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 一夜明け、騎士と召使いが多く解雇された。

 荷物をまとめた人達が給金を受け取り、暗い顔でぞろぞろと城を出て行くのを、有紗は二階の廊下から眺めている。随分、おおごとになってしまった。罪悪感が湧くが、これは彼らの自業自得だ。

「せいせいしたわ。自分の家に敵が多いのは、息が詰まるもの」

 すぐ近くで声がしたので振り返ると、ヴァネッサがいた。今日は鮮やかな赤色の上着だ。胸元が大きく開いていて、デコルテがのぞいている。赤い宝石がついたネックレスが、服とよく合っていた。彼女の手には衣類が抱えられている。

「どうしてヴァネッサさんも、あの人達を放っていたんですか?」

「私の家なら解雇するけど、ここはレグルスの城よ。それに、レグルスには何を優先にするべきか、自分で気付いて欲しかったの。父親の顔を立てようとするのは、あの子の良いところだけど、周りはそんなのお構いなしよ。血筋しか見ていないもの」

 ヴァネッサもロドルフと同じで「成長を見守る大人」なのだと有紗は気付いた。

「あの子もちゃんと男なのね。好きな人のためなら、がんばれるんだわ」

「はぁ……」

 その設定、ヴァネッサにも話したのか。有紗はレグルスを思い浮かべた。

「レグルスは、隅で静かにしていれば、平穏に暮らせると思っているみたいだけど、そんなの間違いよ。王家に生まれた以上、争いの真ん中にいるの。気に入らなければ、戦の前線にでも送られて、抹殺されるものよ。私はそんなのは嫌。たとえ最後に破滅するにしたって、戦って傷を残してやらなきゃ」

「ヴァネッサさん、強いですね」

「まあね、庶民はたくましいのよ。でないと生き残れないんだから」

 ヴァネッサは笑みを浮かべ、有紗の頭をなでる。そして有紗の様子を眺める。

「昨日はゆっくり眠れた?」

「はい、おかげさまで」

「良かった。これも着替えよ。今日の午後に仕立屋を呼ぶから、寸法をはからせてちょうだいね」

「分かりました。ありがとうございます」

 有紗は服を受け取ると、いったん部屋に戻ってチェストに収納した。



 レグルスらが朝食を終えた後、また書斎に集まった。

「護衛を大量に解雇したので、守りが薄くなりましたな。急ぎ、兵士を徴集しませんと」

 ロドルフの言葉に、レグルスは首を横に振る。

「いや、今は畑が忙しい頃だから、臨時とはいえ農民から集めるのは避けたい。新たに騎士か傭兵を雇おう」

「傭兵ですか……」

 ロドルフは渋い顔をする。

 有紗はすかさず質問した。

「はいっ、なんで傭兵だと嫌そうなの?」

「荒くれ者ですぞ。城に入れて、盗賊になったら最悪です」

「ええっ、雇われておいて盗賊になるの?」

「アリサ様はずいぶん平和な所からいらしたんですなぁ。食い詰めた傭兵は、野盗に変わるものです」

「ヤトウ?」

 聞き慣れない言葉だ。有紗がレグルスを見ると、レグルスが教えてくれた。

「外で襲ってくる盗賊のことです。町中にいる不良のことも言いますが……どちらも盗賊ですよ。大人しく金目の物を渡せば見逃してくれることもありますが、だいたいは口封じで殺されます。一人では無暗に外を出歩かないように」

「わ、分かった」

 真剣そのものなので、有紗は頷いた。

「アリサは嫌そうですが、やはり侍女を一人付けたほうが安心ですね」

「さようですな、レグルス様。ロズワルドが騒いだ際、まさか鍵を開けて自分から出てくるとは思いませんでした。これではいつか、思わぬ理由で危険な目にあわれるでしょう」

 レグルスとロドルフは心配そうにしていて、有紗は身を縮める。

「昨日は悪かったと思うけど、もうしないよ」

「しかしミシェーラ様の病が治ったので、ヴァネッサ様もいつまでもこの城にはおりません」

 ロドルフがそう断るので、有紗はふいをつかれた気分になった。

「そうなの?」

 数少ない同性の知り合いだ。急に寂しくなってきた。

「ヴァネッサ様は陛下の寵愛が深いので、姫君のためとはいえ、王宮を出るのを、陛下は渋い顔をなさっていたそうです。姫君が回復なさったのなら、間違いなく呼び戻されますよ」

「ヴァネッサさん、愛されてるんだ」

「正妃様と、他二人の側妃様は、全て政治的な関係で妃に迎えられた方々です。ヴァネッサ様はどこの派閥ともかかわりがないので、陛下も気が休まるのでしょうな」

「そっか、そうだよね。王様も人間だもんね。……うん、今のうちにいろいろと教わっておきます」

 有紗は決意を新たにした。今のところ、この世界にがんばって慣れるしかない。レグルスの邪魔になるのも嫌なので、なじむ努力はしなくては。

「えっと、とりあえず、兵士の話だったよね。信頼できる人が良いよね、偽物の忠誠心じゃ、後で怖いことになっちゃうかもしれない」

「そうですな」

 有紗は明るく笑う。

「それなら私が手伝えるかもしれない!」

 良いことを思い付いて、有紗は二人を順に見る。

「え? 何か策がおありですか、アリサ」

「ひとまず話を聞いてみましょう」

 レグルスとロドルフに、有紗は提案する。

「まずは領地の中で、こういう人がいないか調べて欲しいの」

 その話を聞いて、二人はなるほどと笑みを浮かべた。




 有紗が探してもらうことにしたのは、元々は騎士をしていたが、怪我や病気がもとで仕事を辞めざるをえなくなり、落ちぶれている人だ。できれば仕事を探している人で、家族のためにも稼ぎたいといった理由があるともっと良い。

