記憶と今は
宰相の息子のサーフィス様にばいばいと手を振る。
そして、元来た道へと体を向けた。
よし。……がんばろう。
一人、自分を鼓舞し、丘を下って行く。
上った時よりも下る時のほうがスピードが出て、前へ前へと足が進んでいった。
相変わらず、地面に触れた足裏は痛い。
けれど、気にせず走り続けた。
そうして、旧校舎が立っていた小高い丘を下りると、私が飛び出してきてしまった校舎が見えてくる。
校舎まで走り寄ると、中には入らず、その横へと回った。
校舎の裏がセド様とヒロインがいたベンチのある庭だ。
ここで騒動が起こっているはず。
そのまま乗り込んでも良かったけれど、少し落ち着くために校舎の角で止まった。
そして、はあはあと弾む息を整える。
何度か深呼吸をした後、ゆっくりと校舎の陰から身を乗り出した。
「いた……」
サーフィス様の言う通り、やはり揉めているようだ。
険がある女の子の声が聞こえてくる。
騒動の中の人たちとは少し離れているため、向こうはこちらに気づいていない。
けれど、私のほうからはそこにいる人たちがはっきりとわかった。
……私が十歳の時に知ってしまった景色。
記憶通りの光景。
私に背中を向けるように立っているのはリーラとペティ。
その正面にはヒロインが立っており、それを守るかのように男の人が何人かいる。
……それは私の知っている人だ。
赤い髪に金色の目。大きな体と厳しい目が特徴の将軍の息子であるローワン様。
そして、サラサラの黒い髪と赤い目を持ち、フードを目深に被った天才魔術師のシェーズ様。
更にあと一人。
茶色い髪を器用に編み込み、垂れ目で女性関係が派手な伯爵家の跡取りのウィロー・フィライン様もいた。
ローワン様とシェーズ様には過去に関わってしまい、そのことが原因で嫌われている。
リーラとペティがヒロインに嫌がらせをしていることを知り、ヒロインを助けるためにそこにいるのだろう。
ウィロー・フィライン様とはほとんど関わりはないはずだが、彼もきっとヒロインのためにいるのだ。
そう。ヒロインの後ろにいるのは攻略対象者。
学園でヒロインはよく彼らと一緒におり、そこにはセド様もいた。
何度見ても、子爵家の令嬢であるヒロインには豪華すぎるぐらいのメンバー。
記憶の中と同じ。
……けれど、記憶とは違うところもある。
それは、この場にサーフィス様がいないことだ。
私の記憶ではヒロインの後ろに水色の髪の彼がいた。
しかし、サーフィス様とは先ほど、旧校舎で話をしたところだ。
ここに現れるとは考えにくい。
きっと、学年の違う彼とは親密にならなかったのだろう。
記憶と同じところ、違うところ。
それぞれあるけれど、結局はそこに誰がいようと関係ない。
私はただリーラとペティを助けたいだけだから。
息が整ったところで、ぎゅっと一度唇をかみ、まっすぐに背筋を伸ばす。
そして、ちらりと周りへ視線を投げた。
そろそろ授業が始まる頃なので、庭に騒動と関係がない人はいない。
けれど、校舎の窓からこっそりと盗み見ている人は何人かいた。
その野次馬たちは私が来たことに気づいたようで、こちらを見ている人たちが多い。
だから、その人たちに視線を向けながら、不快感を表すようにぎゅっと眉根を寄せた。
……さすが悪役顔。
野次馬たちは私と目が合うと、顔色を無くして、いそいで教室へと入っていく。
……こうして人払いに使えるのなら、悪役顔も悪くない。
教室へ帰っていく生徒を見ながら、私は騒動の中へと歩みを進めた。
ヒールははいていない。
スカートも汚れてしまっているし、胸の部分はしわができてしまっている。
そんな姿の私だけど、無様に見えないよう、姿勢を正し、少し大きな歩幅で進んだ。
「……っライラック様」
「……どうして」
周囲の異変を察知したのだろう。
背中を向けていたリーラとペティがこちらに振り返った。
私の存在に気づいた二人の顔はさっと青くなる。
そして、二人は私の姿をまじまじと見た後、いそいでこちらへと歩みを進めた。
「ライラック様、その恰好はどうされたのですか?」
