私の世界は
魔素の授業が終わり、次は昼食の時間だ。
リーラとペティと共に教室から出て、昼食をとるために食堂へと移動する。
廊下を歩きながら、左手の窓から外を見れば、手入れをされた植え込みが風にそよいでいた。
……そういえば、セド様とヒロインは一緒にいるのだろうか。
緑を見つめていると、ふと朝の出来事が頭をよぎる。
ヒロインがお昼に時間が欲しいと言っていた。
セド様もそれを承諾したから、きっとどこかで共にいるはずだ。
二人が一緒にいるかと思うと、胸がきりりと痛む。
でも、それは考えてもどうしようもないこと。
だから、これ以上そのことを考えるのはやめようと外を見ていた視線を外そうとした。
けれど、緑の向こうに見えた景色に顔をそらすことができなくなる。
目線の先には気持ちよさそうに揺れる緑。
植え込みにはピンク色の花が咲き、計画的に配置された木が柔らかな木陰を作っていた。
その木の根元。
柔らかな木陰にベンチが置かれている。
今日のような暖かい日にそこに腰かけ、緑のそよぐ音や優しく頬を撫でる風を感じるのはとても素敵だろう。
学園の中でも少しだけ特別に見えるその場所。
そのベンチに……ヒロインとセド様が座っていた。
――大丈夫、大丈夫って。
何度自分に言い続けて来ただろう。
「ライラック様、どうされましたか?」
窓の外を見つめたまま歩みを止めてしまった私にリーラが不思議そうに声をかける。
でも、私はそれに答えることができなくて、ただじっと目の前の景色を見続けていた。
柔らかな木陰の中、人目をはばかるようにそっと身を寄せる二人。
なにかを話しているようだったが、ふとヒロインがベンチから少しだけ腰を浮かした。
そして、セド様の耳元に口を近づけて、そっと耳打ちをする。
すると、セド様はそれにふっと柔らかく微笑んだ。
……どうしよう。
胸の中がぐつぐつする。
――大丈夫、大丈夫って。
何度も何度も自分に言い続けて来たのに。
心が折れそうになる度に自分に唱え続けて来たのに。
でも、もう――。
「今日の昼食はなんでしょうか?」
「あの、鴨肉のコンフィだと聞いています」
「そうですか、それはおいしそうですね。私は鴨肉にはオレンジソースを合わせるのが好きですわ」
リーラとペティも窓の外を見て、私が何を見ているのかわかったのだろう。
自然に窓と私との間に入ってくれて、私の視線を遮ってくれる。
二人のおかげで、私の視界からセド様とヒロインの姿が消えた。
代わりに見えるのは、にこっと笑うリーラの顔とちょっと困ったように眉尻を下げるペティの顔。
そして、リーラとペティが私の気持ちをそらすように、昼食の話題を出してくれた。
……二人の優しさが嬉しい。
だけど、胸から何かがあふれそうで――。
「……申し訳ありません。昼食はお二人だけでお願いします」
「ライラック様……」
胸の痛みを必死に抑えて、悪役顔の微笑みを浮かべる。
二人はそんな私に戸惑ったように小さく息を飲んだ。
そして、ちらりとお互いの顔を見合った後、ゆっくりと頷いた。
「そうですか、わかりました」
「……では」
二人が私の言葉を受けて、礼をした後、離れていく。
二人は一度、心配そうに振り返ったが、それでも私は小さく微笑んだままそれを見送った。
二人を心配させたくない。
だから、今にも崩れそうな微笑みを必死で作り続けた。
――もう……いやだ。
二人が廊下の角を曲がるのを見届けた瞬間、サッと体を反転させる。
そして、出口に向かって早足で進んだ。
――もういやだ。
廊下にいた人たちは私の勢いに驚いたようにこちらを見ていたけど、気にせずにただ出口を目指す。
人々の喧騒の中に、今にも駆けだしそうな私の足音がコツコツと響いた。
――こんな世界、いやだ。
一度堰を切った思いはとめどなくあふれてくる。
