あなたの主役は
セド様の突然の行動に驚く。
だって、こんなの知らない。
――こんな記憶、知らない。
困惑したままセド様を見上げる。
すると、セド様は私を安心させるようにそっと微笑んだ。
けれど、眉間に皺があるままで……。
なんだかこちらが苦しくなるような笑顔だった。
「これ以上、足を痛めるわけにはいきません。少しだけ我慢してください」
セド様の言葉に自分が裸足だったということに思い当たる。
どうやら、セド様は私が裸足だということに気づいて、これ以上素足で地面を踏まないように抱き上げてくれたらしい。
……セド様が私を気遣ってくれていることはわかった。
でも、やっぱり今起こっていることがわからない。
だって、セド様は私に婚約破棄を告げるはずで……。
ヒロインに嫌がらせをして、それを謝るだけで済まそうとする私に愛想をつかすはずで……。
「とにかくここでは目立つ。みな談話室へ」
セド様は私を抱き上げたまま、てきぱきとみんなに指示を出す。
みんなは時間が止まったように動けなくなっていたが、その言葉で我に返ったようで、それぞれ頷いたり、返事をしたりした。
「授業は欠席すると伝えてある。私もすぐに行く」
どうやら、このまま授業を受けずに済むように手配してくれているらしい。
素早い采配に感謝しつつも、私が気になるのは友人二人のこと。
「あの、リーラとペティは……」
「大丈夫です。悪いようにはしません」
そんな私にセド様は優しい言葉をくれる。
そして、みんなが動き始めたのを確認した後、セド様はぎゅっと一度唇を噛んだ。
「少しだけ私に時間を下さい」
「……わかりました」
セド様の掠れた声に私も掠れた声を返す。
すると、セド様は私を抱き上げたまま、みんなに背を向けてどこかへ歩き始めた。
私を抱き上げているのに、セド様の歩みはしっかりしている。
きっと、たくさん体を鍛えているのだろう。
私もそんなセド様になるべく負担をかけずにすむよう、姿勢を正し、重心がぶれないようにする。
リフトの基本は手の力ではなく腰の力で持ち上げること。
女性が自分で姿勢を保ち、男性の体に重心が乗るようにすると、とても楽になるはずだ。
そうしているうちにセド様は庭をどんどん歩いて行った。
セド様とヒロインの話していたベンチよりもずっと奥。
校舎からかなり離れたところに白い柱と屋根のあづまやがあった。
庭木に隠されるようにあるそこへ近づくと、中央に置いてあったベンチへとそっと私を下ろしてくれた。
「ここなら人目も気になりません」
「……はい」
まだ状況が理解できないまま、セド様をじっと見上げる。
すると、セド様はすっと目を反らして、私の服を見た。
「まずは貴方のその恰好についてお聞きしてもいいですか?」
セド様の手がそっと伸びて、私の側頭部辺りを撫でる。
どうやら、そこに木の葉がついていたようで、セド様はそれをベンチの横へと置いた。
「なにかあったのですか?」
セド様が心配そうに私を見る。
……リーラやペティと同じ。
きっと、他に聞きたいことがたくさんあるはずなのに、まずは私を気遣ってくれる。
それが嬉しくて……。でも、そんな優しさが少し苦しい。
「……木に登っていました」
「木に?」
誤魔化すことなく正直に話せば、セド様は目を瞬かせる。
「……セド様が別の女性とお話されているのを見て、嫉妬してしまいました」
情けない自分……。
けれど、隠さず胸の内を明かせば、セド様は驚いたように目を丸くさせた。
「……貴方が、……嫉妬?」
「はい。……セド様がフローラル・サシュ様と一緒にいるのを見て、気持ちが抑えきれなくて……それで、気分転換をしたくて木に登りました」
セド様は相変わらず目を丸くしたまま私を見ている。
だから、続けて、先ほどのことも説明することにした。