「何かあったのですか? 家の者を呼びますか?」
……今、二人は窮地にある。
顔色は悪いままだし、声だって少し震えている。
なのに、二人が口にしたのは私への気遣いで……。
だから、そんな二人を安心させるようにきゅっと口角を上げた。
「私は問題ありません。ところで、これはどういうことですか?」
驚いたようにこちらを見つめているヒロインと攻略対象者たちへと視線を投げる。
すると、リーラとペティは一度体を震わせた後、私の体をぐっと押した。
「……っいいえ、これはなんでもありません」
「ライラック様には関係のないことですから。私たちもすぐに行きますので、先に教室に向かっていてください」
――助けて、と言わない。
ただ、私には関係ない、と。
向こうに行って欲しい、と。
……二人ではこの窮地を切り抜けられないはずなのに。
伯爵家の長女であるリーラなら、子爵家の令嬢であるヒロインだけならなんとかできるかもしれない。
けれど、後ろに控えている攻略対象者が手に余るはずだ。
将軍の息子、天才魔術師、伯爵家の跡取り。
彼らの後ろにあるものは大きく、ここで問題を起こせばリーラとペティの将来に関わってしまう。
ペティなんて男爵家の養女だ。
こんなことになれば、家から見離される可能性の方が高いのに……。
「……二人がやったことを聞きました」
私の言葉にリーラの目が揺れる。
すると、ペティがリーラを庇うように、体を私に寄せた。
「リーラ様は関係ありません。私です。私が一人でやりました」
「……ペティ」
ペティの言葉にリーラの声が掠れる。
ペティの目に宿っている強い色。
ペティは私の目を必死に見返して、懇願しているのだ。
……切り捨てて欲しい、と。
全てをペティに被せて、なかったことにして欲しい、と。
「……私は二人を見捨てません」
だから、そんなペティに小さく微笑みかけた。
……ペティの願いは聞けない。
私は二人を助けるって決めたから。
「ライラック様……っ」
私の言葉にペティが泣きそうな顔をする。
だから、大丈夫、ともう一度笑みを浮かべた。
……リーラとペティはずっと私の傍にいてくれた。
言葉少ない私に楽しい話をたくさんしてくれた。
私といたって学園生活に有利な事があるわけではない。
バルクリッドの娘として、父や兄弟たちと渡りをつけるわけでもないし、第二王子の婚約者ということで王家へと推薦するわけでもない。
他の多くの貴族令嬢と変わらない。
むしろ、それよりも何も与えなかったかもしれない。
だから、入学当初はたくさんいた取り巻きも私が利を与える事はないと知り、離れて行ったのだ。
「この二人は私の友人です。……私に逆らうことはできません」
リーラとペティを背中に隠し、ヒロインの前へと歩み寄る。
後ろから焦った様な気配がしたけれど、二人に何も言わせないうちに行動を起こした。
「申し訳ありません。すべては私の責任です」
胸の前で組まれていたヒロインの手を取る。
そして、身をかがめて、その手を私の額につけた。
周りから息を飲む音がする。
けれど気にせずにそっと目を閉じた。
これは女性が謝罪をする時に取る動作だ。
それも心からの謝罪を示すために行われるもの。
……ヒロインの手は思いのほかあたたかい。
私の冷たい指先よりも、ヒロインの温かい手の方がよほど現実的で……。
……あの時を思い出す。
昔、一人でダンスをしていた夜のテラス。
三人の令嬢が私に婚約者を取らないでと言ってきた時。
あの時の私は親しい友人なんていなくて、ダンスばかりをしていた。
当たり前だけど、ダンスの相手は異性だから、きっと同性より異性とばかりいるように見えていただろう。
そう。それはヒロインの状況と何も変わらない。
あの時の私が今のヒロインで、あの時の三人の令嬢が今の私たちだ。
……女の子一人で不安になったよね。
みんなに遠巻きにされて辛かったかもしれない。
学用品を壊されたり、後ろから突き飛ばされたり……。
みんなが敵に見えて、きっと心細かっただろう。
そうしたら、男の子に助けを求めたくもなる。
