絵の中の動物は
セド様は目元を赤くしたまま、それでは移動しましょうとそっと私に手を差し出した。
その手を取り、立ち上がろうとすると、慌ててセド様が止める。
……そういえば、まだ靴は履いていないままだった。
なので、セド様には申し訳ないが、もう一度抱き上げてもらって、談話室へと向かった。
セド様が私を責めないのであれば、ヒロインとの騒動もあまり悪いことにはならないとは思う。
けれど、リーラとペティは攻略対象者と一緒にいるはずなので、やはり少し不安だ。
セド様との会話もあまり長くしていたわけではないから、大丈夫だと思うのだけど……。
「それでなぜアーノルドがプレーリーなのですか?」
リーラとペティのことを心配していると、セド様がちらりと私を見て、話題を振ってくれた。
……それは忘れてくれていて良かったのに。
けれど、きちんと気持ちを言葉にすると決めたから、意を決して、私だけの秘密をセド様に話す。
「バルクリッドが隣国と貿易を盛んにしているのはご存知のことと思います。ですので、我が家にも珍しい交易品があるのですが……。その、絵、がありまして……」
「絵、ですか?」
セド様の不思議そうな声にこくりと頷く。
そして、正直に説明していった。
「はい。隣国の海を挟んだ向こうにプレーリードッグという動物がいるのだそうです。その動物がその……アーノルド様に似ていて……」
赤茶けた地面の上にぴょこんと前足を胸の前で揃えて立つ、ぼんやり顔。
それに似ているから、プレーリーと呼んでいた、なんてやっぱり失礼なことだ。
けれど、プレーリーは初めて出会った時からプレーリーで、いつも私を落ち着かせてくれていたから、なんだか今更、愛称を変えることはできなくて……。
「……プレーリードッグですか」
セド様に呆れられるのを覚悟で説明をすると、セド様はなにか納得したような声を出した。
それに驚いて、近くにあるセド様の顔をじっと見る。
「セド様はご存知ですか?」
「はい。きっとその絵は王家に贈られた絵だったのでしょう。王宮の廊下に飾ってあります」
「……そうだったのですね」
なるほど。あのプレーリードッグの絵は今は王宮にあったのか。
小さい頃に何度か見たが、気づいたらなくなっていたので、不思議に思っていたのだ。
「……貴方にはアーノルドがあんなに心穏やかでかわいらしい生き物に見えているのですね」
セド様が私を見返して、少しだけ微笑む。
そして、前に向き直り、小さく呟いた。
「……いや、アーノルドがそう見せているのか」
不思議な言葉。
じっとセド様を見るけれど、セド様は前を向いたままで、歩みを進めた。
「アーノルドがプレーリードッグならば、フローラル嬢はハイイロリスというところでしょうか」
「ハイイロリス?」
突然の話題に目をパチパチと瞬く。
私の言葉にセド様ははい、と頷いた。
「侯爵に贈られた絵は他にもあるのですが、それの一つにハイイロリスが描かれたものがあるのです。ハイイロリスはプレーリードッグと同じ土地に住む動物だそうです」
「……その絵も見たことがあるかもしれません」
交易品の中にあった動物の絵を思い出す。
確かに何枚かあって、プレーリードッグ以外の絵もあったかもしれない。
「両てのひらに乗るぐらいの愛らしい生き物ですよね? しっぽがふわふわしている……」
「はい、それだと思います。木の上で生活しているようで、大きな木に何匹か集まっている絵でした」
セド様の言葉におぼろげだった記憶が少しだけ鮮明になる。
大きなふわふわのしっぽに丸い目のハイイロリス。
その姿を思い出すと、なんだか、胸がもやもやしてしまう。
セド様にはヒロインがあんなに愛らしい生き物に見えているんだ……。
「なんというか、欲深いところが似ていますね」
……え?
「ハイイロリスはたくさんの餌を手に入れるために、その身体能力を使って人の家にも入り込むそうです。更に、庭に鳥を呼び込もうと置いてある餌も棒をするすると登って横取りしてしまうと聞きました」
……あれ? 褒めてない?
間近にあるセド様の顔を見れば、ぎゅっと眉間に皺を寄せていて……。
「周りをうろちょろして、騒動を起こして……。かわいらしい姿をしているだけに、より困りものです」
そう言って、はぁと深い溜息を零した。
……なんだかセド様が語るヒロインの姿が思っているのと違う。
セド様の目は本当に迷惑そうだ。
いや、もちろん、先ほどちゃんと話したから、セド様が私を見てくれていたことはわかった。
私をセド様を疑っているわけじゃない。
でも、やっぱり不思議で……。
「……あの、私はセド様がフローラル様に惹かれているのだろうと思っていました」
「先ほど、嫉妬したとおっしゃられていましたね。……そう思わせてしまったことをとても申し訳なく思います。そういう思いは一切ありません」
セド様が眉間に皺を寄せたまま、じっと私を見る。
その目は本当にまっすぐで、嘘をついている気配なんて一つもない。
「フローラル嬢には事情があって、そのことで私の周りにいるだけなのです。その事情が事情だけに無下にもできず……。しかし、二人でいることも困るので、いつも友人に一緒にいてもらっていました」
セド様と攻略対象者と一緒にいるヒロイン。
その姿は何度も見た。
ヒロインは男の友人ばかりがいるのだろうと思っていたが、あれはセド様がヒロインと二人きりにならないように気を遣っていたから?