「リーラとペティはそんな私の気持ちを汲んで、彼女に色々としてしまったようです。申し訳ありません。配慮が足りませんでした。私の責任です。……セド様が私を罰するつもりであれば、……受け入れます」
そう。記憶とは違うけれど、でも、それはよく考えたら当たり前だ。
だって、セド様は優しいから……。
みんながいる前ではなく、こうして二人の時にきちんと話し合おうとしてくれたのかもしれない。
だから、大丈夫。
……ううん。本当は全然大丈夫じゃない。
――だけど、ちゃんと受け止める。
胸の前でぎゅっと両手を握って、その言葉を待つ。
手は少し震えてしまったけれど、それを抑えるように更に強く握った。
「……貴方にそんな思いをさせた自分を情けなく思います」
私の手にセド様がそっと手を重ねた。
「それなのに、貴方の言葉を嬉しいと思ってしまう」
その手が熱くて……。
「私が女性といることで貴方が嫉妬するなど思いもしませんでした」
見つめ続けている濃いブルーの目が優しくて……。
「言葉が足りず、申し訳ありません」
謝るのは私のはずなのに、セド様がぎゅっと眉間に皺を寄せた。
「私は自分の気持ちを言葉にするのが怖かった。……貴方の負担になりたくなかった」
「負担?」
よくわからない言葉に小さく首を傾げれば、セド様がどこか懐かしそうに言葉を続ける。
「はい。プロポーズをしたあの日。いつもあの日のことを思い出します」
……セド様がプロポーズをしてくれた日。
ずっとダンスができなくて、苦しくて……。
セド様が誘ってくれて、久しぶりに思いきりダンスができたあの夜。
「貴方がきらきらと輝いていて……その輝きがずっと続いて欲しいと、思いを告げました」
……嬉しかった。
セド様も私を好きなんだって……。
「けれど、あの日から貴方は変わってしまった」
……それは私の中のセド様が変わってしまったから。
黒い髪の男の子じゃない。
……私に婚約破棄を告げる攻略対象者になってしまったから。
「なぜだろう、と日々考えていました」
怖くて目を見ることができなくなった。
きっとそれをセド様も気づいていて……。
「思いを告げた時、人目が少ないとは言っても、こちらを見ている者はいました。……心の優しい貴方はそれを気にして、私に否と言えなかっただけなのかもしれない」
そう。テラスの扉は開いていた。
何人かこちらを見ている人もいた。
「もしかして、貴方は私と婚約したことを後悔しているのではないか、と」
後悔……。
うん……。したかもしれない。
なんでセド様の手を取ってしまったんだろうって、やっぱり何度も思ってしまった。
……違う人にすればよかったって。
「貴方の思いを置いて、物事が勝手に進んでしまう。それを恐れているのではないか、と」
セド様の言葉に胸がぎゅうっと痛くなった。
……セド様は私を見てくれていた。
セド様と婚約して、どうしていいかわからなくなった私を見てくれていた。
……なのに、私はセド様を見ていなくて。
こんな風に考えてくれているなんて、全然思ってなかった。
「……もし貴方から婚約破棄を告げられたら、それを受け入れるつもりでいました」
「私が婚約破棄、ですか……?」
驚いてセド様をまじまじと見る。
するとセド様ははい、と一つ頷いた。
「先ほど、貴方が私の目を見てくれた時……。きっと心を決めたのだろうと思ったのです。……私とは共に行けない、と。ここに来たのは、それを受け入れるためです」
セド様が私に婚約破棄を告げるのではなく……。
私がセド様に婚約破棄を告げる?
驚きすぎて、無表情のまま目を二、三度瞬かせる。
けれど、セド様はもっと驚くようなことを言った。
「……本当に手を取りたかったのは私ではなく……アーノルドだったのだろうと思ったのです」
アーノルド?