一緒にいて欲しいって言いたくもなる。
そのせいで余計に孤立して……。
ヒロインのことを思えば、胸がぎゅうっと痛くなる。
……けれど、私は友達を守ると決めたから。
痛む胸を無視して、ヒロインの手を離す。
そして、背筋を伸ばしてきっぱりと言い放った。
「これからはこのようなことが起こらぬようにします」
いっそ不遜にも見えるぐらい、堂々と。
そして、ヒロインの目をまっすぐ見た。
――これで終わり。
……たったこれだけのこと。
けれど、もう、ヒロインたちが私たちを責めることはできない。
ヒロインは子爵家の令嬢。
私に嫌がらせをされたと訴えたところで、仕方がないで終わりだ。
攻略対象者であれば、普通の貴族が相手ならもっと罰を与えることもできただろう。
……けれど、私はバルクリッド侯爵の娘。
二代限りの爵位しか持っていない男の息子であるローワン様。
庶民出の養子のシェーズ様。
そして、田舎貴族の息子ウィロー様。
そんな者たちなど取るに足らない。
バルクリッドは建国された時からの配下であり、現在は隣国との調整を一手に任されている。
貿易により経済は潤い、かつては国境線を守っていたこともあり、武力も高いのだ。
そんな私がたかが一介の子爵家の令嬢に礼を尽くして謝罪をした。
それだけで十分。
特にこのような女性同士のやりとりであれば、大きく騒ぎ立てられることもない。
……ヒロインにしてみれば、心は収まらないだろう。
ずっと嫌がらせをされていたのに。
ヒロインはつらい思いをしたのに、私はたった一言謝れば何もなかったことになる。
――これで終わり。
ヒロインは悔しい気持ちを押し隠して……。
これからも何かあるかもしれない、と怯えるしかない。
これまでと何も変わらない日常が戻るだけだ。
誰も何も話さない。
「なぜこんなことに」
けれど、しんとしていた空間に低い怒気をまとった声が響いた。
「この騒ぎはどういうことだ?」
近づいてくる足音に胸がギシッと嫌な音を立てる。
……知ってる。
ずっと知っていたこの瞬間。
――これで終わらない。
だって、ヒロインを守れるのはセド様だけ。
……私に痛手を与えられるのは、セド様だけだから。
胸が痛い。
けれど、その痛みに負けないよう、目を閉じて小さく息を吐く。
セド様は攻略対象者。
だから、ずっとこわかった。
ヒロインにセド様を選んで欲しくなくて……。
近づいて行くヒロインに嫉妬して……。
……でも、本当はずっとわかってた。
気づかないふりをしていただけ。
私が私の人生を決めて来たように、セド様もセド様の人生を決めて来た。
だから、セド様がヒロインと一緒にいるのは、ヒロインがセド様を選んだからじゃない。
――セド様がヒロインを選んだから。
胸の痛みは治まらない。
けれど、目を開けて、セド様の声が聞こえたほうへと振り返った。
『婚約破棄を申し入れます』
『貴方に不満があったわけではありません。ただ、私には守りたいものができてしまったのです』
――記憶と今が重なる。
いつも私を見てくれていた濃いブルーの目が冷たい色をしているなんていやだけど。
やっぱり、少しぐらいは泣いてしまうかもしれないけど。
……記憶みたいに取りすがってしまうのかな。
でも、それをしてしまうと、リーラとペティが自分を責めてしまうかもしれない。
だから、できるだけかっこよく。
その時が来ても、背筋だけは伸ばしていられるように。
――ちゃんとまっすぐセド様の目を見るって決めたから。
こちらへ歩いてくるセド様の濃いブルーの目を見つめる。
すると、セド様はぎゅっと眉間に皺を寄せた。
「……貴方の目を見たのは久しぶりな気がします」
声変わりは終わったはずなのに、掠れている声。
そして、その目はなぜか苦しそうに私を見ていた。
「失礼します」
セド様は私の前に立つと、私の背中へと手を回し、身をかがめる。
そして、膝裏へともう一方の手を差し入れると、そのまま私を抱き上げた。
……なんで、いきなりリフト?
リフト→男性が女性を持ち上げるダンスの技