いつも、我慢してた。
悪役顔の微笑みで、何にも気にしていないような顔をして、何も傷ついていないような顔をして。
でも、私はなにを我慢してるんだろう。
なんで我慢してるんだろう。
胸にあふれた思いは止まらなくて、ただただ必死に足を動かした。
建物から外に出れば、優しい風が頬を撫でていく。
でも、そんなのじゃ、なんの慰めにもならなくて、気づけば早足から駆け足に変わっていた。
石畳に響くヒールの音が早くなる。
ダンスをしているから、ヒールで走ることもできるのだけど、もっと早く走りたくて、途中で靴を脱ぎ捨てた。
もうどうでもよくて、拾う事もせず、靴を置き去りにしたまま、素足で走った。
こんなに全力で走ったのはいつぶりだろう。
もしかしたら、記憶を思い出して以来かもしれない。
……十歳の時、記憶を思い出して、完璧な淑女になろうって思った。
そして、第二王子じゃない素敵な婚約者を見つけようって。
……何のためにがんばってたんだろう。
完璧な淑女になるのは、記憶通りに進まないようにするためだったのに。
悪役令嬢にならないために。
脇役にならないためにがんばってきたはずだったのに。
裸足だから、地面に直接足裏が当たる。
時々ある小石を踏みつける度にピリッと痛みが走った。
……全部、無駄だったのかな。
ダンスが楽しかった。
脇役の私が主役になれるんだって思った。
ダンスが終われば脇役に戻ってしまうけど、それでもダンスをしている時は主役でいられたから。
でも、一緒にダンスをしたい、と思った人は第二王子だった。
――第二王子は、私を主役にはしてくれないのに。
全力で走ったから口から勝手にはぁはぁと息が漏れる。
そのせいで、喉の辺りがなんだか血の味がした。
こんな風に走るなんて、淑女失格だ。
室内ではなんとか自制していた。
けれど、外に出てしまえばもう人目は気にならなかった。
昔みたいに思いっきり走る。
庭で飛び回って遊んでいた時のように。
――この世界のことなんてなにも知らなかった時にように。
あの時の私は、自分がこんな風になるなんて知らなかった。
……ううん。あの時の私だけじゃない。
きちんとした淑女になって婚約者を探すんだってはりきっていた私も。
ダンスが楽しいってたくさんダンスをしていた私も。
こんな私になるなんて、思ってもみなかっただろう。
婚約破棄をされると知っているから、好きな人の目も見れない。
自分が嫌われることを知っているから、話したい人に近づくこともできない。
ヒロインに敵わないと知っているから、戦うこともできない。
……かっこわるい。
かっこわるいな、私。
こんな世界、いやだ。
逃げられるのなら逃げたい。
違う世界に行けるのなら行きたい。
けれど、私が一番いやなのは……。
――こんなに情けない私自身。
ただじっと。
何もせず、自分を守るのが精いっぱい。
かっこわるくて、情けない。
――そんな自分が一番いやだ。
学園の敷地内の石畳はずっと続いていて、なにも考えずそこを行く。
途中から少し上り坂になっていて、ハッハッと息を切らしながら走った。
小高い丘の上には旧校舎がある。
いつもは使わないが、時々旧校舎でも授業があって、そこから見る景色が好きだった。
旧校舎には人の姿がまったく見えなくて、前庭にある大きな木が風にそよそよとなびいていた。
その木の下まで来て、走っていた足を止める。
そして、木のてっぺんを見上げた。
「……登ろう」
一度、大きく息を吐き出し、切れていた息を少し整える。
そして、よいしょっと右手を一番下の枝に手をかけた。
裸足で走ってきた足はヒリヒリと痛んでいたけれど、気にせず左足を木のうろにさしこむ。
……意味なんてない。
木に登ったって何にもならない。
けれど、ただ上に行きたくて。