「……え、プレーリーですか?」
突然の名前に首を傾げる。
すると、セド様も私と同じように首を傾げた。
「……プレーリー?」
二人で首を傾げて、お互いに見つめ合う。
……あ。
思わずプレーリーと言ってしまった。
「プレーリーとは、もしかしてアーノルドのことですか?」
セド様が文脈を読んで、私の言葉の意味を考えたのだろう。
ずばり言い当てられたそれに、ちょっとだけ目が泳いでしまう。
「……はい。その、私が心で呼んでいる愛称のようなもので……その、悪い意味ではないのですが……」
恐る恐るセド様を見上げる。
すると、セド様は優しい目で私を見てくれていた。
「それが貴方の秘密の一つですか?」
「……はい」
秘密、というほど大それたものではないけれど……。
でも、私だけが知っている私のことの一つだ。
「……私と婚約してからの貴方は苦しそうで……きっと、そんな風になにか秘密があるのだろうと思いました」
「……私の秘密?」
「はい……。元々アーノルドのことが好きだったのに私の手を取ったのか、それとも私の手を取ってからアーノルドのことを好きだったことに気づいたのかはわからない。けれど、それを胸に秘めたままこうして私と共にいることが苦しいのではないか、と」
セド様の言葉に、不思議な気持ちになる
……私が不安だったように、セド様もずっと不安だったのだろうか。
「だから、私の気持ちを伝えることができなかった。……私の気持ちが貴方の重荷になるのではないかと思っていました」
セド様はいつもそばにいてくれた。
けれど、決定的な言葉をくれたことはない。
名前も呼ばれたことはほとんどなくて……。
「心の優しい貴方は、私の思いを知れば、私と共に行くと決めてしまうかもしれないから……」
……それは私のためだった。
私がいつでもセド様から離れられるように……。
「けれど、貴方は私の行動に嫉妬したと言ってくれました。それは……」
セド様の濃いブルーの目が私を見ている。
その目には熱があって……。
「ライラック」
セド様が私の名前を呼ぶ。
それだけでこんなに胸が震える。
「私は貴方が好きです」
セド様の言葉全部が私の心を震わせる。
不安でいっぱいだった心が……。
苦しかった心が、喜びでいっぱいになる。
「私は……私はずっと自分が脇役だと思っていました」
十歳の時、記憶を知ってしまってから……。
自分で考えて決めたはずなのに、気づけば攻略対象者と関わってしまった時から……。
――セド様の手を取ってしまった時から。
「セド様の主役にはなれないのだと……」
いつか来る未来が怖くて……。
セド様に選ばれないことが苦しくて……。
私は記憶があるから……未来を知っているから不安になるのだろうと思っていた。
でも、そうじゃなくて。
――好きだから不安になる。
「私は主役ですか?」
こんなに情けない私でもいいですか?
こんなにかっこわるい私でもいいですか?
「……貴方はいつだって私の主役です」
私の両手に重ねたセド様の手が熱い。
「出会った時から。……初めてダンスをした時から」
セド様の言葉が熱い。
「貴方が私のすべてです」
まっすぐに濃いブルーの目を見れば……。
「貴方が私の主役です」
いつも私をまっすぐに見返してくれる。
『あなたが私のすべてです』
『あなたが私の主役です』
……ダンスをする時にずっと心で唱えていた呪文。
いつか、ダンスだけじゃなくて……。
私をそう思ってくれる人がいたらいいって。
それが叶ったらいいなって。
……そんなこと言ってくれる人がいるんだ。
セド様が……。
私の好きな人がそれを言ってくれるんだ……。
「セド様……」
私の手に重ねられていたセド様の手をぎゅっと握り直す。
そして、右手を両手で包んだまま、胸元へと持って行った。
この思い。すべてが伝わるように。
「……大好き」
ぎゅうっと手に力を入れて、セド様を見上げる。
勝手に顔が笑ってしまうけど、それでも気持ちを伝えようとじっと濃いブルーの目を見つめる。
「……っ」
ずっと濃いブルーの目を見つめたいのに、その目が急に見えなくなる。
……どうやらセド様が左手で自分の目元を覆ってしまったらしい。
「……セド様」
それが寂しくて、いじけたように名前を呼べば、セド様はうっと息を止めた。
そして、少しためらった後、観念したように左手を外した。
手で隠れていた目が見えると、眉がぎゅっと顰められていて、目元はうっすらと赤くなっていた。
必死で私を見返す目はいつもと違って余裕がないようで、見ていてなんだか楽しくなってきてしまう。
……セド様が照れてる。
私の言葉でセド様が照れている。
それが嬉しくて、顔がもっと笑ってしまった。
「これからはきちんと気持ちを言葉にします」
不安になった心をセド様は簡単に癒してくれた。
だから、私もたくさん言葉にしたい。
……もうセド様が不安に思わないように。
「私も、貴方が不安にならないよう言葉を尽くします」
そんな私の気持ちにすぐにセド様は応えてくれる。
……どうしよう。
セド様がかっこよくて。
私のことを思ってくれる言葉が嬉しくて。
「セド様、大好き」
大好き、と勝手に口から出てしまう。
だって、胸からあふれてくる。
「大好き」
気持ちを言葉にしようとしたら、その言葉ばかりが出てきてしまう。
すると、セド様は目元を真っ赤にさせて、唸るように話した。
「……息が止まりそうです」