 そういう人に声をかけて、治療と引き換えに、レグルスへの忠誠と助力を誓ってもらう。そして、レグルスの血筋など関係なく、恩への気持ちから真面目に仕事をしてもらおうという魂胆だ。

 ガーエン領というのがどれくらいの広さか分からないが、ここにいなければ、王都で探すのも良いかもしれない。都と呼ぶほどなら、人も多いだろう。

 ロドルフはすぐに人を呼んで、そういった者を探しに行かせた。

 返事が戻るまでは暇である。

 その日の午前中、有紗はレグルスの傍にいて、書斎の棚の掃除をした。棚の上のほうの埃を拭いて、本や書類を並べなおす。

 ここで初めて、この世界の文字をちゃんと目にしたが、有紗にはなんて書いてあるか分からない。アルファベットのような、楔形文字のような、見たことがあるようで、全くなじみがない。そんな文字が並んでいる。そういえば、有紗の言葉が互いに通じているのは、神子になった影響だろうか。

 今まで気付かなかったが、裸眼なのに遠くまで物が見えている。元々、有紗は目が良いほうだ。それでも、以前より視力が上がっていることに驚いた。

 することが無くなったら、レグルスの隣に座ってじっとしていた。彼らが仕事しているのを眺めながら、まるでリアルな映画の世界にお邪魔しているような気分になったが、これが現実だ。


 午後、ヴァネッサとの約束のため、ヴァネッサの部屋に向かった。

 その際、黒髪黒目を見られるわけにはいかないので、有紗は前もって準備をした。ウィンプルで髪を覆い隠し、その上にフードを目深にかぶれば、目元は見えない。

 その状態で仕立屋に寸法をはかってもらい、色の好みなどを伝えた。ここに来る前は赤が好きだったが、赤を見ると血を思い出すので、緑や青と答えておく。

 怪しまれるだろうかと不安だったが、仕立屋は余計なことはまったく訊かないのでほっとした。

 それが済むと、長剣をたずさえたレグルスが、いかにもお忍びという地味な色合いの服に着替えてやって来た。

「アリサ、聖堂に行きましょう。そのついでに、城下町の酒場ものぞいていきましょう」

 レグルスは有紗に灰色の外套(マント)を着せかけて、ブローチでマントをとめる。そういえば有紗の食事ために、聖堂に行くと話していたと思い出す。

「酒場?」

「落ちぶれた者は、酒場でくだを巻いているものです。野盗になる者もいますよ」

「お酒を飲むお金があるのに?」

「酔って忘れたいんでしょうね。犯罪は悪いことですが、本当の悪人はほんのひとにぎりです。皆、何かしら事情がある。そういった人々を助けられるのは、素晴らしいことだと思います」

 レグルスはほんのりと笑みを浮かべた。

 有紗の提案を、良いほうに受け取っているようだ。

「私……別にそんな良いことのために言ったんじゃなくて。ただね、どうしようもない暗いところから、ちょっと引っ張り上げてもらえたら、それだけでとてもその人に感謝するし、信頼を感じるの。レグルスに助けられた時がそうだった。今もありがたいと思ってる」

 気まずくて、有紗は手を握ったり開いたりする。

「でも、レグルスには裏はなかったけど、この提案はそういう気持ちを利用するから、ちょっと……」

「罪悪感が? しかしそれで気持ちが救われて、仕事を得られて、その後が順調になるならば、結果として良いことでしょう。一度、騎士として転落した者が、上へ戻るのはむずかしいものですよ。どんな良い医者にかかっても、元通りに体は動かないし、年をとれば体力がもちませんから。再起できるなら、それは奇跡だ」

「……ありがとう」

 レグルスの考えを聞いて、有紗の罪悪感は薄れた。少しだけ笑みを浮かべる。

「そうだね。どうせするなら、する偽善ってやつだよね」

「面白い言葉ですね」

 そんなふうに話していると、片付けをしていた仕立屋の女主人と針子やヴァネッサがこちらを見ているのに気付いた。

「まあまあ、なんて微笑ましいんでしょう。殿下がお妃様候補をお招きになったと聞いて驚きましたが、相思相愛なのは良いことですわ。おめでとうございます、ヴァネッサ様」

「ええ、ありがとう」 

「結婚式の時は、ぜひ、うちにご依頼ください。腕によりをかけて婚礼衣装を作りますわ」

「気持ちはうれしいけれど、まだ様子見段階なの。でもその時はよろしくお願いするわね」

 女主人とヴァネッサの会話に、有紗はまた気まずさを覚える。安全のために妃のふりをしているだけだなんて、とても言い出せない雰囲気だ。

「お出かけするんでしょう? 日が高いうちに行ってらっしゃい。レグルス、きちんとアリサを守るのですよ」

「はい、母上。行きましょう、アリサ。僕から離れないように」

「うん!」

 ヴァネッサに見送られ、有紗はレグルスの傍らにぴたっと寄り添い、城を出た。


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