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婚約者は

 お父さまと話せる機会を設けた私は、自分の将来について聞きだす事にした。


 我がバルクリッド領は王都の西に面し、隣国との貿易港、防衛線として発展してきた。

隣国との関係は先々代の頃から良好であり、貿易で栄えた我が領は現在では平和で豊かな土地である。

領民は快活であり、よく笑う。

私は領主の娘として淑女の教育を施されながらも、その領民性を反映し、よく笑い、少し悪戯好きなお嬢様だったのだ。

正直、将来もあまり考えていなかった。


 私は貴族の娘。一人で働き、身を立てることなどできない。

今は侯爵家の一員として衣食住を保障されているが、いずれどこかへ嫁がなければならないのはわかっていた。

けれど、今が楽しければいいじゃない、と毎日、庭でちょうちょを追いかけていたのだ……。

既に婚約者がいる友人や、少しでも裕福な家へ嫁ぐために切磋琢磨している令嬢はたくさんいたのに。


 そう、お父さまに聞きたい将来の事とは婚約者についてだ。


 政略結婚も仕方ない。なにか条件があるのならそれを飲もう。

ただ、第二王子はダメ! それは承諾できない。脇役反対。

今まで自分が第二王子の婚約者になる話などは一切聞いた事がなかったが、実はそういう話もあるのかもしれないのだ。

もし、そうだとするなら、お父さまから話を聞き、なんとかそれを回避しなければならない。


「お父さま、お時間を取っていただき、ありがとうございます」

「構わん」

「あの、話したい事は……婚約者についてなのです」


 夕食後、お父さまの部屋に入り、二人でソファに座った。

用意されたお茶と果物を食べながら、隣に座るお父さまを見上げる。

お父さまは、『婚約者』の言葉を聞くと、ピクッと形のいい眉を上げた。


「……誰か気になる者でもできたか」

「いいえ! そうではなく……あの、私も貴族の娘ですから、政略結婚などあるのかと思いまして」

「……ふむ」


 今までちょうちょを追いかけて笑っていた娘が、突然、将来を見据えた発言をしたために驚いているのだろう。

酷薄そうな唇に右手を当て、すこし何かを考えているようだ。

その姿はまさに悪役が悪巧みをしている様子そのもので、部屋の空気が一気に冷える。

もちろん、私はお父さまが悪巧みをしているわけではないとわかっているので、怖くもなんともないのだけれど。


「私は侯爵家の娘です。お父さまとお兄さまのお役に立ちたいと思っています」

「そうか……。まさかライラックがそのような先を見据えた事を話すとは思わなかった」


 ……ですよね。

私も記憶を思い出すまでまったく考えていませんでした。


「だが、そうだな。そういう時期なのかもしれないな」


 人を殺すのをためらいそうもない瞳で私を見る。

いや、大丈夫です。私はわかってますよ。


「我が領は恵まれている。我が領と懇意を持ちたいと思う者は後を絶たないが、我が領から懇意を持ちたいと思う者は今のところない」

「……それは王家もですか?」

「ああ。王家との関係は悪くない。……お前の兄が、第一王子と友情を育んでいる」


 ……そうだったんですね。

私がちょうちょを追いかけている間に、兄は後継ぎとして王家との関係を築いていたらしい。

なんだか兄と自分の差に、ちょっとだけ目を伏せてしまった。


「お前が政略結婚をするメリットはない」


 お父さまは厳しい目で私を見下ろす。

その言葉はまるで私が必要ないかのようなそんな発言だ。


 ……けれど。

私にはわかってしまう。

その奥にあるたくさんに愛情に。

私がこれまで何も考えず、庭でちょうちょを追いかけていられたのは理由があるんだ。


「……ありがとうございます」


 私はあまり頭が良くないし、思いついたら一直線で、完璧な淑女にはなれそうにない。

そんな私でも、お父さまのおかげで、たくさん笑って生きていけてるんだ。

嬉しくなってお父さまに抱きつけば、そっと頭を撫でてくれた。

私はもっと嬉しくなって、そのまましばらく抱き付いていた。


 まったくよくわからない、この記憶だけど。

思い出して良かったと思う。

そのおかげで、こうしてたくさんの愛情に気づくこともできたから。


 とにかく、私が第二王子と婚約する必要がない事がわかった。

記憶の中の私がなぜあんなに第二王子に執着していたのかはわからないけれど、これで脇役の人生は回避できたはずだ。


「お父さま、私、いっぱい勉強しようと思います」

「そうか」

「はい。パーティーでかっこいい人見つけてきますね」

