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ミシェーラの部屋を出て大広間のほうへ戻ると、途中に槍を手にした騎士が守っている階段がある。そこから通じる二階は、城主のためのスペースになっているそうだ。主寝室と妃の間、衣装部屋、書斎、召使いの待機部屋、端のほうにトイレがあるという。
有紗がレグルスについていくと、いくつかの部屋がある廊下に出た。石造りの城館は壁が分厚く、窓は小さい。ガラスははまっておらず、木製の板でふさぐ形のようだ。昼間でも少し薄暗い。
窓から外を見ると、のどかな景色が広がっている。有紗がつい立ち止まって眺めていると、レグルスはほんのり苦笑して言った。
「この城館は実用向きなんです。だいぶ古いですし、女性が住むには無骨すぎますね。王都に行けば、最新の華やかな建物がありますよ」
そちらは天井が高く、壁が薄く、窓が大きいので室内も明るいのだという。
「見てみたい気はするけど、そこにはレグルスはいないでしょ?」
観光してみたいくらいで、特に興味はない。レグルスはやんわりと微笑んだ。
「ありがとう……アリサ」
なんだかよく分からないが、レグルスはうれしそうだ。有紗もつられて笑う。
「殿下、お帰りなさいませ」
その時、階段からすぐの扉が開き、灰髪の中年男が出てきた。ボタンがたくさんついた暗い緑の上着と、灰色のタイツのようなものをはいている。無愛想な顔で、男は有紗を見たものの、すぐに視線をそらす。
とっつきにくそうな雰囲気だが、城の兵士みたいにトゲトゲした空気は無い。
「アリサ、彼はこの城の家令で、ロドルフといいます」
「カレイって何?」
「家政や使用人を統括しつつ、税金の管理もする使用人です。文字の読み書きや計算ができないといけませんし、人とのつながりも必要な仕事です。誰でもできる立場ではありません」
秘書みたいな感じだろうかと、有紗はひとまず頷いた。レグルスは、今度はロドルフに有紗を紹介する。
「ロドルフ、こっちへ来てくれ。内密に話したい」
「は」
レグルスはロドルフを呼び、一番奥の部屋に入る。天蓋付ベッドと、クローゼットやチェスト、机や椅子などが置かれた、落ち着いた雰囲気の部屋だ。
扉を閉めると、レグルスはまず有紗に話す。
「アリサ、ロドルフとあと一人は、数少ない信頼できる者ですので安心してください」
有紗が不安がっているのが分かったのだろう。その前置きにほっとしたが、有紗はレグルスの後ろに隠れた。
「ロドルフ、こちらはアリサだ。僕が森で死にかけていたところを救ってくれた。妃に迎えるのでな、よろしく頼む」
「殿下、お一人でお出かけになったかと思えば、森に行っていたんですか! しかも死にかけたとはいったいなんです?」
レグルスは一通りを説明した。
「闇の神子様……? は? 神殿の連中、神子様を崖から突き落とし……」
ロドルフの顔から血の気が引き、喉を絞められたみたいな顔をして、ロドルフはズシャッと両膝をついた。
「神子様、どうか天罰だけは! ご勘弁くださいませ!」
「きゃっ」
有紗はびっくりしたが、ロドルフは謝るばっかりだ。彼は有紗が闇の神子ということより、同国の神官が神子に危害を加えたことを気にしているようだ。
「あ、あの……」
レグルスも困った顔をして、ロドルフの腕を引いて立たせる。
「ロドルフ、やめろ。アリサが動揺している。僕と妹は、アリサに命を救われた。だから、アリサを助けたい」
「では、ミシェーラ様のご病気も良くなったのですか?」
「そうだ。後でこっそり会ってくるといい。綺麗に治ったが、騒ぎになると困るから、しばらくは伏せておくつもりだ」
「それがよろしいでしょうな。ああ、良かった。陛下がお喜びなさるでしょう」
ロドルフはうるっときたようで、ハンカチで目元を拭いた。レグルスはロドルフを示し、有紗に言った。
「彼は父上に長く仕えている古参の臣下なんです」
「だから、そんなにうれしそうなのね」
感涙にむせんでいる様子を見ていても、ロドルフがレグルスら家族に親身になっている様子は伝わってくる。
「ロドルフ、アリサは元の世界に帰ることを望んでいるんだ。その方法を探るため、聖典を読む手助けしたいと思っている」
「神子様は他の世界からいらしたのですか。それは不安でしょうなあ」
ロドルフはハンカチをズボンのポケットにしまい、改めて有紗と向き直った。気の毒そうにこちらを見つめている。
「ありがとうございます、アリサ様」
うやうやしくお辞儀するロドルフに、有紗はレグルスの後ろから会釈した。
「邪神の神子と聞いて驚きましたが、殿下と姫様の恩人は、わしの恩人と同じです。神官にかぎつけられぬように、守りを厳重にしなければなりませんな。ですから妃になさるのですね?」
「そういうことだ」
「侍女の手配はしますか?」
「アリサ、姿を見せてあげてください」
