまで期待はしませんよ。ただ、こちらをあざむかない者とつながりが欲しいところです」
「領地運営の向上にはかかせないからな」
話し合う二人に、有紗は手を上げて口を挟む。
「ねえ、その女官長っていう人の家族には、病人や怪我人はいないの?」
ロドルフが不可解そうに問い返す。
「む? 家族ですか?」
「優しい人なんでしょ。きっと家族思いだと思う」
「アリサ様はその若さで、人心掌握術に長けておられるので?」
「思ったことを言っただけ。悪かったわね、腹黒くて」
ロドルフの言い方にムッときて、有紗はそっぽを向いた。ロドルフはすぐに謝る。
「いやあ、申し訳ありません。わしは良い方がレグルス様のお傍におられて、うれしく思っただけですぞ」
「本当~?」
「本当ですとも! ただ、できれば何かする時は、殿下やわしらにまずは相談してください。賢すぎるのは、毒になりかねませんのでな」
ロドルフの心配がよく分からないが、有紗は素直に頷く。
「分かった。私はここのことを全然知らないから、迷惑をかけることもあると思うけど、行動する時は、ちゃんとレグルスに相談するね」
「ありがとうございます」
「ううん、レグルスの邪魔になりたくないだけ」
「そうですか……。はは、当てられますなぁ」
ロドルフは顔を赤くして、照れたみたいに視線をそらす。
「ありがとうございます、アリサ」
レグルスも静かに微笑んでいる。
「うん。ねえ、そういえばその領地運営の向上っていうのは、どういうふうに採点されるの?」
有紗が質問すると、レグルスは問い返す。
「どういう意味です?」
「だって、領地ってことは、土地が違うでしょ? 広さや土の質、気候だって変わるはずよ。比較しようがないんじゃないかなって」
「ええ、素晴らしい着眼点です。その通り、そもそもこの王位争いは、不平等なんですよ。どの家臣がどの王子に協力したいか、それも分からない状態から始まります」
レグルスの返事を聞いて、有紗は王子の一人を思い浮かべた。
「ああ、だから賢い王子はやる気がなくて、ほどほど路線で行くのね。そもそも不平等だから」
確かに、そんな状況なら、有紗でも勝つのは無理だと踏んで、手を抜くかもしれない。
しかしロドルフは手を振った。
「ええ、確かに前提は不平等。良い土地を持つ家臣が味方する者が有利です。しかし評価は、元々の領地運営での収益や領民の数から、どれだけ向上したか、です。金額の大きさや人数の多さではありません」
「そっか、それなら規模の違いにかかわらず、パーセンテージで見られるってことね」
「その通り。しかし、どんな家臣に支持されているか、彼らとどういうふうに関係性を築くか、王子がどう対応するのか。そういったところも見られておりますぞ。陛下は実に深い愛でもって、この国のために王子達を教育なさろうとしておいでです」
感慨深げに何度も頷きながら、ロドルフはありがたそうに言った。
「更に、何か問題が起きた時の対処のしかた、戦や小競り合いでの結果なども判断されますから、最後まで読めませんな。ですから、わしらでも状況は引っくり返せるはずです」
「確かに、そうだね。ここって王国内では貧しい土地なほうなんでしょ?」
「ですから、不利で……」
レグルスがそう返すのを、有紗はさえぎる。
「逆よ、レグルス。子どもと大人じゃ、どっちが成長しやすい?」
「子どもだと思いますが……」
不思議そうに答えたレグルスは、はたと目を丸くした。
「悪いものが良い方向にのびるのは簡単ですが、良いものは良い方向にのびてもたかが知れている、と?」
「そうよ、伸びしろが違うのよ。ロドルフさんの言う通り、がんばれば勝てない勝負じゃないわ!」
グッと拳を握りこんで、有紗は熱弁する。
すると静かに書類仕事をしていたウィリアムが、思わずという様子で立ち上がった。
「その考え方は面白いですね! いいですねえ、一発逆転! 燃えます! 微力ながら私もお助けいたしますよ!」
書斎内の面々は、わっと盛り上がる。
「よーし、気合い入れましょ! はい、集まってー。こうして手を重ねて、下に落として。がんばるぞー、おーっ!」
有紗に言われるまま集まって、右手を重ねた三人は、目を白黒させながら声をそろえる。
「お、おう?」
「ははっ、なんだか知らんですが面白いですな」
「もう一回やってみても?」
不思議がりながらも、格好がつくまで練習した。
「一回やってみたかったのよね。団体スポーツの試合前に、こういうことをしたりするのよ。私、スポーツは苦手だから、見てるだけだったの」
喜んでいる有紗を、三人は微笑ましげに眺める。
ウィリアムは顔を緩めた。
「いいですねぇ、やっぱり女性がいると場が和やかになって」
「……ウィリアム?」
「はいっ、見ません、殿下。仕事に戻りまーす」
レグルスににらまれたウィリアムは、そそくさと席に戻っていった。