昔はもっとうまく登れていたと思うけど、久しぶりの作業に体を重く感じた。
けれど、やめるなんていう選択肢はなくて、昔より重くなった体で必死に上を目指す。
せっかく手入れしてきた爪に樹皮が食い込む。
足を開いて登るから、スカートの裾から足が見えてしまっていた。
……今までずっとそれを気にしてきた。
でも、もういい。
誰かに見られたってかまわない。
この年でこんな格好で木に登ってるなんて、きっとセド様が見れば、落胆する。
今までは授業中に隣に座ってくれていたけれど、もう座ってくれなくなるかもしれない。
でも、だって仕方ない。
……これが私だから。
いっぱい考えても。
いっぱい努力しても。
好きな人の目も見れない。
自分の言葉にするのが下手で、うまく話すこともできない。
かわいい女の子を見て、勝手に一人で嫉妬してる。
ダンスだけできればそれでいい、なんて。
そんなどうしようもないのが私だから。
必死で上へ上へと手を伸ばしてきたけれど、手をかけられそうな枝が見当たらない。
もうこの上は細くて、私の体重を支えられるような枝もなかった。
「ここまで……か」
両手をしっかりと幹に沿わして、最後の太い枝に両足を乗せた。
立ち上がれば、木の枝と枝の間から王都の街が見えた。
小高い丘の上にある木の上から見下ろせば、平地では見えない王都の端っこの方も見えた。
「……なにこれ、っ」
その景色を見たら、なんだか笑ってしまった。
――だって、何も変わらない。
こんな風に必死で上まで登ってきたのに、旧校舎の二階の窓から見る景色と何も変わらない。
階段を使って、疲れることもなく見た景色も。
こんなに全身を使って、息を切らして見た景色も。
――変わらない。
目がじんわりと熱くなって、慌てて深呼吸をした。
――世界は変わらない。
私が一人でうじうじしたって。
こんなバカなことをして、一人で笑ってみたって。
――何も変わらない。
世界は光であふれたりしない。
空から声が聞こえてきて、私を導いてくれたりしない。
私は相変わらず、ライラック・バルクリッドで脇役な悪役令嬢のままだ。
だから、きっと……。
記憶通りに進んでいくんだろう。
私はやっぱり婚約破棄されて、また新しい婚約者を探さないといけないんだ。
記憶通りに脇役で、悪役令嬢になる。
でも……。
「私は……知ってるよ」
目が熱い。
それを抑えるためにもう一度深呼吸をした。
「知ってる」
そして、左手を幹から外して、ぎゅうっと胸の辺りをつかんだ。
……誰も知らなくても。
……結局、記憶通りなのだとしても。
――私の人生は、ちゃんと私が決めてきた。
間違いばっかりで、無駄なことばっかりだったのかもしれない。
意味のないことを、空回りながらやっただけなのかもしれない。
でも、精いっぱいがんばった。
家族や侍女に相談したこともあったけど、最後は自分で決めた。
自分の好きなものも好きな人もちゃんと自分で選んだ。
……全然うまくいかなかった。
全然思い通りにいかなかった。
でも、がんばったこと。
……私だけは知ってるから。
風が頬を撫でていく。
ゆっくりと息を吐いて、左手に力を入れた。
「もっとうまくいきたかったなぁ……」
ポツリと弱音を漏らしたら、少しだけ笑えた。
「……がんばれ」
うまくいかない人生だけど。
「がんばれ」
全然かっこよくなれないけれど。
木に登って、掠れた声で自分を励ます。
そんな自分の姿にまた少し笑えた。
……もう少しここにいようかな。
昼食をとる気分にはなれないから、もう少しぐらいここにいてもいいだろう。
午後の授業に間に合うように木から降りればいいはずだ。
そう思って、よいしょと木の枝に腰を下ろす。
すると、誰もいないと思っていたのに、いきなり声が聞こえた。
「何をしていらっしゃるのですか?」