レグルスに促されてフードを外すと、ロドルフが息を飲んだ。
「黒髪、黒目……。なるほど、闇の神に愛されるだけはあります。侍女は付けないほうがいいでしょうね。しばらくはヴァネッサ様にお世話をお願いしましょう」
「母上と話は通してある、そうしてくれ。使用人には掃除と洗濯だけ任せて欲しい」
「それが妥当でしょうな」
「後で相談したいことがある。母上も呼ぶから、その時にまとめて説明する」
「畏まりました。では、女官長に命じておきます」
ロドルフはお辞儀をすると、部屋から立ち去った。
レグルスは改めて有紗と向き直ると、部屋を示す。
「アリサ、ここは僕の部屋で、隣が妃の間です。この扉を開けると、中からもつながっています。あなたが呼ばない限り、僕からは開けませんから、安心してください」
暖炉から少し離れた位置の扉を開けると、隣の部屋に通じていた。廊下からも出入りできるそうだ。
中に入ってみると、レグルスの部屋の暖炉のちょうど真向かいに、こちらにも暖炉がある。一階にあるミシェーラとヴァネッサの部屋も同じ造りで、同じ煙突を有効活用しているらしい。
妃の間はレグルスの部屋より若干狭いものの、女性的な可愛らしい雰囲気の家具がそろっている。
「ここ、本当に私が使っていいの?」
いずれ本当に結婚する時に困らないのだろうか。有紗の問いに、レグルスは大きく頷いた。
「ええ。この城では僕の部屋が一番安全なので、すぐ隣にいていただければ、僕が守れます」
「そんな……まるで暗殺者でもしのびこんだりするみたいね」
「滅多とありませんが、たまに」
「あるんだ」
冗談のつもりだったから、有紗は面食らった。
「この城は僕達家族の住む居館ですが、一階には謁見の間を兼ねた広間や食堂があります。ですが、二階に出入りできる者は限られています。僕達家族と、アリサ、ロドルフ、あと一人、書記官の男がいます。後で会わせるので顔を覚えてください」
「つまり、ロドルフさんとそのもう一人の男の人だけが、二階に入れるのね。それ以外は不審者」
「そういうことです」
賢いですねと、レグルスは微笑む。
「こちらが妃の間の鍵です。特に出入りする予定がないなら、内側から鍵をかけていたほうが安全です。部屋を出る時は、掃除以外では閉めたほうがいいでしょうね」
紐のついた鍵は真鍮のようだ。有紗はすぐに首からさげた。
「この城の壁の内側は、一つの村のようになっています。この建物は城主の住むエリアで、裏には台所、洗濯場、騎士の詰所、使用人の家などがいくつか建っています。城下町からの通いもいますね。城下町には六神をまつる聖堂があるので、そこに行けば、病気や怪我の者が誰かしらいると思いますよ」
「お金がなくて、治してくださいってお祈りにくるって意味?」
これくらいの時代なら、病気の治療についてそこまで医療が発展していないから、祈祷で病気平癒を祈るのがごく当たり前だ。そういう意味で言っているのかと有紗が問うと、レグルスは首を振った。
「神官の慈善活動場所――施療院が隣にあるんですよ。医者にかかれない者はそちらに行きます。あまり高価な薬はもらえませんが、行かないよりマシです。週に一度は炊き出しもありますよ」
「神官……」
あの白服を思い出して、有紗は尻ごみする。
「大丈夫、この町の神官は善良な人ばかりです。田舎ですからね。王都は……まあ、察してください」
「権力とお金がある所はひどいんだ?」
レグルスの言いたいことは分かるので、有紗は呆れ混じりに問う。歴史ものの映画みたいに分かりやすい。
「尊敬できるかたもいますよ。ただ、神官になりたいと自ら志しているかたは田舎に多く、貴族から出された子息子女は都会に多いせいです。特に女性は、結婚が決まるまで教養を身につけるためにいるので、信仰心が薄い人もいます」
「ミシェーラちゃんは聖堂に入らないの?」
「王女は教師を付けてもらえるので、聖堂や高位貴族の家に行儀見習いに出されることはありません。ですが、あの子は病気になったので、母とともにここに移り住んだんですよ。以前は王宮で暮らしていました」
ここでぎくしゃくしているなら、王宮のほうがもっと暮らしにくそうだ。それに、この町の周辺はのどかで緑豊かだから、静養には向いている。
「嫌な人ばかりなのかと思ったけど、さっきのロドルフさんは良い人そうだね」
「僕も心から信頼しています。ですが、本当のところはどう思っているやら……」
「どういうこと?」
「僕がここに来る前は、彼がここの城主だったので」
レグルスは苦い顔をした。今までトップだったのに、王子に地位と場を奪われたのだ。腹に一物抱えていると心配しても不思議ではない。
「私のこと邪魔ですかなんて……聞けないよねえ」
有紗も苦笑を浮かべる。
王宮や王子と聞くときらびやかなイメージだったが、どろどろの人間関係という現実に、有紗の夢は崩れていった。