「でも、セド様はそうでなくても、フローラル様は違うのでは?」
セド様の言葉に疑問を挟む。
……きっと、セド様の気持ちは本当だ。
けれど、ヒロインの気持ちはわからない。
事情というのを理由にして、セド様のそばにいたいだけではないのだろうか。
セド様が知らないだけで、本当は……。
けれど、セド様はそんな私の疑問を即座に否定した。
「いえ。彼女は私をどんぐりの木だと思っているのです」
「どんぐりの木、ですか?」
「はい。どんぐりの木のそばにいればどんぐりが落ちてくるだろう、と。それを待っているのです」
……セド様がどんぐりの木で、ヒロインはどんぐりを待っている。
わかるようでわからない。
少しだけ首を傾げると、セド様は申し訳なさそうに少しだけ眉尻を下げた。
「彼女の事情については談話室でこれから話になると思います。……彼女の事情は私的なことなので、私から伝えるのははばかられるのです。これからの話に出てこなければ、本人の了承を取って、後日、必ず説明しますので」
「……わかりました」
セド様の言葉に頷いて、目線を前に向ける。
セド様は相変わらず、しっかりとした歩調で進んでいた。
……わかってる。ちゃんとわかった。
セド様は勝手に人の事情をぺらぺら話すような人ではないし、私にもヒロインにもきちんと筋を通そうとしていて、とてもすごいと思う。
……でも、胸にちろちろと火が燃える。
私が知らないことをヒロインとは共有している。
そのことを思うと、なんだかやっぱり妬けてしまって……。
「でも……。さっき、二人でいました」
ぼそりと呟いてしまう。
そうして出た声はなんだか拗ねているよう。
そんな自分が恥ずかしくて、下を向けば、セド様は私を抱き上げている手にぎゅっと力を入れた。
「申し訳ありません。友人も同席させようとしたのですが、どうしてもと頼まれ……。人目のない場所で二人になることはできません。なので、人に話を聞かれにくく、けれど遠くからこちらを見られる場所ということで、先ほどのベンチで話をしていました」
……うん、わかる。
セド様の言うことはやっぱり筋が通ってる。
おかしいのは私だ。
セド様がこうやってちゃんと説明してくれているのに……。
「……セド様が笑っているのを見ました」
それがずっと気になっている。
「フローラル様がセド様に耳打ちをして……。そうしたら、セド様はすごく優しそうに笑ったんです」
……それがいやだった。
セド様がどんなつもりでいたのか、とか。
ヒロインがどんなつもりでそんなことをしたのか、とか。
そんなことよりも、ただ、セド様が笑ったのがいやだった。
あの、柔らかい微笑みが他の人にも向けられたのがいやだった。
わがままな自分が恥ずかしい。
けれど、思ったように言葉にしてみれば、セド様はうっと息を詰まらせた。
「あれを見ていたのですね……。あれは、いきなり貴方のことを言われたのです」
「私のこと、ですか?」
「はい……貴方の、その、髪型が素敵だと言われて……」
驚いて、セド様の顔を見れば、また眉間に皺が寄っている。
「そうしたら、貴方の顔が思い浮かんでしまって……」
いつものセド様の言葉よりも、ずっとずっとたどたどしい。
そんなセド様の目元は真っ赤で……。
「それで、勝手に顔が笑ってしまったのです」
……あの微笑みは私を思い浮かべたから?
じっとセド様を見つめていると、セド様は一度目を閉じた後、私のことをしっかりと見返した。
「今日は前髪を編み込まれたのですね。……とても、かわいいです」
……かわいいって。
私が?
「あの、もちろん、いつも、その……かわいいです」
セド様が真っ赤な目元で精いっぱい私に伝えてくれる。
その言葉があっという間に私の胸にあふれていく。
……なんだ。
そうだったんだ。
ヒロインに見せたあの微笑みは私を思ってくれてたから。
私は私に嫉妬していただけだったんだ……。
「セド様……」
抱き上げてくれているセド様の体にぎゅうと抱き付く。
これはダンスのリフトじゃないから、少しぐらい姿勢が崩れたっていい。
「大好き」
……初めからセド様を信じればよかった。
ちゃんと話をして、こうして気持ちを伝えて……。
そうすれば、セド様はちゃんと応えてくれる。
いつも私を見ていてくれる。
……だって、私のこと、かわいい、って。
こんなに悪役顔なのに。
みんなに怖がられているのに。
なのに、私のこと……。
かわいい、って……。
「セド様はかっこいいです。世界で一番かっこいいです」
目の前にあるセド様の顔に自分の顔を寄せる。
そして、その頬に少しだけ唇を触れさせて、耳元で言葉を告げた。
「大好き」
そうやって、くすくす笑いながらセド様に抱き付けば、セド様はぴたっと動きを止めた。
談話室まであと少しなのに。
不思議に思って、セド様の顔を見れば……。
「……セド様、息を吸ってください」
セド様の息が止まっていた。