「……そうか」


 政略結婚はしなくていい。

それはつまり、恋愛結婚をしろという事だろう。

かっこよくて、優しくて……できれば、我が領に少しでも役立てるような。

そんな婚約者を探さなくては。





 それからの私はすごくがんばった。

庭でちょうちょを追いかけていた私はもういない。

この国の社交界デビューは十二歳から。

それに向けて、外見も磨き、内面も磨き……マナーもダンスもがんばった。


「お嬢様、今日も素敵でしたわ」


 ダンスの教師が私の踊りを見ながら、感嘆の溜息を零す。

私はそれを聞きながらも、優雅に微笑んで、相手役の少年をじっと見つめた。


 あなたが私のすべてです、と。

あなたが私の世界の主役です、と伝えるように。


「お嬢様のダンスは見ていると心に花が咲いたような気分になりますね」


 ダンスの授業を終え、お茶の準備が終わったエミリーがほぅっと息を吐く。

ダンスの教師は既に帰り、部屋には見知った顔しかいないため、感想を言ってくれたのだろう。

私はその言葉にふふっと微笑んだ。


「ダンスをしている時はパートナーが世界の全てで私のヒーローなんです。そうして踊っていると本当に嬉しくなってきてしまうんです」

「私も嬉しいですよ」


 今日のパートナーを務めてくれた、少し太った少年が、人の良さそうな笑みを浮かべて私を見る。


 ……今日もプレーリードッグっぽい。


 私はその笑顔を見ながら、赤茶けた地面の上に二本足でピョコンと立ち、前足を中途半端な位置で止めているぼやっとした顔をした動物を思い出していた。

我がバルクリッド領が貿易をしている隣国。その隣国の海を挟んだ向こうにその動物はいるのだという。

交易品の中にその動物を描いた絵があって、私はそのとぼけた顔がすごく印象に残っていたのだ。


 私の練習相手を務めてくれている彼は伯爵家の次男。

伯爵家と我が家は友好的な関係を築いているため、時折こうして交流を持っている。

私と彼は年がちょうどよく、よくこうして話をしているのだが、私は心の中でプレーリーと呼んでいる。

悪い意味のつもりはない。

踊りは上手だし、あまり同年代の子と踊った事のない私にはありがたい相手だ。

だけど、プレーリードッグにしか見えない。まあいいよね、心の中で呼ぶぐらい。


「あの、ライラック様の社交界デビューは来月ですよね?」

「はい、そうです。私の十二歳の誕生日パーティーを開きます。それがデビューになりますね」

「楽しみですね」

「はい」


 ふふっと微笑むと、プレーリーもにこっと笑った。


 そう。

私は本当に楽しみにしている。

だって、ついに社交界デビュー!

社交界に出れば、婚約者のいない私は婚約者を探すために踊りまくるのだ!


「プレ……アーノルド様もいらっしゃってくれるんですよね?」

「はい」


 危なかった。プレーリーって呼ぶところだった。


「私、社交界で皆さまと踊るのが楽しみで仕方ないんです」

「ライラック様はお上手ですから、引く手あまたでしょうね……」


 プレーリーが少し寂しそうに笑う。

どうした、プレーリー。プレーリーも上手だと思うよ。


「アーノルド様と踊るのも楽しみにしているんですよ?」


 私が上目遣いで見れば、プレーリーはわかりやすく狼狽した。


「もったいないお言葉です。私もライラック様と踊るのがいつも楽しくて仕方ありません」

「そう言って頂けると、嬉しく思います。私、ダンスが大好きなんです」


 ふふっと笑う。


 そうなのだ。

初めは婚約者を見つけるためだけに始めたダンスだったが、今ではそれが楽しくて仕方ないのだ。

ダンスはいい。悪役令嬢という名の脇役だった私が一気に主役になれる。

踊っている間はパートナーと私を遮るものなどない。

私にとってはパートナーがヒーローであり、パートナーにとっては私がヒロインなのだ。

それが楽しくて、かなり熱心に練習した。

そもそも庭でちょうちょを追いかけていた私は基礎体力があったのだろう。

私の運動能力と主役になりたいと叫ぶ、飢えた心により、私のダンスの腕前は瞬く間に成長した。


 早く誕生日パーティーが来てほしい。

そして、踊りまくりたい。


 手段と目的が入れ替わってしまった感が否めないが、まあいいと思う。

踊りまくってるうちに、きっと素敵な婚約者が見つかるに違いない。


 プレーリーと適当な会話をしながら、紅茶を口に含む。

いい香りのするその紅茶に自然と頬は緩まっていった。

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